超妹理論

『空白の日々』前編


 チュンチュンと鳥が鳴く朝。
 僕は目覚ましを止めて、ベッドから這い出る。
 パジャマ姿でダイニングまで出ると、華黒が朝食を用意していた。
「兄さん、おはようございます」
「華黒、おはよ……」
 言って僕は椅子に座る。
 テーブルの上にはトーストとスクランブルエッグとトマトとレタスが。
 典型的な朝食だ。
 それを食べていると華黒がじぃっとこっちを見ていた。
「な、なにさ?」
「いいえぇ。朝食、美味しいですか?」
「うん。美味しいよ」
「そうですか。よかったです」
 そう言って華黒はほがらかに笑った。
「あのさ、華黒……」
「はい、なんでしょうか?」
「いや、なんでもないや……」
「そうですか? 変な兄さん」
 変なのはそっちだろう、と言いたかったけど止めた。
 ナギちゃんの別荘に行った後の日から今日まで、華黒が僕のベッドに無断で侵入することはなくなった。どころかあらゆる誘惑をしてこなくなった。
 僕はあの日に言った。
「線を引こう」
 華黒はその言い分を守っている。
 今の華黒は“良き妹”だ。
「ごちそうさま」
 朝食を食べ終えて合掌する僕。
 華黒が手際よく食器を片付けているのを横目に、僕は自分の部屋へと戻った。
 学校制服に着替えるためだ。
 もう二学期。
 夏休みは一週間前に終わっていた。
 

 
「絶対おかしい」
 統夜がそう言ってきたのは昼食をとっている時だった。
「何が、おかしいって?」
 聞く僕に、
「もう一週間も俺が真白と昼食を一緒に食べてることが、だよ」
 統夜はまじめくさって答えた。
 ちなみに今は昼休み。
 学食で僕は若布うどんを、統夜はカツカレーを頼んだ。
「それは何かい? 僕には統夜と一緒に昼食をとる資格がないと言いたいのかい?」
「んなわけあるか。そうじゃなくてだな……。いつも華黒ちゃんと食べてたお前が、なんで二学期になったとたん華黒ちゃんじゃなくて俺と昼食をとるようになったかだ」
「兄離れしたんじゃない?」
「それはない」
 断言するんだ……。
「二学期になってから華黒ちゃんに告白する奴らへの邪魔もしてないらしいな?」
「元から邪魔してるつもりはないよ」
 僕はそらっとぼけた。
「反兄派は今がチャンスとこぞって動きを見せているそうだぞ」
「へぇ」
 それはそれは。
「本当にどうしたんだよ。華黒ちゃんと喧嘩でもしたのか?」
「いいや」
 喧嘩なんて中途半端なこと、できるものならしてみたいくらいだ。
「華黒ちゃんは教室でクラスメイト達と弁当中か……。そういや弁当つくれるのにお前ら兄妹の弁当なんて見たことないな」
「華黒お手製の弁当を毎日食べてたら華黒のファンから殺されるよ」
 言って若布うどんをすする僕。
「それもそうか」
 納得して頷く統夜。
 頷かないでほしかった。
 

 
 ところで、瀬野第二高等学校は二学期の初めから文化祭の準備におわれている。
 夏休みあけの二週間後、つまり今日から数えて約一週間後には文化祭があるというスケジュールだ。
 そんなわけで、部活に入っていない僕はクラスの出し物の手伝いをさせられていた。
 うちのクラスは喫茶店をやるらしく、僕はクラスオリジナルのウェイトレスの衣装をちくちくと縫っていた。
 「それってコスプレ喫茶では?」という暗黙の疑問は今のところ黙殺されている。
 ちくちくと縫っていたところに、「布がきれた〜」ととあるクラスメイトが間延びした声で材料不足を嘆いた。
 「ホント無いじゃん」「やばいじゃん」「誰か買ってきて〜」などの愚痴が複数垂れ流された後、一部のクラスメイトがじゃんけん大会を始めだした。
 じゃんけんで買出しの担当を決めるようだ。
 何回かの合図の後、見事碓氷さんという人が買出しに決まったらしい。
 僕は我関せずとウェイトレスの衣装に針を通し続けていたのだけど、碓氷さんがこっちにきて言った、
「百墨くん……、一緒に来て……」
 と。
 ……はい?
 
