ご主人様と呼ばないで

届かない声、3


 春と夏の間の夜だったと記憶している。
 まだ夜は冷え、春の星座が天に輝く季節。
 俺は携帯電話の歌うスウェアリンジェンの曲によって目を覚ました。
「あー……」
 高らかに歌う携帯電話を見ながら、
「何の用だよ」
 そんな独り言。
 寝る前にマナーモードにするのを忘れていたが相手が相手だ。
 スウェアリンジェンはアキラからのコールなのだった。
 ちなみに時刻は丑の刻。
「くあ……んむ」
 と欠伸をし、噛み殺し、ガラケーを開ける俺。
 アキラからメールが来ていた。
「こんばんは」
 そんな簡素なメール。
 メールを起動してカチカチとボタンを打つ。
 返信。
「こんばんは」
 そんなメール。
 しばらく待っていると更にメールが来る。
「日日日、起きてたんだ」
 返信。
「ああ」
「そっか。じゃあちょっとメールに付き合ってくれないかな?」
「電話しようか?」
 そう提案する俺に、
「喋るのはそんなに好きじゃないな」
 そう返される。
「…………」
 それは正しい自己観測だ。
 アキラの言葉は少し舌っ足らずだ。
 そもそも人間と会話をすることに怯えている印象さえある。
 ならメールの方がいいだろう。
 カチカチとメールを打つ。
「それで? 何の用だ?」
「アキラと日日日が出会った日のことを覚えてる?」
「そりゃまぁ」
「アキラのせいで日日日までずぶ濡れになったよね」
「お前のせいじゃないさ」
「本の弁償までさせちゃった」
「だからお前のせいじゃない」
「日日日は優しいね」
「お前にだけな」
 しばしアキラのメールまで間があった。
 こういう直球の言葉にアキラは弱い。
 そうとわかって言う俺も大概なのだが別に構わないだろう。
 恋人同士なんだから。
「それからだよね。日日日がアキラに優しくしてくれたのは」
「お前を見捨てるほど狭量じゃねえよ」
 きっかけは養護教諭なのだがそれは言わぬが花だろう。
「一緒のクラスになったのは奇跡だよ」
「だな」
 肯定を返しながら苦笑してしまう。
 それも策謀の結果だとアキラは気付いていないのだ。
 もっとも俺にもメリットはあったからアキラを責められはしないのだが。
「それから日日日はずっとアキラのことを守ってくれたよね」
「惚れた女を保護しないで何が男だよ?」
 また返信が遅れる。
 照れてる照れてる。
「日日日は優しいね」
「お前にだけな」
 さっきもこんなやりとりしたな。
「アキラね。欠陥を持って生まれたの」
 そんなメールが届いた。
「欠陥?」
「うん」
「お前に欠陥なんてあるのか?」
「オレンジの髪とオレンジの瞳」
「珍しくはあるが欠陥と言うほどでも無くないか?」
「アキラの両親は両方とも黒髪なの。だからこの世に生まれ落ちてからアキラは両親に疎まれた」
「ほう」
「アキラのお父さんはお母さんに浮気をして作った子供じゃないのかとつめ寄るの。お母さんはお父さんの言葉を否定しながらオレンジの髪と瞳を持ったアキラを虐待した。お前のせいで……って」
「家でも疎まれていたのか」
「うん。まぁ」
「なんで言ってくれなかったんだよ?」
「学校でも守ってもらっているのにこれ以上日日日に迷惑はかけられないよ」
「遠慮するな。なんなら俺の家に来ればいい。歓迎するぞ」
「ありがとう。やっぱり日日日は優しいね。でもいいの。これ以上アキラを守ってくれなくていいの」
「おいおい」
 俺はカチカチとメールを打つ。
「俺とアキラは恋人だ。俺はお前に惚れている。あるいは慕っている。なら俺にはお前を不条理と云う北風から守る必要がある」
「うん」
 肯定の言葉が返ってくる。
 さらにメール。
「でもいいんだ」
「何がだ?」
「日日日はアキラを守ってくれなくてもいいんだ」
「何言ってやがる。一人で泣くお前を俺に見捨てろというのか? 仮に立場が逆ならお前は俺を見捨てるか?」
「それは無いけど……でも……」
 遠慮がちに間が開いてメールが届く。
「アキラは十分日日日に守られた」
「これからも守ってやる」
「ううん」
 否定のメール。
「もう守ってくれなくていいんだよ」
「何を言ってやがる。俺がアキラを守らなくて誰がアキラを守るんだ?」
「日日日はアキラを守ってくれたよね」
「これからも守るさ」
「日日日はアキラを愛してくれたよね」
「これからも愛するさ」
「だけど……もういいんだ。アキラは十分日日日に愛してもらった。だから日日日はもうアキラを愛しなくてもいいんだ」
 返すメールの文面を考えているとアキラからメールが届く。
「人が人を愛するのは定量のモノだとアキラは思うんだ。だから定量の愛をこれ以上日日日に使わせるわけにはいかないよ」
「何を言っている?」
「日日日の愛をアキラは忘れない。惜しみなく降り注いだ日日日の愛をアキラは忘れない。だってそれは日日日が確かにアキラを愛してくれた証だから」
「まだまだこれからだろ?」
「だからもういいの。日日日はアキラに縛られなくていいの。それを言いたかった。結局……それが言いたかっただけなんだ」
「どうした? ちょっと変だぞお前?」
 俺は焦りを覚えていた。
 こんなメールのやりとりをしている時点で不安を覚えている俺だった。
「お前、何処にいるんだ? また嫌なことが起きたのか? だったら俺が慰めてやるから場所を教えろ」
 しばし間をおいて、
「学校」
 と返信のメールが来た。
 次の瞬間、俺は寝巻のまま家を飛び出した。
 自転車に乗って学校まで飛ばす。
 アキラが本当に学校にいる保証はなかったが俺はちっとも疑わなかった。
 閉められた正門をよじ登って学内に入る。
 同時に俺の携帯にメールが届いた。
「ありがとう。そしてさよなら。日日日は日日日の人生を歩んで。そしてその過程で……本当に大切な人を見つけて」
「学校まで来たぞ! お前何処にいる!」
「きっといる。日日日を絶望から救ってくれる人がきっといる。だからその人と日日日は幸せになって。きっと……きっとだよ? だからアキラは消えるね」
 最悪の予感は確固たる現実にとって代わる。
 俺が校舎に入ろうとしたその瞬間、グシャッと何かが地面に落ちる音が聞こえた。
 誰かが高い所から飛び降りて肉塊に成ったのがわかった。
 それが誰かは言うまでもない。
 城野アキラが……自殺したのだ。
 メールの内容とその過程からそんなことは自明の理だった。

