ご主人様と呼ばないで

花々問答、1


 寝ていた俺を起こしたのは目覚まし時計でもアキラでもなかった。
 スマホのけたたましい音色だ。
 スウェアリンジェン。
 無理矢理覚醒させられる。
 こういう時、聴覚は不便だと思わされる。
 どこかに都合のいいことだけを認識する耳は無いものか。
 ともあれ、俺が寝ぼけた頭で感じたことは、
「うざい」
 の三文字だった。
 放っておけば相手も諦めるだろう。
 既に課題は終わらせている。
 夏休みいっぱいは寝て過ごすことに決めていた。
 アキラにも、
「昼まで起こすな」
 と言い含めてある。
 姫々は、
「駄目だよそんなの」
 と言っていたが知ったこっちゃないね。
 スウェアリンジェンの楽曲が鳴り終わり相手が諦めたことを悟ると、俺はまた微睡に意識を任せようとして、しかして再度のスウェアリンジェンの楽曲の演奏にてたたき起こされた。
 そんなことが五回も続けばさすがに寝てはいられなくなる。
 馬鹿かこの発信者は……。
 しぶしぶながら起きてスマホを手に取る。
 とは言っても手の届く範囲であるから、ベッドに寝っ転がったままだということに変わりは無いのだが。
 ぼやけた頭で受信し、耳にスマホを当てる。
「もしもし」
 他に言い様もないだろう。
「何で一回目で出ないんです!」
「気づかなかったんだよ」
 嘘だが。
「くあ……」
 と欠伸が出る。
「で?」
「とは?」
「どちら様?」
「花々ですよ!」
 はなか……はなか……。
「ああ、花々ね」
 なんとか理解する。
「もしかして寝ぼけてますね?」
「まぁある意味でお前に起こされたんだからな」
 これくらいの風刺はきかせてもいいだろう。
 さて、
「で? 何の用?」
「ちょっと用事があります! 付き合いなさい!」
「やだ」
「何ゆえ!」
「眠いから」
「もう十一時ですよ!」
「知るかよ」
 けんもほろろ。
「要件があるなら今ここで告げろ。再度眠る間くらいまでなら憶えておいてやる」
「場合によっては実力行使にもなりうる案件ですから直接会いたいんです!」
「で、俺にどうしろと?」
「十五時にモール集合……それから話し合いましょう」
「十五時……モール……」
「そうです」
「じゃあ切るぞ」
「はい」
 そして通話を終える。
 スマホを投げ出して寝っ転がったまま目を閉じる。
 しかして、
「あー、うざい」
 キンキンとした花々の怒鳴り声が耳に張り付いて寝られなかった。
 しょうがないので意識を覚醒させる。
 目覚まし時計で時間を確認。
 十一時十一分。
 おお、ゾロ目だ。
 とまれ、
「しゃーないなぁ」
 俺はベッドを出た。
 さて、やることは決まっていた。
 姿見の前に座って、てきと〜に髪を梳く。
 それが終わると寝間着から……とはいっても古ぼけたバスパンだが……外行き様の服装に着替える。
 音々のくれたものだ。
 センスが良く重宝している。
 ティーシャツ。
 ジーパン。
 どちらもアメリカ製らしい。
 ブランド品だ。
 衣服については後進国ではあるものの日本ほどではない。
 そもそもにして衣食住が成り立っている日本ではあるが、どうも衣が疎かにされているような傾向がある。
 特権階級はともかく一般人は安く良い物を選びがちだ。
 食に関しては厳格。
 住に関しては慎重。
 衣に関しては奔放。
 それが日本民族の宿命なのだろうか?
 実際ユ二クロなどが幅を利かせているし。
 財布が軽くても粋に着こなす。
 そんな精神が欠落している。
 全員が全員とは言わないが。
 さて、
「ん、まぁ良かれ」
 姿見で自身を確認して俺は頷いた。
 欠伸を一つ。
 それから背伸び。
「ん〜」
 これで六割覚醒と云ったところだろう。
 眠いことは眠いが、既に意識は完全覚醒へと方針を転換している。
 これは不可逆だ。
 しょうがないから俺は支度を整えて、それから寝室を出るのだった。

