例えば、それはとても無意味な思考なんだろうけど、 「華黒は何でモテるんだろうね?」 僕はそんなことを考えていた。 教室。 僕の隣、統夜の席に勝手に座ってパックジュースを飲んでいる妹がキョトンとして首をかしげた。 「何をいきなり?」 漆を塗ったかのように深い黒色のロングストレート、アイボリーのように薄い肌、それらを損なわない丁寧なつくりの顔立ち。 僕の妹である華黒は、つまり美人さんなのだった。 「や、特に意味のある議題じゃないんだけどさ。なんとなく……」 「あまり本人の前でする話ではないような気がしますけど」 「あれ? 華黒はこの手の話題は苦手だったっけ?」 「他人はともあれ自分が対象であれば、それなりには……」 「ふーん、まぁいいや。それで話を続けるけどさ……」 「続けるんですね……」 「何をもって他人は華黒を求めるんだろう?」 「私に聞かれましても……」 困ったように片眉を歪める華黒。 「たしかに華黒は美人だよ。古今東西例外なく美人というのはそれだけで価値がある」 「……想い人に言われると照れますね」 一人前に華黒が赤面する。 可愛い可愛い。 「で、例えばさ。華黒が今持っているジュースの飲みくさしを千円で売るって言ったら多分誰かが買うと思うんだよね。すると百円で買ったジュースが千円で売れるわけだから、華黒という記号によって九百円の付加価値がついたことになるわけだ」 「価値って……金銭のことですか……」 「いや、これはあくまで例えだよ? 流動的でなく抽象的でもない堅実な価値の例として金銭を出しただけであって、別に華黒が金になると言ってるわけじゃない」 言ってなくても言ったも同然、というつっこみは無しの方向で。 「実際のところ華黒じゃなくてもいいんだけどさ。惹かれるってどういうことなのかなって思って。もし男が全て美人に惹かれるならミロのヴィーナスは日本男児たちの間で話題沸騰のはずなんだ」 「また無益なことを考えていますね」 暇だからね。 「全ての人が同じものに惹かれるわけじゃないのは僕もわかってる」 「多様性の問題ですね」 「でもさ、何かしら美しさや魅力の観念に一定の共通性がなければ美しさなんて言葉は成立しえないわけで」 「それは確かに」 「とするとさ。皆々似たようなものに惹かれながらも、その因子が一定してないわけだ」 「離散的なグラフにしてみると面白そうですね」 「ああ、いいかも。で、そんなことを考えてるとさ。この学校の皆々は何を持って華黒を求めるのかな、とかね」 「単純に容姿だと思いますけど」 「いや、まぁ、そうなんだけどさ。でも華黒も他の女子も目と鼻と口があることに変わりはないじゃないか。つまり似た素材を使っていながら、その微妙なパーツの差異や位置や非対称性が顔の優劣をつけられるっていうのもなんだかなぁってお話」 「…………」 「自分の恋人が世界で一番優れていると思っている人はともかくとしてさ、そうでない人達による恋愛はもしかしてひどい欺瞞なのかも、とか……」 「極論はしばしば現実を蔑ろにしますよ」 「わかってる。少し言い過ぎたよ」 僕は肩をすくめた。 「世の中自分の理想の究極を果たせる人間が極端に少ないってことなんだろうね」 「私はあくまでこの学校の中で囃し立てられているだけですし」 井の中の蛙、大海を知らず、されど井戸の浅さを知る……なんちゃって。 「ま、誰しもが目の届く範囲に手を伸ばすということで」 ……そこに手が届くかは別として。 * そして放課後。 僕は何故か拉致られていた。 厳密には「拉致る」などという言葉は存在しないため、僕は何故か拉致されていた、という方が正しいのだけど、そんな細かいことはどうでもいい。 パイプと木材でできた学校支給のお手本のような椅子に座らされ、腕は背もたれの後ろで拘束。その腕と背もたれと、それから胴をまるごとロープでぐるぐるに縛られ、あまつさえ両足首も何かしらの布で固定されている。 ここまできたら猿ぐつわも、となるはずなのだけど生憎そんなことはなかった。 「それで、ええと……」 場所は部室棟の一室。 