    *

 一応のところ警察と救急車を呼んだ。
 即死だとわかっていたが、何をしないよりかはまだマシだろう。
 俺は救急車に乗り込んで病院まで付き合ったが、アキラの死亡が告知されるだけだった。
 わかっていたことだ。
 だから俺は衝撃を覚えることはなかった。
 それから警察に事情聴取というものを受けた。
 イジメを苦に自殺。
 それが結論であり事実だった。
 ガラケーのメールのやり取りも警察によって覗かれて、俺とアキラが恋人同士であり双方ともにイジメを受けていることが明らかになったが、
「何を今更」
 である。
 結局俺が殺人犯でもないが故に、それから学生であるという立場もあり、すぐに解放された。
 犯人でもない人間……それも子どもを徹夜で調べるわけにもいかなかったのだろう。
 そして俺はまた寝直して、次の朝が来た。
 父子家庭……男所帯故にずぼらな俺と親父の代わりに幼馴染の姫々が家事を取り仕切っている。
 学校ではイジメに巻き込まれることを恐れて俺とアキラに近付かなかった姫々だが、家では甲斐甲斐しく世話をしてくれる。
「だから何」
 って感じではあるが。
 それから別々に登校する俺と姫々。
 アキラはもうこの世にいないが姫々はまだソレを知らないのだ。
 故に俺から距離をとる。
 俺としても姫々まで虐められてはたまらないからこれでいいのだが。
 そして俺は登校すると教室の中央真ん前の席に座る。
 ボーっとする。
 何もする気にもなれなかった。
 当然といえば当然か。
 俺は一番大事なモノを失くしたのだから。
 アレは自殺だ。
 アキラが勝手に死んだのだ。
 そう言うのは簡単だが、ぶっちゃけた話……俺が殺したも同然だ。
 俺がアキラを追い詰めた。
 俺の優しさをアキラは抱えきれないほど抱えてしまい、そしてソレから楽になるために死んだ。
 追い詰めたのは俺だ。
 世間では自殺になるだろう。
 原因は虐めっ子だろう。
 だが俺は俺を断罪する。

