超妹理論

『後の祭り』後編


「羨ましすぎてぶっ殺したい」
「何をいきなり」
 唐突な統夜の言葉に、僕は疑問を呈した。
 怒涛(?)の昼休みが終わり、今は五限目。
 科目は体育。男子はマラソン、女子は棒高跳びだった。
 ……差別じゃね?
 女子もマラソンにするか、男子も棒高跳びにすべきだろう。
 ていうかなんで残暑もまだあるこの季節にマラソンなのだろう。
 持久力に問題のある僕は統夜と一緒に、走る男子の列の後方に陣取っていた。
「それで……誰を殺したいって?」
「お前だお前」
「何で僕が統夜に殺されなくちゃならないの」
「今日の昼休み、姉貴と華黒ちゃんにキスされたらしいな」
 華黒には能動的にキスをしたんだけどね。
「もう噂になってるの?」
「当たり前だ。華黒ちゃんに関する情報なんて爆発的に広まるわ」
「いやはや、みんな華黒が好きだねぇ」
「その勝者の余裕が気に食わねえ!」
「そんなこと言われても……」
 理不尽だ。
「甲斐甲斐しい妹属性! そんな絵空事が目の前へ見せつけられるとは! おお神よ! 何故あなたは私に二つの眼をお与えになり申した!?」
「そこまで大げさなものでも……」
 甲斐甲斐しいのは認めるけど。
「華やかしい姉属性なら統夜も持ってるじゃん」
「あれは変態っていうんだよ」
 我が姉をつかまえてすごい言い様だなぁ。
 まぁ……否定はしないけど。
「おっ! 華黒ちゃんが跳ぶぞ」
 グラウンドに目をやった統夜がそんなことを言った。
 とろとろと学校の外周を走りながら、僕も金網のフェンス越しに華黒を見る。
 華黒は少しだけ背伸びをして、それから走り出した。テンポよく走って加速すると、背をそらして高く跳ぶ。
「「「おおっ」」」
 その洗練された体さばきに男子どもがざわめく。
「…………」
「何不機嫌な顔してんだ、真白?」
「いや、ちょっとね。男子どもにね。華黒のことを変な目で見ないでほしいなぁなんて」
「無茶な注文だろうよ」
「そうだけどね。ちょっと華黒が心配」
「というと?」
「華黒の奴、そういう視線が好きじゃないから」
「まぁ有名税ってやつだな」
 華黒の内心を推し量って、ため息を一つ。
 僕はマラソンへと意識を戻した。



 キーンコーンカーンコーン。
 ウェストミンスターチャイムが鳴る。
「おう、それじゃ今日の学校は終わりだ。とっとと帰れよジャリども」
 目つきのきつい女教師(担任)がそんなことを言って、今日の学業はお開き。
 僕は宿題に必要なぶんだけの教科書を鞄にしまい、背伸びを一つ。
 背伸びし終わると同時に華黒が寄ってきた。
「兄さん兄さん兄さん、一緒に帰りましょ」
「はいはいはい」
 投げやりに答える。
 僕が左手で鞄を持つと、華黒は鞄をわざわざ左手から右手に持ち替え、空いた左手……というか左腕を僕の右腕にからめてきた。
「ちょっと華黒」
「なんですか兄さん?」
「わざとやってるでしょ」
「それはもう」
 そう言って華黒はグラジオラスのように笑った。
「華黒……その……胸が当たってる」
 華黒にだけ聞こえる小声でそう忠告する僕。
 華黒は悪びれずに言った。
「嬉しいですよね?」
「発情しないでよ」
「サービスです。もちろんこんなことするのは兄さんにだけですよ?」
「なんて答えればいいの。僕は」
「素直に喜んでいただければ幸いです」
「あーはいはい」
 できるだけやる気なさげに答えておく。
 ふと周りを見渡す。
 嫉妬とやっかみの視線がそこら中に見て取れた。
 でもいいのだ。
 今は恋人同士なんだし。
 腕を組んだまま僕と華黒は教室を出た。
 廊下に出てもやっかみの視線はそのまま。
 華黒はというと、
「えへへぇ」
 デレデレだった。
 頭を僕の肩に乗せてくるあたり、周りにとっての挑発がちょっと過ぎると思う。
「華黒、歩きにくい」
「そうですか。では歩きにくい程度にゆっくり歩きましょう」
「いつ刺されるしれない身でそれは遠慮したいけど」
「堂々としていればいいんですよ。なんといっても私と兄さんは恋人同士なんですから」
 語尾にハートマークをつけながら華黒。
「えへへぇ」
「華黒、またニタニタ笑いが出てる」
「嬉しさの証拠ですよ。できることなら世界中の人に叫んでまわりたい気分です。兄さんが私のものだってことを」
「何の自慢にもならないと思うけど」
「そんなことありませんよ? 兄さん、お顔が整っているし妙に色っぽいから意外と陰で人気なんですよ?」
「マジで!」
 意外な真実。
「そもそもそうでなければあの酒奉寺昴が兄さんに惚れるわけないじゃないですか」
「うーん……それ、喜んでいいのかなぁ」
「もちろんダメです。兄さんは私だけ見てればいいんです」
「浮気は?」
「兄さんが浮気なんてするわけありませんから、誘惑した相手の方を殺します」
「……銘記しておくよ」
 そんなことを言ってる間に下駄箱につく。
 腕を組んで離そうとしない華黒のせいで靴が履きにくいったらなかった。意地でも組んだ腕を離したくないらしい。
 校門を通って、道路に出る。
「ところで兄さん」
「なんでがしょ」
「兄さんの好きなシチュエーションってなんですか?」
「言ってる意味がわからないんだけど」
「ほら、あるじゃないですか。萌えというかフェチというか、そういう男のロマン的なものが」
「……なにそのつっこんだ質問」
「兄さんをどうやったら発情させられるのか考えた末の質問です」
「華黒なら猫耳でもメイドでもなんでも似合うと思うよ」
 猫耳でメイドな華黒を想像してみる。
 おお、胸ときめく映像だ。
「ありがとうございます。でも兄さんにとってのオンリーワンを知りたいんです」
「別にないなぁ。華黒は元から可愛いからそんなこと気にする必要ないと思うけど」
「でも兄さんったら私にムラムラしてくれないじゃないですか。もしかして私、魅力ないですか?」
 なんの冗談かと華黒を見ると、真摯なまなざしで返された。
 華黒なりに重要な問題らしい。
 僕は肩すくめて言った。
「まさか。いつモラルのたがが外れるか戦々恐々だよ、実のところ」
「抱いてくださって構いませんよ?」
「だーめ」
「なんでですか」
「まだ責任をとれる年齢じゃないから」
「じゃあ二人そろって学校をやめてしまいましょう」
「心にもないことを言わないの」
 チョップのつっこみをしてやろうと思って、両腕ともふさがっていることに気付く。
「やっぱり勝負下着の出番ですかね」
 あーあーあー聞こえない聞こえない聞こえない。



