超妹理論

『そして文化祭』後編


「さて、どこから話そうか……」
 なんて思案しながら、僕は屋上からフェンス越しにグラウンドを見下ろす。
 グラウンドには、教室を使えないサークルの学生たちが、イベントテントを設置して店を開いていた。
 ミルクティーを一口。
 甘い。
「結論から言っておくと、僕と華黒は義理の兄妹なんだ」
「……それは、知ってる」
 冷静さの中に少しの躊躇を交えながら呟く統夜。
「さっき教室で統夜も会っただろ? 僕の父さんと母さんに」
「ああ、会ったな」
「あれ、僕の本当の両親じゃないんだ」
「…………」
「僕は孤児院の出だからね」
 そう言ってミルクティーを一口。
 甘い。
「幼少時は色々な意味で底辺な暮らしをしていたよ。まぁ寂れた孤児院だったからしょうがないけど」
 そう言ってミルクティーを一口。
 甘い。
「でもそんな僕の里親になってくれる人がでてきてね。まぁ僕にしても孤児院にしても万々歳……だったんだ」
「…………」
「そしてね、孤児院から離れて引き抜かれた先が……」
「百墨家ってわけか」
「違うんだよ統夜。僕を引き抜いたのは玄冬(くろふゆ)家。玄冬巌(くろふゆいわお)っていう男だったんだ……」
「玄冬……」
「そう。そして僕は華黒に出会った」
「百墨家じゃなくて玄冬家でか?」
「そうだよ。華黒の本名は玄冬華黒。玄冬巌の一人娘だった」
「だった?」
「過去形なのは……まぁいいや、後で話そう。そうして僕ははれて玄冬真白になったわけだけど、はいめでたしめでたし……ってわけにはいかなかった……」
「…………」
「玄冬巌が僕を引き取ったのは慈善事業なんかじゃなかったんだ」
「…………」
 統夜は神妙な表情でコーヒーを飲む。
 僕も倣ってミルクティーを一口。
 甘い。
 