    *

「おはようございます……《日日日様》……」
 アキラは……法華アキラは俺のことを『ご主人様』ではなく『日日日様』と呼んだ。
 俺がそう呼ぶように命じたという背景もある。
 本当は「様」もいらないのだが、
「日日日様を呼び捨てるなどとんでもありません……!」
 というアキラの言により妥協案がとられた。
「おはよう《アキラ》……」
 俺もまた法華アキラのことを『アキ』ではなく『アキラ』と呼んだ。
 それが契約。
 俺とアキラの。
 御盆以降のソレだった。
「少し早いですがご昼食になさいますか?」
 アキラはそう言ってきた。
「いや」
 俺は首を横に振る。
「昼食は十二時でいい。コーヒーをくれ」
「相承りました」
 一礼してメイド服姿のアキラがキッチンへと消えていく。
「むぅ」
 と呻いたのは俺ではない。
 当然アキラでもない。
 姫々だった。
 鳥の巣頭は相変わらず。
 泣きぼくろも健在だ。
 カジュアルな服装も……まぁ今更。
「美しい」
 ではなく、
「可愛らしい」
 と云った様子の美少女である。
 評価しては中の上といったところではあるが。
 さて、
「何か不満が?」
 皮肉ってやる。
「日日日ちゃん……アキちゃんのことをアキラって……」
「だな」
 飄々。
 どこ吹く風。
 柳に腕押し。
 のれんに風。
 少なくとも俺が遠慮する理由は一つもない。
 姫々は俺の隣に座って一緒にテレビを鑑賞する。
 当然リビングで、だ。
 アキラが淹れたものだろう。
 姫々は茶を飲んでいた。
 しばしテレビ鑑賞。
 夏のお盆休みも終結し、帰宅ラッシュがどうのこうの。
 テレビの中にいるニュースキャスターはそんなことを述べたてまつっていた。
「ところで」
 これは俺
「なに?」
 これは姫々。
「昼食は何だ?」
「冷麦」
「ん。夏らしくていい感じ」
 どうせアキラと姫々の共同作業だろう。
 俺に奉仕したいという点でアキラと姫々は相克する。
 悪いことではないが良いことでもない。
 妥協案だろう。
 俺にしてみれば愛情が胃に入るなら何でもいいのだが。
 そんなこんなでニュースを見ていると、
「どうぞ日日日様」
 とアキラがコーヒーを差し出してきた。
「あんがと」
「日日日様のためですもの」
 アキラは苦笑した。
「今日の昼食は冷麦の予定ですが……何か他にリクエストはありますか?」
「うんにゃ」
 俺はコーヒーをすすり否定した。
「アキラが作るなら何でもいいさ」
「日日日様……光栄です……!」
 安っぽいなぁ……アキラはさ。
「私も!」
 姫々が自己主張する。
「私だって日日日ちゃんのために頑張るよ!」
 あー。
 はいはい。
「よろしくな」
 クシャクシャと鳥の巣頭を撫でる。
「えへへぇ」
 とご機嫌になる姫々だった。
 本当にご機嫌な野郎だ。
 女郎か?
 とまれ、
「期待してるから」
 おべんちゃらでその場を誤魔化す。
 何だか悪者になった心地。
 いや、別に後ろめたいわけじゃないんだが。
 沈思黙考する俺に、
「日日日様……何か杞憂が?」
 アキラがさっと悟った。
「いや、別に」
 俺は肩をすくめる。
「ただ贅沢だな……って」
「冷麦がですか?」
 相も変わらずズレてるな。
 アキラはよ。
「アキラや姫々を独占していることが、だ」
「姫々様は可愛らしいお方ですものね」
 お前が言うか。
 それが率直な俺の感想だった。

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