「せい!」 「よっ!」 「わ……あわ……!」 これら一連の流れは野球のそれだ。 「せい!」 は、音々が投球する掛け声。 「よっ」 は、俺のバットを振る音。 「わ……あわ……!」 は、アキが撃たれた球を追いかける声。 ちなみに姫々がキャッチャーだ。 道場の組手に昼食を終えた俺達は蕪木ビルの近くの公園に来ていた。 ちなみにこの公園の少し遠くに俺と姫々の実家がある。 実は俺と姫々と音々はご近所さんなのだ。 俺と姫々は子供の頃からの幼馴染で、音々は雪柳学園高等部で知り合った仲だ。 ……ただし、音々に言わせればそれは間違いということらしいけど。 「たはは……さすがに野球じゃ日日日に敵わないなぁ……」 そう言ってグローブを装着してない方の手で頭を掻く音々。 ブラックシルクの如き黒い長髪が揺れる。 「ていうか音々ちゃんの球……速度ありすぎてついてけないよ」 そう言ったのは姫々だった。 キャッチャーグローブを構えながらそう言う。 鳥の巣頭が風にふわふわと揺れる。 そして、 「音々様……てい……!」 と、アキがボールを投げる。 その球を確認もせずに後ろ向きでグローブに収める音々。 こういうところは規格外だ。 そして姫々が言った。 「じゃ、休憩しよっか。日日日ちゃん」 「そうだね。またいつもの?」 「うん」 そう言って鈴蘭のように笑う姫々。 それから俺達は姫々の布いたブルーシートに座って、姫々の作ってきたカップケーキを食べた。 「うーん。美味しい。姫々はいいお嫁さんになれるね」 そう言って笑顔をほころばせる音々。 姫々はといえば、 「日日日ちゃんのお嫁さんなら……いつでも……」 頬を紅に染めながらそう呟く。 「…………」 何も言えずにカップケーキを食べる俺。 そして音々が反論した。 「駄目だよう。日日日のお嫁さんになるのは僕だから」 「日本じゃ同性婚は認められてないよぅ」 苦し紛れにそう言う姫々に、 「じゃあ僕と日日日の国籍をオランダに移すよ。あるいはアメリカのマサチューセッツ州でもいいね。日日日。僕と一緒にMIT行かない? コネで入れるよ?」 音々が規格外のことを言う。 「アホかお前は」 そう言って俺はぺちっと音々に突っ込みを入れた。 「えへへ、突っ込まれちゃった……」 「なにゆえ嬉しそう?」 「だって日日日に突っ込まれたんだよ!? 嬉しくない!?」 「本人にはわからんなあ。アキ、茶」 「了解しましたご主人様」 そう言って紅茶を注いで俺に渡してくるアキ。 姫々の作ったカップケーキを食べながら、アキの淹れた紅茶を飲む。 中々の贅沢だ。 公園に面した道路を通り過ぎる人間達がこちらを見てギョッとする。 それから視線を逸らして去っていく。 まぁ気持ちはわからないでもない。 白の美人……アキ。 黒の美人……音々。 ロリータ……姫々。 そしてそれらに囲まれて、 「日日日ちゃん。口元にケーキのクズがついてるよ。ハンカチでとってあげる」 「いいえ、私がとります」 「僕が舐めとってあげる」 「阿呆×3」 甲斐甲斐しく世話をされている冴えない男子が一人。 ここまでくれば怪奇現象だ。 そんな興味津々な衆人環視の視線に刺されてエフェクト上の血を出しながら俺が言う。 「しっかし、お前らよくも俺なんかに惚れられるな……」 「だって日日日ちゃんは優しいから」 「慈悲と恋愛は違うぞ」 「日日日かっこいいから」 「かっこいい……かなぁ……?」 「ご主人様はご自分を省みられればよろしいかと」 「……毎朝毎晩見てるぞ」 そう言ってカップケーキを食べる俺。 そして二個目のカップケーキを取って食べながら音々が話題を切り替える。 「ねぇねぇ!」 「あいあい……?」 「少しは思い出した!?」 「何を……?」 「僕との馴れ初めだよぅ」 「またそれか……」 音々曰く。 子供の頃、俺と音々は会っているらしい。 それもこの公園で。 「ご主人様と音々様の馴れ初めとは何でしょう?」 そんなことをクネリと可愛らしく首を傾げて問うアキ。 白いふわふわのロングヘアーが揺れて垂れる。 「うふふぅ」 気持ち悪い笑い方をしたのは音々だ。 そして言う。 「子供の頃ね。僕はここで日日日に助けられたんだ」 「…………」 俺は無言でカップケーキを齧る。 「僕は子供の頃から女装しててね」 「…………」 「この公園で男の子達に虐められてたの」 「まぁ」 「あの頃は今みたいに柔術なんて学んでないからやられっぱなしでね」 「それは……」 「そこに一人の男の子が割って入ってきて虐めっ子達とドンパチして助けてくれたんだ」 「その男の子って言うのが……」 「そ。