ある秋の日の日曜日。 「ふわ……うみゅう……」 僕は寝ぼけたまま起床した。 ベッドから降りて立ち上がる。 めやにのついた眼をこすりながら自室を出てダイニングに至る。 ダイニングには妹の華黒がいて、朝食の準備をしていた。 「兄さん、おはようございます」 「ん……はよう……」 「もしかして寝ぼけてらっしゃいます?」 「ん……かも……」 頭がぼーっとする。 「顔を洗ってきたらどうです?」 「ん……そうする……」 そう言って玄関口の隣にある風呂場の洗面台まで歩く。 と、 ピンポーン と呼び鈴が鳴った。 お客様だ。 ダイニングから華黒の声が聞こえてくる。 「すみません兄さん。手が離せないので兄さんが出てください」 「ん……あいあい……」 ぼーっとした頭で玄関を開けようとして失敗する。 チェーンキーがかかっていたせいだ。 チェーンキーをはずして、改めて玄関を開けると、 「お久、シロちゃん♪」 そこには短く揃えられた髪に愛嬌のある瞳、白いフリルのワンピースを着た少女が立っていた。 ていうか楠木南木ちゃんだった。 「ん……お久……」 「眠そうだね?」 「ん……起きたばっかり……」 「そう。ちょうどいいわ。獅子堂」 ナギちゃんがパチンと指を鳴らす。 するとオールバックの髪型に黒いスーツを着たヒョロリと背の高い男性が姿を現した。 ナギちゃんの家の使用人、獅子堂さんだ。 「ん……獅子堂さん……お久しぶりです」 「お久しぶりです真白様。失礼します」 「ん……?」 謝れた意味が分からずにいた僕を、獅子堂さんは軽々と担ぎ上げた。 ナギちゃんが言う。 「連行」 「はい、お嬢様」 僕は朝から誘拐されてしまった。 * 『大丈夫ですか兄さん!?』 「まぁ煮たり焼かれたりする心配はないと思うけど」 『楠木さんがそんな凶行にでるとは!』 「凶行って程じゃないと思うけど」 『今日の私とのデートはどうされるんですか!?』 「後日に期待ということで」 『そんな……!』 「いや、だってもう戻れない距離だから」 『……楠木さんに代わってください』 「ダメ。喧嘩いくない。とりあえず今日はナギちゃんの言うことを聞かないといけないみたいだし諦めて」 『しかし……!』 「ばいばーい」 プツッ。 「クロちゃん何だって?」 「案の定怒ってたよ」 ナギちゃんに携帯電話を返しながら、リムジンの中でそんな会話。 あの後、つまり獅子堂さんに担ぎ上げられた後、パジャマのままリムジンに押し込められて、わけもわからないままリムジン発進。走るリムジンの中で、とりあえず華黒と連絡をとらなきゃいけないなぁと思い、ナギちゃんの携帯電話を借りて華黒の携帯に通信。拉致られたことを報告して今に至る。 「それでナギちゃん」 「ブッブー」 「ぶ……?」 「私の本当の名前、まだ教えてなかったね」 「本当の名前……」 「楠木南木は偽名。ちょっと本名を名乗るのが都合悪かったから使ってただけ」 「そうなの?」 「そうなの」 「本当の名前は?」 「姓は白坂(つづらざか)、名は白花(はくか)。白坂白花とお見知りおきを」 「つづらざか……っていうと、もしかして“あの”白坂家?」 白坂家といえば隣街の名家だ。 この街の名家である酒奉寺家と対をなす。 「そうだよ?」 「もしかして酒奉寺昴先輩のこと知ってた?」 「んー、知ってたといえば知ってたし、知らなかったといえば知らなかったかなぁ」 「曖昧模糊だね」 「まぁいいじゃん。それで? 何かを聞きたかったんじゃないの?」 「そうだった。それでナギ……じゃない、白花ちゃん。なんで僕を拉致ったの」 「うん。今日はシロちゃんと遊びたかったから」 「だったら拉致しなくてもそうと一言いってくれれば……」 「だって話し合ってたらクロちゃんまでついてきちゃうじゃん」 「華黒がいるとダメなの?」 「うん。不都合」 「きっぱり言うねぇ」 「まぁこっちにも色々と事情があって」 「でも遊びに行くにしても僕パジャマなんだけど」 「大丈夫。買ってあげるから」 「おこがましいかもしれないけどそう言うと思ってた」 やれやれだ。 * 連れていかれたのは、隣街にある服飾ブランドショップだった。 「好きなの買っていいからね」 と言う白花ちゃんに連れられて店内に入る。 中は清潔感のあふれる白を基調としたフロアで、店内のあちこちに服が飾ってあった。 とりあえずパジャマ姿じゃまずかろうということでてきとうにロングティーシャツとジーパンをとって、試着室へと行き、着替える。 なにやら英語のロゴの入ったティーシャツに簡素なジーパン。 こんなものだろう。 「シロちゃん、シロちゃん、はいこれ」 「ん、ジャケット?」 