ご主人様と呼ばないで

夏の決心、3


「ねぇ日日日……」
 露天風呂に音々と二人で浸かっている俺は音々の言葉に、
「何だ?」
 と気楽に答えた。
「ちょっと気になるんだけどさ」
 音々の瞳は真剣そのものだった。
 俺はしばし気圧される。
 ある種の狂気に近い感情が音々から放たれていた。
 それが何に起因するかが解らない俺は、
「どうした?」
 と答えるしかない。
 音々の真意がわからないが故だ。
 そして音々がジャブを放ってくる。
「姫々って可愛いよね?」
「…………」
 沈黙する俺。
「あれ?」
 音々は首を傾げる。
「違った?」
 違わない。
 そう言う俺に、
「だよね」
 と音々は頷く。
「アキも可愛いよね?」
「だな」
 認めざるを得ない。
 俺を慕ってくれる。
 それも純粋な想いで。
 これにやられない男など世界中を探してもいるまい。
「アキは途中からだけど……」
 音々は俺の腕に抱きつきながら言葉を続ける。
「でも点数稼ぎという一点においては突出している。」
「…………」
 まぁ否定はできない。
 なにせ「ご主人様」扱いだ。
 男のロマンあふるる女の子だろう。
 本人の自己評価は置いておいて……だが。
「花々も可愛いよね」
「そりゃまぁな」
 否定はしない。
 少なくとも音々に惚れこんでいる女の子としてはいい眼を持っているのではなかろうか……。
 そんな風に俺は思う。
 それを口にすると、
「うーん」
 と音々はうなって、
「そうじゃないんだけどな」
 と苦笑する。
 俺は風呂の温度にゆったりと浸かり、夜の沖縄の風景を眺めながら、
「じゃあ何だってんだ」
 と返した。
「気付いてないの?」
 不思議そうに音々は言う。
「何にだ?」
 俺は問わざるをえない。
「花々……日日日に興味持ってるよ?」
「…………」
 沈黙する俺。
 音々は言葉を続ける。
「だから不安なんだ。僕は僕の全存在を賭けて日日日を籠絡しないといけない」
「もしかしてお前……」
 追い詰められているのか?
 それは口にしなかった。
「ねぇ日日日……」
「何だ?」
「僕は日日日のことが好きだよ?」
「俺も音々のことは好きだぞ?」
「僕は日日日を愛してる」
「俺は音々が好きだ」
 音々はくつくつと笑う。
「日日日は罪深いね」
「わかっていたことだろうが」
 俺は突き放した。
「今更何を求めてるんだ?」
「日日日の……」
 その……、
「愛情を……」
 求めてると音々は言う。
「日日日はどう? 僕の事……愛してる?」
「どうだかな」
 それが俺の本心だった。
 偽らざる……。
「ねぇ日日日……考えてよ。僕と付き合うということがどういう事を指すのか」
「それでお前は終わっていいのか?」
「嫌だよ」
 素直な音々。
「嫌だけど……このままじゃ僕は押しやられる。それを座視することはできない」
 気持ちはわからんでもないけどな。
「音々は性急に俺の答えを求めていると……そう捉えても?」
「うん。構わない」
 しっかと音々は頷く。
「なら……時間をくれないか?」
「何日?」
「一時間でいい」
 俺はそう言った。
「うん。じゃあ一時間後。場所はナンパをかまされた脱衣所の裏で待ってるよ」
 そう言って音々は先に風呂をあがるのだった。
「…………」
 その背中を見ながら俺は答えを定めるのだった。
 悩む時間はあったが悩む必要はなかった。
 それは俺に刻まれた傷跡が証明していた。

