ご主人様と呼ばないで

夏の決心、1


 海辺。
 沖縄は那覇。
 照りつける太陽に熱い砂。
 海水浴場だ、ようするに。
 太陽の位置は天頂で、ジリジリと核融合の熱を俺たちの上に注ぎ込む。
「やれやれ」
 ハードボイルドを気取って呆れてみる。
 と、
「あーきらっ!」
 と美少女が俺に声をかけてきた。
 長く黒く、そして艶やかな髪。
 端正な顔立ち。
 バインバインのボディ。
 揺れる胸。
 シュッと引き締まったお腹。
 アクセントとなる可愛らしいおへそ。
 そして目に痛い深紅のツーピースの水着。
 大和撫子が水着を着て俺目掛けて走り寄ってきていた。
 名を蕪木音々という。
「日日日、えへへ」
 音々は可愛らしく笑うと俺の腕に抱きついてくる。
 ムニュウと音々の豊満な胸が俺の腕に押し付けられる。
「どう? どう?」
「何がだ?」
「むー。僕の胸の感触だよう」
「悪い気はしないな」
 俺はシニカルに笑う。
「えー」
 音々は不満そうだ。
「もうちょっとドギマギしてくれても……」
「女に言い寄られてドギマギするハードボイルドがいるかっ」
「それはそうだけど……」
 むぅと音々。
 よほど籠絡したいらしい。
 まぁ悪い気はしない。
 こんな一級の美少女に言い寄られるのもハードボイルドの運命だろう。
 俺は音々の抱きついている方とは逆の腕で煙草を取り出し口にくわえると、更にライターを取り出して火をつける。
 煙をスーッと吸ってフーッと吐く。
「副流煙〜」
「だったら離れろ」
「冷たいよう日日日〜」
「女と煙草で女をとるハードボイルドがいるか」
「えい」
 と音々は掛け声とともに俺のくわえている煙草を取り上げる。
 そして自分で吸って、
「ゲホッゲホッ」
 と咳き込む。
「うえ〜」
 苦々しい表情だ。
「よくこんなの吸えるね」
「返せ。早急にな」
「えいっ」
 と音々は掛け声とともに今度は背伸びして俺の唇に自身の唇を重ねた。
「っ!」
 目を見開く俺。
「初めてのキスはレモン味じゃなくて煙草の味だったね」
 皮肉と慕情を一対一の割合で笑顔に混濁させながら音々は言うのだった。
 俺としてはやられたらやり返すタイプだ。
 今度はこっちからキスをした。
 それもディープキス。
「う……や……は……ぁ……!」
 音々は歓喜に悶える。
 グチュグチュと俺の唾液と音々の唾液が混じる。
 グチュグチュといつまでも……いつまでも。
 そして意識が反転する。
 グニャリと映像が……世界が歪む。
 俺は閉じていた眼を開いた。
 そこにはやはり音々がいて俺にディープキスをしていた。
 ただしバインバインの胸も深紅の水着も来ていない……ぺったんこで部屋着の……ありていに言うのならば男の娘の音々が、だ。
 ディープキスに夢中になっている音々を引きはがし、俺は問う。
「何やってんのお前?」
「何って……目覚めのキス?」
「そうか」
 俺は納得すると腹筋運動の要領で上体を起こす。
 そして音々の胸をまさぐると……やはり音々はぺったんこだった。
 先ほどの映像は……夢か……。
 そりゃそうだ……。
 男の音々に胸がある道理が無い。
「なんで僕の胸をまさぐるのさ? まさかアキや姫々にもそんなことしてるの?」
 むう、と音々は不満げ。
「まさか」
 俺は夢のあらましを音々に語って聞かせた。
「僕が女の子でしかも巨乳……それを日日日は求めてるの?」
「まさか。ただの夢だろ」
 そもそも俺は成人しても煙草を吸うつもりはない。
 そして俺は部屋を見渡した。
 那覇の高級ホテルのスイートルーム。
 その二人部屋に俺と音々はいた。
 夏休みに沖縄への旅行をしようという企画だ。
 移動手段は自家用ジェット。
 そして昨夜……沖縄の那覇について予約をしていたホテルにチェックイン。
 スイートルームに個別についている露天風呂に浸かった後、寝こけて起きたらこのザマだというわけだ。
「せっかくの沖縄旅行なのに昼まで寝るなんてもったいないよ日日日……」
「だったら先に観光してくれてもよかったんだがな」
「日日日がいないと意味ないよ。ほら起きて。海水浴に行こ?」
「その前に腹が減ったな。昼食とれるか?」
「バイキング形式だから何時でも幾らでも食べれるよ?」
「ならいい」
「じゃ、僕は日日日が起きたことを姫々たちに伝えてくるね」
 そう言ってパタパタと音々は走り去っていった。
 ちなみに俺と音々が男同士ということで二人部屋のスイート。
 そしてアキ、姫々、花々が女同士ということで三人部屋のスイートである。
「よっこらせ」
 俺はフカフカのベッドから立ち上がる。
 うーんと伸びをして、
「じゃ、楽しむか」
 そう独りごちるのだった。

