ご主人様と呼ばないで

稲生花々という少女、2


「ご主人様、ご主人様、ご起床ください」
「…………ぅ」
 と小さく呻いて、俺は瞳を開く。
 飛び込んできた映像は、
「ご主人様。もう昼でございます」
 アルビノの美少女の顔だった。
 白い長髪に白い瞳に白い肌の美少女だった。
 ついでにメイド服。
 とても愛らしいがそれをここで言うつもりは毛頭ない。
「アキか……」
「はい。アキでございます」
「今何時?」
「十二時半といったところです」
「くあ……」
 と欠伸して、それからのろくさと俺は起き上がった。
 今日は土曜日。
 ある意味において俺の最も自由な曜日だ。
 月火水木金は学校があるし、日曜日は音々の家に行く予定なのだ。
 土曜日が俺の自由時間である。
「私と姫々様とでご主人様の昼食を作りました。私はともあれ姫々様の御恩情には報いるべきかと」
「いや、お前にも感謝してるがな」
 俺はへその辺りをボリボリと掻きながら、
「くぁ……」
 ともう一度欠伸をした。
 眠気と戦いながらダイニングに行くと、
「あ、おはよ日日日ちゃん」
 と紅茶を飲んでいる姫々が声をかけてきた。
 鳥の巣頭に泣きぼくろがワンポイントな小柄な少女だ。
 学校制服だと着られている印象が強いが、私服となるとそのカジュアルさが良く似合っている。
「……はよ……姫々……」
 片手を挙げて朝の挨拶。
「うん。おはよう日日日ちゃん。私とアキちゃんとでクラブサンドを作ったんだよ? 食べて食べて」
 ズズイと昼食を推薦してくる姫々だった。
 クラブサンドとサラダとオレンジジュース……それが今日の昼食のようだった。
 ちなみに朝は食べていない。
 アキには昨日の内に、
「昼まで起こすな」
 と言い含めてあったからだ。
 だからこれが朝食兼昼食である。
 俺は、
「どっこらせ」
 と、おっさんくさい掛け声とともにダイニングテーブルの席につく。
 そして、
「いただきます」
 と一拍する。
 それからクラブサンドを口に放り込んだ。
 咀嚼。
 嚥下。
「美味しい? 日日日ちゃん……」
「ん」
 頷く俺。
 オレンジジュースでクラブサンドを流し込むと、
「いい仕事だ」
 と感想を言う。
 それだけで……それだけなのに……姫々の表情はパァッと華やいだ。
 そんなに嬉しいもんかね?
 俺にはわからない世界だ。
「姫々……」
「なに? 日日日ちゃん……」
「お前、俺のこと好きか?」
「は、はわ……」
 思いっきり狼狽える姫々だった。
 それから躊躇いがちに、
「好き……だよ……?」
 と呟く。
「ラブ? ライク?」
「ラブ……」
 さいですか。
 俺は、
「…………」
 沈黙して昼食に戻る。
「日日日ちゃんは……?」
「ん?」
「だから……」
 と姫々は
「日日日ちゃんは私のこと……好き……?」
 上目遣いに問うてくる。
「好きだぞ」
 あっさりと俺。
 ゴスンとダイニングテーブルに額をぶつける姫々だった。
「どうした姫々?」
 わかりきったことを聞く意地悪な俺。
「どうしたって……日日日ちゃんはいつもそう……」
「これが俺だろ」
「それはそうなんだけど……」
 むぅ、と姫々は呻く。
「もどかしいなぁ」
「お前は俺のこと知ってるだろ?」
「そうなんだけど……そうなんだけど……」
「納得できない……か?」
「素直には受け入れられないよ」
「まぁ別にお前がどう思おうと俺には関係ないんだがな」
「それはそうだけどぅ……」
 納得いかないと呟く姫々だった。
 それから俺は姫々と他愛ない話をしながらクラブサンドを口に放り込む。
 昼食が終わると、ベッドルームに戻る。
 そこにはアキが待機していて、アキは手に櫛を持っていた。
「ご主人様、どうぞこちらへ」
 と姿見の前の椅子を示すアキ。
「至れり尽くせりだな」
 皮肉気にそう言って俺は素直に椅子に座る。
 俺の背後をとるとアキは、
「では失礼します」
 と言って櫛にて俺の髪を梳かしていくのだった。
 それがとてつもなく心地よい。
 まるで子宮に浮かぶ胎児のような心地だった。
 比喩としては間違っている気もするが。
 ともあれ、
「姫々様の用意なされた昼食はいかがでしたでしょう?」
 とアキは問うてくる。
「美味かったよ。お前も手伝ったんだろ?」
「はい。隠し味は愛情です」
「大した調味料だ」
 くつくつと笑ってしまう。
 そんな他愛ない話をしている内に髪梳きは終わる。
「ご主人様。お召し替えを……」
「一人で出来る」
「外出なさいますか?」
「ああ」
「ではこちらとこちらを。不備がありましたら遠慮なく仰ってください」
 俺の箪笥から服を取り出すアキ。