    *

 一時間後。
 俺はたっぷり思考し、そして答えを持ってホテルを出るのだった。
 行く先は女子の脱衣所の裏。
 そこには音々がいて、
「あ……日日日……」
 と俺に気付いた音々が俺を呼ぶ。
「よ」
 と俺は片手をあげる。
「うん」
 と音々も片手をあげる。
 そしてハイタッチをする俺と音々。
「じゃ、歩こっか」
 そんな提案に、
「そうだな」
 俺も頷く。
 そうして俺と音々は浜辺を歩くのだった。
「…………」
「…………」
 互いに無言で浜辺を歩く俺たち。
 サンダル故にわき立つ波を気にすることもない。
 音々は波間を歩きながらその足元を海水で濡らすのだった。
 ザザーンと波が咆哮をあげる。
 そんな波を踏みつけながら音々は踊る。
 明かりは月とホテルのソレ。
「で?」
 と音々は問う。
 その先の言葉を俺は聞く必要はなかった。
「すまん」
 と謝辞する。
 音々は波と戯れながら俺の言葉に疑問を持つ。
「でも僕ほど日日日を幸福に出来る人間はいないよ?」
 それは当然の言葉だったが、
「そういう意味での幸福とは違うんだな」
 俺は否定してみせる。
「やっぱりアキラが原因?」
「……っ!」
 俺は言葉を失う。
 音々は「アキ」ではなく「アキラ」と言ったのだ。
「お前……! その話をどこで……!」
 問う俺に、
「僕は日日日の事を丹念に調べたんだよ? そりゃアキラのことくらい知ってるさ」
 平然と音々は言う。
「…………」
 喉が渇いて水を飲みたい気分だった。
 無論水なんて無いが。
「生き返らせたい人間がいるって言ったよね? それが誰か……僕はよく知っている」
「蕪木財閥も堕ちたもんだな」
 そんな俺の皮肉に、
「そんなつもりじゃなかった……って言っても遅いかな……既に……」
 音々は苦笑する。
 さらに音々は言葉を続ける。
「日日日がアキラの事を想いつづけていることは知っている。でもそれは感傷に過ぎないんでしょう?」
 俺はカッとなる。
「お前に何がわかる!」
「わからないよ」
 音々は冷静だ。
「でも、これだけはわかる。日日日はアキラに囚われている」
「しょうがないだろ」
「うん。まぁね。しょうがない」
 あっさりと音々は頷く。
「だからこそ日日日は誰にも好意を寄せられないんだから」
「そこまで知っていて何故俺に好意を寄せる?」
 問い詰める俺に、
「好きだから」
 簡潔に音々は言う。
 さっぱりとした声だ。
 それ以上は必要ないとばかりの。
「すまん」
 俺はそれに否定で答えた。
「うん。まぁ。そう言うとは思った」
 音々は頷く。
 そして月光に涙を光らせた。
「……っ! ……っ!」
 無言の叫びがそこにはあった。
 それほどの覚悟で音々は俺に好意を伝えたのだろう。
 しかして俺は否定するしか選択肢はない。
「日日日……アキラのことなんて忘れてよ……! そうでもしないと日日日は幸せになんてなれないよ……!」
 わかっちゃいるがな……。
「それでもすまん」
 俺はそう言う他なかった。
 誰かの好意に応えられない。
 それは実感的な痛みを伴って俺を刺し貫いた。
 俺は音々を抱きしめる。
「すまんな……」
 ギュッと抱きしめる。
「すまん」
 強く抱きしめる。
「日日日……僕はアキラのことが好きだよ……愛してる……」
「わかってる」
 俺は否定することしかできない。
 そんな自分が嫌でもあった。
 でも俺はまだアキラに囚われている。
 だから、
「すまん」
 と言う他ない。
「ごめんな音々……」
 俺は波に足をつけながら泣く音々を抱きしめる。
「ごめんな……」
「う……うう……うええええええっ……」
 音々は俺の腕で泣き続けた。
 音々の気持ちはよくわかった。
 それ故に俺はかける言葉が見つからなかった。
 いっそ俺も壊れればいい。
 そんな不毛なことを思うのだった。
 無理は承知だったのだが。

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