超妹理論

『刑法二百二十四条』前編


「本当に申し訳ありませんでした……」
 黒ベタで塗りつぶしたような漆黒のスーツを身に纏っているナギちゃんの使用人こと獅子堂さんが、ペコペコとそれはもう申し訳なさそうに僕らに謝ってきた。
 第一印象で固い人なのかと勝手に想像していたのだけど、どうも僕の偏見だったらしい。
「ええ、早く連れて帰ってください」
 対する華黒もニコリと人のいい笑顔で答える。
「どうにもお嬢様が迷惑をかけましたようで……」
「ええ、早く連れて帰ってください」
「お二方にはなんとお詫びしますれば……」
「ええ、早く連れて帰ってください」
「いえ、ですから……」
「ええ、早く連れて帰ってください」
「あの……」
「ええ、早く連れて帰ってください」
「…………」
「どうかしましたか?」
 いやいやいや。
 人のいい笑顔じゃなくて怒りの笑みだったのね……。
「……華黒。そこまで言っておいて、その聞き方は酷じゃないかな」
 もはや言葉も見つからず沈黙してしまった獅子堂さんに代わって、僕は華黒につっこんだ。
 僕らが今いるのはスパイクナルドバーガーから少し離れたターミナルガーデンなるコーナー。名前の通りショッピングモールの端っこに位置する休憩所だ。
 さすがに店内でスーツびっちりの獅子堂さんと話し込むわけにもいかず、場所を移動した次第なのだけど……彼の服装が服装なだけに人の視線が集まるのはどこだろうと変わらなかったりして。
 ともあれ、
「獅子堂さんもちゃんと探してたみたいだし、今こうやってナギちゃんを保護できたんだから万々歳……じゃない?」
 そう取り繕うような僕のフォローは、
「結果、私と兄さんのデートを邪魔されました」
 あえなくけんもほろろと相成った。
「(僕は牛乳買いにきただけなんだけどな……)」
 不満満々の華黒にボソリとそれだけ。
 真正面から言ってやる勇気はないので、口の中だけにとどめておく。
「それよりもナギちゃんがお嬢様だったことに僕は驚きなんだけど。獅子堂さんはその……ナギちゃんの執事っていうやつなのかな」
「いいえ。私は一介の使用人にすぎませんよ。その執事の命を受けてここまでお嬢様の探索に来た次第であります。何せお嬢様は家出の癖が悪く庶民のふりをなされては百墨様、あなたのように寛容な人につけこんで振り回すことを習慣とされていまして……」
「いやぁ」
 寛容だなんてそんな……。
「何を照れているのですか。言っておきますけれど褒められているわけではありませんからね?」
「え? そうなの?」
 呆れかえったような目で獅子堂さんから僕へと向き直る華黒の言葉に、僕は照れ隠しに頬を掻いていた人差し指を止めた。それから二、三度まばたきしつつ華黒を見つめると、今度は深い溜息が返ってきた。
「さきほどの言葉には“何て騙されやすい人間だ馬鹿め”という意味があってですね……」
「いえ、それほどまでに悪意を込めて言ったつもりはないのですが……」
 いったい誰に対しての悪意なのかよくわからない華黒の言い分に、獅子堂さんが冷や汗をたらしながら反論した。
 まぁいいや。
 僕が騙されやすいのは自分でも認めるところだ。
 それより、
「そろそろ離してくれないかな、ナギちゃん……」
 僕は、僕にしがみついて離れないお嬢様に困ったように声をかけた。
 とてもお嬢様には見えない苺々した服装――彼女なりの変装らしい――のナギちゃんはいったい何を恐れているのか、僕のお腹に両腕をまわして離すものかと張り付いている。まさに子供が親に抱きつくときのシチュエーションそのままなのだけど、僕はこんなに大きな子供をもった覚えもない。
「もうお迎えもきたし、さ?」
「いやよ」
 一蹴されてしまった。
 さらに強く抱きつかれる。
 ……しかしこの子の喋り方には慣れない。
 こっちが本来のものらしいけど、ちょっとませ過ぎやしないかな。
「いやって言ってもさ。ほら、わがままもあんまり良くないんじゃないかなって」
「じゃあ何よぉ? シロちゃんに都合のいい態度をとれば私いい子なの?」
「うぇ、そういう意味じゃ……」
 非難がましい視線に心持ち後ずさりしてしまう。
「お嬢様、それくらいになさった方がよろしいかと」
 そんな僕に助け舟が一艘。
 無表情に礼儀正しい顔をした獅子堂さんだ。
「百墨様が困っておられます」
「うるさい。あなたは黙って退きなさい」
「申し訳ありませんがそうもいきません」
「獅子堂、使用人の分を超えるつもり?」
「滅相もございません。むしろ……だからこそ、でございます。これはお館様からのお使いでもあるのですから」
「……仕事熱心なこと」
「恐れ入ります」
「褒めてないわよ」
「心得ております」
「…………」
 嫌味にさえ慇懃に答える獅子堂さん。
 さすがのナギちゃんも片目をゆがめて押し黙ってしまった。
 ていうか何だろうこの近親感。
 困った女の子を扱うことに慣れきってしまったかのような獅子堂さんの雰囲気はいたく僕の共感をよんでいる。
 いや、むしろそれは当然か。なにせ僕の妹も……、
「兄さん、何か言いたいことでも?」
「いや別に」
 チラリと華黒を見ただけのはずが、その視線さえ感づかれる。僕は思わず大勢の人の波へと目を逸らした。
