超妹理論

『弱者の憂鬱』


 国語、七十点。
 数学、六十九点。
 英語、七十点。
 化学、七十点。
 物理、七十一点。
 歴史、七十点。
 地理、七十点。
 僕の一年一学期中間テストの点数である。
 なんというか……突出することなく、といって大きく欠けることのない点数である。
 面白みがないとも言う。
 とあるパイロットが某量産型巨大人型ロボットを指して「特徴の無いのが特徴」と評した事例があるが、僕の成績もそんなものだろう。
 ちなみに担任の先生からは「わざとやってるのか、おい」と怒られたりもした。
 まぁ、しょせん偏差値五十の身だ。
 進学校として名高い瀬野第二でならこんなものじゃないかと思ったり思わなかったり。
「ある種、意図的にやってるところもないではないんだけど……」
 というのも、テストである程度答えを書くと安心して眠くなってしまうタチなのだ。
 集中している前半の問題と集中を乱した後半の問題。
 総合して七十点もとれば僕としては万々歳というわけだ。
「華黒みたいな完璧超人じゃあるまいし、七十パーセントもとれば人類として上々だね」
「なにが上々なのです?」
「うぇぁっ!?」
 噂をすれば影。
 後ろから不意をついた華黒の声に、僕は情けなくも驚いた。
「……気配を消して忍び寄るのはやめてよ。心臓に悪い」
「それはすみませんでした。意図したわけではありませんので許してくださいな」
「まぁ、いいんだけどさ」
 さすがにそんなことで不機嫌になるほど狭量じゃない。
「それで? なにが上々なんでしょう?」
「中間テストの結果のこと。人の世は満足と不満足があざなえる縄の如く連続するものだと思わない?」
「そんな当たり前のことをさも高尚なことのように言われましても……」
 ばれたか。
「だいたいもうすぐ期末テストですのに、何故今更中間試験などを?」
「試験範囲の確認。期末テストといっても要は一学期の復習でしょ? 試験範囲の半分は中間テストと同じだよね。だから見直していたところ」
「なるほど」
「と、いうのは建前なんだけどね……」
「建前なのですか?」
「なのです。第一学校で勉強するほど僕は真面目なんかじゃないよ」
 そう言って僕は中間テストの答案を折りたたんで通学カバンに放り込んだ。
「華黒もいないのに一人で勉強してもしょうがないよね。生徒は教師に、無能は有能に、愚者は賢者に教えを請うのが一番いいと思わない?」
「学校とは、無能が無知に無用を詰め込むところ、という意見もありますが……」
「教育者や指導者を無能呼ばわりできるのは現代社会の利点であり、同時に歪でもあるよね」
「兄さんはどちらでしょう?」
「建前としては尊敬すべきだと思うよ」
「そう言うだろうと思いました」
 歪み歪む歪め。
「じゃ、帰る準備もできたし、帰ろうか?」
 僕は通学カバンを持って自分の席を立つと、教室で一つ伸びをした。
 窓の外から見下ろせる校庭には、テスト前だというのに休む気配も見受けられないサッカー部と野球部。
 ま、いいんだけどさ。
「家に帰ったら物理を教えてよ。力の合成と分解が今一つわからないんだよねぇ」
「あ、その……その件なんですけど……帰るのを少し延ばせませんか?」
 あら。
「なんで?」
 僕は背伸びを止めると、そう華黒に聞き返した。
 

 
 結果として、帰宅するのはもう少し待つことに相成った。
「なんで華黒はあんなに器用なんだろうね。ちょっと嫉妬しちゃうな」
 本棚から目的の一冊を取りながら、そんなことを呟く。
 ここは図書室。瀬野二の四階にある共同教室だ。
 さて、何故僕がこんなところにいるかとなると、それには少しの説明が要る。
 結論だけ言えば単なる暇つぶしになるんだけどね。