 ウェイトレス衣装の材料を買うために僕と碓氷さんはショッピングモール百貨繚乱へと足を運んだ。
 学業中に学生服でここにくるのは新鮮な感じ。
 まぁどうでもいいことだけど。
 なんとなく碓氷さんが僕を指名した理由がわからず黙ったままここまできたけど、さすがにそれにも限界が来て、僕は思わず口を開いた。
「あの〜、あれから平気?」
「あれから……?」
 キョトンとする碓氷さん。
「ごめん。言い方が悪かったね。イジメの件……あれから何もない?」
「うん。おかげさまで……」
「僕は何もしてないよ。お礼は昴先輩に。でもそっか。それはよかった」
「百墨くんは……」
「ん?」
「百墨くんの左手は……」
「ああ、あれ? ぜんぜん大丈夫だよ。傷も消えたし」
 そう言って左手を見せてあげる。
 碓氷さんはほっとした表情になる。
「よかった……」
「そう? でもまぁ無事が一番だよね」
 てきとうに話をあわせる。
「百墨くんって……」
「うんー?」
「文化祭実行委員にならなかったね……」
「めんどうくさいことが嫌いなたちでね」
「でも妹の華黒さんは実行委員……」
「ああ、それは僕も驚いてる。本当はそんな人間じゃないんだけどね、華黒の奴は……」
「そう、なの……?」
「そうなの」
 頷く僕。
「百墨くんって……」
「はいはい」
「シスコン……?」
 ずっこけた。
 よろよろと立ち上がって聞いてみる。
「そう見える?」
「うん……」
「さいですか」
「だから華黒さんと一緒に文化祭実行委員になるんだと……」
「勘違いです」
「そっか……」
 碓氷さんが本当に納得したのかは怪しかったけど、僕はそれ以上何も聞かず生地屋さんへと歩を進めた。
 

 
 放課後。
 僕はとりあえずウェイトレス衣装の進行具合にめどをつけると、針をおいて片付けた。
 鞄をとって、それから統夜のもとへ。
「ゲーセンにでもいかない?」
「いいぜ」
 統夜が頷く。
 それからふと気づいたとばかりに統夜が聞いてきた。
「華黒ちゃんを待たなくていいのか?」
「華黒は文化祭実行委員で忙しいみたい。今日は先に帰っていいってさ」
「ふーん。まぁ華黒ちゃんがそう言うんならそうなんだろうな」
 そんなこんなで男二人、ゲーセンへと向かう。
 入ると同時に音の洪水が僕の聴覚をさらう。
「相変わらずうるさいね、ここは……」
「あ? なんだって?」
 まわりの音が大きすぎて小さな声では会話もままならない。
「すごい喧騒って言ったの」
「まぁそれがゲーセンだからな」
 たいした感慨もなくそう言う統夜。
 この音の洪水に思うところはないらしい。
 そそくさと格闘ゲームのコーナーに行って腰を下ろすと、統夜はコインを入れてゲームを始める。
 僕はといえば格闘ゲームのセンスがないので完全に傍観者だ。
 統夜が選んだキャラクターはえらく露出度の高い服をきた筋肉隆々の男キャラで、コンボをつなげるというよりは一発の破壊力に特化したタイプのようだった。だというのに統夜の手にかかればまるでリズムを刻むかのようにコンボがつながっていく。これでは卑怯なんじゃないかと思えばそうでもなく、コンボというものは決めれば決めるほどダメージに補正がかかってしまうらしく、それほど酷いことにはならないとか。
 まぁよくわからないので「そういうものか」と納得する。
 統夜は割り込んでくるチャレンジャーを七人まで退けながらラスボスへと駒を進め、そこで割り込んできた八人目のチャレンジャーに負けた。
 後頭部をガシガシと掻きながら、
「いいとこまでいったんだけどな〜」
 と、悔しそうに言う統夜。
「再チャレンジしてみたら?」
 と聞くと、
「いいや、別に」
 と意外にあっさり引っ込んだ。
「それよりガンシューやろうぜ」
 そう言う統夜。
「そうだね」
 僕も頷く。
 ガンシューティングなら僕でもできる。
 二人揃ってコインを入れると銃を構える。
「ところで真白」
「何?」
「お前は文化祭実行委員にならなくていいのか?」
「何さ、いきなり」
 ゲーム画面にゾンビが現れる。
 二人してそれを撃ち殺しながら一方で会話もする。
「華黒ちゃん目当てで実行委員になった奴多いらしいぜ」
「へぇ、そう」
 銃を振ってリロード。
 Bang!
「心配じゃねーの?」
「華黒の問題だよ。僕がどうこうするものじゃないと思うけどね。あ、一匹逃した。そっちでよろしく」
「おう。信頼してるんだな」
「そんな大層なものじゃないよ」
 銃を振ってリロード。
「ただ……華黒が靡かないだけ」
 Bang!
 

