ご主人様と呼ばないで

雨の降る日、3


 そしてジャンケン大会が開かれた。
 アキの晩餐会に招かれるのは一人だけ。
 つまり目算三十人の内、三十分の一の確率でしか参加できないのだ。
 選別方法がジャンケンになったのは……まぁ良心ゆえだろう。
 そして三十人ジャンケントーナメントを勝ち抜いたのは、
「オーマイ昆布」
 なんということだろうね。
 インテリだった。
 インテリは眼鏡を光らせて、
「よっしゃあああああああっ!」
 と雨雲目掛けて絶叫をあげた。
 眼鏡からビームでも出さんばかりの気合である。
 ちなみに他の法華アキラファンクラブのメンバーと言えば、
「いいか。あくまで貴様は我々の代表だということを忘れるな」
「あいつと法華さんのたもとを分かつために行くのだぞ」
「羨ま妬ましい。死ねばいいのに」
 そんな忠告をしていた。
 一部忠告じゃなくて脅しになっていたところもあったが……まぁ構うまい。
「…………」
 俺は雨にうたれて濡れ鼠のまま、体育館裏から移動を開始した。
 雨に濡れるのは心地よい。
「アイムシンギンインザレイン……♪」
 ニヒルなハードボイルドを気取って、雨に濡れる中ポケットに両手をつっこんで、俺は『雨に唄えば』を口ずさむ。
 完璧だ。
 完璧なハードボイルドだ。
 硬派一直線。
 そんな俺に法華アキラファンクラブ筆頭ことインテリは慌ててついてきた。
「日日ノ日日日……! 本当に僕を法華さんの食卓に呼んでくれるのかね?」
「約束は違わねえよ。今日はアキの手作りカレーだ」
「そそそそれは心躍るな!」
「…………」
 まぁ嬉しがってくれるなら別にいいんだがな……。
 俺は嘆息しながら昇降口へと向かった。
 屋根があって雨からは回避されたが既に十分ずぶ濡れだ。
 ポタポタと水滴を床に落としながら、俺は下駄箱に体重を預けている黒髪ロングに白い肌を持ち雪柳学園高等部制服を着ている大和撫子と見まがうばかりの美人……のような男子、音々に声をかけた。
「よう」
 右手をヒラヒラと振る俺に、
「よう、じゃないよ。何でそんなに濡れ鼠?」
「雨に濡れるなんて水も滴るいい男の条件だろ?」
「ハードボイルドを目指すならトレンチコートくらい着たら?」
「ふむ。考慮に値するな」
 頷く俺。
「しかしトレンチコートは生地が生地なだけに、良い仕立てじゃないとストレスを感じるからな……」
「それなら今度僕が腕のいい仕立て屋さんを紹介するよ。採寸から仮縫いまでしてくれる仕立て屋さんだから、ちゃんとした仕事だよ」
「先立つ不孝が無えよ」
「だいじょうび。蕪木家が負担するから」
「それもなぁ。奢られたトレンチコートなんてハードボイルドじゃないだろ?」
「そりゃそうだ」
 ケラケラと笑う音々。
「あの……」
 とこれは俺の後をついてきたインテリ。
 眼鏡にブレザー……この学校の生徒なら誰でもブレザーなのだが……のインテリは眼鏡のつるを押し上げながら言った。
「日日ノ日日日……もしかしなくとも蕪木さんもまた夕餉に参加されるのか?」
「まぁな」
「むぅ」
 と呻くインテリ。
「なぁに? 僕がいると不満?」
 ジト目で睨む音々。
「いえ、そんなことは。ただ恐縮しただけです、はい」
「ならよろしい」
 そう言ってニカッと笑う音々。
 インテリは俺を睨んだ。
「蕪木さんまで手籠めにしておいて、さらに法華さんまでとは。日日ノ日日日……お前の罪は万死に値するな」
「俺の意志は介在していないんだがな……」
 うんざりとそう言う俺。
「ところで」
 と、これは音々。
「何で日日日、知らない人を連れてるの?」
「ああ、こいつ。アキのファンクラブの一員らしい」
 俺は説明した。
「なんでも俺とアキが仲良くしてるのが気にくわないんだとさ」
「僕も気にくわないけどね」
「お前のそれは恋煩いだろう?」
「それは……そうだけど……」
「こいつらのは嫉妬だ」
「僕も嫉妬してるよ?」
「はいはい」
「むう。納得いかない」
「俺は誰にも靡かないからな」
 そう言ってケラケラ笑う俺。
「日日ノ日日日、貴様は傲慢だ」
 と、これはインテリ。
「まぁいいじゃん。これはこれで成立してるんだから」
「むう」
 と不満げに口をへの字にするインテリだった。

