「雨枝垂れ、楽と音鳴る、梅雨模様、我が耳朶うつは、水のセイかな」 窓の外を見ながらそんなことを呟いてみる。 放課後。 桑原教師は相変わらずクチャクチャと噛みタバコを咀嚼しながら放課後のホームルームを粛々と続けていた。 そしてウェストミンスターのチャイムと同時に、 「じゃ、気をつけて帰れよジャリども」 そう言ってスタスタと去っていくのだった。 放課後のホームルーム……終わりだ。 ちなみに外は雨。 お天気お姉さんもなかなかやる。 ザーザーと雨が降りに降る。 雨音はまるでオーケストラのソレだ。 俺の耳朶には心地よい。 一瞬一瞬違う音を奏で、そして刹那に水へと溶ける雨雫。 まこと趣がある。 ……。 「…………」 なんちゃって。 雨は風情ではある。 が、さすがにさっきの思考は行き過ぎた。 全部が嘘かっていうとそんなわけでもないんだけどな。 「さて……」 と呟いて俺は、必要な教科書とノートを鞄に詰め込んで、それから、 「おーいアキ」 とアキを呼んだ。 アキは頭部の犬耳をピョコンと立たせてお尻から生えた尻尾を振って……無論のこと比喩表現である……俺の言葉に反応した。 「なんでしょう、ご主人様?」 命令されるのを期待する目。 やっぱり意識改革から始めないといけないのか? とまれ、 「俺の鞄を持って帰ってくれ。雨に濡れたら嫌だからな」 「やはり私は先に帰らないといけないのでしょうか?」 「この場に限って言えばご主人様からのお願い」 「そう言われるのでしたら否やはございませんが……」 そう言って俺の鞄を受け取るアキ。 「ご主人様」 「なに?」 「傘を」 「いらない」 「はえ?」 アキはポカンとする。 「だからいらない」 そんな俺に、 「でもそれでは……!」 あわあわと慌てるアキ。 「ご主人様が濡れてしまいます……!」 「雨に濡れたい気分なんだ」 「しかし風邪をひいてしまわれますよぅ」 「大丈夫。帰ったらちゃんとシャワー浴びるから」 「しかし……!」 となおも食い下がろうとしたアキの言葉を塗りつぶして、 「あーきらっ!」 と音々が俺に抱きついてきた。 「いちいち抱きついてくるな」 「いいじゃん。可愛い僕に慕われて。やったね!」 何をやったんだか……。 「日日日、日日日、今日は一緒に帰ろ。あ、ついでにご飯食べてっていい?」 「そりゃ構わんが……」 俺はアキを見る。 「いいよな? アキ……」 「はい。音々様がご所望なら問題ありません」 「わーい。だから日日日もアキも好き!」 そう言って抱きついた俺の頬にキスをする音々。 「なっ!」 とアキが狼狽する。 「ご主人様に何をするんです!」 顔を真っ赤にして抗議するアキ。 「何って……キス?」 「ご主人様と恋仲でもないのにキスなんて許されません!」 「奴隷のアキが気にすることじゃないでしょ?」 「それは……!」 と言葉につまるアキ。 「もしかしてアキも日日日に惚れた?」 「そそそそんなおおお恐れ多い……!」 思いっきり狼狽えるアキ。 「わざとやってるの? それ……」 胡乱な眼差しで音々。 「そんなわけ……ありません……」 顔を真っ赤にして反論するアキだったが、さすがに……ねえ? 「日日日がアキを甘やかすから」 「俺のせいかよ」 「日日日はもっと僕だけを見るように努めなきゃ駄目だよ?」 「なんでだよ」 ズピシと音々の頭部にチョップする俺。 「日日日は僕と結婚しなきゃ駄目だから」 「おいやめろ。俺の評価をさらに下げる気か」 見れば音々に抱きつかれていると言うだけで嫉妬と侮蔑の視線が刺さっていたのに、さらなる音々の戯言によってその視線たちは針のむしろと化した。 いや、まぁ、今更だがな。 「日日日、僕と一緒になれば一生遊んで暮らせるよ?」 「蕪木おじさんのお墨付きだしな」 「えへへぇ」 「ていうかお前いいのか? 放課後呼び出しだろ?」 「それは日日日も一緒でしょ?」 「まぁ……な」 疲れたようにため息をつく俺。 と、そこに、 「あーきらちゃん」 と、ちびっ子姫々が会話に加わってきた。 「何の用だ姫々?」 「用が無きゃ話しかけちゃ駄目なの?」 