「ご主人様、ご主人様、起床なさってください。お客様です」 日曜日の朝。 俺はそんな声とともに覚醒した。 目に入ったのは白い髪に白い肌、白い瞳孔を持つ美少女だった。 アキだった。 俺の肩をゆさゆさと振るアキは、申し訳なさそうな顔をしていた。 ……ていうか、うん? 「客?」 「はい。音々様です」 「あーそっか。今日は日曜か……」 「ちなみに姫々様も来られています。先ほど私と共に昼食となるお弁当を御作りになりました」 「あいあい」 「それからご主人様……」 「なんでがしょ?」 「寝癖がついております。姫々様と音々様には一時退室してもらい身支度を整えるべきかと」 「いいよ。あいつらには気兼ねはいらないからこのままでいい」 「ではせめて寝癖を私に直させていただけませんでしょうか?」 「そりゃ構わんが。どっちにしろ出かけるんだから身支度は必要だ」 「……はい」 「お前が来てから音々の家に行くのは二回目か……。ちょうどいいからお前も来い」 「ご主人様がそう仰るのなら否やはございません」 「素直でよろし」 「ではまずはお召し物の着替えを……」 「自分でできる」 「そう仰ると思いまして既に着替えを準備してございます」 「ありがと。あと恥ずかしいから部屋を出てくれ」 「了解しました」 そう言って一礼すると、アキは寝室から出ていった。 「さて……」 と呟いて俺はアキの用意した服を着る。 春らしい涼やかな空色のジャケットに、青葉をプリントされたティーシャツ。 下はインディゴのジーンズ。 姿見で確認した後、寝室を出た。 うちは1DK故に寝室を出ればすぐダイニングだ。 「日日日ちゃんおはよう」 「おっはよー日日日っ!」 ダイニングテーブルについて茶を飲んでいる鳥の巣頭の小っちゃい女子……姫々と、大和撫子然とした男子……音々がいた。 「朝もはよからご苦労なこった」 「日日日ちゃんのためだもの」 「日日日のためだよ」 「………………ありがと」 「あ、日日日照れてる。珍しっ!」 「日日日ちゃん可愛い……」 「うるせいなぁ。こちとら尖ったナイフを気取るロンリーウルフだぜ」 「苦しい苦しい」 「苦しい苦しい」 「あー、うるせえ。それでアキ。朝飯はまだか」 「温めるだけですのでもうできます……できました」 そう言ってトーストとスクランブルエッグにレタスサラダ、それからポタージュスープを出してくるアキ。 どうやらアキも姫々も音々も朝飯は済んでいるらしい。 俺だけ一人悠々と寝ていたわけだ。 黙々と朝食を呑みこむ俺を姫々と音々がニコニコしながら見ていた。 訝しがって、 「何……?」 と聞く俺。 「なんでもないよ」 と姫々。 「日日日可愛いなぁって」 と音々。 「ハードボイルドに何て言い草だ」 トーストをシャクリと食べながら俺は憮然とする。 音々が黒い長髪を梳きながら言う。 「日日日、今日の朝食は僕が作ったんだよ」 「道理で。簡素な食事なわけだ」 「ね、美味しい?」 「美味しい」 「そっか……よかった。またよければ日日日の朝食作ってあげよっか?」 「期待して待ってる」 「音々様、そう何度も私の仕事を取られては……」 「いいじゃんアキはいつも一緒にいるんだから。ずるいよ」 頬を膨らませて可愛らしくそう言う音々に、 「それが私の務めですので」 あっさりとそう言うアキ。 「いや、務めじゃねーから」 そして俺がつっこむ。 全てを食べ終えてポタージュスープで流し込むと、 「御馳走様でした」 そう言って音々に向かってパンと一拍する。 「お粗末様でした」 ニッコリ笑う音々が、 「じゃあアキ、皿片付けといて」 「それに否やはありませんが、その前にご主人様の髪を整えねば……」 「そっちは僕がやっておくよ。まーかせてっ」 「そんな。また音々様は私の義務を取るつもりですか」 「いいじゃん日曜日くらい僕が日日日を独占しても。本当なら僕だってフラワーハイツに住みたいくらいなのに」 「ロールスロイスで送迎されておいてまたぶっとんだ意見だな、オイ」 「だってずるいよ。平日はアキと姫々ばっかり日日日に構ってさ。僕は寂しく家に帰るだけ……。ズルだよズル」 「それを言われましては……」 狼狽えるアキ。 「だから日曜日くらい日日日を貸してよ。ね? いいでしょ?」 「ですが私こそがご主人様に服従する奴隷でございますれば」 「奴隷ってのは労働力を買われて酷使される存在だよ? アキは一銭でも稼いでるの?」 「…………」 沈黙するアキ。 「なら夜伽の相手とかもしてるの?」 「…………」 沈黙するアキ。 「ならアキは奴隷じゃなくて使用人だよ」 「ご、ご主人様が求めてくだされば私はいつだってこの身を差し出す覚悟でございます!」 「そう? で、どうなの日日日?」 「アキ〜。お茶淹れて」 「はい。ただいま」 そう言ってキッチンに消えるアキ。 「で、どうなの日日日?」 「今のところ抱くつもりはねえよ。盛った餓鬼じゃあんめえし」 「青春は期限付きだよ?」 「そらそうだろうけど生き急がなくてもいいだろう」 「ま、それもそっか。じゃあ日日日……」 「何だよ?」 「寝室行こう?」 「俺と寝るつもりか?」 「それも魅力的な提案だけど……」 「日日日ちゃん! 音々ちゃん!」 バンとテーブルを叩いて姫々が激昂する。 