「玄冬巌はね、僕を暴行するためだけに引き取ったんだ」
 
「暴行……って……どっちの……?」
 聞く統夜に、僕は苦笑する。
「統夜が想像している方で合ってるよ、多分」
 ミルクティーを一口。
 甘い。
「ほら、僕って男のくせに線が細いし女顔だろ? その道の人たちに需要があったんだ」
「…………」
「肉の焦げる匂いを知ってるかい? 骨のきしむ痛みは? 鼓膜の破れる音は? 口いっぱいの血の味は? 異物を体内に押し込められる感覚は?」
「…………」
「僕と華黒は知っている。そうしないと生きていけない環境にいたんだ。いや、子供はもっと愚かだね。そう……言うなれば、そうすることが当然だと馬鹿な確信をしていたんだ」
「…………」
「華黒なんかその典型だよ。自分が不条理な環境にいることをわかっていながら何故不条理なのかはわかっていなかったんだ。何をしても父親に暴行される。でも何もしなくても父親に暴行されるんだから。そりゃ幼い子供には何が正しいのかなんてわからないさ。泣きたくても泣けなかったんだ。泣いたらまた父親に暴行されるから。でも泣かなくても暴行される。そりゃ涙だって枯れるさ」
 ミルクティーを一口。
 甘い。
「それはそれは色々させられたよ。打たれ、切られ……そんな単純な被害はまだマシな方さ。女装して媚をうったり、犬の真似をしたり、僕が誰の所有物なのか徹底的に体に刻まれたこともあるし、その証明として特殊な恥をかいたことも多々ある」
「…………」
「そのうち僕の脳はストレスの負荷がかかりすぎておかしくなっちゃったんだ。血を見ないようにするために視界は赤くなり、悲鳴を聞こえないようにするために聴覚が切れて、痛みに耐えなくていいように痛覚を封印した。僕や華黒はこれを“発症”と呼んでいる……」
 言って、僕はミルクティーを飲み終えたスチール缶を易々と握りつぶしてみせた。
 痛覚がない状態なら人体のセーフティを気にせずに力を振るえる。
 おかげでスチール缶だろうと紙同然だ。
「お医者様が言うには、この“発症”は自分で自分を認識しないようにするための脳の処置だってさ。圧倒的なストレスから心を守るためのもので、自分で自分を省みないことで心の安寧を得ているんだって」
「…………」
「ああ、話が逸れたね。こうして“発症”を手に入れた玄冬真白は、華黒の代わりに華黒の分までまとめて玄冬巌の暴行を受けることにしたんだ。だってねえ? 自分で自分を認識できないんだよ? 無敵じゃない?」
「…………」
 統夜がコーヒーを飲む。
「華黒が僕に懐くようになったのはその時からかな。それまで感情を殺して生きてきた華黒が僕を味方だと思い始めたのは……」
「…………」
「だって華黒の世界には僕と玄冬巌しかいなくて、玄冬巌はアレだったから僕にすがるしかなかったんだろう。当然の帰結っちゃ帰結だよね」
「…………」
「僕も僕で華黒を守るために“発症”しては玄冬巌に暴行をされ続けていたんだ」
 言って僕は握りつぶした缶を真上に投げて、落ちてきたところをキャッチする。
「そんなある日、僕と華黒は飯抜きにあってね」
「飯抜き?」
「うん、一週間くらい」
「いっしゅ……!」
 驚愕を隠せない統夜。
 まぁ時間的には餓死すれすれだから無理もあるまい。
「で、僕と華黒にナイフを持たせて玄冬巌は言うわけだ。相手を殺した方に飯をくれてやる……ってね。きっと余興のつもりだったんじゃないかな?」
「…………それで?」
「しょうがないから僕は持ったナイフで自分の左手首を動脈まで深く切った。華黒を殺すなんてありえない選択だし、欲を言えば華黒に僕を殺してほしくなかったしね」
「いい具合に狂ってるなぁ、お前……」
「極端に行動しているだけだよ……なにぶん子どもがやることだから」
 手に持っているミルクティーの缶をてきとうに放り投げる。
 ちなみに不法投棄は犯罪です。
「そしたら……生まれて初めてじゃないかな? 華黒が絶叫を上げてね。しらけて部屋を出ようとした玄冬巌の喉元を手に持ったナイフで切り裂いたんだ。華黒の奴、あれで器用だからね。その後はめった刺しさ。玄冬巌がショック死するまでさほど時間はかからなかった」
「…………」
「その後のことは覚えていないんだ。気がつけば僕と華黒はそろって施設に放り込まれていて、心身をリフレッシュしましょうねってな具合」
「…………」
「で、話を最初に戻すけど、華黒が僕にしか心を開かないのはこういう背景があるからなんだ。でも僕はそれをよしとはしていない。華黒には僕だけじゃなく世界と向き合ってほしい。だから僕は華黒を抱くわけにはいかないんだ」
「……そっか。ということらしいぜ華黒ちゃん……」
 統夜は携帯電話にそう呟いて、統夜自身の携帯電話をこっちへと投げ渡す。
 投げ渡された携帯電話は通話中だった。
 発信元、百墨華黒。
 オーノー……。
「もしかして華黒……僕と統夜の会話を聞いてた?」
『はい、聞いていましたよ兄さん』
 電話の向こうでほがらかに華黒は答えた。
 グラウンドを見てください、と言う華黒に従ってグラウンドを見下ろすと、掲揚台に華黒の姿が。その隣にいるのは……昴……先輩……か?
 そして華黒が聞いてくる。
『兄さんは私のこと、好きじゃないのですか?』
「好きだよ。でも……」
『では他に何の資格がいるのです?』
「…………」
『兄さんが私を好きで、私が兄さんを好きで、他にどんな資格がいるのです?』
「言っただろ? 僕は華黒に……」
『他の世界を見てほしい、ですか? そうやって過去と私を言い訳にしているのは兄さんの方じゃないですか』
「っ……!」
『いつだってそう。あの時のことを言い訳に、兄さんは私を引き離します。もうそんなの……過去のことなのに』
「だって、でも……」
『兄さん、今の私を見てください。今の私は、兄さんの目にはどう映っていますか?』
「それは…………」
 濡れ羽色の髪。
 宝石のような瞳。
 花びらのような唇。
 白磁器の肌。
 言葉にすればきりがないほどに。
『……良かったです。答えを躊躇っているってことは、憎からず思ってくれているのですね』
「…………」
『ですから……私が背中を押してあげます』
 そう告げて、華黒は携帯電話を切った。
 僕が統夜に携帯電話を返すと同時にそれは起こった。
 