「『はてしない物語』の下巻は借りられてるんだ……。僕以外にも読む人がいるのは少し意外……かも?」
 ま、いいんだけどさ。
 『はてしない物語』の上巻だけを手にとって、僕はあらかじめ自分のカバンで占拠していた図書室の席の一つにつく。
 華黒は遠慮がちに提案してきた。
「あ、その……その件なんですけど……帰るのを少し延ばせませんか?」
「なんで?」
「ええと、ですね。テストも近いということでクラスメイトの方に勉強を教えてもらいたいと言われまして。しかも教えてもらいたいという者が一人が二人、二人が三人、という具合に増えてしまいまして……」
「大人気だね」
「茶化さないでください。私も困っているのですから」
「いいんじゃないかな? たしかに華黒は頭がいいから教えを請われるのも当然だと思うよ。人生から友情を除かば世界から太陽を除くに等し。交友関係も大切だね」
「あの……それで、ですね。兄さんも参加しませんか?」
「何に? クラスメイトたちの勉強会に?」
「はい」
「…………」
 はふん。
 心の中でだけ疲労の溜息をついてみる。
 僕自身あまりソーシャルインテリジェンスが高い方だなんて思ってはいないけれど、それでもある程度の想像力くらいはある。
 僕に向かって唾の一つも吐いてやりたいけど華黒の手前そんなことができるはずもなく、どうやって排斥するか悩んだあげく放置プレイをかますサイレントマジョリティ達の悪意が手に取れるようだ。
 自らの左手首の未遂の傷を見て……、僕は笑った。
 おそらくは皮肉げな笑みになっていただろう。
 ま、いいんだけどさ。
「華黒、嬉しい申し出だけど遠慮しておくよ。僕は図書館で暇を潰しているから、勉強会が終わったら呼んでよ」
「やっぱりそうですか……」
「人が群れるということは敵を作ることだよ。僕はていのいい南蛮軍さ。いない方がいい」
「できるだけ早く終わらせますから、必ず、必ず待っていてくださいね、兄さん」
「うん。いつもどおり一緒に帰ろう。晩御飯の買い物でもしながら」
 そう言って僕はいそいそと教室を抜け出した。
 華黒が友達とやらに勉強を教授している間、どこかで暇を潰そうとの魂胆だ。
 そんなわけで僕は一人図書室に来ていたのだった。
 これもやっぱりテスト前だからなのか、放課後というのに図書室は生徒達が多くたむろしていた。
 おそらくは勉強をしにきているのだろう。
 華黒たちのように教室ですればいいものを、なんて喧騒を嫌いつつ『はてしない物語』のページを開く。
 周りはみーんな試験勉強中。
「なんだか勉強してないのが世界で僕だけみたいな気分だ……」
「いやいや、そんなことはないだろう。君が憂うより世界は広く、君が侮るより世界は狭いものさ。事実私とて勉強などしてはいない」
「…………」
 思わず沈黙。
 ……えーと。
 僕はしぶしぶと後ろを振り返った。
「いたんですね、昴先輩……」
「うむ。用事も終わって退室しようかと思ったところに華黒くんのお兄様がいるじゃないか。これは声をかけねばと思って」
「僕は華黒が前提になってるんですね」
「将を射んと欲すればまず馬を射よ、という奴さ」
「先輩は周りから制圧するタイプには見えませんよ。どちらかといえば中央突破短期決着が好みでしょ」
「はっは、よくわかっているじゃないか」
 わからいでか。
「先輩にとって華黒といない僕なんてビックリマンシールの入ってないウエハースチョコでしょうよ」
「うむ、ウッチャンといないナンチャンみたいなものだ」
 えらい言われようである。
「ま、いいんですけど。で、何用です?」
「いや、そうだねえ……華黒くんと一緒にいない君に話しかけても何の得にもならないのだけれど……」
 そこまで言うか。