 アキラは俺が殺したのだ。

 それが事実ではないにしても俺にとっての真実だった。
 チラと隣の席を見る。
 空白の席。
 アキラの席。
 その主君はもういない。
 そして朝のホームルームが始まる。
 担任の教師が教室に入ってきて挨拶も早々に、
「城野アキラさんが自殺した」
 と言った。
 どよめくクラスメイト。
「イジメを苦に自殺」
 とか、
「屋上から飛び降り」
 などと今更なことを言う教師。
 どよめくクラスメイトたちは何を思うのだろう?
 アキラの死に対して何を思うのだろう?
 憐憫?
 悲哀?
 感傷?
 そうじゃないかもしれないし、ソレも含めて全てかもしれない。
 それから教師は葬式の日程を伝えてホームルームを続ける。
 アキラが死んだことに無念を感じてもホームルームおよび授業は淡々と進められる。
 あっという間に四限目までが終わる。
 昼休み。
 俺は購買に顔を出してサンドイッチとコロネを買うと教室で無言で咀嚼、嚥下した。
「日日日ちゃん」
 と声が聞こえてきた。
 振り返れば姫々が傍に立っていた。
 俺はアキラの席を勧める。
 アキラはもういないのだから誰に断る必要もないだろう。
 姫々はアキラの席に座ると弁当を広げる。
「アキラちゃんのこと……聞いた?」
「聞いたさ」
「私に何が出来る?」
「何も出来んだろ」
「慰めもいらないの?」
「別れは済ませてるからな」
「……どういうこと?」
「アキラの自殺に立ち会ったんだよ、俺は」
「っ!」
「アイツは言っていた。もう愛してくれなくていいって」
「…………」
「まぁそれに納得できるかは別として……」
「…………」
「とまれ、事後のことはどうでもいいさ」
「葬式……明日の午後だったね」
「だな」
「一緒に行こうね?」
「俺は行かないぞ」
「そうなの?」
「ああ」
 サンドイッチを咀嚼、嚥下する。
「お別れはもう済ませた。今更葬式に行ったところで俺に出来ることはねーよ」
「でも……それじゃアキラちゃんが可哀想だよ」
「アイツは俺に悲しんで欲しくないから最後の会話をしたんだろ」
「最後の会話?」
「お別れの挨拶」
「…………」
 沈黙する姫々。
 妥当な判断だろう。
 おべんちゃらで誤魔化されるよりは心地よい。
「なんだか悲しそうじゃないね。日日日ちゃん……」
「ま〜ね〜」
「悲しいなら私に言ってね? 慰めてあげるから」
「気が向いたらな」
 そもそも俺とアキラが虐められているという現実に怯えて俺とアキラを忌避した姫々にしてもらえることなど有りはしないのだが。
 くつくつと笑う。
 笑う他ない。
 同情という感情がいかに軽いか。
 それがわかってしまったのだから。
 アキラが死んだということを胸の奥の宝箱に仕舞って……俺は笑うのだった。

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