    *

 というわけで、音々は送迎に来ていたロールスロイスファントムに一旦お帰り頂いて、俺と音々とインテリは校門から徒歩で十秒のところにあるフラワーハイツ105号室に赴いた。
 俺はガチャリと玄関を開ける。
 と、そこには、
「あ、ご主人様。お帰りなさいませ」
「日日日ちゃんだ。おかえりー」
 水着にエプロンをしているアキと姫々がキッチンにいた。
 一人暮らしのアパートにありがちな玄関即キッチンの作りになっている我が城である。
「…………」
「…………」
「…………」
 俺と音々とインテリは黙った。
 俺はガチャリと玄関の戸を閉めた。
「あー……」
 何を言うべきかわからないがとりあえず俺は声を出した。
「部屋を間違えたみたいだ」
 それにジト目で答える音々。
「フラワーハイツの105号室でしょ? 間違ってないよ」
「いや、でもねぇ」
「いいから玄関開ける」
「……はい」
 力無く頷いて俺はまた玄関を開けた。
 今度は土下座する水着エプロンのアキが視界に飛び込んできた。
「お帰りなさいませご主人様」
 そう言って深く頭を下げるアキ。
 姫々や音々には無い豊満なバストがエプロンの上から見え隠れする。
 大盛り!
 ちなみに姫々はといえば水着エプロンのままでキッチンにて調理を続けていた。
「おかえりー日日日ちゃん」
 気楽にそんなことを言ってくる。
「あー……」
 と俺は眉間を押さえて唸った後、
「これはどういうことだ?」
 と疑問を呈した。
「どういうことでしょう?」
「どういうことー?」
「なんでてめーらが水着にエプロンなのかを聞いてるんだよコノヤロウ!」
 呆れと絶叫という背反する二つを同時に表わす俺。
「なんでって……日日日ちゃんが喜ぶかなって」
「その通りです」
「嬉しかねえよ」
 うんざりと俺。
「日日ノ日日日……!」
 とこれは法華アキラファンクラブの代表インテリ。
「貴様、まさか毎日法華さんにこんなことを……!」
「させてねえよ」
「前回の裸エプロンは怒られましたので今回は水着を着用してみました」
「日日ノ日日日ぁ!」
「ちゃうちゃう。ちゃうって」
 俺は首を横にブンブンとふる。
 それから水着エプロンのアキを指して、
「これはコイツが勝手にやってることだ」
 そんな責任逃れ。
「ご主人様、これもお気に召しませんでしたか?」
「……当たり前だ……」
 俺は嘆息する。
「だいたい姫々……お前も何をノリノリで着とるんだ……」
「これでも一応止めたんだよ? でもアキが『ご主人様に喜んでもらえるように』とか言って水着エプロンを提唱したから私も負けじと……」
「……アホどもめ」
 うんざりと俺。
 と、インテリが言う。
「法華さん」
「はい。なんでしょう? というより誰でしょう?」
 水着エプロンのまま首を傾げるアキ。
「姓は印字、名はテリーと申します! 法華アキラファンクラブの代表をしております!」
 印字テリー……。
 略すとインテリじゃねえか。
 そんな変な関心と共に納得する俺。
「私のファンクラブですか?」
 意味がわからないとアキ。
「部員三十人のそこそこ大きいクラブです」
「はあ……」
 やはり意味がわからないとアキ。
「今日は法華さんの晩餐に招待されました。光栄に思います」
「そうなんですかご主人様?」
「まぁ、な。いろいろ話があるみたいだから聞いてやってくれ」
 俺は頬を掻いた。
 ピチョンと俺の髪から水滴が落ちる。
 水着エプロンのアキがタオルを持ってきて俺の髪を拭く。
「とりあえずご主人様、シャワーをお浴びください。それともお風呂に入られますか? それなら準備いたしますが……」
「ん。とりあえずシャワーだけでいいや」
「ではこちらへ。制服は乾燥させますのでお脱ぎください」
「はいはい」
 俺は制服を脱ぐ。
「ひゃっ!」
「きゃっ!」
 姫々と音々がそんな声をあげた。
 いやね。
 キッチンのすぐ隣に設えられた風呂場故に俺が裸になるにはキッチンでしかありえないのだけど、そこまで興奮せんでも。
 そんな俺に、
「ご主人様……」
 とアキが声をかける。
「なに?」
「私はご入用ですか?」
「ご入用じゃありません」
 そう言ってトランクス一枚になった俺は風呂場へと入っていく。
 それから脱いだトランクスを扉の隙間から放り投げて全裸になるとシャワーを浴びた。

