超妹理論

『刑法百七十七条』後編


 結局。
 華黒のランジェ……買い物も済んだし、店の前にいてもしょうがないということで移動した先はファーストフード店、スパイクナルドバーガー。その名を知らぬ者はなし、とまで言わしめる国内外食産業のトップ企業だ。『あなたに美味しくスパイクナルド』のキャッチコピーで全国展開し、“パック”の愛称で親しまれているハンバーガーのチェーン店である。関西の一部ではパクドとも呼ばれているけどそれはさておき。
「ふーん。真白ちゃんっていうんだ。きれいな名前だねー」
 やたら蛍光色の強い清涼飲料水を飲み下しながら、会って間もない少女が無感動につぶやいた。
 いくら小学生、常識不十分なお子様といえどミキサードリンクをご馳走した分くらいのお世辞は出るらしい。
 もののついでに教えた名前は淡白なお褒めの言葉で返された。
「……ありがとう」
 肘をついたまま僕もぶっきらぼうに言い返してやる。
 概ね倍近く年の離れた女の子になめられまいとの言動だったのだけど、彼女は気にした様子もなくジュースを飲み続けていた。僕の言葉はミキサードリンクほどの興味さえ誘えなかったようだ。
 あれだけ散々からかわれていながら威厳も何もないだろうけどさ。
 …………。
 いや。
 問題はそんなところにはないだろう。
 がやがやと耳障りな喧騒とやけにポップな店内BGM、ついでに飛び交うアルバイターのハツラツな掛け声を全部纏めて聞き流しながら、僕は目の前の女の子をまじまじと見やった。
 あのまま別れるものと思いきや。どうにもこの子に懐かれてしまい、そのうえ間食まで馳走している始末だ。女の子と仲良くなれるのはよかれとしても、相手が小学生とあればモテているのともまた違うだろう。
 一体全体どういうことなんだか。
「兄さん。これはどういうことです?」
 そして、これも兄妹の絆か。華黒も僕と同じ疑問を感じたらしい。
 同じソファーの右隣。こちらは紅茶を飲みながら。僕と一緒に少女と対面している形で華黒は聞いてきた。
 さっきから無機質な床にコツコツと攻撃的なタッピングを刻んでいる。
「知らないよ。僕だって何がなにやら」
「一般常識と照らし合わせて考えるに……よく知りもしない、それこそ初めて会ったような子とその場で仲良く抱き合えるものでしょうか?」
「抱き合うって……」
 もしかして少女のメモ帳を取るの奪うのと争っていたときのことだろうか。
「誤解だよ。断じてそんなことじゃあない」
「誤解、ですか……」
 刺すような視線で僕を一舐め。それからもう一度「誤解……」と呟くと、華黒はさらに目を細めた。
 難儀な妹だ。「何故この少女が?」という疑問は一緒でも、呆れ冷めた僕とは対照的に彼女の内情は噴火寸前に鳴動する火山のそれだ。
「恐い目しないでよ。冤罪だって言ったじゃないか」
「しかし目の前の事実として会って間もない幼子を懐柔する手腕は見事ですね。兄さんがこれほど悪趣味だとは、初めて知りました」
「だからそんなんじゃないって」
「そうですか。ああ、それと兄さん……今の状況に全然ちっとも全く毛ほどもそれこそ塵芥も関係のない話ですが、十三歳未満の児童と性交渉した場合、例え合意の上であっても刑法に基づいて強姦罪が適用されるんですよ?」
「だから違うって言ってるじゃないか!?」
 何で責められてるんだ僕は。
 だいたい兄を云々とするのもアレだけど小学生相手取って嫉妬するなんて一体全体華黒こそどういうわけだと問い詰めたい。
「むー……」
「うー……」
 不毛な睨みあい。
 華黒にしてみれば当然の嫌疑ではあるのだろうけど、後ろ暗いことなど何一つない以上僕から折れるわけにもいかない。
 普段ならこのまま三十分は睨めっこコース。
 が、今回に限っては普段じゃない。なんせ横から口をはさめる第三者がいるのだから。
「んー、そっちの事情はよくわかんないけどー……」
 僕らの口論を首振り扇風機のように交互に見つめてから、少女は一つ悩み、
「シロちゃん、あのね……」
 とりあえず、と言った感じでシロちゃん――おそらく僕なのだろう――に向かって口を開いた。
「シロちゃんですって!?」
 そして華黒の過剰反応。
「よくもまぁぬけぬけと。兄さんに近づく不逞ばかりか、あまつさえ不遜な馴れ馴れしさまで!」
「落ち着いて華黒。相手は小学生だから」
「不埒な考えで兄さんに近づくのならば猫も杓子も私の敵です!」
「だから小学生だって」
「ならば杓子以上に私の敵ですね!?」
 ううん、通じないなぁ。
 今にも暴発しようとする華黒の肩を抑えつけながら僕は憂鬱な気分になる。なんだってたまの休日にこんな心労がたまるんだか。
「とりあえず華黒は冷静に。それで君は、ええと……」
 半ば無理矢理に話を戻しながら、そこでようやく僕は女の子の名前をまだ知らないことに気付く。
「南木だよ」
 彼女はそんな僕の戸惑いを正しく察した。
「ナギ……ちゃん」
「木に南に木に南にもう一回木って書いて楠木南木」
「それはまた……」
 書くにも読むにも煩わしいだろうに。健翁先生に見せたらなんとおっしゃられるか。