 それは音々にプレゼントしてもらったティーシャツにジーパンだった。
 値段を聞くと、
「日日日が受け取らないから教えない」
 と言われたものだ。
 どっちもビンテージなのではと俺は警戒している。
 無論プレゼントなので死蔵させるわけにもいかず、俺は外に出る時は好んで着ているのだが、アキはそれを察したのだろう。
「後は自分で着替えるからアキは部屋を出てくれ」
「了解しました。何かありましたら忌憚なく仰ってください」
 そう言って一礼するとアキはダイニングへと消えるのだった。
「さて……」
 と呟いて、俺は着替えを開始する。
 とは言っても寝巻からシャツに着替えるだけだからそこは中略。
 身支度を整えると、俺はベッドルームを出てダイニングを通過する。
「ご主人様……外出なさるのですか?」
 ダイニングで姫々と談笑していたアキが問うてくる。
「ああ」
 俺は肯定する。
「差し出がましいようですが、その前に一杯だけ紅茶を飲んでいきませんか?」
「ん〜。それなら有難く」
 そう言ってダイニングテーブルの席につく俺。
 アキが俺の分のカップに紅茶を注ぎながらなお問うてくる。
「どこへお出かけでしょう? 何時ごろ戻られますか?」
「気分次第だな」
 他に答えようがない。
「お散歩のようなモノでしょうか?」
「まぁ間違いじゃないな」
「日日日ちゃん……」
「なんだ姫々?」
「――――」
 ぼそぼそと俺やアキには聞こえない声で何かを呟く姫々。
 俺はその唇を読んだ。
 姫々はこう言ったのだ。
「ドウセデートデショ?」
 だから俺は、
「正解」
 と肯定した。
「むう……」
 と姫々は呻る。
「たまに日日日ちゃんは現実から乖離するよね」
 それを皮肉と受け取った俺は、
「お前と一緒でな」
 と皮肉で返す。
 そして紅茶を一口。
 ん。
 美味い。
「アキの紅茶は本気で美味いな」
「感激の極みです」
 一礼するアキ。
「で、今日はどこに行くの?」
 とこれは姫々。
「うーん……駅に乗って隣町までってのが根本にはある。百貨繚乱まで足を伸ばそうかと。映画を見るのもいいな……」
「一人で?」
「二人でに決まってるだろ」
「それを一人っていうんだよ?」
「価値観の相違だな」
 シニカルに笑いながら俺。
「もう夢から覚めてもいいんじゃない?」
 姫々はそう言ってくる。
「ニヒルなハードボイルドは孤独で孤高で無頼なもんさ」
 紅茶を一口。
「日日日ちゃん……今一人って認めたよね?」
「現実くらいはわきまえてるさ。その上で夢に浸ることも必要だろう?」
「余計たちが悪いよ……」
 不満げに言って紅茶を飲む姫々だった。
「ウィンドウショッピングとかするの?」
「ハードボイルドがんなことするわけねぇだろ」
「でも……でしょ?」
「そう……だが?」
「なら喫茶店?」
「まぁそれくらいはするな。ブラックコーヒーに煙草が似合う男だから俺は」
「煙草は二十歳になってから」
「吸いやしねえよ。それくらいの分別はわきまえてる。ただハードボイルドたる者、常にそんなことを意識しなきゃって観念論の話さ」
「私、可愛くない?」
 急に話題が変わった……とは俺は思わなかった。
 話は淀みなく続いている。
「姫々は可愛いよ。それはもう抜群に」
「でも私……アキちゃんや音々ちゃんと違ってラブレターもらったことないし告白されたことないし……」
「まぁその二人と比べられても……な」
 遠慮がちに俺。
「音々ちゃんやアキちゃんが私の後から現れたのに私より可愛いんだもん。ちょっと嫉妬しちゃうよ……」
 それに答えたのは俺ではなくアキだった。
「そんな……姫々様は十二分に可愛らしくございます。私のようなものとは比べ物にならないくらい……!」
「フォローありがと。アキちゃん……」
「フォローじゃありません」
「アキ……」
 俺はアキを嗜める。
「お前が言っても皮肉にしかならないんだよ。それ以上口を開くな」
「申し訳ありません……」
 いや……。
「謝られてもしょうがないんだがな」
 俺は紅茶を飲み干す。
「アキ……」
「何でしょうご主人様……」
「紅茶美味しかったよ。ありがとう」
「光栄の極みです」
 感動に身を震わせて一礼するアキ。
 それから、
「ご主人様……」
「何?」
「夕食にリクエストはございますか?」
「いや、夕食は食べてくるからいらない。お前はお前の分だけ作ってろ」
「了解しました。ところで……」
「なんでっしゃろ?」
「ご主人様は何のために外出を」
「…………」
 俺は一息分だけ沈黙して、
「エアデート」
 とだけ答えた。

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