ご主人様と呼ばないで

ラブレターはそのままで、3


「ああ、そう言えばそんな手紙ももらいましたね」
 そう言ってブレザーの懐からラブレターを取り出すアキ。
 本気で忘れていたらしい。
 それから迷子のような目で俺を見て、
「それで? これはどうすればいいのでしょう?」
 アキはそう言った。
 どうするもこうするも……。
「呼ばれた場所に行けばいいんじゃないか?」
 俺は至極当たり前のことを言った。
「その間ご主人様はどうされるんですか?」
「あ? 俺? アパートに戻ってるよ。アパートすぐ目の前だし……問題ないだろ?」
「じゃあ僕も日日日の部屋にお邪魔する」
「だ、駄目です……!」
 慌てたようにそう言うアキ。
「駄目って……何が?」
 そう聞く俺に……、
「っ!」
 悔恨の表情を見せた後、
「コホン」
 と咳を一つついてアキは言う。
「ご主人様がお帰りになられるのならそれをお迎えするのが奴隷の務めです」
「…………」
 沈黙する俺。
 代わりに音々が口を開いた。
「前から思ってたんだけどさ……」
「なんでしょう? 音々様……」
「アキのそれって奴隷っていうかメイドだよね」
 家ではメイド服も着てるしな。
 声には出さずにそう思う俺。
「メイド……家政婦ですね。ですが私は家政婦と違って勤労する者ではなく身も心もご主人様に捧げた存在ですから」
 あっさりと爆弾発言をするアキの額をペシッと叩いて、
「あんまり余計なことを言うな」
 俺は牽制する。
 見やがれコノヤロウ。
 放課後でも残っているクラスメイトども視線に殺気が乗ってるだろうが。
 主に男子から。
 あるいは侮蔑のそれが乗っているとも言える。
 こっちは主に女子からだ。
 とまれ、
「じゃあアキのラブシーンが終わるまでスイーツ部の見学でもするか音々」
「あ、それいいね」
「ふえ……日日日ちゃんに音々ちゃんが来るの?」
 不意打ちに豆鉄砲をくらった鳩のような表情でそう言う姫々。
「今日のお菓子は何だ?」
「たしかロールケーキだけど……」
「なら夕食後に食べれるな。お前もうちの夕食に参加しろ。パスタだからいくらでも作れるからな」
「ふえ……いいの、アキちゃん?」
「姫々様さえ良ければ歓迎いたします」
「わかった。じゃあ最高のロールケーキ持ってくるね」
 そう言って姫々は笑った。
 それは桃の妖精のような可愛らしい笑顔だった。
 そこではたと何かに気付いたような顔をするアキ。
「アキ、どうした?」
 そう聞く俺に、
「ご主人様はスイーツ部に行かれるんですよね?」
「まぁそうだが……」
「では私もそちらに向かいます」
「…………」
 沈黙した後、俺は言った。
「なにゆえ?」
「いつなんどきでもご主人様の傍にいるべき使命をおびているからです」
 俺はアタマのズツウがイタくなった。
 思わず痛くもないこめかみを人差し指で押さえてしまう。
「…………そんな使命、犬にでも食わせてやれ」
「そういったわけにもまいりません。もしご主人様に不都合があった時、傍にいなければ私は覚悟不十分で罰されるのです」
「誰もお前を罰したりしない」
「でも以前の……父の時は……」
 そう言って顔面を蒼白にするアキ。
 そっか。
 当然か。
 当たり前か。
 “ご主人様に尽くさねば恐いことが起きる”。
 アキはそういう風に育てられたんだっけか。
 俺は全てを察して……とは言っても随分遅くなってしまったが……ともあれアキの心情を理解した。
「姫々、音々、予定変更」
「ふえ?」
「はえ?」
 キョトンとする二人に俺は言った。
「俺と音々はアキの告白に付き合う。姫々は一人でスイーツ部に行くこと」
 そんな俺の言葉に、
「はあ……」
 と呆然としながらも納得する姫々に、
「でもそれって野暮じゃない?」
 当然の危惧を予言する音々。
「しょうがねえだろ。アキが俺の傍を離れたくないって言うんだから……。なら俺がアキに付き合わなきゃ先に進まんだろう」
 そう言う俺に、
「そんな……! 私ごときの事情にご主人様をつきあわせるわけには……」
「でも俺が別の場所に行くならお前はついてくるんだろう?」
「それは……そうですけど……」
 困ったようにそう言うアキ。
「なら決まりだ。俺と音々はお前に付き合う」
 俺がそう言うと、
「あの……では……いっそ手紙の主を無視なされるのはいかがでしょう?」
 アキはそんなことを言ってきた。
「それは……な。少し誠意に欠けるだろう?」
「私としましてはご主人様以外に誠意を見せる必要がないのですけど……」
 それが当然とばかりに言うアキ。
「いや、それは……駄目なんじゃないか?」
「そんなものでしょうか?」
「そんなものです」
 そう言って俺は肩をすくめた。