 とはいえ今は関係ない。
「それで……楠木ちゃん?」
「駄目ー。名前で呼ぶのー」
 テイク2。
「それで……ナギちゃん? お父さんとお母さんはどこにいるのかな? 迷子なら一緒に探してあげるけど」
「ううん、いないよー。今日は一人で来たから」
 ナギちゃんは意味もなく上機嫌な笑顔。
 対してさっきからやけに不機嫌な華黒が刺すような視線を彼女に向けた。
「だったら一人でいればいいでしょうに。何故、よりにもよって私の私の私の兄さんに声なんかかけたんです」
 僕がナギちゃんを名前で呼んだのもイライラに拍車をかけたようだ。
「何故って……」
 大人気ない妹の追及に、ナギちゃんはチラリとこちらを見つめて、
「一目惚れ……しちゃったから……」
「〜〜っ!!!?」
 僕が飲みかけていたシェイカードリンクを一滴残らず吹きださせることに成功した。
 バニラの香りが唾液と混じって噴出される。
 ストロベリー味やチョコ味と比べて着色がされてないだけまだ見かけはマシだろうけど、そもそも吹きだすためにバニラシェイカーを飲んでいたわけでもない。
「シロちゃん大丈夫?」
「……なんとかね」
 僕の周りの女の子はことごとく僕の飲食を邪魔する癖があるようだ。
 とりあえず色々と言いたいことを全部横におしのけると、僕は店内に設置されたちり紙を使ってぶちまけた自分の一部を拭き取りにかかった。
 そして、
「戯れもいいかげんにしなさい」
 僕のすぐ隣で不機嫌を音と示すかのようにテーブルが叩き鳴らされる。
 当然、華黒だ。
「兄さんの運命の人は私をおいて他にはいません!」
 …………うん。
 妹よ。
 多分そう言うとは思っていたけどここは公衆の面前だ。
「何よー。別にグロちゃんはシロちゃんの恋人じゃないんだから話に入ってこないでよー」
ナギちゃんも噛み付かないで!?
「誰がグロですか!?」
「真白ちゃんがシロちゃんなんだから華黒ちゃんはグロちゃんでしょー!?」
「許容できるはずないでしょうに!?」
 怒りもあらわ。
 二人そろって机に身を乗り出すようにして立ち上がると、接吻できそうなほどの近距離でにらみ合う。視線で人を殺そうかといわんばかりだ。ナギちゃんはともかく華黒のほうはこうなってしまうともう止まらない。僕は諦めてさじを投げた。
「(ああもう好き勝手にやってくれ。何だか他の客の迷惑になってるような気もするけどこの際だから両方とも店員に怒られてしまえ)」
 聞こえないように呟いてから、僕は残り少ないシェイカードリンクを殲滅にかかる。
「はいはいクロちゃんクロちゃん。わかったら私とシロちゃんの邪魔、しないでよねー」
「邪魔をしているのはどちらです。まだ干支が一周してもいない子供が恋愛ごっこで一人前のつもりですか。見苦しい背伸びにしか見えませんよ」
「子供っていうならクロちゃんも未成年でしょー。だいたい恋愛に年齢なんて関係ないじゃない!」
 ……それでも小学生は無理だと思うな。
「ええ、愛さえあれば全ての障害は水に濡れた薄紙も同然です。たといその愛が倫理に反していようとも!」
 ……一応反社会的という自覚はあったんだね。
「だったら私とシロちゃんでも問題ないでしょー!?」
「生憎と兄さんは私の人生の伴侶となる人です! 横からの攫いはやめてもらいましょうか!?」
「むー、どうなのシロちゃん!」
「どうなんですか兄さん!?」
「ふぇ!? 何?」
 唐突に話をふられる。
 我関せずとシェイカードリンクをドリンクしていたため、いきなりな質問に戸惑うしかなかった。けれども二人はそんなことなど一切気にせず問い詰めるようにズイと迫ってきた。
「クロちゃんのこと好きなの!?」
「私のことどう思ってるんですか!?」
 顔近いよ二人とも。
「ええと……突然何を言い出すのさ。喧嘩なら二人だけで――」
 などという話題逸らしは、
「「むーっ」」
 どうも二人には通じないみたいだ。僕は諦めて嘆息をつく。
「そりゃあ華黒のことが好きかどうかっていうなら……」
 もちろんのこと、
「大好きだよ。当たり前じゃないか」
「は、はわ……!」
 プシューッと音をたてて華黒が湯だった。
「ちょっと何さ、その反応。いつも僕に好きだなんだと言ってるくせに」
「いえ、まさか躊躇なく言われるとは思ってもみなかったので」
「別に躊躇うところじゃないしね」
「(そういうところ、本当にズルいです……)」
「何か言った?」
「いえ、何も」
 華黒は不満そうにそっぽ向いた。
「うー、なによぉ……」
 そして不満そうな声がもう一つ。
「クロちゃんは妹なんでしょー。シロちゃんはお兄ちゃんなんでしょー」
 見ればナギちゃんが可愛らしく口を尖らせていた。
 納得いかないらしい。
 当然といえば当然、というのは自惚れだろうけども。
「……シロちゃん恋人いないってゆったじゃん」
「確かに」
「恋人不在暦=人生だってゆったじゃん」
「確かに。……ナギちゃんに教えた覚えはないけど」
「私を恋人にしてくれるってゆったじゃん」
「確か…………」
 ん?
