ご主人様と呼ばないで

雨の降る日、1


 六月に入った。
 梅雨入りだ。
 ちなみに今日の天気は曇り。
 雨が降ってもおかしくない。
 そんな雲行きだ。
「午後からは雨が……」
 などと忠告してくれるお天気お姉さんの天気事情を聞きながら俺はアキに言った。
「相も変わらずうまいな。お前の味噌汁は……」
「そう言ってもらえれば幸いです。ご主人様……」
「これなら嫁の貰い手には困らないな」
「いえ、結婚する気はありません」
「何でだ? お前なら引く手数多だと思うが?」
「私はご主人様の奴隷ですので」
「俺と結婚するってこと?」
「そんなそんな……おこがましいです……。ただご主人様の隣でご奉仕させてもらえればそれだけで幸せです」
「そういう強迫観念はともかく……お前は自分の幸せを探すべきだと俺は思うぞ?」
「ご主人様に尽くすことこそが私の幸せ、私の本懐です故」
「だーかーらー、俺、ご主人様じゃないって」
「いいえ。紛れもなくご主人様はご主人様です」
「あっそ……」
 俺は味噌汁をすすった。
 そこでピンポーンと一つ。
 玄関ベルが鳴った。
「はーい」
 とアキが応対する。
「アキちゃん、おはよ」
 鳥の巣頭の背の低い女子が現れた。
 姫々だ。
 湿気故に鳥の巣頭をさらにぐしゃぐしゃにして現れた。
「日日日ちゃんもおはよ」
「……はよ」
「なぁに? 暗いなぁ。どうかしたの日日日ちゃん?」
「別に何でもねえよ。あえて言うなら天気が悪いことが憂鬱なだけだ」
「午後から雨だってね。ちゃんと傘持たないと駄目だよ?」
「はいはい」
「それは駄目ですご主人様!」
「…………」
 何を言い出すんでしょうこのかっこ奴隷かっことじは?
「ご主人様自ら傘をさすなど奴隷として看過できぬことです!」
「どういう意味?」
 クネリと首を傾げる姫々。
「昔は傘は王侯貴族のシンボルだったんだ。おそらくアキは奴隷であるが故にご主人たる俺に傘を持たせるなどできないって言ってるんだろうよ」
「そうなのアキちゃん?」
「その通りです」
 しっかと頷くアキ。
 俺は、
「はぁ……」
 と嘆息した。
 アキの言い分はわからないでもない。
 だがもっと自然体で付き合いたいと考えるのは俺の傲慢なのだろうか?
 とまれ、
「御馳走様でした」
 俺は朝食を終えてベッドルームに移動した。
 そんな俺の後ろを、エプロンを外して雪柳学園の制服になったアキが追ってくる。
 ちなみに姫々は皿洗いである。
 最近はそれが定番となりつつある。
 嫌な定番ではあるが……まぁ感謝くらいはしなければなるまい。
「ご主人様」
 と弾むような声でトテトテと俺の後ろをさながらヒヨコのようについてくるアキ。
「じゃ、今日も頼むよ」
 俺はベッドルームにある姿見の前に椅子を置き、そこに座る。
 そしてブラシを持ったアキに髪を梳いてもらう。
 丁寧に俺の髪を梳くアキの技術に酩酊しながら俺はその心地よさに溺れる。
 そんなこんなで、
「よし……!」
 と俺は立ち上がる。
 姿見で自身の髪型をチェック。
 問題ないと判断して、
「ありがとうアキ……」
 感謝を。
「もったいのう……」
 とアキは一礼する。
 そして俺とアキと姫々は俺の城から出て登校した。
 ビニール傘を俺が持つことを頑なにこばむアキに閉口したが、まぁそれはいいだろう。
 傘をさしてくれるのなら願ったり叶ったりだ。

    *

 アキと姫々を両腕に抱きつかせて登校するのはこれがもう何度目かわからない。
 男子からは嫉妬の視線が。
 女子からは侮蔑の視線が。
 それぞれ向けられる。
 だがそれは不本意というものだ。
 好きでもない人間をはべらせては反論の余地もないというものだが……。
 と、そこに、
「あーっ!」
 更に迷惑が付きまとう。
 音々だ。
 ブラックシルクのような繊細な黒髪ロングストレートを振り乱しながら音々が可愛らしく嫉妬する。
「姫々にアキ……最近調子に乗りすぎ……!」
 それは見当違いの嫉妬だった。
 でも事実誤認ではなかった。
 さてどうしたものだろう。
 恋の摩擦係数は現実のそれより厄介だ。
「日日日も! 甘やかしちゃ駄目じゃない!」
「別にそんなつもりは……」
「本当にない?」
「…………」
 何より雄弁な沈黙を守る俺。
「むぅ……」
「何が、むぅ、だ」
「やっぱり僕もフラワーハイツに」
「ロールスロイスで送迎されてる奴が何言ってやがる」
「でもでも」
 プクゥと可愛らしく音々が膨れる。
「アキと姫々ばっかりズルいよ。僕だってもっと日日日と一緒にいたいよ」
 目をうるうると震わせながら音々が言う。
「いい子いい子」
 俺は音々を抱きしめて頭を撫でてやった。
 それだけで、
「えへへぇ」
 と機嫌のよくなる音々。
 ……お手軽な奴……。
 ともあれ、
「ほら、朝のホームルームが始まるぞ。自分の席につけ」
 俺は音々を促した。
 ついでに姫々にも言う。
「自分の席につけ」
「はーい」
 俺と組んでいた腕をほどいて自身の席に向かう姫々。
 それから俺とアキは自身の席へと向かう。
「さて……」
 と俺は鞄を机に置いて、それから一時限目である数学の教科書とノートを取り出した。
 同時にポトリと一つ。
 何かが俺の膝へと落ちた。
 それは小さな封筒だった。
 裏面を見てみると日日ノ日日日へ、と書かれていた。
「…………」
 沈黙する俺。
 と、そこに、
「おおっす。席についたかジャリども」
 噛みタバコをクチャクチャと噛みながら担任の桑原教師が入ってきた。
 朝のホームルームが始まる。
「じゃあ出欠とるぞ」
 そんなこんなで出欠をとり必要事項を述べた後、桑原教師は教室を出ていった。
 俺は必要事項も聞きもらして件の封筒を凝視していた。
 まさか……これって……。
 期待の高まる俺は、
「…………」
 誰もこちらを見ていないことを確認して、それから二つの封筒を開いた。
 中に入っていたのは連絡文書。
 曰く、放課後にて体育館裏で待っているということだった。
 筆記者の名前は書いていない。
 まぁ何はともあれ連絡文書であることは確かだ。
 無視するわけにもいくまい。
 そんなこんなで俺はとりあえず連絡文書を自身の鞄に封印することにした。
 とまれ、まずは授業だ。
 集中するに越したことはない。

