合掌。 「ご馳走様でした」 「お粗末さまでした」 互いに礼。 時間は昼。場所はアパートのダイニング。 二人そろって頭を上げると、ハノイの塔よろしく大きい食器から順に積み上げていく。 「けぷ……!」 思わず。 食事と一緒に嚥下した空気が、おくびの音と跳ねた。 「失敬」 「いいえ。兄さんに食べ終えてもらった証明です」 「うん、とても美味しかったよ。華黒」 実家暮らしと比べれば二回りほど狭いダイニングで、僕は満腹に息をもらした。パンケーキとじゃがいものポタージュに、足りない栄養素を補うためのサラダ。ただ出されただけでも十分だというに細かいところまで手作りを貫き通されていて、満足のいく食事だった。休日は料理にあてる暇があるからだろうけど、それにしても意気込みがいつもと違う。 「わざわざスープまで自分で作らなくても」 粉末でいいと思う僕がおかしいのだろうか。 「あまり既製品に頼りたくはないんですよ。愛しい人に食べてもらうなら、手料理こそが相応しい。そうは思いませんか?」 「……ノーコメント」 なるほどと思う反面、さっきまでの感心が薄れてしまう。 こめかみを指で押さえて目を伏せた僕の内心を華黒は正しく読み取ったらしく、反論するようにこちらを指差した。 「けれども兄さんだって料理の出来る女性はポイントが高いのでしょうに」 「まぁ……ね……」 そりゃそうだけど。 「私ならいつでもお嫁にいけますよ?」 「残念ながら珊瑚でこさえた赤い指輪は持ってないかな」 「いいえ、そんなものは望んでいません。私の、私の兄さんならわかるでしょう?」 重ねた食器の向こうから、ズイと顔を近づけてくる妹。 「こ、困るよ……」 「逃げないでくださいな。恐れないでください。しっかり私を見据えた上で、生涯二人で寄り添う未来を想像してみてください。それは……そんなに忌避すべきことですか?」 「あ、う……」 そんなわけがない。 甘すぎるが故に毒々しい、それはそんな想像だ。 黒水晶のような華黒の瞳がさらに近づいてくる。 「それとも兄さん、私をいかず後家にするおつもりでは」 「何で二択なのさ!?」 ていうか昼間から兄妹で話す内容じゃない。 「心外ですね。私が真白兄さん以外を――」 「ちょっとストップ!?」 右手で強引に華黒の口を塞ぐ。 まともに言い返してたら僕じゃ勝てない。 そのまま華黒の顔を押し戻すと、先ほどまでの位置にセットしなおしてあげた。 当然のように妹は不満がる。 「あぁん、もうっ! 兄さんは意気地なしです……」 いや、当然というわけじゃないな……。 妹なんだし。 「その議論は今度にしようよ。せっかく華黒の料理を食べた後なのにあまり頭を痛ませたくないからさ」 「さらりと失礼なことを言われた気がしますけど……」 不満がる華黒を無視。 それよりも食後の一杯だ。 僕の食器もまとめて洗い場に運んでくれる彼女を横目に、牛乳を飲もうと冷蔵庫を開けはなった。 「おや?」 腰を屈めて疑問符一つ。 目的のブツが見つからない。昨日まで半分は残っていたのに、今はもう跡形もなかった。 「華黒」 「なんですか兄さん」 「僕の牛乳は……っとそうか。スープか」 聞くまでもなく心当たりに辿りつく。 華黒ほどではないにしろ僕も料理に心得はあるのだ。いや、例えそうでなくともポタージュを一から作ったと聞いていたのだから、これは予想してしかるべきだった。 「すみません。切らせてしまいました」 そして律儀に謝ってくる妹。真摯な態度は結構なことだけど、あれだけ美味しいものを作っておきながら謝罪だなんて、寂しいことをしてくれるじゃないか。 まったく……うい奴め。 「華黒の責任じゃ全然ないよ。スープは美味しかったから、ありがとう」 代打の麦茶を取り出して冷蔵庫を閉めるついで、片手間にひらひらと手を振ってみせる。 