ご主人様と呼ばないで

二学期開始、3


「くあ」
 欠伸を一つ。
 それから眠気眼をしぱしぱさせながらコーヒーを飲む。
「ん〜……」
 カフェインが効くのも時間がかかる。
 この際眠ってしまおうかとも考えたが監視役がうるさくなるのは目に見えてるので、それが抑止力となりなんとか睡眠には至っていない。
 場所は武術研究会の部室。
 時間は午前十一時。
 正確には十一時も正午になるのだが……その辺りを掘り下げても誰も得をしないので閑話休題。
 さて、
「ん〜」
 と再度唸る。
 コーヒーを一口。
「腐ってますね」
 一刀両断。
 快刀乱麻。
 清々しいまでにこき下ろされた。
 誰に?
 花々に。
 珍しいこともあるもので、今……武術研究会の部室にいるのは俺と花々の二人だけだ。
 ほんに珍しかぁ。
 などと方言になってしまうほど珍しいのである。
 ちなみにスケジュールとしては雪柳学園高等部文化祭を明日に備えた土曜日……それが今の状況だ。
 明日の日曜日が文化祭となる。
 雪柳学園大学主催でやる七夕祭りとは違い細々としたささやかなお祭りである。
 規模としては申し分ないんだが……さすがに大学主催の七夕祭りと比べるとどうしても……な。
 で、何故俺が腐っているかというと……正確には花々に腐っていると言われているかというと……明日の本番に向けてクラスメイトたちが一致団結して事にあたり丁寧に粛々と準備を進めメイド喫茶を成功させようと息巻いているのを放っておいて一人部室でコーヒーを飲んでいるからである。
 広義的な意味でのサボタージュだ。
「クラスの催し物に参加しなくていいんですか?」
 花々が、こちらもコーヒーを飲みながら問うてくる。
「まぁやることもないしな」
 真実だった。
 悲しくなるけど負けないもん。
 ひそやかに心で涙する俺。
「やることくらいあるでしょう?」
「ないな」
 いっそさっぱりと言ってやる。
 少なくともクラスに俺の居場所はない。
 誰より俺自身がそれを一番理解している。
「何故です?」
「疎まれてるから」
 単純にして明朗、単調にして快活な俺の言葉に、
「…………」
 花々は沈黙した。
「…………」
「…………」
 コーヒーを飲む俺と花々。
 それから、
「虐められてるんですか?」
 おずおずと花々が問うてくる。
「そういうわけじゃ……」
 ないんだがな……。
 コーヒーを一口。
「では何故?」
「かしまし娘のせいだ」
「かしまし娘?」
「あー……」
 そう言えば勝手に俺がかしまし娘と呼んでいるだけであって花々に通じないのはまっこと道理である。
「アキラと姫々と音々のこと」
「お姉様たちが原因?」
 さいだ〜。
「何故です?」
「…………」
 それを聞くか?
 普通……。
「アキラと姫々と音々をはべらせてんだ。男子にしろ女子にしろ愉快な映像には映るはずもないだろう?」
「まぁそれについては花々も軽蔑してますし……」
「でっか」
 いっそ清々しい。
「ならわかるだろ? 俺が教室で作業してるとアキラや姫々や音々が寄ってきて俺を手伝おうとする。というかフォローに全力でまわる。俺がいくら『自分で出来る』と言っても聞きゃしねぇ。そういうことだ」
 コーヒーを一口。
「…………」
 それは花々も同じだった。
「つまり疎まれていると」
「さっきからそう言っている」
「ふうん?」
「ちなみにお前も無関係じゃないからな?」
「あー……」
 それだけで花々は理解したらしい。
「面目ない」
「気にしちゃいないがな」
 コーヒーを飲んで俺は言う。
「つまりアキラと姫々と音々と花々とをはべらせている人類の天敵が俺なんだよ。嫌われるのもしょうがないって云うか業と云うか……」
「心中お察しします」
「お前に言われてもな」
 皮肉気なのは勘弁してほしい。
 それだけのデメリットを俺は花々から受けている。
「教室は居心地が悪いんですか?」
「文化祭の間だけだ。通常授業に戻ったらかしまし娘が相手してくれるし」
「つまり現状はぼっちだと」
 嫌なところを突くな……花々はよ。
 苦笑してしまった。