    *

 昼休み。
「というわけで……」
 学生食堂で俺は焼肉定食を食みながら事実だけを伝えた。
「こんな手紙をもらってしまった」
「……っ!」
「……っ!」
「…………」
 アキと姫々は動揺し、音々は平然とカモそばをすすった。
「日日日ちゃん……それって……!」
 瞳孔を開きながら姫々が言う。
「ラブ……レター……?」
「かどうかはわからん。というかむしろ違うと思う」
 玉ねぎを咀嚼しながら俺。
「その根拠は?」
 とこれは音々。
 カモ肉を美味しそうに食みながら、だ。
「ラブレターにしてはそっけなさすぎる。むしろ呼び出しの可能性が高い。なにせ俺はほら……周りからやっかみを受けているから」
「ま、こんな可愛い僕らをはべらせているんだから順当な等価交換だと思うけどね」
「お前が言うと一味違うな」
「いやぁ……」
 照れる音々。
 褒めてないぞ。
 念のため。
「それでご主人様……どうされるのですか?」
「まぁ行かんわけにもいくまいよ」
「私も同行してよろしいでしょうか?」
「駄目だ」
「……何故です?」
「もしやっかみ故のものなら話がこじれる」
「しかし放課後には雨が降ります。傘を持つのは従者の務めかと」
「だーかーらー、そんなこと気にすんなって」
「ご主人様に傘を持たせるわけにはいきません」
「…………」
 俺は嘆息すると、
「いい加減にしろよ」
 少しだけドスをきかせてそう言った。
「っ!」
 声を失うアキ。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずってな。本来の意味は違うがこれは真理にも近い言葉だ。特にアキ……お前みたいな奴にはな」
「でも……私は……」
「わかってるよ。人に従うのがお前のアイデンティティ……レゾンデートルだもんな。それは否定しない」
「ならば……!」
「でもそれだけじゃないことを覚えろ」
「…………」
「お前ははれて父親から自由になった身だ。父親の呪縛から放たれた存在だ。なら、自分自身を省みるのが妥当なところだろう?」
 俺は焼肉を食べる。
 音々はカモそばをすする。
 アキと姫々はオムライスを頬張る。
 そんな四人に周りは注目する。
 まぁ白と黒の美少女たるアキと音々……音々を美少女というには語弊があるが……に姫々までもが俺に纏わりついているのだ。
 嫉妬の視線に晒されるのも無理はない
 白の美少女……アルビノゆえに白く長い髪と白い瞳を持つアキは言った。
「それでは、私はどうすれば……?」
「先に家に帰って紅茶の準備でもしてくれ。夕食の準備もしてくれていれば可」
「わかりました」
「私は……姫々はどうすればいいの?」
 そう問うたのは本妙姫々。
「お前、部活あるだろ」
「それはそうだけど……」
「なにか問題あるか?」
「ありまくるよぅ」
「例えば?」
「それがラブレターの可能性もあるんでしょ?」
「まぁ無いとは言えんわな」
「また私は自傷行為に走っちゃうよ?」
 そう言って左手首を見せる姫々。
 姫々の左手首には躊躇い傷があった。
 即ち、自殺しようとした痕跡だ。
 そんな姫々の……頭を俺は撫でた。
「大丈夫……」
 安心させるように俺は言う。
「俺は誰かに靡いたりしないよ」
「それなら……いいけど」
 不満そうに姫々。
「ま、靡かないのは誰に対しても同じだけどね、日日日は」
 カモそばのダシを呑みながら皮肉る音々。
「まぁな」
 俺は苦笑気味に頷く。
「だから攻略し甲斐があるだろ?」
「攻略難度A級だよ」
 音々もまた苦笑する。
「そういやお前は反対しないのな」
 そう言う俺に、
「僕も今日は用があるからね」
 そう言ってヒラヒラと紙切れを示してみせる音々。
「ラブレターか?」
「その通り。僕とて日日日が好きで好きでしょうがないけど、僕を好きだっていう人間にはそれなりの誠意を見せなくっちゃね」
「本気で言ってないだろ」
「あ、わかる?」
 そう言って苦笑する音々。
「大変だな、お前も」
「日日日ほどじゃないよ」
「しかしてまた男か?」
「いいや。今度は女子だよ?」
「そういやお前のファンクラブには女子も多いんだっけか?」
「そうだね。関知するところでは無いけど」
「お互い大変だな」
「まったくまったく」
 そう言い合って俺と音々は皮肉げな笑みを浮かべた。

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