超妹理論

『デートしましょう』後編


 基本的に僕らの住む場所は目に見えて都会というわけではない。とはいえ、ちょうど二駅向こうに立派な都会様があるだけに、目に見えて田舎ということにもならない。しいて言うなら“準都会”といったところか。駅の周りだけなら商業、オフィスビルが立ち並び、少し離れた場所にはショッピングモールもでかでかと居座っていたりするので、特に切符を買わずとも遊ぶだけならここで事足りる。
 ので、僕としてはそうするだけだ。
 究極的には牛乳さえ買えればいいのだからわざわざ駅まで行く必要もないのだけど、そこはそれ、日曜日の午後を潰すに散歩というものはちょうどいい作業なのだ。
 そろそろ駅も近いのか。歩く道の右と左では民家とオフィスビルが対照的に並び、アシンメトリーな構図を作り出していた。
「〜♪」
「……上機嫌だね」
 ちなみに妹が同伴しているのだけど何が嬉しいのか終始笑顔を崩さない。僕と並行しながら時々思い出したかのように僕の顔を覗き込んで悦に浸る様は、微笑ましいを通り越してひたすらに不気味だ。
「たかだか散歩で喜ばれても」
「たかだかだなんてそんなこと。兄さんは兄さんと添い歩くことの素晴らしさをわかっていないからそんなことが言えるんです」
 そりゃ本人にはわからないだろうさ。
「それはそれは喜ばしいことなんですよ?」
 華黒は全身で陽光を受け止めるかのように両腕を開き、そのままクルリと回ってみせた。上には濡れ羽色の長髪が、下には真っ白なフレアスカートが、それぞれ遠心力でひるがえる。一つ回りきってピタリと止まると、こちらを振り返って笑んだ。艶やかな黒髪が本人ほど止まりきれずに波を打った。
 演技くささが鼻につく仕草、のはずなのだけど華黒にかかれば一枚の絵になってしまう。
 形のいい唇が僕に向けられる。
「見てくださいな。気持ちのいい春の日差しです。まるで兄さんと私を祝福してくれているかのような」
「詩的だけど恣意的すぎないかな、それは」
 道の往来で何を言ってるんだか。
 大通りを歩いているわけではないので人目は少ないのだけど、だからといって許容できるものじゃない。ちらほら突き刺さる懐疑の視線が僕には痛い。
 対して華黒は当事者であるのに気にしてない。人前であるにも関わらず猫を被っていないということは、これ相当に浮かれてる証拠だ。
「まさにお出かけシーズン、小春日和の穏やかな日といったところでしょうか」
「あなたの優しさがしみてくるって、アキザクラは秋に咲く花だよ?」
 春のような秋≠フ穏やかさ故に小春日和だ。
「……では小秋日和ということで」
「そういう問題?」
「もうっ! せっかく男女仲睦まじく歩いているのに水をささないでくださいな」
「それをいうなら兄妹仲睦まじく、だね」
 怒ったそぶりを見せながらさりげなく腕を組もうとしてきた華黒をヒラリと避ける。
 僕ながら見事。
 空を掴んだ華黒はそのまま二歩三歩たたら踏んでから、バランスをたてなおすと僕のほうをジトーっと睨んできた。
「何故避けるです」
「いちいち腕を組む必要なんてどこにもないから、かな?」
 あさっての方を向いたままわざとらしくピウと口笛一つ。
「むー」
 半眼だった瞳がより一層不満げに細められる。まるで獲物を狙う猛禽類だ。
 対する僕は、呆れの視線。
「年頃の女の子は父兄を避けるって聞いたことがあるんだけど」
 例えば風呂は先に入りたがったり、洗濯も別々にしてほしかったりと。
「なんで華黒に限ってくっつきたがるんだか」
「今更何を。兄さんさえ望めばいつだってお背中流して差し上げますよ? だいたいそうでなくとも私は兄さんの下着を洗っていますし、兄さんだって私の――」
「人前で何言ってるの!?」
 人通り少ないとはいえ零ではないのだ。しかも華黒の声量には躊躇いがない。
