ロールスロイスが三十分かけて向かった先は一つのビルだった。 そのビルの正面にて止まったロールスロイスから俺らは出る。 アキが不安そうに言う。 「あの、ここはどこでしょう?」 それに俺が答えて曰く。 「音々の家だ」 そう言う俺に、 「でもビルですよ?」 クネリと首を傾げてアキ。 そこに音々が割って入る。 「僕の部屋はこのビルの五十階になるね」 「五十階……!」 規格外の数字を聞いて驚くアキ。 「音々は蕪木財閥の跡取りなんだぞ。取り入っとくなら今の内だな」 そう言ってケラケラ笑う俺。 「まぁ僕の努力で得たものじゃないしお金持ちって言っても実感わかないけどねー」 そう言ってケラケラ笑う音々。 「あの蕪木財閥の……気品のある方だとは思っていましたけれど……」 そんなアキの言葉に音々は両頬を両手で押さえてやんやんと恥ずかしそうに首を振った。 「やーん。褒めても何にも出ないよ? 後で純金五十キロ包んであげる」 「出るんじゃねーか」 思わずつっこんでしまう。 「それで、このビルにいったい何の用でしょう?」 「そういや先週は連れていってないから今日が初めてか……アキは……」 「はい」 「このビルの二階にな。道場があるんだ」 「道場ですか?」 「そ。蕪木無真流柔術っていう流派なんだけどな……」 「……そこの道場主が音々ちゃんってわけ」 俺の言葉を引き継いで姫々が言う。 「そういえば音々様は柔術の免許皆伝であらせられましたね……」 「そういうこと」 そう言って俺はビルの中に入っていく。 続いて姫々と音々が。 最後にアキが気後れしながらついてきた。 * ビルの受け付けは顔パスで通り抜け、俺らはビルの二階まで階段であがった。 全てが道場と化している蕪木ビルの二階で俺らは数ある部屋の内の着替え部屋に入る。 それから私服から道着に着替えた俺と音々は修練場に顔を出した。 そこでは、 「「「「「せい!」」」」」 「「「「「やあ!」」」」」 「「「「「押忍!」」」」」 と声を張り上げて対人修練をする門下生が見て取れた。 門下生達は音々を見るなり、一時修練を止め、 「「「「「押ぉぉ忍っ! 蕪木先生!」」」」」 と音々に深く礼をした。 「はい。それじゃ組手やるよ」 そう音々が言うと同時に門下生たちは修練場の端に寄って正座した。 俺もそれに倣う。 私服のままのアキと姫々は修練場の端っこでお弁当を持って座った。 「姫々様……これから何が始まるのでしょう?」 「音々ちゃんが門下生数十人と組手をするんだよ」 「大丈夫なんですか?」 「音々ちゃんが心配?」 「それは……ええ……」 「大丈夫。音々ちゃんも本気を出さないと思うし」 そんな会話が聞こえてきた。 そうしている内にも「心技心」と書かれた札を背にして一人目を迎え撃つ音々。 それは一方的な情景だった。 音々の道着を掴んだ門下生が一本背負いを決めようとする。 体重の軽い音々は長い黒髪を広げながら、一本背負いに抵抗することなくグルンと一周する。 そしてこれは俺にしかわからないことだったが、音々は一本背負いをくらった瞬間、自身でも床を蹴って流れに逆らわなかった。 結果、一本背負いは決まらず、アクロバットに空中で一回転した音々が床に立っていた。 そして音々の肘が門下生の顎をかする。 ただそれだけのことで門下生は、まるで糸の切れたマリオネットのように、意識を失い崩れ落ちた。 「次」 崩れ落ちた門下生その一を壁際まで運んで門下生その二が音々に組手を挑んだ。 結果だけを言えば門下生の完敗だった。 そうやって数十人を地べたに這いつくばらせて順番が俺に来た。 「さすがの音々だな……」 地べたをなめる数十人の門下生に囲まれながら無い胸を張る音々に、俺はそう言った。 「こっからが本番だね」 俺を前にして音々が言う。 「よせよ。俺でもお前にかなうはずもない」 「手加減はするよ?」 「五割だ。それ以上はまかりならん」 「うん。五割だね。それでいくよ」 軽く言ってくれるね……。 「がんばれー日日日ちゃん」 「がんばってくださいご主人様……!」 俺の背後からそんな無意味なげきが飛ぶ。 「軽く言いやがってコンニャロウ……」 化け物そのものの音々を前に、俺は体重を前に移した。 次の瞬間、音々がタイミングを外すように前進してきた。 「っ!」 俺は、 「ちぃ!」 音々の繰りだす打突の全てをさばいた。 「さすが日日日……!」 「五割でこれかよ……!」 そう言い合いながら俺と音々は距離を取る。 そしてまた間合いを詰める。 「しっ……!」 「ふっ……!」 俺の正拳を受け流し打突を繰り出す音々。 俺はそんな音々の打突を……手を足を総動員して弾く。 そして、 「しっ……!」 俺の打拳が音々を捉える。 しかしそれは音々の脱力によって打ち消される。 まるで紙に打拳を撃つような感触。 究極のリラックスによって為しえる技術だ。 俺の打拳を軸回転で避けた音々は、 「ふっ……!」 と呼気一つ。 俺に回し蹴りを浴びせてくる。 それを受け止めて、 「しっ……!」 と呼気一つ。 ボディブローを撃つ俺。 「ふっ……」 と脱力でそれを無効化する音々。 完全に決まったと思った俺でさえ、理解の届かない領域。 見るだけなら俺の打拳が音々を吹っ飛ばしたように見えるだろうが、実際は違う。 