 
 あの後、僕は統夜とわかれて真っ直ぐ帰宅。
 キッチンでのこと。
 底の深い鍋に収まってる大量のカレーをぐるぐるとかき混ぜ続けているところに、華黒が帰ってきた。
「ただいまです、兄さん」
「お帰り華黒。遅かったね」
「ええ、文化祭の準備がいそがしくて」
 ただいまの時刻、十九時半。
「今日はカレーですか」
「そ。作るの簡単だしね」
 いいながら僕は僕と華黒のぶんの白飯をよそってカレールーをかける。
 福神漬けは好みによりけりだ。
 華黒が部屋着に着替えるのを待ってから、
「「いただきます」」
 の発声とともに百墨さん家の晩御飯開始。
 華黒がご飯とルーを巧みに混ぜながら愚痴る。
「文化祭実行委員になったのはいいんですけど、どうもうまく委員生が動いてくれないんですよね」
「というと?」
「誰も彼もが私の仕事を手伝いたがって、他の準備にマンパワーがまわらない状況なんです」
 ああ、やっぱりそうなったか。
「私に近づきたくて実行委員になった連中なんてそれこそ十把一絡げの戦力にしかなりませんし、生徒会とハーレムが主力ですかね」
 そういえば今日の碓氷さん、ハーレムの一員なのにクラスの出し物の手伝いをしていたな。ハーレムならまず真っ先に生徒会長である昴先輩の手伝いのために文化祭実行委員になるはずなのに……。
 ま、いっか。
「そもそもなんで文化祭実行委員になろうと思ったのさ」
「それはもちろん文化祭を盛り上げたいからに決まっているじゃないですか」
「嘘つき」
「……ちょっと酒奉寺昴に借りをつくったんで、その返済の対価として実行委員にさせられているんです。セクハラされ放題で腹がたつったら……!」
「先輩に……借り?」
 他人に借りを作ることが嫌いなあの華黒が?
「何を企んでるのさ」
「文化祭まで秘密です♪」
 と言ってウインクする華黒。
「私は都合上クラスの出し物には参加できませんけど、うちのクラスは何をする予定なんですか?」
「喫茶店。今はクラスオリジナルのウェイトレス衣装を作ってるところ。華黒が着てくれたら客足も伸びると思うけど」
「客寄せパンダはごめんです。それに文化祭当日はちょっと色々と忙しいのでそちらには参加できません」
「……そっか」
「それにしても珍しいですね。私と兄さんが家でも学校の話をするなんて」
「しかもそれぞれが違う話題」
 それはつまり僕と華黒が学校では違う時間を過ごしていることの証明。
 カレーを食べ終えて華黒が言う。
「先にお風呂、いただきますね」
「うん、いいよ」
 僕はというと僕と華黒の分の食器洗い。
 僕が食器を拭き終わったと同時に、華黒が風呂からあがってきた。
 “いつも”ならここで華黒が挑発的な格好をして浴場から出てくるところなんだろうけど、特にそんなこともなく、華黒は普通に健全に寝巻きを着ていた。
 そのまま個室のドアを開けて、
「私、もう寝ますから。すみませんが洗濯は兄さんに任せます」
 と言いだす。
 必殺「一緒に寝ましょう♪」も無しだ。
 
 これが今の僕と華黒の距離。
 
 華黒は僕を誘惑するわけでもなく、かといって邪険にもしない。必要プラスアルファ程度の会話と、もちつもたれつの互助関係。勝手に僕のベッドに入り込んでこないし、キスもせがんでこないし、挑発的に素肌を見せることもしない。ただ一介の妹。
 
 この距離を遠いと思うのはいささか矛盾がすぎる気がした。

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