日日日」 「……俺は覚えてない」 そう言ってカップケーキをあぐり。 「そんなぁ……日日日ぁ……」 ああん……と官能的に悩ましい声をあげる音々。 「でもあのヒーローみたいだった……日日ノ日日日と名乗った男の子の事が忘れられなくてね。僕も雪柳学園に入ったんだ」 「うちは中等部から大学までエスカレータ式に上るから高校からの入学でしかも女装野郎ってことでだいぶ噂になったな」 そう補足する俺。 「でもよく雪柳学園高等部にその男子……ご主人様がいるってわかりましたね……」 「懇意にしてる興信所に調べてもらったの。初めて中学生に育った日日ノ日日日の写真を見た時の感動なんて忘れられないよ。キュンキュンくるんだもん。かっこいい男の子に育ってくれたことが嬉しくて、そんな日日日と一緒の学校に行けることが嬉しくて、眠れない日々を過ごしたんだから」 「そりゃ幸せなこって」 「うん!」 「…………」 どうも皮肉は通じないらしい。 恋する乙女は……男だが……記憶の補完に隙はない。 「だから今幸せ。ドキドキが止まらないよ」 そう言って俺のカップケーキを持っていない方の手を持って、自身の胸に当てる音々。 音々の心臓の鼓動が俺の手を伝わって脳に認識される。 「ね? 日日日……ドキドキしてるでしょ?」 「……まぁな」 「えへへぇ」 と幸せそうに笑う音々。 「わ、私も! 私も日日日ちゃんと一緒にいるとドキドキするよ!?」 「私もです……。ご主人様……」 そう言って俺の手を自身の胸に当てようとする姫々とアキ。 俺はそれらを振り払う。 「ええい。鬱陶しい」 「なんでよ。音々ちゃんだけずるい!」 「女子の胸に触れるか! 犯罪じゃボケ」 「合意の上だよ」 「俺が合意してないっつーの」 「むう」 むう……じゃねーよ、全く。 「でもご主人様は前に私に心臓の鼓動を聞かせてくれたじゃありませんか。逆もまた真なり……ですよ?」 「そんなことしたの日日日ちゃん!?」 「そんなことしたの日日日!?」 不機嫌そうに俺を問い詰める姫々と音々。 「……まぁ、色々あって」 「あの抱いてくださった時の安心感は私、今でも夢に見ます」 「抱いたの日日日ちゃん!?」 「抱いたの日日日!?」 「だーかーらー、純粋に抱いただけだ。隠語じゃねーよ」 「それならまぁ……良くないよ!」 ノリツッコミ? 「そうでもしないとアキが納得してくれそうになかったからな」 「ご主人様。私の体は余すところなくご主人様のモノです。どんな要求にも応えるつもりです」 「これを本気で言ってるんだからな……」 うんざりとそう言う俺に、 「日日日ちゃん!」 「日日日!」 不機嫌そうに姫々と音々が俺を追い詰める。 「いや、気持ちはわかるがアキを抱く気はねーよ。これホント」 カップケーキをかじりながらそう言う俺だった。 * 「嫌いなモノおありでしたら言ってください」 そう出張してきた寿司職人が言ってきた。 「俺は特に」 アクなく言う俺。 「私は貝類が苦手で……」 申し訳なさそうに姫々。 「僕は何でも食べるよ」 気楽そうに音々。 「あの……私がお寿司なんて……いいのでしょうか……」 気後れしながらアキ。 ここは公園から場所を移して再び蕪木ビルの五十階。 高級寿司の出張サービスを頼んだ音々によって俺達は音々の部屋で寿司を食べることになった。 無論、回転寿司とは違うモノホンの寿司だ。 値段は聞かないでくれ。 一高校生に払える金額ではない。 この辺り蕪木財閥の常識は理解できない。 「とりあえずヒラメとウニとアワビ……姫々にはアワビ無しで……代わりに甘海老をおねがい」 「了解しました」 そう言って寿司職人は握ってくれる。 「あの、音々様……。私はこんなものを施される価値など……」 「まぁいいから。ただ寿司を楽しめばいいよ」 「……はあ……」 それでも不安を残しながら言うアキ。 ヒラメの握りを置かれてそれを食べる俺達。 「おお……! うま……!」 驚愕してしまう俺。 「うん。美味しい……」 ほわっと幸せな笑顔を見せる姫々。 「ふわ……すご……!」 動向を開きながらアキ。 「うーん。美味し」 動じずに音々。 「日日日、日日日」 「何だ?」 「僕と一緒に住めばこんな食事が楽しめるよ」 「寿司が美味いことは認めるが、アキや姫々の手作りも捨てたもんじゃないぜ?」 