超妹理論

『船頭一人にして船山に登る』後編


 で、どうなったかというと。
 
 僕は昴先輩に引っぱられ、都会特有の何やらオシャレな服飾店に連れていかれた。雰囲気から察するに多分ブランド店だ。妙に香水くさい店員がいて、その店員さんは昴先輩と仲が良くて、僕は先輩の「じゃ、今日はこの子を任せるよ」の一言によって試着室に放り込まれた。言葉から察するにこれが初めてではないらしい。どうせ可愛い娘を連れてきては自分好みの服装を買い与えているのだろう。金にあかせた豪勢な遊びである。それに巻き込まれた僕自身もどうかと思うけど……。
 で、何やかやとトラブルはあったもののそこは中略。
 結果ブランドの服を着せられて試着室を出た僕を、昴先輩は不敵な笑顔で迎えた。
「うん、秀でて素晴らしいよ! この私の眼力も中々のものだろう?」
「…………」
 黙して語らず。
「いやいやそれにもまして君の才能には平伏するね。よくも私の装飾に、こうも見事応えてくれた!」
「……あの」
「これほどまでとは真白くん。さすがにこの酒奉寺昴の義兄となる人間だ」
「…………あの、先輩」
「さぁデートの再開だ。君のような子を連れて歩けるとは、私を羨む他人の視線が今から待ち遠しいな」
「だから“あの”って! 僕の話を聞いてくださいよ!?」
 もう何度目かの僕の言葉に、
「む、何だね」
 ようやく反応する先輩。
 僕はこめかみを指でおさえながら言葉を選んだ。
「えーと、色々言いたいことがありすぎて困っているんですけど、とりあえず一つ」
 僕はつっこみどころのオンパレードなこの状況において、最も大きいものを抽出して質問した。
 
「何で女装なんですか?」
 
 ……。
 …………。
 ……………………。
「…………」
「…………」
 少しの沈黙の後、先輩はとぼけたようにこう言った。
「はぁ? どういうことかね? 質問の意図は明確にしてくれたまえ」
「これ以上もなく明確なんですけど!? 僕を女装させることの意味を明るくしてくださいと、そう言っているんです」
「はっは、愚問だ。この私が男とデートなどするわけないじゃないか。それでも君と逢引くというのだから女性の恰好にしたまでだろう?」
 だろうって……。
 当然のことのように言われても……。
 ちなみに今の僕の服装は、一言で言うならゴシックアンドロリータだ。フリッフリの純黒ドレスに同色のヘッドドレス。
 ……我ながら死にたくなる。
「まぁ例え女装とはいえ男と並んで歩くなど私の本意ではないのだけれど、それでも君ならばと思ってね。うすうす考えてはいたんだ。君は男の恰好をするより女の恰好をした方が似合うのではないか、と」
「それはまた僕のジェンダー的なプライドをロードローラーで踏みにじってくれまして……」
 言葉もない。
「そういう意味では想像以上だったよ。よく応えてくれた。今の君はどこからどう見ても可憐な美少女。これならば私とて君を連れて歩けようというものだ」
「きっぱりと嬉しくないです」
 そんな僕の言葉は届かない。
「ではとりあえず駅の周りをつれだって歩こうか。君を世間に自慢せねばな」
「衆目に晒すつもりですか!?」
「当たり前だ。でなければ何のために君を飾ったと思うのかね? 着飾った娘を連れて歩き堂々と自慢することこそ私の喜びなれば」
 そう言って女装した僕を駅前まで引っぱっていく昴先輩。
「やーめーてー」
 そんな僕の悲鳴は、当然聞き入れてもらえなかった。
 