「どうせだから聞いておこう。華黒くんに何をプレゼントすれば喜ばれると思うかね?」
「モノで釣る気ですか?」
「下衆の勘ぐりだね。ただの善意さ。好意ある女性に花の一つも送るのが甲斐性というものだとは思わないかね」
「欧米式ですね」
「愛に国境は関係ないよ」
「はぁ、まぁ……しかし華黒にプレゼントですか……」
 過去の記憶を掘り起こしてみる。
 …………。
「何をプレゼントしても喜んでいたような……」
「それは君がプレゼントしたからだろう」
「……盲点でした」
「何か彼女が喜ぶものなどに心当たりは?」
「強いて言うなら僕以外の他人に借りを作ることが嫌いですね」
「根本的に駄目じゃあないか」
 むに、とほっぺたを引っぱられる僕。
「痛いです。昴先輩……」
「君のほっぺは柔らかいな。これなら華黒くんのほっぺをつまめる日が楽しみだ」
「小さな夢ですね」
「もちろんその時はあの形のいい胸も頂戴するつもりなのだけど……」
「前言撤回しときます」
「ついでに言えば……」
「言わなくていいです。このまま行くと放禁ワードが乱発しそうだ」
「昔の人は言ったよ……Hの後にI(愛)がくると……」
「ただの親父ギャグじゃないですか」
 ちゃんちゃん。
「それで、なんで先輩は図書室なんかに?」
「うむ、実は恋人が勉強を教えてほしいと言い出してね。私としても子猫ちゃんが成績不振になるのは見ていられないし生徒会長としても生徒の悩みは見過ごせぬとあって、つまり先ほどまで勉強を教えていたのだよ」
「マンツーマンでですか?」
「いや、五人ほど」
「ですよねー」
 この人、外国に生まれていたら本気で重婚してそうだ。
「愛のご褒美を用意してあげれば子猫ちゃんたちも真剣になるというものでね」
「愛のご褒美?」
「マウストゥーマウス♪」
 ちゅ、と僕に投げキッスする昴先輩。
 …………。
「……あの、もしかしてその愛のご褒美とやらを公衆の面前で?」
「もちろん。舌も入れた」
「……先輩、よく風紀の取り締まりにあいませんね」
「愛を取り締まる法など人類には必要ないのだよ。それに風紀委員にも二人ほど私の恋人がいるしね」
 今、僕は癒着の現場を見た気がする。
「ところで前から聞きたかったんですけど先輩の恋人って何人くらいいるんです?」
「そうだねえ。多いときは三十人くらいだったかな……。今は十五人くらいだけど……」
「先輩でも別れたりするんですね……」
 ちょっと意外だ。
「うん、たまにね……私のことを好きになりすぎて嫉妬したり独占したがる子が出てきてね……。そういう子には諦めてもらっている」
「……予想以上にドロドロですね」
「気持ちは嬉しいのだけどね。生憎と私は一人しかいない。誰か一人だけを愛するなんてできないのさ」
「それじゃ華黒はなびきませんよ。華黒は愛情が定量のもので、多くの人間に分けるほど一人当たりの愛情は少なくなると思っている奴ですから」
「それで、その全てを君だけに注いでいるわけか」
「…………」
 それとは少し事情が違うのだけど。
「それでもいいのさ。意見の食い違いなんて、それが華黒くんを諦める理由にはならない」
「それでこそ昴先輩です」
 よ、日本一。
「ところで当の華黒くんは?」
「今教室でクラスメイトに勉強を教えています。行きます?」
「止めておこう。今日はこの後他校の子とデートの予定だから」
 そう言って昴先輩は僕に背を向けた。
 おそらく帰るのだろう。
 僕はペコリとおじぎした。
「それではお疲れ様でした」
「……真白くん」
「何でしょう?」
「私はね、時折君が女の子だったならと惜しむときがある」
「……人のコンプレックスに容易く踏み込みますね、あなたは」
「顔だけのことじゃないよ。……いや、余計なことを言った。忘れてくれたまえ」