「こういう奴がいるもんで冗談だけにしておこう」 「そうだね」 あっさりとそう言う俺と音々。 激昂した姫々が小さい体をより小さくして頬を朱に染めた。 それから俺と音々は寝室へと座を移した。 そして寝室にある姿見の前で俺が椅子に座ると音々がその背後に立つ。 ボサボサモワッとしている俺の髪を丁寧にとかしていく音々。 「そうだ。昨夜ね……」 寝ぐせ直しを霧吹きで吹きながら音々が口を開いた。 「良い夢見たんだ……」 「夢だぁ?」 「そう。夢」 俺の髪を梳かしていく音々。 「どんな夢か聞かなきゃならない場面か、ここ?」 「聞きたくないなら別にいいよ?」 「で、どんな夢だったんだ?」 「聞くんだ……」 俺の髪を梳かしていく音々。 「うるせーな。ほのめかされたら気になるだろうが」 「それもそうだね」 鼻歌でも歌いかねない調子でそう言う音々。 寝ぐせ直しを俺の髪にふりかけ櫛で梳かす。 「それでねそれでね……」 「あいあい」 「僕が女になる夢だったんだ」 「今でも女みたいなものじゃねーか」 「でも僕男だよ?」 「そりゃそうだが……」 それ以上言えない俺。 「それでね」 「あいあい」 「僕はお姫様なの」 「またベタな設定が出たな」 「いいじゃん。夢だもの……」 「まぁそりゃそうか」 「それでね」 「あいあい」 「日日日が王子様みたいな恰好をしててね」 「ブランド品で身を固めてたか?」 「そういうんじゃなくて」 「そういうんじゃなくて?」 「童話の中の王子様的な……」 「うすら寒くなる光景だな」 「そうかなぁ? 格好良かったよ日日日」 「ハードボイルドはトレンチコートかドレープスーツと相場が決まってるんだよ」 「でもマントをひるがえして白い歯を見せて笑う日日日は格好良かったなぁ……」 「まぁお前がそれでいいなら俺は何も言わないが……」 既に髪のセットは終わっている。 それでも音々は口を止めない。 「それで日日日が言うの」 「なんて?」 「愛してるって……」 「そりゃいい夢だな」 「でしょう!」 そう言ってパァと華やぐ音々の表情。 とは言っても姿見ごしだが。 俺は自分で髪をいじりながら音々の夢の話を聞く。 「そうして日日日は僕をさらって遠くへ行くの」 「王子様のやることじゃなくね?」 つっこみを入れる俺に、 「もう! そこはいいの!」 むぅと呻ってそう言う音々。 「あいあい」 と簡潔に返す俺。 「それからそれから」 「それから?」 「お姫様の身分を隠した僕と……」 「…………」 「王子様の身分を捨てた日日日とで……」 「…………」 「せ、セ、えっちぃな……」 「…………」 俺は音々に向き直ると、 「てい……!」 と空手チョップを繰り出した。 「いたい」 と頭を押さえながら音々。 俺は吐息を一つ。 そして言う。 「なんちゅー夢を見てんだ、お前は……」 それに反論するように、 「夢だからいいじゃん」 音々が言う。 「身分の許されない二人が結ばれる刹那の幸せ。それを夢見たんだから」 「まぁお前の夢にまでケチつける気はないけどよ……」 うんざりと言う俺。 「もしかしてお前……」 「何?」 「俺にそういう欲求を持ってるのか?」 「持ってないと言えば嘘になるね」 「そうか……」 「そうだ……」 そう言ってニコッと笑う俺と音々。 と、そこに、 「ご主人様、音々様、身支度は終わったでしょうか?」 皿洗いを終えたのだろうアキが寝室に顔を出した。 「ああ、もう終わったぞ」 そう言って俺は立ち上がる。 「そうですか。では参りましょう」 そう言ってアキはメイド服――もう面倒くさいので突っ込んでいない――のままそう言った。 「あいあい」 そう言ってメイドにつられて俺と音々は寝室を出ようとした。 そこに、 「てい!」 と可愛らしい声をあげて音々が俺の右腕に抱きついた。 「……音々様」 むぅと不機嫌な声で音々を呼ぶアキ。 何故そこで不機嫌になる? そんな俺の疑問も無視して、 「なぁに? アキ……」 挑発的に答える音々。 「音々様はご主人様の何者でもありはしません。腕を組むのは早計かと」 「僕が日日日に惚れてる。それじゃ理由にならない?」 「……それは……そうでしょうけど……」 「自分も日日日に抱きつきたいとか?」 「滅相もない……ことです……」 「ともあれ日日日は許してるんだからアキに口を挟む隙はないよ」 「そうですね。失礼しました音々様……」 そう言って深く一礼するアキ。 そこに、 「あーっ!」 と姫々の声が響いた。 見れば姫々がダイニングから寝室の俺達を見ていた。 「音々ちゃんずるい」 「えっへへ〜。早い者勝ち〜♪」 「じゃあ私も……!」 そう言って俺の左腕に抱きつく姫々。 左腕に姫々、右腕に音々を連れて、前方にアキを添えて、俺はダイニングを通り、玄関へと向かう。 105号室を出ると、目の前に雪柳学園が見える。 それからフラワーハイツの目の前に停止したロールスロイスファントムが見えた。 日曜のいつもの光景だ。 「ロールスロイス……!」 音々の下校を見ているはずのアキがそれでも驚愕する。 ちなみに俺と姫々はもう慣れた。 蕪木財閥の一人息子たる音々のセレブっぷりに何も言うことはない。 「じゃ、行くか」 そう言って俺はロールスロイスに乗り込む。 アキと姫々と音々もそれに準ずる。 行先は音々の家。 ロールスロイスが発進する。 |