「しかして何で私なんかを好きになったんでしょう?」
 ラブレターを読み返しながら不思議そうにそう言うアキ。
 それに対して、
「恋に狂うとは、ことばの重複である。恋とはすでに狂気なのだ」
 そんな言葉を引用する音々。
「恋は狂気……ですか……」
「わからない? 僕にはわかるな。どうしてもその人を独占したい。その人に満たされて遊離してみたい。その人を僕で満たして狂おしくもさせてみたい。きっとそれが恋なんだよ」
「たしかに……それは狂気ですね……」
 恐れたようにそう答えるアキ。
「でしょ?」
 そう言ってニッコリ笑う音々に、
「ちょっと待て」
 俺はちょっと待ったコールをかけた。
「なにさ? 日日日……」
「お前は俺にそんな気持ちを抱いているのか?」
「そうだよ。何度も言ったじゃない」
 危ない。
 危ないよこの子。
「まぁ冗談はさておき……」
「冗談だったんですか?」
「そういうことにしないと日日日が僕を怖がるみたいだからね。戯言だよ」
 戯言なのか?
 本当に?
「愛せよ。人生において良いものはそれのみである……なぁんて言葉もあるよ」
 そう言ってニッコリと笑う音々。
「ではこの手紙の主が私を愛したのもそんな理由なんでしょうか?」
 コクリと首を傾げるアキ。
「いや、どうせアキの美貌に釣られた輩だとは思うがな」
 俺が真実を告げる。
「ご主人様の言葉はたまにわかりません。私なんかの外見に惚れる輩がいるとは思えません」
 思い詰めながらそう言うアキ。
「……あっそ」
 俺はそういう他なかった。
「昼も日日日が言ったと思うけどアキには自信が足りないね。せっかくの美貌がもったいないよ」
「そんなに私は……その……」
 顔を真っ赤にしながらアキは言う。
「可愛い……ですか……?」
「「何を今更」」
 俺と音々の言葉が重なった。
「でも……それでも……私はそれを信じることができません」
「なんで?」
 クネリと首を傾げる音々に、
「ご主人様が抱いてくださらないからです」
 爆弾発言をするアキ。
 音々が、
「……っ!」
 絶句する。
 それから音々は俺を睨んで言う。
「日日日! もしかしてアキからモーション受けてるの!?」
「まぁ……な……」
 正直に答える俺。
「具体的には!?」
「下着で迫られたり風呂場に入られたり……」
「そんなことしてるのアキ!?」
 声を荒らげる音々に、
「はぁ……まぁ……」
 怯えながらもそう言うアキ。
「何かまずいでしょうか?」
 そう尋ねるアキに、
「まずいよ! それは!」
 吼える音々。
「日日日は僕のものなの! 横から掻っ攫われるような行為は見過ごせないよ」
 いやいや。
 ていうかお前……男だし。
 そんな俺の言葉も無視して、
「やっぱり自宅通いではなくて僕もフラワーハイツに移住するべきかな……」
 そんな言葉を紡ぐ音々。
「アホなこと言ってないで早く体育館裏に行くぞ」
 俺はそう言うことしかできなかった。