    *

 タオルで水気を拭きながら、
「ふいー。すっきりした……」
 俺はシャワーを浴び終った。
 ティーシャツに短パン。
 湿ったタオルは首にかけ、俺はキッチンへと戻る。
 すると、
「ご主人様、髪を乾かせてくださいませ」
 アキがそんなことを言ってくる。
「いいよ。どうせ後で風呂入るんだ。今はこのままでいい」
「しかしご主人様に風邪をひかれては」
「馬鹿は風邪ひかないらしいから気にすんな」
「聡明なご主人様は風邪をひいてしまわれます」
「とにかくいいから。ご主人様からのお願い」
「そう言われては返す言葉はありませんが……」
 しぶしぶと言った様子で諦めるアキ。
「それより腹が減ったな。カレーはまだか?」
「もう出来上がっております。五人前となるとおかわりの用意が出来ませんでしたがよろしいでしょうか?」
「構わん構わん」
 そう言って俺はダイニングへと顔を出す。
 そこには音々とインテリがダイニングテーブルに席をつく形で存在していた。
「シャワーあがりの日日日……色っぽいなぁ」
 音々がうっとりとしながらそう言った。
「バスローブにカミュといきたいもんだがな」
 俺は苦笑する。
「日日ノ日日日……貴様、法華さんに蕪木さんだけでなく本妙さんまで従えているのか」
 親の仇でも見るような目つきのインテリ。
「なぁに? 私がどうかしたの?」
 とキッチンからカレーライスの大皿をもって姫々がインテリに声をかける。
 インテリは狼狽えながら、
「いえ、日日ノ日日日が人権にもとることをしていると忠告しただけです……」
 そんな言い訳をした。
「そんなことしてるの日日日ちゃん?」
「まぁ……美少女二人に美少年一人をはべらせてんだ。色々とやっかみを受けるってもんだろ?」
「でも私達は好きでやってるからね」
「そんなこと他人は知ったこっちゃございませんな」
 そう言って俺は嘆息する。
 ほどなくしてアキと姫々がカレーライスの盛られた大皿を五人分出して、それから五人そろって合掌、食事を開始した。
「さすがに美味いな」
 そう言う俺に、
「恐縮です。ご主人様……」
「ありがと。日日日ちゃん」
 アキと姫々が嬉しそうに笑う。
 と、そこに、
「今度僕も料理作ってみるから日日日食べてくれない?」
「いいけど。まぁオールレンジに器用なお前ならそう変なモノは出ないだろうし……」
「じゃあ明日のお弁当は僕の手作りね。やったね日日日!」
「何がやったのかは知らんが……まぁ楽しみに……って無理だ」
「何が?」
「お前の手作り弁当なんてもらったらまた女子どもの視線が鋭くなる」
「そんなの気にする日日日じゃないでしょ?」
「まぁそりゃそうだが……」
「あのあの……!」
 とこれは姫々。
 小さな体をわたわたと動かして言う。
「私も日日日ちゃんにお弁当作る」
「二人分も食えん」
「私も……私もご主人様にお弁当を作りたいです」
「三人分も食えん」
「じゃあさ、三分の一人分ずつ僕とアキと姫々が作ってくる……ていうのはどう?」
「いいね、それ!」
「良いアイデアです音々様」
「おいおい、弁当作ることで満場一致かよ」
 うんざりと俺。