    *

 さて、というわけで荷物持ちは男の俺ということになった。
 音々?
 心が乙女だから除外。
 そんなわけで早々に水着に着替え終ると他の観光客がやっているように俺も砂浜にパラソルを差したりサメの形をした浮き具に空気を入れたりしていた。
 そんなことをしている間に女どもが着替え終ったのだろう、
「ご主人様……!」
「日日日ちゃん!」
「あーきらっ!」
「お姉様、先輩みたいな不浄に近づかないでください!」
 一部の例外を除いて俺へと走り寄ってきた。
 俺は足でポンプを踏みつけサメの浮き具を膨らましながら、ついでに女どもを品定めした。
 一番手。
 法華アキラ。
 花柄ビキニにパレオというスタイル。
 アルビノである白い髪に白い眼に白い肌が太陽を反射して眩しく輝いていた。
 スタイルは女どもの間では一番だ。
 ビキニのトップからは溢れんばかりの豊満な胸が政治家の演説張りに主張を繰り返していた。
 いや、何の例えかは俺にもわからん。
 蕪木財閥ならプライベートビーチの一つや二つは持っているらしいが音々自身の希望により一般的な共有の海水浴場を選択することになって、当たり前といえば当たり前……当然といえば当然……アキは海水浴場の男どもの視線の半分を集めていた。
 二番手。
 本妙姫々。
 背の小さいチンチクリン故にかタイプデザインのされた明るい色のワンピースがとても良く似合っていた。
 体格……いや、この場合は体型か……に恵まれていないタイプでバストは残念な感じだが小動物的可愛らしさはいささかも損なわれていない。
 お腹もほっそりとしてダイエットの苦労が見て取れる。
 そういう部分も含めて可愛らしいのが姫々の魅力だ。
 他のメンツに比べれば見劣りするかもしれないが、水準以上ではあると思う。
 褒めてるんだぞ?
 念のため。
 三番手。
 蕪木音々。
 こいつは……まぁ……。
 言わんでもわかると思うが男である。
 故に水着も男物。
 ただし上半身はシャツを着ることで隠してある。
 ちなみにさっきアキが海水浴場の男どもの視線の半分を集めていると言ったが、もう半分の視線を集めているのが音々である。
 どこからか、
「あの子可愛くね?」
「シャツ脱がないかな?」
 などと呟きが聞こえてくる。
 単純な美貌だけならアキに匹敵するのだ。
 白いアキに対して黒い音々。
 日本人形のような美の極致を備えている音々に惑わされない男子なぞ俺以外には存在しえないだろう。
 衆人環視ともなれば、それはより顕著となる。
 アキと音々で男どもの視線は二人占めだ。
 シャツで裸を隠している分だけ、音々にかきたてられるのは男どもの悲しい本能なのだろう。
 四番手。
 稲生花々。
 金髪碧眼の美少女。
 いつもは金髪をおさげにしているが、海水浴ということもあってか今は何も手を込めていない自然な髪型だ。
 水着は黒いビキニ。
 アキに劣らない白い肌を黒いビキニが引き締めていた。
 胸は姫々よりはあるがアキには遠く及ばない。
 Bといったところだろう。
 女のバストを拝むことなどないので正確のところは知らないし、カップがどういう基準で定められているかも知らないのだが、
「姫々には勝っている」
 ということだけは確かだ。
「どうでしょうか……ご主人様……?」
 モジモジとアキ。
 可愛いなコイツ。
 俺はポンとアキの頭に手を乗せて、
「よく似合ってるぞ」
 と言ってやった。
 それだけでアキはパァッと表情を華やがせるのだった。
 豊満な胸がプルンと震える。
 まぁハードボイルドたる俺はその程度では怯まないのだが。
「ありがとうございますご主人様」
 ワンコみたいに喜ぶアキ。
 尻尾があればパタパタと振っていたことだろう。
 その尻尾を幻視する俺だった。
「日日日ちゃん……私はどうかな?」
「ああ、可愛いな」
「ほんと!?」
 嘘でもいいがな。
 さすがに言葉にはしない。
 それくらいの分別はある。
「音々は……やっぱりシャツか」
「まぁ一応僕も心は乙女だしね。裸になるのは愛しい人の前だけでだよ」
 嬉しいことを言ってくれるものだ。
「ま、注目されてるから注意しろよ。変なナンパの男が現れるかもしれない」
「その時は日日日……守ってくれる?」
「アホ。俺よりお前の方が強いだろうが」
 ペシと音々にチョップを落とすと、
「お姉様は花々が守ります!」
 と花々が割り込んできた。
「出来もしないことを言わないの」
 諌める音々。
「とにかくアキにしろ姫々にしろ花々にしろ悪い男に絡まれないように僕か日日日の傍にいた方がいいね」
「では私はご主人様の傍に……」
「私も日日日ちゃんの傍に……」
「花々はお姉様の傍に……!」
「ま、いいんだけどさ」
 いいのかよ。
 ということで五人で海水浴を楽しむこととなった。
 ちなみに名誉のために言っておくと日焼け止めは音々が女どもに塗った。
 俺は関知していない。
 そして、
「ああ、良い贅沢です」
「日日日ちゃん! 海の中涼しいよ!」
「日日日! 遠泳しない!?」
「お姉様! それなら花々が!」
 そんなヒロインどもの言葉を無視して、
「あー……だる……」
 俺は浮き輪に身を預けてプカプカと海面をクラゲのように浮いていた。
 そうして俺たちは海水浴を楽しむのだった。

ボタン
inserted by FC2 system