「しかし、そうだね」 コップに茶をそそぎながらふと思う。 これは一つの口実かもしれない。最終目標は牛乳としても、散歩がてらに買い物でもしようか。 見れば窓の外はどこまで突き抜ける青空が。気象庁などに頼るまでもなく快晴の判断に狂いはない。 ビバ、スプリング。 対人関係のほうも今日は問題なし。休日に遊ぶような友人は一人しかいないし、その一人も「今日は姉のデートをサポートしなきゃならん」と涙にむせびながら語っていた。や、弟のサポートが必要なデートというのも想像がつかないのだけど。 ともあれ、 「兄さん、お昼からの予定は?」 「んー、何もないよ」 つまりはそういう結論に達してしまうわけだ。 「誰かと用事があったり、など」 「わかってて聞くかな。生憎と友達作りは下手なほうで。瀬野二に入学してまだ一ヶ月なのに、休日遊んでくれるような友達は作れないよ」 「統夜さんは?」 「昴先輩に付き合わされるって泣いてた」 「…………」 あ、黙った。 さすがの華黒も昴先輩の話は避けたいのか。 「そんなわけで、このお兄ちゃんは暇なのです」 てきとうに薄着のジャケットでも羽織って駅前にでも繰り出そうかな、なんてぼんやりと暇つぶしの過程を組みながら麦茶を一口。 「では私とデートしませんか?」 「んぐっ!!」 突発的なアクシデントに麦茶が逆流する。 「……! ……っ! ……んっ! ふはぁ……」 堪えた。 鼻の奥が痛いけど。 「ふふふ、華黒は僕の不意をついたつもりだろうけどね。そう毎度毎度吹きだしてなんかいられないよ」 「せめて鼻の麦茶を拭き取ってから勝ち誇ってくださいな」 呆れられたうえにティッシュまで手渡されてしまった。 どうにも僕の行動が華黒の予想を超えることはないらしい。 「さて、改めまして。私とデートにいきませんか?」 何をいけしゃあしゃあと。 顔を拭きながら華黒をジト目で見やる。 「一人で行ってきてくれていいよ」 「却下です。デートしませんか?」 「ノーサンキュー」 「デートを」 「いえいえ」 「デート」 「…………」 どれだけ拒絶しても聞く耳を持たないらしい。 「暗黙は了解と受け取りますよ?」 「しつこい奴だな君は! そろそろ前提が間違ってることを認めなよ! そも何でデートなのさ!?」 「おかしなことを聞きます。休日の恋人の嗜みだからに決まっているでしょう」 「それが間違った前提だって言ってるんだけどな!?」 「ええっ!?」 「君に驚く権利は絶対無い」 なんで僕のほうが間違っているとでも言いたげなんだよ。 恨みがましく睨むものの、華黒は表情をケロリとしていて省みることがない。どころか余計面白がるようにクスクスと微笑された。 「とまぁ兄さんをからかうのはこれくらいにしまして、どうです? 天気もいいですし、駅のほうまで行ってみませんか?」 「そうだなぁ……」 仮に華黒と一緒に出かけるにしても、駅の方面を目指すというのなら先ほどの僕のプランと大差はない。 つまりデートというから印象が悪くなるのではないだろうか、と考え直してみる。 「“妹”と“お買い物”ならしてもいいかな」 この辺りが妥当だろう。 「肩書きが変わっただけじゃないですか」 「建前が力を持つことは事実でしょ」 例えば“よろしくお願いします”と書かれた置手紙と磨かれた包丁とがあったとして、その付属品がキャベツなのか、はたまた人の写真なのかで意味はずいぶんと違ってくる。 世の中ってのはそういうものだ。 華黒も納得したように頷いた。 「つまり建前はどうあれ私とデートしてくださるんですね?」 「つまり真実はどうあれ華黒の買い物には付き合ってあげるよ」 「あは、十分です。では四十秒で支度しましょう」 「そんな無茶な……」 まだ洗い物も終わっていないのに。 でも、まぁ……こんなことで喜んでくれるのは兄として嬉しかったりも、なんてね。 |