「ええ、言われんでも」
「ではね。次は華黒くんと一緒にいたまえ」
「ええ、言われんでも」
 そして僕と昴先輩は別れた。
 

 
 帰り道。
「あんな奴と会っていたのですか?」
 図書室でのことを話すと華黒は露骨に嫌な顔をした。
 苦虫を噛み潰した顔とは今の華黒みたいな表情を言うのだろう。
「素直に呼ぼうよ」
「あんな奴に敬称はいりません」
「さいで」
 何を言っても無駄ってものかもね。
 はふん、と息をついて説得を諦める。
 てくてくと帰路につく僕の右手には通学カバンが、左手には買い物袋が握られている。スーパーのロゴが入った買い物袋の中にはジャガイモとニンジンと牛肉が。多分カレーか肉じゃがの材料だろう。どっちになるかは……まぁ華黒しだい。
「何か変なことはされませんでした? 嫌なことは言われませんでした? まだ人間ですか?」
「変なことはされてないし、嫌なことはしょっちゅう言われてる気がするし、まだ人間だよ」
「だったらいいのですけど……」
 心なしか安堵のような吐息をつく華黒。
「そもそも昴先輩の狙いは華黒だから僕をどうこうするはずもないんだけどね」
「それはそれで嫌な再認識なんですけど……」
「まぁ野良犬に噛まれたとでも思って積み木を崩し新しい未来をだね……」
「何ですかその言い草は。可愛い可愛い可愛い妹が変態の手に渡るかもしれないんですよ!?」
「最近の社会は同性愛にも寛容になりつつあるそうだからさ。兄妹で道を踏み外すより同性で道を踏み外してもらった方がまだ体裁がいいのかなぁとかお兄ちゃんは考えていたりする」
 どっちにしろ偏愛に大差は無いんだけど。
「それは私を昴のアンチクショウに売るということですか……?」
「いや、そこまでは言ってないけど……。恐い目をしないでよ。ただ華黒の僕以外の恋愛対象をって考えるならそれも一つの候補かなってだけの話であって……」
「なんだか最近兄さんの私に対する態度が冷たくなってるような気がします……」
「ソンナコトナイヨ?」
「じゃあなんでカタコトになるんですか!? 完全に図星つかれた顔じゃないですか!」
「ままま、冗談だって。でもさぁ、いつまでもブラコンじゃいられないじゃない?」
「私のコレはブラコンじゃありませんよ。私は私をして兄さんを真摯に愛しています。兄妹などというものは私にとってしがらみにこそなれコンプレックスにはなりえません」
「あ、流れ星」
「人の話はちゃんと聞いてください」
 耳を引っぱられた。
「いたたたた。でもさぁ、いつまでもこのままってわけにはいかないじゃない?」
「だから兄さんが私を受け入れてくれたら万事解決じゃないですか」
「…………」
 ……それは、ね。
 ちょっとどうしようもないかな?
「兄さんは難しいことを考えすぎです。もっとシンプルにいきましょうよ」
「シンプル云々じゃなくてさ、僕らの関係は前提がまず間違ってるんだ。華黒を幻想の世界に引きとめるわけにはいかないよ」
「幻想じゃありません。私は確かに兄さんを愛しています」
「酒に酔ってる奴ほど酔ってないって言うからね。まぁいいや。ここで決着つける必要もないし、この話はもう止め。もうちょっと身のある話をしよう」
「例えば?」
「今日の晩御飯は、とか? 材料から見てカレーか肉じゃがと見たけど如何に?」
「残念、外れです。今日はポタージュスープと肉野菜炒めですよ」
「おっと、一本取られましたな」
 どこからか取り出した扇子で頭をペシッと叩く。
 そんな他愛のない話に軌道修正しながらアパートに戻る。
 ま、いいんだけどさ。

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