 ピンポンパンポーン。
 
 校内放送だ。
『天気晴朗なれども波高し! 夜でもないのにコンバンワ! 世界中の美少女の味方MCスバルでござぁい!』
 これは昴先輩の声だ。掲揚台をよく見ると、昴先輩がマイクを持っていた。
『これより、チキチキ校内鬼ごっこ大会を開催する!』
 いきなり何を言い出すんだ、あの人は。
『ルールは簡単! 現在屋上にいる百墨真白を捕まえることだ。成功者には百墨華黒と交際する権利が与えられる。制限時間は百墨真白が百墨華黒にキスするまで』
 ……はい?
『では、この大会の主催者の御言葉を、どうぞ』
 そう言って華黒にマイクを渡す昴先輩。
 華黒はマイクを持って叫んだ。
『兄さんの憂いなんて……知ったことですかぁーっ!』
 華黒が、おそらくは僕に向かってビシィっと中指をおっ立てた。
『私の恋人になってください!!』
 校内放送でだだ漏れにも関わらず、そう叫んだ華黒。
 そしてマイクは昴先輩に。
『御言葉ありがとうございます。それではスタート!』
 え!? は!? いやいや!
 見ると、統夜が肩を震わせて笑いをこらえていた。
「あの、統夜……もしかして華黒が文化祭で企んでいたことって……」
「そ。この鬼ごっこのこと」
 語尾にハートマークが付きそうな喜色の声で答える統夜。
「なんでこんな馬鹿なこと……」
「お前を追い詰めるためだろ」
 平然と言う。
「で、お前はどうするんだ? 華黒ちゃんにキスするのか。それとも他の誰かに捕まって華黒ちゃんと交際させるのか」
 
 ですから……私が背中を押してあげます。
 
 そういうことか。
「ふ、ふふ、ははははは……」
 おかしくって僕は笑う。
「あはははは、あはははははは……」
 とめどない笑いの衝動に肩を震わせていると、屋上のドアから怒濤のように男子生徒数十名がなだれ込んできた。
「「「いたぞーっ!!!」」」
「「「捕まえろーっ!!!」」」
 残念。
 捕まるわけにはいかない。
 僕はフェンスに手をかけると、ガシャガシャと音を立てててっぺんまでのぼる。
 フェンスの下には……どころか屋上には男子生徒でいっぱいだ。
 よほど僕を捕まえたいと見える。
 まぁ華黒と交際できるとなれば目の色を変えて当然か。
「あははははははは、はははは……」
 いい風が吹いてる。
 僕はその風に身を任せて、フェンスから飛び降りた。もちろん、屋上とは反対側の、グラウンドの方へと。
 喚声が上がる。
 けれど僕とて自殺のために飛び降りたわけじゃない。
 視覚が、赤いフィルターを被せたかのように真っ赤になる。
 聴覚が、雑音を静寂へ書き換えたかのように静かになる。
 感覚が、世界から切り離されたかのような浮遊感に満ちる。
 発症だ。
 落ちながら僕は四階のベランダのフェンスを掴んで落下速度を落とす。
 同じように三階、二階、一階のベランダのフェンスを掴んで減速して、無事地面に着地した。
 掲揚台まで約五百メートルといったところか。
 一歩でトップスピードに乗る。
 僕を捕まえようとする有象無象をすりぬけて僕は華黒のもとへ走る。
「ふははは。我こそはアメフト部期待のエース山本重雄! このタックル、止められるものなら……」
「邪魔」
 端的にそれだけを言って、道をふさいだ男子学生の鳩尾に全力で拳を埋め込み、また走る。
 華黒まで、
 三歩、
 二歩、
 一歩、
「華黒!」
「……兄さん」
 期待と不安をないまぜた表情で華黒が僕を見つめ返す。
 そんな華黒のおとがいを持った僕は、
「大好き!」
 そう言ってキスをした。

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