「んなこたないが」 「日日日ちゃん呼び出しくらってるんでしょ? 行かなくていいの?」 「行く気にならん呼び出しにそう生真面目に応対しなくてもな……」 遠い目をしながら俺。 それから俺は、 「そういや姫々……」 「何?」 「お前、今日の夕餉は決まってるのか?」 「まだだけど。雨降ってるからスーパーまで行くのも億劫だし冷蔵庫にある物を使おうかなって具合」 「何ならうちで食べないか? アキの料理を手伝ってやってくれ」 「あ、いいね、それ」 「音々もついでに食ってくらしいから四人分な」 「だってさ。どうするアキちゃん?」 姫々はアキに話をふる。 「そうですね。大勢となればそれなりにまとまった量を作れる料理がいいです。うちの冷蔵庫の材料を使うのならカレーか……あるいはグラタンなんてどうでしょう?」 「あ、いいねぇ」 料理談義に花を咲かせるアキと姫々。 「やっぱり料理作れた方が日日日のポイント高い?」 と、この言は音々。 「まぁ作れるにこしたことはないよな」 「むぅ……」 と悔しげに音々は呻く。 「僕、料理の心得はないからなぁ」 「別にいいんじゃねえの? 可愛い、頭良い、金持ち。三拍子そろってて魅力的だと思うぞ?」 「ほんと!?」 「嘘ついてもしゃーないだろ」 「えへへ、可愛いって言われちゃった……」 「音々は可愛いよ。それは俺が保証する」 「でもね」 「でも?」 「言葉だけじゃ心配になるのが乙女心なの」 「乙女じゃないだろ」 「もう。そこはいいの……!」 「はいはい」 「日日日が僕を可愛いっていうならそれなりの態度をとってほしいんだよ」 「了解しましたお姫様」 そう言ってニヤリと笑うと俺は音々の頬にキスをした。 「っ!」 と音々が硬直する。 「な……!」 「そんな!」 とアキと姫々が狼狽える。 それから、 「ご主人様! 何を!?」 「日日日ちゃん! 何するの!」 アキと姫々が問い詰めてきた。 「何ってキスだが?」 簡潔に説明する俺に、 「ご主人様は音々様が好きなのですか!?」 「日日日ちゃん、どういう意味!?」 納得いかな気にそう言うアキと姫々。 ちなみに音々はといえば、 「へへへへぇ……」 と気味の悪い笑みを浮かべて幸せに浸っていた。 ま、いいんだけどな。 「日日日にキスされちゃった……」 幸せそうにそう言う音々。 「ご主人様!」 「日日日ちゃん!」 責めるように僕を睨みつけるアキと姫々に、 「なら……」 と俺はうんざりと言って、 「お前らにもしてやるよ」 アキと姫々の頬にキスをした。 「……っ!」 「ふえ……!」 自身から求めた癖にいざされれば狼狽するアキと姫々。 「これでいいか?」 「悪くは……ありませんけど……」 「日日日ちゃん……」 アキと姫々は顔を真っ赤にして照れた。 まったく、こんな男の何がいいんだか。 とりあえず、まぁ……、 「アキ、俺の鞄、よろしくな」 「それはもう。ご主人様の鞄は責任をもって持ち帰らせてもらいます」 「姫々、夕食の献立、よろしくな」 「うん。とびっきりのカレーを作るよ」 夕食はカレーになったらしい。 「じゃあ音々。お互いの事情が終わったら昇降口集合でいいか?」 「いいよ。日日日の言うとおりに」 俺は嘆息すると、 「じゃ、解散」 と言った。 * それから俺は傘も持たずに、 「アイムシンギインザレイン……ジャスシンギインザレイン……ふんふん〜ふふんふんふんふん〜ふん〜ふふん〜♪」 『雨に唄えば』をサビだけ唄っていた。 歌詞を全ては覚えていないので後半はグダグダだ。 傘を持たず雨の降る中、濡れ鼠になりながら『雨に唄えば』を口ずさむ。 どこまでも俺はハードボイルドだった。 昇降口で外靴に履き替えて指定された体育館裏まで行く。 「ザサンズインマイハー……アンアイレディフォラブ♪」 土砂降りとまではいかないがそこそこの降水量に俺はずぶ濡れになる。 髪がひたひたに湿って毛先から水がしたたり落ちる。 それを鬱陶しげに払いのけて、俺は気取る。 何を? ハードボイルドを。 