「ちょっと待った法華さん!」
 とカレーライスに没頭していたインテリが口を挟んだ。
「なんでしょう?」
「日日ノ日日日に服従するのはお止めになった方が……」
「なんででしょう?」
「人は人らしく生きるべきです。主人と奴隷の関係なんて不健全です。即刻止めていただきたい!」
 そんなインテリの言葉に、
「ふ、ふえ……」
 とアキは泣き出した。
「ふえええええええええええええええ」
 ボロボロと涙をこぼすアキ。
「ど、どうされたのです法華さん」
 インテリが狼狽える。
「泣かせた泣かせた」
 ケラケラ笑う俺。
「そりゃそんなこと言えばアキは泣くよ」
 とこれは音々。
「印字さん。謝って」
 と姫々。
「いや、しかし僕は間違ったことは……」
「「言ってるの!」」
 姫々と音々が口をそろえてそう言った。
 アキが涙をぬぐいながら言う。
「ふえ、私はご主人様に仕えるに値しない存在なのでしょうか……?」
「そんなことないよアキちゃん」
「そうそう。どこの誰とも知れない輩の言うことなんて気にしないでアキ」
 フォローする姫々と音々。
「しかして日日ノ日日日の奴隷なんて……そんなことがまかり通っていいのですか!?」
「「黙れ他人……!」」
 殺意を乗せた熱視線でインテリを睨む姫々と音々。
「アキが日日日をご主人様と呼ぶことについて何も知らないくせに」
「そもそもアキちゃんがそうせねばならない理由を何も知らないくせに」
「ファンクラブだからってアキを祭り上げるのは勝手だけど、アキを傷つけるようなことは許さないよ」
「うう……申し訳……ない」
 スプーンをくわえて謝罪するインテリ。
「俺としては主従なんぞ関係なくアキにも俺に惚れて欲しいんだがなぁ」
「そ、そんなことは許されません……!」
 動揺して首を横に振るアキ。
「許されるんだよ。アキは俺のことが嫌いか?」
「そんなことありません!」
「好きか?」
「あう……」
「ならそれが全てだろ」
 カレーライスを一口。
「あううう……」
 それからアキは夕食中真っ赤になったままだった。
 夕食が終わり、音々がダイニングで紅茶を一服しており、アキと姫々がキッチンで皿洗いをしている頃、俺は帰宅するインテリを見送っていた。
「すまんな。うちの連中が過激で。まぁ許してやってくれ。悪意故のものじゃないんだ」
「日日ノ日日日……貴様が法華さんと主従になっていることには納得していないが、今日の所は引いてやる」
 眼鏡の奥から刺すような視線で俺を睨むインテリ。
「さて、で、どうする? まだ俺を否定するのか?」
「それは法華さんを傷つけると分かった。それについては僕からは何も言えない」
「ご苦労さん」
 くつくつと笑う俺。
「しかして法華アキラファンクラブがこれで終わったと思うなよ!」
「がんばれ〜」
 俺は心にもないことを言った。
 しかし……クラブか。
 これは一つのアイデアかもしれんな。
 名残惜しそうにフラワーハイツを離れるインテリの背中を見つめながら俺はアイデアを練り始めた。

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