「それは言ってないような……」
 危うく頷きかけ、ふいの違和感に我に返る。何の冗談かとナギちゃんに目で問うも、
「…………」
 彼女は無言でくさるような表情を保った。むくれている顔がお饅頭みたいで可愛らしくもあったが、女の子に対する褒め言葉ではないので黙っておく。
「…………」
 そのまま僕は少女の言葉を待った。
 無言。
 しばし静寂の後、
「……ちっ」
「舌打ち!?」
 かすかにはぜるような音には濃厚な忌々しさが聞いて取れた。もしかしてあのまま相槌をうっていれば、そのまま既成事実にされていたのだろうか。
「……あのね。そういう悪質な真似はしちゃ駄目だって習わなかった?」
「愛されてる証拠だよー」
 自分で言えば世話はない。
「(華黒と同じく人の手首切り落として手形に印するタイプか)」
「失礼なことを言わないでください」
 蜂の羽音ほどに小さい声だったはずなのだけど、どうやら華黒には丸聞こえだったらしい。
「いたた、痛い痛い。耳引っ張らないでよ華黒」
「知りませんし聞きませんし自業自得です。だいたいにしてデートの途中だということを兄さんは忘れていませんか? この子の世話ももう十分でしょうし、早く本来の目的に戻りましょう?」
「本来の目的?」
「私と兄さんの愛を確かめ合うことに決まってるではありませんか」
「ああ、兄妹愛のね」
「その辺りの見解の相違はこれから埋めていくつもりですので。では行きましょう」
「待ってよ華黒。さすがにナギちゃんを一人置いていくなんて……」
「いえ、お二方はそのまま立ち去られて結構でございます」
「そういうわけにも……って、誰?」
 思わず返してしまった後に、それが華黒の言葉でないと気付く。
 いくらが華黒の口調が馬鹿丁寧とはいえ「ございます」なんて使わない。何よりその声は野太く、静謐で、落ち着きがあった。
 会話の流れにさらりと介入してきた第三者。
 その声主を探して首を振れば、
「誰です?」
 華黒の誰何の先、僕たちが座っているテーブルのすぐ横に見知らぬ青年を見つけることができた。
 いやに背の高い男だ。一目でそれわかるほどの長躯で、座ったままの今の僕では意識的に顔を上げないと視線が合わないほどである。とはいえ大男というわけでもなく、声の太さに比べればヒョロリと細長い印象を受けた。
 しかしそれ以上に、
「獅子堂と申します。見ての通り、しがない使用人でございますね」
 完璧にセットされたオールバックと漆黒のスーツこそが圧倒的第一印象と言ってよかった。
 使用人とのことだけど、まさに執事然とした出で立ち。若者がたむろす店内の中で完全にういている。まるでカラフルなカンバスに間違って墨をこぼしたかのような不自然さだ。店内の誰もが思っていることだろう。
 場違い、と。
 けれども当の本人は集まる視線など何するものぞと気にした様子もなく、ただ困ったような視線を目的の一人へと注いだ。
 ナギちゃんだ。
「お嬢様、こんなところにおられたのですね。そのような庶民の服にまで召し変えられて」
「……ったく。早い対応ね、獅子堂」
「それが務めですので」
 慇懃に一礼する獅子堂さん。
 ええと、どうやら二人はお知り合い?
 そしてナギちゃん、さっきまでの子供っぽい口調はいずこへ?
 ……っていうか、え?
 
 “お嬢様”?

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