 体育館裏は基本的に人の通らない場所だ。
 西日の斜光が届かない薄暗い場所だ。
 体育館からはバスケ部とバレー部の快活な声が聞こえてるが、それ故に彼らは部活に精を出しこの体育館裏までは気をまわさない。
 そんなこんなで人の通らない無法地帯と化しているのが体育館裏である。
 案の定薄暗い空間に、一人の男子が立っていた。
 俺の知らない顔だ。
 俺は俺に抱きついている音々に視線を送る。
 しかし音々もふるふると首を横に振る。
 どうやら音々も知らないらしい。
 その男子はあえて言うならばチャラ男だった。
 制服を着崩してアクセサリーをジャラジャラとつけている。
 髪も茶色に染めて、耳にはピアスをしている。
 俺は右腕に抱きついているアキと左腕に抱きついている音々を引っ張りながらその男を見つめた。
「…………っ!」
 怯えているのかアキはギュっと俺の右腕にさらに強く抱きついた。
 そしてとまどっているのか、
「あの……」
 チャラ男はおずおずと喋った。
「なんでしょう……?」
 答えるアキ。
「何で他人が一緒にいるの?」
 そう聞くチャラ男に、
「別に一人で来いとは文面に書かれてはいませんでしたが?」
 挑発のようにそう言うアキ。
 答えてチャラ男。
「いや、それはそうだけど……。雰囲気でわからない?」
「わかりません」
 はっきりと言うアキ。
 狼狽えるチャラ男。
「それで? 何の用でしょう?」
 俺の右腕に抱きついたままアキは結果を求める。
「あー……その……つまり……」
 もどかしげに口を動かすチャラ男。
 それから、
「つまり……その……」
 と、もどかしく口を動かすチャラ男。
 そして覚悟が決まったのか、本件を言うチャラ男。
「法華さん。俺とつきあってくれ……!」
「ごめんなさい」
 あっさりとそう言うアキ。
「何でか聞いていい?」
 未練がましくチャラ男が言う。
「私には仕えるべきご主人様がいますので。あなたに構っていられないのです」
「ご主人様って……そこの冴えない男の事……?」
 俺を指差してそう言うチャラ男に、
「少なくとも着飾って自分を誤魔化している君より日日日の方がかっこいいよ?」
 音々が口を挟んだ。
「蕪木さん……」
 チャラ男が残念そうにそう言う。
 さすが音々。
 どことも知れない輩にも顔と名を覚えられている。
「ともあれ……」
 と、アキが言う。
「私のご主人様をけなすような輩に心を許す気にはなりません。申し訳ありませんがその提案は却下させてもらいます」
 あっさりとアキは言った。
「そんな男が好きなの? 法華さんは……」
「身も心も捧げた人です故」
「っ!」
 言葉を失い、そしてチャラ男は俺を睨みつけた。
「俺を睨まれてもな……」
 そう言って肩をすくめる俺。
 体育館裏に風が吹いた。
 そして、
「お前なんかの何がいいんだ!」
 そんなことを言うチャラ男。
「俺に聞かれても知るか」
 そう言う俺に、チャラ男は歩いて近づいてきて、そして拳を振りかぶった。
 殴られる!
 そう思った瞬間、チャラ男のみぞおちに神速の爪先蹴りが炸裂した。
 当然……音々だ。
「が……! ぐ……!」
 腹部を押さえて苦しむチャラ男。
「……!?」
 神速ゆえに見切れなかったアキが不審な顔をする。
「じゃ、用件も終わったことだし姫々のところに行こっか。日日日……アキ……」
 何事もなかったようにそう言う音々。
 俺もそれには賛成だった。



「でもさ。ふられるってわかってるのに告白してくるのって困っちゃうよね……実際……」
 夕食のパスタを食べ終えた後、姫々がスイーツ部で作ってきたロールケーキを食べながら音々がそんなことを言う。
 ちなみに場所はフラワーハイツの105号室……つまり俺とアキの部屋だ。
 そのダイニングで俺とアキと姫々と音々がダイニングテーブルを囲んでロールケーキをつつく。
「私は……告白されたことないから……わかんないなぁ」
 姫々が僻みっぽく言う。
「でも姫々だって日日日のこと好きなんでしょ? ならもし日日日以外の人間から告白されても鬱陶しいだけだと思わない?」
「それはそうかもしれないけど……」
 ロールケーキを食べながら「うーん」と悩む姫々。
 音々が矛先をアキに向ける。
「アキもそう思うよね?」
「私は、恋とか愛とかはまだわからなくて……」
「でも日日日に告白されたら嬉しいでしょ?」
 カツンとアキの持っていたフォークがケーキではなく皿を刺した。
 ボッとアキの顔が赤くなる。
「わわわ私なぞがご主人様に告白を受けるなど……どどど……」
 あからさまに狼狽える。
「…………」
 黙ってロールケーキをつつく俺。
 アキに姫々に音々……三人が三人ともに俺への好意を隠そうともしない。
 それは俺を黙らせるには十分だった。
 二度と人を好きにはならない。
 そんな意地がちゃちく思えてしょうがなかった。
 ところで今日アキと音々に告白した男子達は今頃枕を濡らしているのだろうか。
 ふと、そんなことを思った。

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