    *

「はい。ステーキ弁当」
 引き続き文化祭を明日に控える土曜日。
 その正午十二時。
 昼休みに入ったかしまし娘が武術研究会の部室に集まった。
 で、今日の俺の昼食はアキラのお手製でも姫々の弁当でもなく音々のケータリングになるのだった。
 佐賀牛を使った一品だ。
「ありがとな音々」
 クシャクシャと音々の黒髪を撫ぜると、
「あはは」
 と頬を赤らめてくすぐったそうにする。
 可愛いな。
 お前はよ。
 アキラと姫々は各々の弁当を取り出す。
 花々は購買の……文化祭前の最終準備の日ゆえか購買部も仕事をしていた……パンやおにぎりを揃えていた。
 俺はステーキ弁当に手をつける。
「ほお」
 そしてその味に感嘆とした。
 柔らかく。
 口内で解けて。
 かつ肉の味は濃厚で。
 全てにおいて上級の味わいだった。
「どう? 日日日……」
「美味い。それも極上に」
「そっかそっか」
 音々は嬉しそうだった。
 俺のご機嫌なんぞとらなくとも、お前ならより取り見取りだろうに……。
 言葉にはしないが。
「ところで」
 これは花々。
「なぁに花々?」
 これは音々。
「武術研究会は何もしないんですか?」
「…………」
 今更それを言うか?
 明日が文化祭で準備どころか構想すら成り立っていないんだぞ……。
「そもそもにして武術研究会を作ったのは逃避だからなぁ」
 それが俺の答えだった。
「逃避?」
「逃避」
 俺は頷く。
「かしまし娘を連れて校内を練り歩いていると嫉妬の視線にさらされるんでね。人目につかないスペースを欲したのが始まりだ。前に言っただろ?」
「でも他の部活は催し物をしてますよ?」
「よそはよそ。うちはうち」
 そもそも今から何をしろと?
「はい!」
 と快活に言葉を発したのは音々だった。
 挙手までしている始末だ。
「何だ?」
 俺が問う。
「催し物……考えた!」
 嫌な予感しかしねぇ。
 だが無視するわけにもいくまい。
「何だ?」
「セルゲーム!」
「…………」
 この沈黙は俺のモノだけじゃない。
 音々を除く武術研究会の部員の総意だ。
「セルゲームってなんですか?」
 花々が至極真っ当な質問をする。
 知らんか。
 知らんだろうな。
「僕が一対一で対戦者を募って勝った人に褒美を与えるっていう催し」
 だろうな。
「どうかな?」
「却下」
 一息に俺は言った。
「なんで?」
「本音としてはアホらしいからだが、それよりまずセルゲームをやるスペースが確保できない」
「空手部のスペースを借りればいい。裏工作は得意だよ?」
「空手部は空手部で演武の披露をする予定だ。譲るはずもない」
「お金を握らせるよ?」
「そういう反則は俺は嫌いだ」
「あう」
 ショボンと音々が項垂れる。
 そもそもにして、
「お前は教室でメイド喫茶を切り盛りしなきゃならんだろう? セルゲームなんてやってる暇はないだろうが」
「何とかするよ?」
「しなくていい」
「僕に勝てば百万円……とか言えば客が集まると思うんだ」
「しなくていい」
「うーん……名案だと思ったんだけど……」
 何を以てそう思った?
 つっこみたかったが我慢した。
 俺偉い。
「まぁ日日日とのデートもあるしね。時間がないのは道理だね」
 音々は自己完結したようだった。
「アキラと姫々もな」
「ふえ……」
「ふわ……」
 狼狽えるアキラと姫々。
 こいつらも可愛いな。
「私如きがいいのでしょうか?」
「日日日ちゃん大丈夫?」
 オールオッケーだ。
 食後のコーヒーを飲みながら俺は肯定した。
「女たらし」
 花々がそう呟く。
 否定は出来んがその当事者の自覚はあるのかお前……。
「…………」
 言わぬが花だろうが。

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