 
 針のむしろ、という言葉がある。
 一時も心の休まらない辛い状況の例えのことだが……今の僕の心境がまさにそんな感じだ。
 都会の駅。
 流れる人波。
 そして、僕たちに突き刺さる好奇の視線。
「(こ、殺せぇぇぇ! いっそ殺せぇぇぇ!)」
 僕は口内で絶叫を放っていた。
 昴先輩が不思議そうにこちらを見てくる。
「何をブツブツと呟いているのだ真白くん。不審者に思われるぞ」
「もう十分に思われてます」
 全く人目を気にしないこの人が憎らしくてしょうがない。
 平日の昼間の駅にゴスロリの恰好をした美少女(もちろん皮肉である)がうろうろしていたら人目を惹くに決まっている。僕に突き刺さる視線たるや雨のように槍が降るがごとしだ。特に男どもが僕を見てにやけていたり頬を染めていたりするのがまた腹が立つ。男に欲情してどうしようというのだ。
 さらに言えばゴスロリ美少女(重ね重ね皮肉である)の隣にいる女性もまた目見麗しいと言って言いすぎることのない美人だ。ツンツンにはねたクセっ毛と自信に満ち溢れた双眸。ジャノメチョウの模様をあしらった濃茶のティーシャツと古ぼけたビンテージジーンズの合わせ技はシンプルであるが故に彼女の豊満なボディラインを見事に強調している。つまるところ酒奉寺昴もまた人目を惹く外見の持ち主ということである。ちなみにシャツとジーパンの上下合わせて約二百万円だそうである。
 眩暈。
 で、そんな二人が腕を組んで歩いているのだ。
 注目するなというほうに無理がある。
 そんなわけで他人の視線を独占したまま僕らは駅をねりあるく。
 昴先輩は満足げだ。
「いや、羨みの視線が実に心地いい。美人を連れて歩く最大の醍醐味だねこれは」
「男ですけど」
「些事は気にするものじゃないよ。そうだ。ソフトクリームを奢ってあげよう」
 言うが早いか先輩は手近なアイスクリーム屋に飛び込んで注文した。
 こっちの意向、まるで無視。
 会計を済ませて戻ってきた先輩の手には十三色に輝くソフトクリームが。
「チョコバニラミントストロベリーラズベリーソーダバナナメロンクッキーミルクグレープマンゴー抹茶味だ」
「結局何味!?」
 ていうかよくかまずに言い切れたものだ。
 片手に持ったその十三色ソフトクリームを「さあ食べたまえ」と僕に差し出してくる先輩。受け取ろうと手を伸ばすと、さらっとその手を避けられた。ムッとする。
「意地悪ですか?」
「違う違う。受け取るんじゃなくて私が食べさせてあげるからそのまま食べたまえ」
「…………」
 思わず沈黙。
 それは……つまり……、
「あーん、をしろと?」
「そのとおり」
 爽やかに言い切られた。
「…………」
 再度沈黙。
「ほれ早く」
 せかす先輩。
「さあさあ」
 さらにせかされる。
 口元までソフトクリームを突きつけられて僕は観念した。
「あ、あーん」
 ためらいがちに口を開けてソフトを舐める、と同時に、
「んっ」
 昴先輩もソフトクリームを反対側からペロリと舐めた。
「っ!?」
 さすがに動揺する僕。
 こ、これは……!
 恋人同士がするという伝説の《ソフトクリーム二正面攻略作戦》ではないですか!?
 しかも他人から見れば女同士でやっているように見えないことも……。
「…………」
 チラリと周りを見渡すと、先ほどに倍する好奇の視線がガッツンガッツンと突き刺さっていた。
 冷や汗がダラダラと流れる。
 あぁやばいなぁ、などと僕が社会的立場を案じた瞬間、
「おや、口元にお弁当が」
 そう言って昴先輩が僕の唇ぎりぎり左端をなんのてらいもなくペロと舐めた。
「「「キャー!」」」
 周りから黄色い声が聞こえた。
「ギャーッ!」
 僕が吼えた。
「ななな何をするんでしゅか!?」
 この際かんでもしょうがないと思う。
「いや、真白くんの口元にクリームがついていたのでとってあげたのだが」
「普通にとってください!」
「それではデートにならないではないか」
「あーたデートしてる娘といつもこんなことしてるんですか!?」
「子猫ちゃんたちは喜んでくれるが?」
 駄目だこいつ、早くなんとかしないと。
「まぁともあれこういうソフトクリームを通した愛の語らいもいいものだろう? さて続きを……」
「結構です」
 僕は迷わず即答した。
 