 華黒と二人そろって通学路の途中にあるスーパーへ寄る。
 組んだ腕は今はほどいてある。
 買い物かごをどちらかが持たなきゃいけないためだ。
 僕は率先してかごを持つと華黒に聞いた。
「今日の晩御飯はどうする? 僕が作ろうか?」
「いいえ。私が作ります。何が食べたいですか?」
「特には思いつかないや」
「そですか。それではある程度食材を見て回りましょうか」
 そう言って華黒は、僕の持ったかごの取っ手を持った。二人でかごを持って支える格好だ。
「こうしてるとなんだかおしどり夫婦みたいですね」
「おしどりの生態は一夫多妻だけどね」
「もうっ。水を差さないでくださいな」
「はいはい」
 それでも拒否しないあたり僕も弱いけど。
「でもさ、一緒にお買いものなら付き合う前からしてるじゃん」
「わかってませんね兄さん。兄妹と恋人では全然違うんです」
「違う……かなぁ」
「そういうところは唐変木なんですから」
 そこまで言う……。
「あ、今日はタラとエビが安いですね。ブイヤベースでもしますか?」
 タラとエビのパックを持って華黒。
 僕もうなずいた。
「いいね。さすが華黒」
「とするとホタテとムール貝が必要ですね」
「イカもね」
 ひょいひょいと魚介類のパックを入れていく華黒。
 華黒はかごを離して、
「私、トマトの缶詰をとってきますね」
 そう言って軽やかに走り去った。
「いってらっしゃーい」
 てきとうに見送ってしばし。
 魚介コーナーの隣、精肉コーナーに見知った顔を見つける。
 碓氷さんだ。
 近寄って声をかけてみる。
「碓氷さん」
「あ……百墨くん……」
「奇遇だね。碓氷さんも買い物?」
「うん……。百墨くんも?」
「そう」
「そっか……」
 碓氷さんは鶏のもも肉のパックを買い物かごに入れているところだった。
「今日の碓氷さんの家は鶏肉なんだ」
「うん……から揚げ……」
「へ〜え。ちなみにうちはブイヤベースだよ」
「ブイヤベース……?」
「魚介スープのこと」
「百墨くんが作るの?」
「ううん。作るのは華黒だね。僕は手伝うだけ」
「百墨さん……料理もできるんだ」
「あれで器用だからね」
「なんだか百墨くん……百墨さんのことになると誇らしげ……」
「そう? そうかな?」
「この前、シスコンじゃないって言ってたのに……」
「あ、あはは」
 言葉もない……。
「ちょっとうらやましいな……」
「え、何が?」
「なんでもない……」
 ついと碓氷さんは僕から視線を逸らした。
 どこか遠くを見ているような表情で碓氷さんが問う。
「ねえ、百墨くん……」
「なに?」
「最近……お昼には百墨さんのお弁当を食べてるよね……」
「まぁ……ね」
「もしも私がお弁当を作ってきたら……食べてくれるかな……?」
「え?」
 それはどういう意味か、と問うより先に、
「私が食べさせません」
 第三者が口を挟んだ。
 トマトの缶詰をもった華黒がいつの間にか帰ってきてた。
「華黒、早かったね」
「ええ、嫌な予感がしたもので」
 僕の持った買い物かごにトマトの缶詰を入れる華黒。それから華黒はキッと碓氷さんを睨みつけた。
「碓氷さん? 私の私の私の兄さんに粉を掛けるのは止めてほしいのですけど?」
「別に……そんなつもりじゃ……」
「全く無いと言い切れますか?」
「あ……う……」
 碓氷さんは言葉に詰まってうつむいてしまった。
「華黒。言い過ぎ」
「しかし兄さんっ!」
「そんなつもりじゃないって碓氷さんも言ってるじゃないか。誰彼噛みつくんじゃありません」
「ですけど……」
「わ・か・る・ね?」
「うー……」
 不満げに唸る華黒。
 僕は碓氷さんに謝罪する。
「ごめんね碓氷さん。華黒にも悪気はないんだ。許してくれると嬉しいな」
「ううん……気にしてないから……」
 ……うつむきながら言われても。
「ほら、兄さん! もう行きましょう!」
「ああ、うん。それじゃ碓氷さん、またね」
「うん……また……」
 ひらひらと手を振る碓氷さんに手を振りかえして僕はその場を去った。