数人がかりで押さえ込まれえっほえっほとここまで運ばれるというドタバタがあったため、何の部活の部室かまでは確認していない。 「何の真似かな、これは」 僕は誘拐犯たる目の前の三人の男子に問いかけた。 良く言えば“ふくよか”な奴と、良く言えば“スリム”な奴と、良く言えば“秀才のよう”な奴が一斉に僕を見る。 ちょっと恐い。 「まさか校内で誘拐に会うとは思わなかったけど……僕をどうしたいの?」 「それについてだが百墨真白君、君の身柄を一時的に拘束させてもらうのであーる」 悪く言えばオタクそうな奴がそう言う。 名前がわからないので暫定的にメガネと呼ばせてもらおう。 「い、今、姫は一つの試練に立ち向かっているだ」 悪く言えば貧弱そうな奴がそう言う。 名前がわからないので暫定的にガリと呼ばせてもらおう。 「君にその邪魔をしてもらいたくないんだな」 悪く言えば太っている奴がそう言う。 名前がわからないので暫定的にデーブと呼ばせてもらおう。 「ええと、あんまり答えになってないんだけど……その姫、だっけ? その人と僕になんの関係が?」 「たわけないでもらいたいのであーる。姫は君の妹君であーるぞ」 そんなメガネの言。 「妹……?」 ああ、なるほど……。 「つまり君たちは……」 「そ、その通りだ!」 ガリが一つ大きく頷く。 「「「我ら百墨華黒隠密親衛隊!」」」 ババーンなどという擬態語が入って、なおかつ赤青黄に着色された火薬がバックで爆発しそうなポーズをきめる三人。 ノリが昔の特撮だ。 「華黒のファンクラブ、ね……そういえばそんな設定があったような……」 「「「設定とかいうな!」」」 抗議を受けた。 「我らは密やかに華黒姫を愛し、支え、守る、いわば影の存在であーる」 キザったらしくメガネがいうものの、 「それってつまりストーカーの類だよね?」 「ストーカーじゃないんだな! 愛なんだな!」 「いや、密やかにとか言ってる時点でもうね……。君らの存在を華黒は知っているの?」 「し、知られてないだ……」 「でがしょ? つまりコソコソやってる日陰者の集団なんだよね」 「隊員数、三十余名……」 メガネがボソリとつぶやいた。 「…………」 思わず沈黙。 「これでもまだ君は我らを蔑ろにするのであーるか?」 「…………」 えーと……。 「三十余名? 嘘でしょ?」 「本当なんだな」 デーブが鼻息を鳴らす。 「な、なんだったら名簿もあるだ」 そういってガリが部室の隅のテーブルにおいてある分厚い書類を指差した。 ……えーと。 「三十余名って……校内最大規模じゃないかな?」 「姫の魅力を鑑みればこれは当然のことであーる」 メガネがメガネを中指で押し上げて、不敵に笑う。 「美人、聡明、学力も申し分ないうえに運動能力も高く、家庭科も美術も好成績でありながら、それをひけらかす事をしない奥ゆかしさ。友達にも慕われ、男子の人気も高いが、今だ誰ともお付き合いをしたことがない。これで人気が出ないなら嘘なんだな」 聡明……奥ゆかしさ……君らはいったい誰の事を言ってるのかな? 「そんな彼女の魅力のおかげで我が隊の勢力は酒奉寺昴ファンクラブとサッカー部についで三番目の規模を誇るのであーる」 「あ、昴先輩の方が上なんだ」 「あそこは男子だけでなく女子まで入会しているから……」 「……あー」 わかる気がする。 男子にだけ人気の華黒と男女問わず惹きこむ昴先輩とじゃ単純に二倍差が出るという寸法だ。 ともあれ、 「つまり僕の妹のストーカー候補が三十人くらいいるわけだ」 「だ、だからストーカーじゃないだ! お、隠密親衛隊だ!」 「ちなみに活動内容は?」 「その日の姫の行動記録概要。隠し撮り写真集の創刊。姫への愛を叫ぶポエム募集などであーる」 「そこまでやっといてストーカーじゃないと言い張るのは逆に清々しいね」 こんなのが後三十人くらいいるかと思えば頭痛がする。 「それで? その陰湿ジメジメ隊が……」 「「「隠密親衛隊!」」」 「失敬……で? その隠密親衛隊がなんで僕を誘拐するのさ」 「それについては説明したのであーる」 「い、今、姫は一つの試練に立ち向かっているだ」 「君にその邪魔をしてもらいたくないんだな」 「試練って何?」 