「むう……」 呻く音々。 と、 「音々!」 と野太い声が音々の部屋に響いた。 そっちを見ると髭を生やしたバナナ紳士的な人物が音々の部屋の扉を開けていた。 「お父様……!」 そう父を呼ぶ音々。 蕪木財閥の総帥……またの名を蕪木おじさんは音々に抱きついて髭を音々に擦り付ける。 「音々かわいいよ音々」 そう言って音々を抱き続ける蕪木おじさん。 それから蕪木おじさんは俺を見つけると、 「やあ日日日君。音々の婿になる決心はついたかな?」 そんな夢見がちなことを聞いてくる。 「そんな決心……しませんよ」 「日日日君は過去ではなく未来に生きるべきだとおじさんは思うぞ」 「これが俺の生き方なんで……」 「ふうむ。難敵だな。まぁいい。おい寿司屋。僕にはイクラとウニと赤身をくれたまえ」 さも当然とばかりに出張寿司屋に注文を付ける蕪木おじさん。 そしてそれに応える寿司職人。 蕪木おじさんは寿司を頬張りながら言う。 「しかし音々の婿なんてお買い得だと思うぞ? 蕪木財閥は君を全力で迎える覚悟だ。そのためならオランダでもアメリカのマサチューセッツ州でも籍を移す覚悟だ」 「それ、息子さんにも聞きましたよ」 「ならばさっそく手をうとう……! 日日日君と音々をオランダで同性婚させるための作業を……!」 そう気が逸らせる蕪木おじさんに、 「それには及びません。俺は誰かを好きになることはありませんから」 俺はそう反論した。 「日日日ちゃん……」 唯一事実を知っている姫々が辛そうにそう俺を呼ぶ。 「むう……。それでは日日日君は僕の可愛い可愛い可愛い音々と一緒になってはくれないのかい?」 「そういうことになりますね」 なるたけ淡泊にそう言う俺。 「音々に何か不備があるのかい!?」 「ないですよ? 音々は可愛いし性格はいいし従順だし、褒めてたらキリがないくらいですよ」 「なら何故?」 「死魚は流れのままに流される……ってだけですよ」 「……?」 「ああ、余計なことを言いました。ともあれ僕にはまだ誰かを愛する気概が無いというだけです」 「そうかい……」 蕪木おじさんは納得したようにそう言った。 これもいつもの風景だった。 * その後、ロールスロイスでフラワーハイツまで送られた俺らはそこで解散と相成った。 俺とアキは105号室に、姫々は205号室に、そして俺らをロールスロイスで運んだ音々はそのまま反転して蕪木ビルへと。 風呂、洗濯を終わらせてパジャマを着たアキと、同じくパジャマを着た俺とがダブルベッドに並ぶように寝転ぶ。 「今日の蕪木家はどうだった?」 「すごかったです。度肝をぬかれるとはあのことでしょう」 「ま、あんな金持ちが友達にいるってのは一種のステータスだな」 「それは……割と最悪な発言かと……」 「だろうけど否定しても始まらないしな。何より音々は蕪木財閥ってだけでチヤホヤされて嫌悪感の渦中にいるんだ。俺みたいにあっけらかんな性格の相手じゃなければ友達とは思ってもらえないんだよ」 「だからご主人様は音々様にも不遜な態度を取るのですね……!?」 「いや、これは性格」 「……そうですか」 何とも言えない表情で言葉を返し損ねるアキ。 いや、まぁいいんだけどさ。 「とりあえずもう寝ようぜ。今日は五割の音々と組手したからだるくてだるくて……」 「そう言えば先週もですけど……ご主人様は、日曜日は蕪木ビルの蕪木無真流の道場に通っているのですか?」 「ま……ね……」 「週一であれほどの強さを得られるんですね。ご主人様は素晴らしいです」 「ま……ね……」 「あの……私に何か不備がありましたでしょうか?」 「ないよ。ただこの程度で褒められてもなぁってだけ」 「この程度なんて……そんなことありません! 唯一ご主人様だけが音々様の五割と渡り合える姫々様から聞いて、私は感動したほどです!」 「あっそ」 俺は淡白にそう言って、寝室を消灯する。 真っ暗になった室内。 アキが俺の腕に抱きついてきた。 アキの胸の感触を味わいながら俺は問う。 「何してんの?」 それに答えてアキ曰く、 「暗がりは怖いです。ご主人様のお肌を直に感じなければ落ちてしまいそうで」 「うん。そういう理由があるならいいか。いくらでも抱きついてくれ」 「ありがとうございます。ご厚情、感謝します」 そう言ってダブルベッドの上、俺は片腕にアキを抱きつかせて眠りについた。 |