「似合うと思うよ」 「そう」 そう言って半袖のジャケットを羽織る。 「うん、似合ってる似合ってる」 「そう?」 あんまり実感わかないけど。 「じゃあ会計すませてくるね」 「あ、僕も……」 「きちゃダメ」 「なんで」 「多分、金額聞いたら卒倒するから」 「……ああ……そう」 そう言われては返す言葉もない。 「他に買っておきたい服とかある?」 「ん、いいや。とりあえず格好がつけばいいから」 「そ」 と言ってレジへと向かうナギちゃん……改め白花ちゃん。 しかし白坂家とはなぁ……。 お嬢様なわけだ。 「とてもお似合いですよ真白様」 「うわぁ!」 驚いて横を見ると、いつのまにやら獅子堂さんがいた。 気配ってものがないのかこの人は。 「ねえ獅子堂さん」 「なんでしょうか」 「白花ちゃん、僕なんかのためにお金を使っていいのかな」 「お嬢様が喜んでいるので構わないかと」 「喜んでるの?」 「真白様に自分の選んだジャケットを着てもらえている。それだけでも嬉しいことかと」 「ふーん……」 実のところ白花ちゃんが僕を好きだと言ってくれていることに関しては、僕は半信半疑でしかない。 惚れた腫れたを認識する年齢ではない……はずだからだ。 しかしそうすると白花ちゃんが僕にかまう理由もまたなくなってしまう。 よく考えると白花ちゃんとの縁なんて出会った時から特殊すぎた。 白花ちゃんは何を持って僕にかまうのだろうか。 謎だ。 なんてことを考えてるうちに白花ちゃんは会計を済ませて、僕のところ寄ってきた。 「…………」 「どうしたのシロちゃん?」 「ん、いや……なんでもないや」 まぁ深く考えても詮無いことである。 とりあえず流されるままに流されてみよう。 * 「おおう……」 思わず呻く。 車窓から見えるのは巨大な観覧車とジェットコースターのコース。 リムジンの次に止まった先は、なんと隣街の遊園地だった。 有名な某遊園地に比べれば規模は劣るが、それでも中々に立派な施設だ。 入園ゲートに人の列ができているくらいだから繁盛しているのだろう。 「遊園地か」 「遊園地だ」 白花ちゃんは嬉しそうに顔をほころばせた。 リムジンをおりて、駐車場を横断、長蛇の列に並ぶこと三十分、やっとの思いで入園ゲートを通る。 入って最初に目がついたのはインフォメーションセンターやグッズショップ。 実際の遊覧施設へはもうちょっと歩く必要があるようだ。 「ところで何で遊園地?」 入ってから聞く質問でもないだろうけど。 「あれ? シロちゃん遊園地嫌い?」 「いいや? そんなことはないけど」 「ならいいじゃん」 「そうだね」 言いながら歩く。 入園ゲートでもらった園内地図を広げながら、同じく園内地図を広げる白花ちゃんに問う。 「白花ちゃんはどこに行きたい?」 「うーん、どこでもいいかな。でも身長が足りないからいわゆる絶叫系は無理かも」 「あ、そうか」 それは盲点だった。 「じゃあひとまずゴーカートにでも行こうか」 僕ながら無難な選択だ。 「うん!」 頷いて、僕の手を握る白花ちゃん。 「手、つなぐの?」 「つなぐの」 僕の手を引いて白花ちゃんが走り出す。 「早くいこ、シロちゃん」 「はいはい」 白花ちゃんに引っ張られながらゴーカートへと足を運ぶ。 結果としてゴーカートは足の引っ張り合いになった。 僕も白花ちゃんも互いに車体をぶつけることに熱中するあまり、競争という前提条件を忘れて……まぁ歪んだ形ではあるが楽しんだ。 その後はパターゴルフ、回転ブランコ、回転木馬(メリーゴーラウンド)といった小さなお子様とでも遊べるアトラクションを楽しむ。 ほどなく昼となり僕らは軽食コーナーに足を運んだ。 ホットドッグにポテトにジュース。 てきとうにそれらを選んで注文し、商品を受け取ると手ごろなベンチを選んで座る。 「んー、おいしい」 ホットドッグにかぶりつきながら白花ちゃん。 「ちょっと意外かな」 「何が?」 「こういう軽食の類を白花ちゃんが好むこと」 「うーん、実は本当においしいとは思ってないよ?」 「あ、そうなの?」 「そうなの」 一つ頷く白花ちゃん。 「でもさ、なんかこういうところでこういうものを食べるとおいしく感じちゃうんだよね。海の家のへたっぴ焼きそばみたいな?」 「ああ、あんな感じね」 納得。 「それにシロちゃんもいるし。それだけでもご飯三杯はいけるよ」 「ああ、そう」 なんといっていいかわからず僕は淡白に返した。 僕もホットドッグにかぶりつく。 「ねえ、昼食が終わったらフリーフォールに行こう?」 「フリーフォールねえ……。絶叫系はダメなんじゃないの?」 