そして体育館に着くと、立地上日の差さない場所である……もっともこの雨雲故に日光条件など意味はないが……体育館裏へとまわる。 そこには、 「うわ……」 目算で三十人ばかりの人間が傘をさして集合していた。 しかも全員男とくる。 ひいてしまう俺。 いや……俺としてもね……ちょっとばかり期待はしていたわけですよ。 もしかして可愛らしい女の子がもじもじしながら体育館裏で待っているという光景をね。 しかして現実は悲惨だ。 よりによって待っていたのはむさい男が三十人ばかり。 ちなみに体育館裏とはいえ体育館からは丸見えの状況だ。 バスケ部やバレー部の連中が何事かと窓から興味を示していた。 見世物じゃねえぞ。 と言えれば格好いいんだろうが、生憎とそんな気は起こらない。 いや、だってねえ? 何で俺がむさい男子三十人に呼び出されたのか。 それについて考えるのが精一杯だったからだ。 三十人が三十人とも俺が体育館裏に来た瞬間、眼をぎらつかせた。 「遅いぞ! 日日ノ日日日!」 「そうは言われましても……」 俺は低姿勢に応じた。 そして問う。 「あの〜?」 「なんだ?」 「もしかしなくとも俺を呼びつけたのはあなた方?」 「当たり前だろう」 三十人の男どもの前線に立つ眼鏡人間がそう言った。 名前がわからない故にインテリと名付けよう。 「それで、何の用だ?」 低姿勢を止めて問う俺に、 「日日ノ日日日……貴様は法華さんを奴隷として酷使しているらしいな」 インテリがそう言った。 「まぁ間違った情報じゃありゃせんが……」 しぶしぶと頷く俺。 「今すぐ止めて法華さんを解放しろ」 「なんであんたらにそんなこと命令されなくちゃならん?」 そんな俺に、 「人権問題にもとると言っておるのだ!」 ひるまないインテリ。 「「「「「そうだそうだ」」」」」 「「「「「法華さんを解放しろ」」」」」 「「「「「お前は死ね」」」」」 そんな声があがる。 「だいたい何でお前らにそんなことを言われなくちゃならん? そんな権利がお前らにあるのか?」 「ある」 インテリは断言した。 「ほう。してその権利とは?」 「我らは法華アキラファンクラブだからだ!」 俺はずっこけた。 精神的に、ではあるが。 肉体としての俺は雨の降る中嘆息したに過ぎない。 「よりによってアキのファンクラブかよ……」 確かに俺はアキのファンクラブが出来るかも……なんて思案したこともあったが、それにしたって本当にできるとは。 まぁいいんだが。 「つまりお前らは俺とアキの関係が気に入らない……と」 「そうではない!」 「じゃあ何だ」 「法華さんは重要無形文化財だ! 貴様一人が所有して良いモノじゃない!」 「別に所有しているつもりはないが……」 「しかして法華さんがお前に従っているのは確かだろう!」 「それについてなら俺よりアキ自身に言えよ。俺は強制した覚えはない」 うんざりとそう言う俺に、 「「「「「ぬけぬけとよくも!」」」」」 「「「「「何様のつもりだ!」」」」」 「「「「「法華さんを解放しろ!」」」」」 法華アキラファンクラブの皆々様方が抗議する。 俺は溜め息をついた。 「だからそれは俺に言うよりアキに言えよ。俺に言ったからって解決する問題とも思えんのだがどうだろう?」 「しかして我々は法華さんを見守る立場にある。話しかけるなど以ての外……」 「ヘタレめ……」 それ以外の言葉が浮かばない俺。 「そもそも重要無形文化財たる法華さんに気安く話しかける貴様が無粋なのだ!」 「つまりヘタレなお前らは気安くアキに話しかけている俺が気にくわない……と」 「「「「「ぐっ……」」」」」 狼狽えるインテリ他法華アキラファンクラブ一同。 「なんなら俺がアキと会話する機会を設けてやろうか?」 「「「「「本当か!?」」」」」 大いに反応する法華アキラファンクラブ一同。 「ただし一人だけな。今俺の部屋でアキがカレーを作っている。そこにお邪魔して夕食を共にする権利をくれてやるよ」 俺はそう言った。 「「「「「うおおおおお!」」」」」 と法華アキラファンクラブ一同は歓喜した。 「やれやれ……」 俺は痛む額を押さえて首を振った。 |