 
 で、そそくさと駅周りを退散した僕らが次に来たのは……ちっぽけなバーだった。
 バー……。
「…………」
 簡素な扉の前に立って沈黙する。
 足元を見下ろす。
 膝丈くらいの小さな看板には、色っぽいロゴで「天竺」と書いてある。おそらく店名だろう。なんというか……ネーミングセンスがあまりにソレっぽい。
 昴先輩がニッコリ笑う。
「さ、というわけで入ろうか」
「何が、というわけで!?」
 本日何度目かのつっこみ。
「バーってあーた! 昼間っから酒飲む気ですか!? ていうかまさかいつも女の子連れてここに来てるんですか!?」
「まさか」
「まさか、じゃないですよ! 未成年の飲酒は……!」
「法律で禁じられている、だろう? 別に飲酒する気はないよ。ただ席を貸してもらうだけさ」
「そんなこと言ったって昼間からこんなバーが開いてるわけ……」
 ガチャリ。
 開いた。
 カランカラーン、と来客用の玄関ベルが鳴る。
 何故、と疑う僕の横で、
「合鍵」
 そう言って先輩は手に持った鍵を指で弾いた。重力に引かれて落ちてきた鍵を器用にキャッチすると、僕を引っぱって店内に入る。
「ここのマスターは酒奉寺家の親戚でね。まぁ色々と融通がきくんだよ。昼間は私が自由に使っていいことになっているから楽にしてくれたまえ」
 そう言って先輩は薄暗い店内をズンズン進むと、壁によって照明のボタンをパチパチとオンにする。
 明るくなった店内は、ベタにバーっぽい雰囲気だった。奥に長いカウンター席いくつかとテーブル席。酒棚に並んだ数々の洋酒。かすかに香るアルコールの匂い。BGMにジャズでも流せば完璧なハードボイルドだろう。
「……こういうところには初めて入ります」
「だろうね。慣れていたらビックリだよ」
 恐る恐るな僕をよそに、昴先輩はカウンターの裏にまわって棚からグラスを二つ取り出す。
「ああ、そこにかけたまえ」
 そう言って先輩が指定したのは一つのカウンター席。僕がドレスのスカート部分を手で押さえながらその席に座ると、カウンターを挟んだ正面に先輩が立った。
「とりあえず何か飲もうか。何がいい?」
「レッドブル」
「……せめて店内にあるのにしてくれないか」
 初めてボケ側にまわれた気がする。
「オレンジジュースで」
「妥当だね……けど芸が無い」
 そう言って先輩はオレンジジュースと、それからレモンジュースにパインジュースを取り出した。静かな店内の中でシェイカーの振られる音だけが聞こえる。
 静寂。
 ふと気付けば外の喧騒は聞こえてこなかった。小さな窓からこぼれる陽光がやけに非現実的だ。防音対策がしっかりしているのだろうか。まるで先輩の息づかいまで聞こえてきそうなほど店内は静けさに満たされていた。ただシェイカーの音だけが遠いどこかから聞こえてくるような……。
 どこかうつろに魂を泳がせていると、
「できたよ」
 正面から先輩の声が聞こえた。
 慌てて意識のピントを現実に合わせる。
 先輩は僕の目の前にカクテルの揺らめくグラスを置いていた。
「ノンアルコールカクテル。名をシンデレラ。飲みたまえ」
「いただきます」
 小さく礼をして僕はグラスを口元へ傾けた。
 濃厚な果汁が口内を蹂躙し、喉へと流れていく。
「あ……おいしい」
「だろうね」
「先輩、カクテル作れたんですね」
「女の子にもてるためのスキルだよ。これくらい嗜みの一つさ。なんならアイスピックで丸氷でもつくってみせようか?」
 当たり前のようにいう先輩。先輩はカウンターを挟んで反対側に、肘をついて水出し紅茶を飲んでいた。尖った目じりが柔和に曲がり、優しげに僕を見つめる。その瞳に不覚にもドキリとしたのは……しょうがないことだと思った。
「…………」
「…………」
 僕も先輩も何も言わない。
 静寂の中で、カラン、とグラスに積み上げられた氷の崩れる音だけが響いた。
 無限にも似た少しの無音。
 八千にも届かん刹那の無言。
 その果てに、
「……ねえ」
 先輩がポツリと呟いた。
「キス、しようか」
 ブバッ!
 僕は口に含んだカクテルを全部噴出した。
 どこか重圧のようだった静けさはいっぺんに吹き飛んだ。
「な、なななななっ!?」
「あーあ、シリアスが台無しだ……」
 噴出したカクテルの飛沫を器用にも全て手で払いのけながら「やれやれ」と先輩が呆れる。
「何を言い出すんですかいきなり!」
「いや、静かだったし……いい雰囲気かと思ってきりだしたんだけど……」
「静かだったらキスするんですか!? するんですか!?」