 思わずながら口を塞ごうと腕を伸ばす。
 が、その腕に待ってましたとばかりに飛びつかれた。
「隙あり♪」
 罠だった。
 伸ばした腕は関節ごとからめとられ、勢いでダンスのようにお互い一回転。次の瞬間には僕の右腕に華黒が抱きついてしまっていた。
「えへへぇ♪ まだまだ兄さんは甘いですね」
 してやったりと喜ぶ妹。
 腕に柔らかい感触が……じゃない。
「いつの間にこんな技を?」
「妹というのは兄のために日々進歩し続けるものなのです」
「それはそれは」
 どこら辺が“兄のため”と言ったところか。
 ため息。そして歩き出す。
 半ば諦めの感情が生まれているのは、過去の経験則に基づいた僕の適応能力のおかげだ。
 必要以上に寄りかかってくる華黒を引っ張るようにえっちらおっちら足を動かす。
 傍から見れば何の戯れかと疑うところだろう。事実、横切るドライバーさんが前方不注意も気にせず僕ら二人を凝視してきたり。
 さすがに視線が痛い。
 そして何より重い。
「それで華黒、いつ離してくれるのかな?」
 僕は心持ち大げさに疲労の声をあげる。
 甲斐性なしと言わば言え。人一人というのはそれほど軽くないのであった。
「うーん、兄さんがこれからもよく腕を組ませてくれるのなら、この場は諦めてもいいのですが」
「これからもって……」
「もちろん登下校に」
「却下」
 一も二もなく不採用。
 今でさえ嫉妬と非難の嵐だというに、これ以上状況を悪くしてどうすると。おそらく三日と命がないよ。今でさえ学校の連中に見つからないか不安なのに。
「では次にいつ来たるかもわからない幸福を存分に享受することにしましょう」
 言葉は行動に。
 華黒がそう言い終えた瞬間、右腕に張り付いた圧迫感がさらに強くなる。
「だから華黒、歩きにくいって」
「愛の重さです」
「自重で潰れそうだよ」
「真白兄さんとなら歓迎ですよ」
 ええい。何を言っても通じないものらしい。
「まったく我が家の妹は……」
 とは言いつつ実は嫌じゃないなんて思ってしまうあたり僕もどうかしている。
「言っておくけど、大通りに出るまでだからね」
「はいな。だから大好きですよ兄さん」
 結局こうなるんだ。
 僕は眉間の皺をつまんでもう一度だけ盛大に溜息をつくのだけど、華黒は意に介した風もない。
 また一つ自動車が僕らの横を通り過ぎる。白の軽。段々と車の行き来が多くなってきたような気がするけど、これも駅に近づいている影響だろうか。心なしか僕ら以外の歩行者も数を増やしているように思う。
「つまりこのままじゃ大通りに出る前でも華黒ファンに見つけられる可能性があると思うんだ」
「いいじゃないですか。見せつければ」
「兄妹仲良くしてるところを? なんて言い訳するのさ」
 妹と腕組んで歩きながら牛乳買いに遠出してますなんて思春期の学生にどう通じるっていうのか。連中は自分達が恋に焦がれる盛りなだけに、他人に対してさえ男女の片鱗が見えれば猫も杓子も関係なく恋愛話に繋げたがるのだ。そしてそれが華黒ファンクラブの会員だった場合、先の情熱はまるごと僕に対する殺意ととってかわる。不条理だけどどうしようもない。それは今までの経験で散々骨身にしみている。
「とはいえ、じゃあ牛乳の代わりに何を買いに行けばこの状況に言い訳できるのかっていうと……」
「無駄な考え休むに似たり。何を買うためだろうと通じない気がしますけど」
「やっぱり?」
 つまるところ見つからないように祈るしかないということか。
「ところで」
 ふと思い立つ。
 そういえば。
「結局、華黒は何を買うのさ?」
 よく考えればまだ彼女の目標を聞いてなかった気がして、なんとなくながらに尋ねてみた。