 やっぱり鋭いね、華黒は。
 そして弱いね、僕は。
「それでお嬢様? あなた、私の兄さんを困らせてどうしたいのですか?」
「し、シロちゃんは困ってなんかないわよ……でしょ!?」
 でしょ、と言われても……。
「いいえ困っていますよ兄さんは。口に出す人ではありませんけれど」
 ナギちゃんへの答えに窮した僕を差し置いて、何故だか華黒が間髪いれずに返した。
 ちょっと。僕の意見は?
「そんなのクロちゃんの思い込みかもしれないでしょ!?」
 おーい。僕の意見は?
「いいえ、私は兄さんの事なら兄さん以上に知っていますから。何も言えない兄さんに代わって言語化するのが私の役目です」
 …………。
「いい加減にして早く手早く素早く家に帰りなさい。兄さんに私以外の人間は有害です」
「華黒」
 ビームでも出すのかと疑いたくなるほどに激情のこめられた華黒の視線。僕はそれから庇うようにナギちゃんの顔を手で覆った。
 さすがにこれ以上は許しかねる。
「いいすぎだよ」
 大して力んだわけじゃない。むしろ淡白な口調でさえあったのだけど、それが華黒にはよく通じた。優しく見つめるその先で、妹はビクリと一度震えた。
「だって……」
「わかるよね?」
「むー」
 むー、じゃないよまったく。相手は小学生だってのに何を考えている妹なんだか。
 あからさまに呆れてやる。ついでにナギちゃんの顔から手をどけてやると、今度はナギちゃんが華黒へと強気な視線を送った。
「ほら、やっぱりシロちゃんは私の味方じゃない」
 いや、そういうわけでもないのだけれど。
「お嬢様、理解なさってください。お嬢様が駄々をこねればお館様だけでなく百墨様たちも困らせることになりますよ」
「シロちゃんは困ってないわよ。それにお爺様なんて困ってしまえばいいのよ」
「聞き分けてください、お嬢様」
「いーや」
「お嬢様……」
「いやって言ってるでしょ!?」
 何度も説き伏せようとする獅子堂さんに向かって、とうとうナギちゃんが激昂した。僕の服の裾の掴まれかたがさらに酷くなる。そして通行人の皆様方が彼女の甲高い声に驚いて一斉にこちらを向きだした。
 あいやー。さらに注目しちゃってるよ。
 一般人に溶け込んでいたい日本人気質の僕としては針のむしろにも近い境遇だ。
 だけどもけれども当然そんな心中がナギちゃんに伝わるはずもなく、
「お爺様が認めるまで帰ってなんてやらないんだから!」
 彼女は火がついたかのように喚いた。
「ではどうなされるのですか?」
「そんなことあなたの知ったことではないわ! シロちゃん!」
「何?」
「私を連れて逃げて!」
「うぇ!?」
 さすがに唐突すぎて理解が追いつかなかった。
「な、何だって?」
「だから私をこの白痴から引き離してって言ってるの!」
 獅子堂さんを指差しながら僕に訴えかける。
 しかし白痴って……。最近の小学生は嫌な言葉を知ってるね。
「いやぁ、でもそれはさすがに……。刑法二百二十四条にも引っかかっちゃうし」
「私の言うことが聞けないのぉ!?」
 怒ってるんだから当たり前なんだろうけど、理屈が破綻してきてるよナギちゃん。
 困った。
「そういうわけじゃないけど……」
「私を連れて逃げてよ。私を助けてよ!」
「…………」
「馬鹿! そんなこと兄さんに言ったらっ!」
 …………。
 どうとも答えられない僕の沈黙を上書きするように華黒の焦りが聞こえてきた。
 …………。
 そんなことを兄さんに言ったら?
 …………。
 言ったら何だというのだろう?
 …………。
 でもプログラムは絶対だ。
 …………。
 融通や誤算の入る余地はない。
 …………。
 脳は電気信号と化学物質で成り立つプログラムであって……つまり思考とは、精神とは形而上的なものなんかじゃ全然なく、むしろその逆。形而下的で物理的なものにすぎないってこと。
 
 ―― フラグを確認 ――
 
 僕という人格が先の定義によるアプリケーションならば、その中に内在する関数はある種の変数を受け取り、内在するプログラムに従った変数をまた返さねばならない。
 それは……、
 なんて……、
 …………自動的。
「…………シロちゃん?」
 既に変数は受け取っている。
 なら、後は僕が答えを吐き出すだけだ。
 しまった、という表情をしている華黒が気になったけど、でも並行してどうでもよくさえある。
「……獅子堂さん。ごめんなさい」
「百墨様?」
「できれば警察に通報しないでくれると助かります!」
 妙な陶酔感を覚えながら、僕は手近のナギちゃんを担ぎ上げた。
「きゃっ!」
「兄さんっ! 待ってください!」
 華黒の声が耳に届くけれど、言葉だけでは制止たりえない。
「本当にごめんなさい! ナギちゃんは後でちゃんと返しますから!」
「私は物扱いなのぉ?」
 何をやっているのか自分でもよくわからないけど、それでも不満げなナギちゃんを抱えて僕は走り出した。
 三歩で全速まで引き上げる。
 快晴の日曜日。僕はモールに買い物に来ている人波へと分け入り、そしてナギちゃんを誘拐したまま逃走してしまった。

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