「華黒、さっきの態度はいただけないよ」
 エビの殻をむいて背わたをとりながら僕はこんこんと華黒に説教をする。
「うー……ですけど、」
 華黒は不満げだ。
「仮にもクラスメイトに噛みつくなんて。和を乱してどうするのさ」
「ですけど、」
「碓氷さんは数少ない僕の話し相手なんだから。僕の人間関係まで悪化させるなら華黒との関係も見直す必要が出てくるよ」
「そ、それはダメです!」
「だったらもう少し抑えて」
「うー」
 華黒はどこまでも不満げだ。
「それに僕は華黒一筋だから浮気の心配なんていらないよ」
「それは真実ですか?」
「なんなら月に誓おうか?」
「いけません。兄さんの愛もあの月の形のように移ろうのですか?」
「……シェイクスピア万歳」
「私たちの恋は悲劇ではありませんし」
 むきおわったエビを華黒に渡す。
 さっそくブイヤベースを作り始める華黒。
「しかし何を持って真実の愛を誓えるのか。これは永遠の命題だね」
「言葉だけでは不満です」
「知ってる。でも突き詰めると高級な指輪を買い与えようと、あるいは抱いてしまっても、それが恒久になりえるとは限らないじゃないか」
「それは……そうですけど」
「まぁ結局日頃の積み重ねなんだろうけどさ」
「毎日イチャイチャしましょうね♪」
「あまりやりすぎると生徒指導室に呼ばれるから。控えめにね」
「兄さんが誰のものなのか。世界中の人に知らしめてあげます」
「だから何でそう過激になるかな、華黒は」
「兄さんは兄さんを知らないからそんなことが言えるんです」
 そうなんだろうけどさ……。
「ほどほどに愛してね。長続きする恋はそういう恋だよ」
「いいええ。これまでも、これからも、私は兄さんを全身全霊で愛することを誓いますよ」
「何に誓うの?」
「無論、私たちの過去に」
 さいで。



 二人で夕食を食べて、交互に風呂に入り、宿題を終わらせて、あとは寝るばかりとなった。
 牛乳を飲みながら自分の部屋のドアを開けると、勝負下着姿の華黒がベッドインしていた。
「ブーッ! ゲホ! ゲホ!」
 思わず咳き込む。
「かぐ、華黒!」
「はいな、兄さん。なんでしょう?」
「パジャマを着て!」
「まだ残暑のつらいこの季節にそんな暑いもの着てはいられません」
「じゃあ自分の部屋で寝て」
「嫌ですよ。せっかく恋人同士なんですから一緒のベッドで寝ましょう」
「だったらパジャマを着て!」
「無限ループって怖くありません?」
「僕に華黒と下着姿で寝ろと」
「はあ、まあそういうことで」
「扇情的なのは却下。せめて普通の下着にしてよ」
「それでは兄さんを誘えないじゃないですか!」
「誘わなくていいの!」
「兄さんも狼に変わりますか?」
「断じて変わりません」
「つまんないつまんないつまんないのー」
「つまってもつまんなくてもいいからパジャマを着なさい。じゃないと一緒に寝てあげない。いつも言ってるでしょ」
「……はーい」
 しぶしぶといった様子で華黒はくまさんパジャマを身に纏った。
 僕と華黒、二人そろってベッドに入る。
 どちらからともなくキスをする。
 一回。
 二回。
 三回。
 キスし終わって、満足げに華黒が笑う。
「兄さん、おやすみなさい」
「華黒、おやすみ」
 リモコン式のスイッチで照明を落とした。
 明日もいい日でありますように。

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