 僕は牛乳一パックにしても、華黒だってウィンドウショッピングというわけではないはず。飾り立てることを好まない華黒にあって服や小物ということはないのだろうけど、ではいったい何なのか。いくら兄とはいえ、ヒントもなしに妹の目的を絞り込めるほど僕らは通じていない。
 ……などと言いつつペナルティ三回までなら結構正解できる自信はあったりするのだけど。
 そんな僕の内心知ってのものか。華黒は僕を見てとびきり意地悪そうに笑っていた。
「何さ?」
「いいえ。聞かれなかったので言っていませんでしたけど、本当に私が買うものを知りたいんですか? 本当に?」
 腕を組んでいる必然、僕の肩辺りから見上げるようにして華黒が問いかけてきた。そんな彼女としばし目を合わせ、それから空を見上げてあからさまに「ふーむ」と唸ってみせる。
 春の日差しと流れる雲。駅に近づくほどにだんだんと背の高いビルが主張し始め、空の面積を狭くする。
 しかし、なんだね。
「聞きたいかと聞かれたら実はそうでもなかったりするから不思議だね」
「…………っ!」
 選択を誤ったらしい。
 妹の笑顔が一転、不機嫌に。圧迫。絡みつかれた右腕はまるでボアの如くギチギチと締め付けられる。
「痛い痛い痛い痛い。何だってのさ」
「減点です」
「何が!?」
「何でもが、です……」
 どうやら聞いてほしかったようだ。天邪鬼な奴めい。
「あーはいはい。華黒が買おうとしているものを是非ともお兄ちゃんに教えてくれないかな?」
 いかにもめんどくさそうに言ってやる。またしても妹が不満そうに顔をしかめるけど、いつも僕がされていることを省みれば、この程度の反撃大目に見ても罰は当たらないはずだ。
「だいたい何ゆえ僕が責められるのさ。華黒が買うものなんてそれこそ参考書かCDか、もしくは今日の夕飯の食材くらいでしょ。ああ、洗剤か調味料でも切れてたっけね?」
 そんなもの。
 その程度のものだ。
 必要以上に高価な服。ブランド付属の小物。アクセサリー。香水。女性向け雑誌。どれもこれも華黒にしてみれば一笑に付す対象でしかない。
 などと思っていたのだけど、華黒は呆れたような表情になっていた。組まれていた腕の一本をほどいて――それでももう一本は離すまいとさらに強く締められたが――まるでそれが教鞭でもあるかのように振りかざした。
「全て的外れです兄さん。時折真白兄さんは私を若年寄かなにかだと勘違いしている節がありますけど、私だって年頃の女の子なんですよ?」
 ビシッと人差し指を突きつけられる。
 どうやらことごとく不正解らしい。
 “三回までのペナルティなら”も案外僕の自惚れのようであった。
「それほど通じ合えてるわけでもない、か」
「何のことです?」
 自嘲のように言った言葉が華黒に拾われた。
 けれど僕に説明する気はない。これで「然然というわけで僕と華黒はあまり通じ合えていないんだね」と言った瞬間、華黒の買い物リストに参考書かCDか夕飯の食材が追加されることだろう。それは面倒くさい。そしてそれ以上に、華黒に、僕との関係でムキになって欲しくない。
 だから誤魔化す。
「いや、ないね。で、結局何を買うの?」
 尋ねた僕に返ってきたのは、とびきりおかしそうな笑顔。声を上げて笑う一歩手前な笑顔だった。
「何さ?」
「いいえ、楽しみにしていてくださいな。それはとてもいいものですから」
 そういって満足したのか、妹は両手を使ってさらに強く僕の腕につかまった。結局明らかにする気はないらしい。僕の右肩に頬を摺り寄せている猫のような妹を、僕はうさんくさげに見下ろす。
 しかし、いいもの、ね。
 年頃の女の子らしいものかつ華黒が買いそうなものかつとてもいいもの……。
 すさまじく嫌な予感がするのは僕の気のせいかな。

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