音々が俺の打拳を受け流したことが実感できる一打だった。 手ごたえが……無い。 「よく食らいついてくるねぇ……」 ボディブローいかほどのものかとそう言う音々。 「化け物め……」 「あ、その言い方は傷つくなぁ……」 そう言って音々は間合いを詰める。 蕪木無真流柔術において《打突の鬼》と言われている音々のそれは常軌を逸していた。 雨のように打突を繰り出してくる音々のそれを、俺は、 「…………!」 無言でさばく。 突きを受け流し、蹴りを腕でふさぎ、 「しっ……!」 と呼気一つ。 音々の喉目掛けて手刀を振るう。 それをギリギリで見切って避ける音々。 右腕を伸ばしきった直後、音々は俺の腕に絡みついてきた。 跳び付き腕拉ぎ逆十字固め!? 俺は床を蹴って音々の流れに逆らわず空中で一回転する。 そうして腕のロックを外して、間合いを取る。 「はぁ……はぁ……!」 全身から汗を拭きだしながらも俺は呼吸を整える。 対して音々は余裕綽々だった。 「僕の五割に付き合えるなんて日日日くらいだよ。楽しいなぁ……」 「そりゃよござんす」 皮肉気に俺。 そしてまた間合いがゼロになる。 先の先を取る。 正拳突き……をフェイントに、音々の懐に潜り込み肘を入れようとする。 が、防がれる。 同時に音々がハイキックを繰り出してくる。 俺はそれを無視して、音々の肺目掛けて掌底を撃つ。 音々のハイキックが炸裂してチカチカと星が視界に入り乱れる。 俺の掌底はというとしっかりと防がれた。 グラリと揺れる俺の上半身。 と、音々は俺の髪を足の指で掴み無理矢理起き上がらせる。 次の瞬間、音々によって放たれたのは俺の顎を狙った膝蹴り。 それを手で弾くと同時に、俺は俺の髪を掴んでいる音々の足に一本拳を撃ちこむ。 「いっつ……!」 痛みに表情を歪めて俺の髪を掴んでいる足を開放する音々。 そして俺は姿勢を低くして旋回した。 跳びあがった状態の音々の腰目掛けて後ろ回し蹴りを撃つ。 タイミングは完璧。 この状況なら防ぐことは叶わないはず! と、俺が驕った瞬間、 「…………」 音々は脱力で俺の後ろ回し蹴り受け流した。 そしてまた間合いが開く。 「……っ!」 音々が体勢を整える前に俺は間合いを潰した。 撃ったのは崩拳。 タイミングは完璧。 しかして相手は蕪木無真流免許皆伝。 吹き飛ばされながらも瞬時に体勢を立て直し、俺の崩拳を左足で受け止めると同時に縦回転。 回転の加わった右足の踵落としが俺の頭を打った。 そこで俺の記憶は途切れた。 * 「やっぱり駄目だったな」 場所は蕪木ビルの五十階。 蕪木ビルの二階にある蕪木無真流道場を出てシャワーを浴びた後、私服に着替えると、俺達は蕪木ビルの五十階へと場を移した。 そこはファンシーなぬいぐるみが囲むファンキーな音々の部屋だった。 俺はアキと姫々とが作ったサンドイッチを食べながらそう言った。 「駄目じゃないよう。最後の方は全力で迎え撃っちゃったし……。もし五割のままなら日日日の崩拳の餌食だったよ」 「てめ……あれ全開だったのかよ!」 「しょうがないじゃん。追い詰められれば自然と全力が出ちゃうんだよ……」 あっさりと言いながら音々はサンドイッチを頬張る。 「ご主人様と音々様は武芸が達者であらせられるのですね」 尊敬のまなざしでそう言うのはアキ。 「まぁ暇つぶし程度のモノだけどな……」 「暇つぶしで僕の五割を圧倒できるんだから日日日が本気で蕪木無真流を学べば僕の相手足りえると思うんだけど……」 「別に武力なんて必要ないしな」 そう言って俺はサンドイッチを口に放り込む。 「そしたら僕と一緒の時間だって増えるのに……」 そこまで言って、 「そうだ! 日日日! 僕の家に住まない!?」 キラキラとした眼差しでそう言う音々。 「断る」 バッサリと俺は言う。 「……なんでさぁ」 「武術に興味は無くてな」 「その割に吸収率は類を見ないけど……」 「……膂力が強くても守れないものもある」 そう言う俺に、 「…………」 サンドイッチを食べていた姫々の手がピタリと止まる。 そうか。 姫々には通じるのか。 まぁ当たり前か。 「そんなぁ……一緒に住もうよぅ日日日……」 「断る」 「なんでさぁ。不自由はさせないよ?」 「そんな懐柔策で俺が落ちるとでも?」 「うーん。難しいなぁ」 そう言ってサンドイッチを咀嚼する音々。 「でもこの下の四十九階にはゲームの筺体がそろってるよ」 それは事実だった。 蕪木ビルの四十九階は常に最新のゲームの筐体が置いてある。 ゲームセンターも追いつけないレベルである。 しかし、 「ゲームで気を引けるのは小学生までだ」 俺はそう言った。 「毎日フォアグラ、トリュフ、キャビア三昧だよ?」 「別にアキや姫々の食事でも不満はないしな」 「うう……」 そう呻く音々。 まぁ無欲の勝利ということで。 「アキ、茶をくれ」 「かしこまりましたご主人様」 そう言って水筒から紅茶を出してカップに注ぐと俺に出してくれるアキ。 「ども」 そう礼を言って紅茶を飲む俺。 「紅茶も本場インドのいいところを仕入れるよ!? それでも駄目!?」 音々が食い下がる。 「別にお茶の優劣に興味は無いしなぁ」 茶をすすりながら俺。 「日日日のいけず……」 そう言われてもな。 しかして不機嫌に膨れる音々は抜群に可愛かった。 男だけど。 |