「告白であーる」 …………。 「…………」 「我々の調べによると貴殿こと百墨真白は、今まで男子から姫への愛の告白の場をことごとく乱しているとの報告が入っているのであーる」 冤罪だー。 「だ、だから姫への告白イベントが終わるまでここで拘束させてもらうだ」 「はあ……なるほど……」 たしかに表向き僕は華黒を男どもから庇っているシスコンだと思われている。 つまり、その対策なわけだ。 一対一で華黒にちゃんと告白ができるように。 「でもさ。それで僕の邪魔が入らないまま華黒が告白を受けたら君たちどうするの? 彼氏ができちゃったらファンクラブもないと思うんだけど……」 昴先輩みたいに複数恋人を作るならともかく。 「それならそれでいいのであーる」 「ひ、姫が一人を選ぶのなら僕らはその恋路を応援するだ……」 「おー、ご立派ご立派」 両手が拘束されてなければ拍手の一つもしてたところだ。 「で、本音は?」 「付き合った奴は極刑に処すんだな」 「ですよねー」 人間そうそう潔くはなれないものです。 「でも誰とも付き合ってほしくないならなんで僕を拘束するの? 邪魔してもらったほうが都合がいいんじゃない?」 「それとこれとは話が違うのであーる」 「そ、そのことについて親衛隊内で話し合っただ……」 「結果、姫への恋愛は平等かつ誠実であるべきということになったんだな」 「……変なところで男らしいね、君たち」 「そういうわけで姫の告白イベントが終わるまで真白君にはここにいてもらうのであーる」 「無駄だと思うけどねー」 僕は溜息をついた。 聡明……奥ゆかしさ……僕以外の人間には華黒がそういう風に見えていることは十分わかった。 でも、それはやっぱり錯覚だ。 僕にとって華黒は、狭量で……自分本位で……猫かぶりで……、 「というわけだから……華黒、もう入ってきていいよ」 「わかりました。では遠慮なく……」 そういって部室のドアが錆びた蝶番の軋む音ともに開き、華黒が部屋に入ってきた。 「「「ひ、姫……!」」」 三人がおののく。 僕も驚いた。 「あれー、けっこうブラフだったのに……本当に扉の前で待機してるとは……」 「まぁ私としましても兄さんがさらわれて何事かと思いまして。少し静観させてもらいましたけれど」 互いの合意が無いかぎり華黒が僕を見失うわけない……か。 本当によくできた妹だことで。 華黒はぐるぐるに縛られた僕を一瞥した後、メガネとガリとデーブにニコリと微笑んでみせた。 「それで? そこのお三方? 私の私の私の兄さんにいったい何をされてらっしゃるので?」 「「「う……」」」 面白いように三人がたじろぐ。 「あらあら兄さん。そんなにひどい扱いを受けて……いったい誰がこんなひどいことを……」 「「「う……」」」 「私の兄さんがこんなことになってしまって……私、犯人を嫌いになってしまいそうです」 「この件を提案したのはこいつであーる……!」 「き、貴様……! ぼ、僕だけ悪者にする気だ……!?」 「我輩は関係ないんだな……!」 見苦しい責任の押し付け合いが始まった。 「き、貴様だって積極的に賛同しただ……!」 「き、君! 何を世迷言を言うのであーるか……!」 「我輩は関係ないんだな……!」 見苦しい責任の押し付け合いが続く。 華黒は悲しそうに目を細めてうつむいた。 「けれど、正直に自分の罪を認めない嘘つきは……私、もっと嫌いになってしまいそうです……」 「「「我々が悪うございましたーっ!!!」」」 「……悪女め」 三人に見えない角度でニヤリと細く笑う華黒に、僕はそうとだけ呟いた。 で、先までのあくどい笑顔をさっぱり消して爽やかな笑顔に切り替えやがると、華黒は三人に微笑んだ。 「まぁ、自分の罪を認めるのですか?」 「「「申し訳ありませんでしたーっ!!!」」」 「まぁまぁまぁあらあらあら……」 「華黒、わかってるだろうけど……」 「もちろん、こんなことで怒ったりしませんよ。お三方とも顔を上げてください。私、嫌いになったりしませんから」 「本当であーるか……?」 