「こう……店内に二人きりで。静寂の最中に、私がキスしようか、と迫る。相手は戸惑いながらも赤面して逡巡ののちに躊躇いながら、……はい、と承諾する。私が相手のおとがいを持ち上げて舐めるように見つめると、相手は意を決したように目を閉じる。その後、優しく私が唇を奪う。まさに理想の展開じゃないか」
 誰に対しての理想だ。
「ていうか忘れてないでしょうね。僕、男なんですけど」
「そんなことは関係ないさ。今の君は十分に可愛いよ」
 ゴスロリドレスを身に纏った自分の姿を省みる。
 ……嬉しくないなぁ。
「これまでは百パーセントの確率で成功していたのだけどね。断られたのは君が初めてだ」
「いきなりキスしようなんて受けるわけないじゃないですか……。ったく……まさかデートのたびに色んな女の子をここに引き連れては僕に言ったみたいなことをしてるわけじゃないでしょうね」
「半分正解半分不正解。雰囲気に任せて迫ることはあるけど……」
 言いながら先輩は僕に向かって手を伸ばして、
「ここに連れてきたのは君が初めてだよ」
 おとがいを掴むと無理矢理僕を自身に振り向かせる。妖しく揺れる先輩の瞳は蛇を想起させた。
「……っ」
 射すくめられたように目を見開く。
 時間の流れが減速する。
 ……ここは、異界だ。
 グイとおとがいを引き寄せられて、僕はカウンターに乗り出した。先輩もカウンターに乗り出して、僕らの距離は急激に狭まる。
 ドクン、と心臓が一つ大きく鳴った。
 先輩の顔が近づく。
 十センチ。
 五センチ。
 このままキスされたら……僕は……。
 拒絶。
 記憶が、ニューロンがはじけた。
 パリン、と透き通った破裂音が空間に浸透した。
「…………」
「…………」
 沈黙。
 僕と先輩の唇は、後二センチのところで止まっていた。
 僕の左手は先輩の唇を押さえていて、僕の右手は、
「あ……あー……」
 グラスを握りつぶしていた。
 閉じた拳の中には、ガラスの欠片とカクテルのしずく。ポタポタと、一滴ずつの水玉となって手の中からシンデレラが流れ落ちる。
 時間の流れが加速する。
「何をやろうとしてるんですかっ先輩……!」
 ペシリと左手で先輩の鼻を叩く。
「いたっ」
 鼻を押さえて先輩はカウンターの向こうへ引っ込んだ。
 僕もまた乗り出した身を引っ込めて、席に座る。
「まったく油断も隙もない」
 手近にあったふきんをとって、グラスからこぼれたカクテルを拭き取る。
「いや、いけると思ったのだけどねぇ……」
 しみじみとそう言う昴先輩に、
「生憎と身持ちは堅いほうなので」
 僕は皮肉げにそう言ってやった。
 こぼれたカクテルを拭き取り終わる。
「グラスを握りつぶすなんて無茶をする。右手は大丈夫かい?」
「あぁ、どうでしょうね」
 言って、今更右手を見てみる。
 ところどころガラスの破片が刺さって小さく出血していた。
「止血したいんですけどガーゼと包帯はありますか?」
「持ってこよう」
 言って先輩は奥の部屋に消えると、救急箱を持って戻ってきた。
 僕は右手からガラスの欠片を抜き取って、それから消毒、ガーゼと包帯を当てて止血する。
「手馴れているね」
「慣れているもので」
 皮肉を言いながらも治療を終える。右手を握って開いて握って開いて感覚を確かめる。痛みは正常に感じている。特に“発症”しているわけではなさそうだ。
 昴先輩は割れたグラスを回収して処理していた。僕は軽く頭を下げる。
「……マスターには申し訳ありませんと伝えておいてください」
「いいさ。グラスの一つ割れたくらいで目くじらをたてる人ではないからね」
 気楽そうに言う先輩。
「しかしアレだね。ソフトクリームでもバーでも駄目となれば……真白くんに迫れる雰囲気を作れる場所は他にどれだけあったかな?」
「迫らなくていいですから」
「モーテルなどはどうだろう?」
「アウトです」
「ではキャバクラ……」
「アウトです」
「むう……では私にどこまで妥協しろというのだい? 公衆トイレ? カラオケのVIPルーム? 公園の茂み? それとも私の自室?」
「なんかどこも下心の見え隠れする場所に聞こえてしまうのは……僕の心が腐ってるからなんでしょうか?」
「しかし他に“いたす”に最適な場所はないじゃないかね」
「そもそも“いたす”必要がありませんから。そういうのはハーレムの娘たちとやってください……。僕である必要性がないでしょう」
「むぅ……今の君は私の子猫ちゃんたちに負けず劣らず可愛らしいのになぁ……」
「褒めてませんからそれ。念のため」

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