「フリーフォールの身長制限はちゃんと満たしてるから大丈夫!」 「そうなの?」 「そうなの」 「ふーん」 ポテトを一口。 「しかしこんな遊園地が隣街にあるなんて……初めて知ったよ」 「そうだったんだ……。じゃあ来たことないの?」 「今日が初めて」 「私とが初めて?」 「まぁ、そういうことになるかな」 「うふふ……ふふ……」 「なにさ、その気味の悪い笑顔は」 「ううん。ちょっと嬉しいだけだよ」 「それは光栄です」 ポテトを一口。 「駅もあるみたいだし今度華黒と来ようかな……」 白花ちゃんに耳を引っ張られた。 「痛い痛い痛い」 「デート中に他の女の子の話しないの」 「え、デートだったの? これ」 「男女二人で遊園地に来てるんだからデートだよ」 「あ、そう……」 ってことは今現在僕は浮気中なのか? 昼食を食べ終わって、フリーフォールまで歩く。 身長制限をなんとかクリアした白花ちゃんとアトラクションに乗る。 ベルトをしめて安全バーをして、それからガコンとアトラクションが動き出す。 そろそろと高度があがっていき風景が俯瞰になっていく。 「ねえ、シロちゃん……」 「何」 「手……握って」 「……? いいけど」 僕は隣に座っている白花ちゃんの手を握る。 「どうしたの?」 「私、絶叫系って苦手で……」 …………。 ……………………はい? 「な、何で乗ったのさ……」 「だって絶叫系は吊り橋効果が期待できるって雑誌で……」 「なんという残念な発想だ……」 そこまでして僕の気を引きたいのか? そこまでするほどのことか? アトラクションの方はというと、もう既に最高度へ。 3、2、1……落下。 「きゃあああああああああああああああああああ!」 白花ちゃんの悲鳴が空に溶けた。 ぐったりとした白花ちゃんをお姫様抱っこして僕はため息をついた。 「無茶しなさって」 「だってぇ……」 「あんまり無理しなさんな」 「うぎゅう……」 白花ちゃんが情けなく呻く。 「どうする? どこかで休憩しようか……」 キョロキョロと見回してベンチを探す。 白花ちゃんが僕の服の襟を引っ張った。 「休憩するなら観覧車に連れていって……」 「大丈夫?」 「だいじょうブイ」 「ならいいけど……」 僕は白花ちゃんをお姫様抱っこしたまま観覧車へと歩く。 途中で白花ちゃんは「自分で歩く」と言いだし、言われるまま僕は白花ちゃんをおろす。 「ここの観覧車は一押しなんだよ」 「そうなの?」 「そうなの」 たしかに通常のそれより大きいような……そうでないような。 「夜にはライトアップされてね」 「へ〜え」 それはさぞ綺麗な光景だろう。 観覧車のコーナーに着いてみると、人気なのか長蛇の列ができていた。 「待てる?」 聞く僕に、 「待てるよ」 頷く白花ちゃん。 三十分ほど待って僕らは観覧車に乗る。 「ふぉ〜……」 「へぇ」 前者が白花ちゃんの、後者が僕の感嘆だ。 俯瞰の風景は絶景の一言だった。 遊園地が、周りのビルや山までが小さく見える。いわんや人など蟻同然だ。 「単純だけどいい景色だね」 「うん……! うん……!」 僕の感想に二度うなずく白花ちゃん。 「シロちゃん、今日の遊園地どうだった?」 「ん? ん〜、面白かったよ」 「本当!?」 「本当に本当」 「本当に本当に本当!?」 「本当だってば」 「私のこと好きになった!?」 「ライクって意味でなら」 我ながら都合のいい答えを返した。 「ていうかさ、何で僕なんかに構うのさ?」 「前にも言ったじゃん。一目惚れしたからだよ」 「…………」 ジュースを飲んでなくてよかった。口に含んでいたら噴き出していたところだ。 「言っておくけど半端な気持ちじゃないよ?」 「ああ……そう……」 最近もてるなぁ僕。 「半端な気持ちじゃないよ?」 「なんで二回言うのさ」 「大事なことだからだよ。それに本気で私に向き合ってないでしょ、シロちゃん」 ギク。 図星だ。 「まぁ今はそれでいいよ。あんまり無茶も言えないし」 そう言って白花ちゃんは風景を見るのに徹しだした。 「…………」 僕はというと返す言葉も見つからず、視線を風景に戻すだけだ。 そのまま観覧車は一周した。 観覧車から降りる僕と白花ちゃん。 白花ちゃんは僕の手を握ると入園ゲートまで歩く。そのままゲートを抜けて、外に出てしまった。 「まだ遊べたのに……。もういいの?」 「もう十分。それでさシロちゃん」 「なぁに?」 「もう一箇所、つきあってもらいたい場所があるんだけど……」 「うん、いいよ」 大して悩まず首肯する僕。 白花ちゃんの表情に一瞬葛藤が浮かんだけど、その意味まではさすがにわからなかった。 |