「ええ、もちろんですよ。お三方とも、私のためを思ってしてくれたんですよね? そんな人たちを憎めるわけないじゃないですか」 「なんと優しい心の持ち主であーるか……!」 「め、女神だ……!」 「天使なんだな……」 華黒の優しさに感動するメガネとガリとデーブを、僕は呆れながら見つめた。 「落とすだけ落として持ち上げる……典型的な洗脳だね……」 タチの悪い……。 「でも私の兄さんにこんなことされては困ってしまいます。解放してもらえませんか?」 「「「マム! ただちに、マム!」」」 一斉に敬礼すると、三人は僕を縛るロープをあっという間に解いてしまった。 解放される僕。 華黒が嬉しそうにニコリと笑う。 「ありがとうございます。もうこんなことはしないでくださいね」 「「「マム! イエス、マム!」」」 「……結局僕は何のために縛られたんだろうね」 貧乏くじだ、まったく……。 * で、学校からの帰り道。 華黒はプリプリと怒っていた。 「まったく! 何なんですか、あの人たちは。私の私の私の兄さんにあんなことを……!」 「今頃怒られてもね……」 「だって、あの三人の前で怒るわけにはいかないじゃないですかっ」 「そういう猫かぶりは尊敬するよ、本当に」 「茶化さないでください!」 「茶化してないよ……」 はぁ、と溜息をついてしまう。 「それにしても……僕を探しにくるまでが早かったね。告白、どうせ靴箱に手紙が入ってて屋上に呼び出されるパターンだったんだろうに。もしかしてあんまり時間かけなかったとか?」 「ああ、それですか。すっぽかしました」 「……はい?」 「ですから、すっぽかしました」 あー、えーと……、 「……君ね」 「あ、ちゃんとフォローはしておきましたよ? その辺りは大丈夫です」 「フォロー?」 「ええ、何か私に言いたいことがあるなら明日の昼休みに教室で聞きます、と手紙に書いて相手の靴箱に入れておきました」 「まったくフォローできてないと思うよ、それ……」 昼休みの教室でクラスメイトに囲まれたまま華黒に告白できる奴がいるなら見てみたいものである。 「でもですね、兄さん、冷静に考えてみてください。人の靴箱に手紙を入れて場所を指定してくるというのも考えようによってはとても失礼なことだと思いませんか? 自分は用件を手紙で済ませているのに相手には顔を出すように強制しているのですよ? ですから手紙に対して手紙で返す今回の私の処置はフェアなものだと思うのです」 「理屈としてはそうだろうけども……」 いくらなんでも相手が可哀想だ。 「それに兄さんがいないんじゃ相手にするのもめんどくさいですし」 「華黒、そっちが本音でしょ……」 「ええ」 「…………」 ま、いいんだけどさ。 「けれど、私と兄さんを引き離すだなんて……そんなことを考える人がいるんですね……」 「まぁ基本的に僕が華黒への告白の邪魔をしてるってことになってるから」 統夜がいうところの反兄派って人たちの仕業だろう。 「みんな少しでも華黒への告白の成功率をあげたいんだよ。妹がこんなに愛されてお兄ちゃんは感動です」 「兄さん以外の人に告白されても否以外の答えは用意していないのに……」 「それでも手を伸ばしてしまうんじゃないかな。それだけ華黒は魅力的だから」 「……っ! そ、そういうことをさらっと言うのはずるいです……」 「え、なんで?」 「いえ、そんな兄さんだからいいんですけど……」 ぷぅっと膨れっ面になりながら華黒がぶちぶちと呟く。 僕には何が何だかわからない。 「でも、そうですね……。恋路のために手段を選ばないあの姿勢は見習うべきところがあるかもしれません」 「あ、すっごい嫌な予感……」 「というわけで、ていっ!」 掛け声一つ。 華黒は僕にとびついてきた。 胸元から両腕、背中にかけてを華黒の両腕がぐるりと囲む。 つまりは抱きつかれたわけで。 「華黒、歩きにくい……」 「えへへぇ……兄さんの匂い……」 どんな匂いなんだか、いったい……。 「このまま家まで帰りましょうか」 「勘弁してください」 僕はカクリとうな垂れた。 |