ご主人様と呼ばないで

ラブレターはそのままで、1


「Ppp! Ppp! Ppp!」
 目覚まし時計のアラームを聞きながら俺は目を覚ました。
 毎度の如くの朝だが、まぁこれが俺の日常だ。
 変えろと言われても早々変えられるものでも無い。
 とか言いながらほんの一週間前、俺の生活はガラリと変わったのだが……。
「……ん」
 俺はダブルベッドから起き上がる。
 ダブルベッドで一緒に寝ていた奴はいない。
 どうせ今日もまた一生懸命朝食を作っているのだろう。
 くあ、とあくびを一つ。
 そして俺はベッドから這い出る。
 ……這い出る。
 ……這い出ようと……して……そこで俺の意識は途切れる。
 何分経過しただろう。
「朝だよ日日日ちゃん! 今日もいい天気!」
 鳥の巣頭の小っちゃい女子の声が聞こえた。
 シャッとカーテンが開かれる。
 朝の日差しが俺の視覚を刺激し、まどろみから脱させる。
「んん……」
 目をシパシパと瞬かせて、それから俺はベッドルームにいる女子に声をかける。
「姫々……?」
「ほかに誰がいるの? ほら日日日ちゃん起きる!」
 そう言って俺の掛布団を剥ぎ取る姫々。
 俺は姫々に言われた通り起き上がる。
 立ち上がる。
 見れば姫々はエプロンをしていた。
 ということはさっきまで料理をしていたのだろうか?
「早くしてね。遅刻しちゃうよ」
「あいあい」
 なんだか懐かしい光景だ。
 アキがいない時はこうやって姫々が起こしに来てくれたっけか……。
 頭を掻きながら俺はダイニングに顔を出す。
「…………」
 そこには、
「おはようございますご主人様」
 エプロンをつけた髪も目も肌も白い美少女が一人と、
「おはよ、日日日っ!」
 エプロンをつけた髪と目が黒く肌の白い美少女風の男子が一名いた。
 迂遠に言う必要もないか。
 アキと音々がいた。
 俺がベッドルームとダイニングの間で立ち止っていると姫々が後ろから押した。
「ほら、日日日ちゃん。早く席につく! 朝食だよ」
「あー……なんだ……」
 俺は頭を掻きながらこの状況を整理していた。
「つまりアキと姫々と音々が朝食を作ってくれたのか?」
「そうだよ。早起きしてね」
 ふんす、と鼻息も荒く肯定する姫々。
「そりゃご苦労様……」
 そう言って俺はダイニングテーブルの席についた。
 並んでいるのはトーストにハムエッグ、トマトスープにメカブだ。
「なんでこのバリエーションでメカブ?」
 首を傾げる俺に、
「なんか僕の家にあったから持ってきた。どこそこのメカブだーって書いてあったから。体にいいよ?」
 音々がそう言った。
「科学的な根拠はまだないがな」
「いーの! とにかく食べるの!」
「まぁ別に残しゃしねえがよ……」
 そう言って、俺は、
「いただきます」
 と一拍とともに一礼して食事を開始する。
 アキもまた
「いただきます」
 と言って一拍とともに一礼して食事を開始する。
 おれはトーストを齧り、ハムエッグをくらい、メカブをすすって、トマトスープを飲んだ。
 食べ干す傍から姫々と音々が皿を回収して洗い出す。
「姫々様、音々様、後で私が洗いますから大丈夫ですよ」
「いいの。それよりせっかく日日日ちゃんと食事とってるんだからそっちに集中して」
「ご主人様……」
「なに?」
「やはり私も皿洗いに……」
「いいから、俺と一緒に飯食っててくれ。三人に働かせて俺だけ飯食うってのも気分悪いし」
「はあ……」
 そう言って食事を再開するアキ。
 俺は先に食べ終わると、最後の皿を音々に渡す。音々は姫々に渡して姫々が皿を洗う。
 それから俺は立ち上がるとベッドルームへと向かう。
 まだ食事中のアキが慌てて立ち上がった。
「ご主人様、服をお召し替えになるのですね」
「何度も言ってるだろうが。別にいいから。お前は座って朝食食ってろ」
「しかし……」
「いいから、自分でできるから」
 そう言って俺はベッドルームに入って扉を閉める。
 それから寝間着を脱いでシャツを着てパンツを穿いてブレザーを羽織る。最後に姿見の前でネクタイを締めてからブレザーのボタンを閉める。
 それからダイニングに行くと、ちょうどアキが朝食を終えたところだった。
 アキは心配そうに聞いてくる。
「何かしらお召し替えにおいて不便な点はございませんでしたでしょうか?」
「何もない」
「ご主人様、失礼します」
 そう言ってアキは俺のネクタイに手をかけた。
 ササッと手を動かしてネクタイを結び直す。
 きっと俺自身で結んだネクタイは歪んでいたのだろう。
「はい、日日日ちゃん、紅茶……」
 そう言って紅茶の入ったティーカップを人数分差し出してくる姫々。
 それから自身もダイニングのテーブルに座る。
 アキと音々がエプロンを外す。
 当然というか、その下は学校制服だった。
「こんなに可愛い子三人にご奉仕されて至れり尽くせりだね日日日っ!」
「一人男だけどな」
「些事を気にしちゃ男がすたるよ?」
「些事……かなぁ……?」
 紅茶を飲みながら俺は首を傾げた。
 ストレートである程度飲んで量が減ったところに大量に砂糖とミルクをぶちこんで紅茶を飲み干す俺。
 それから、
「ごち」
 と言ってティーカップを姫々に渡す。
 アキと音々も紅茶を飲み干すと姫々に渡す。
 姫々は都合四人分のティーカップを洗って、拭いて、それから片付けるとエプロンをとった。
 当然下は学校制服だ。
「それじゃいこっか」
 姫々がそう言った。



 フラワーハイツの目と鼻の先にある雪柳学園まで歩いて一分もかからない。
 俺はアキと姫々と音々を連れて正門をくぐる。
 俺の右腕には姫々が、僕の左腕に音々が、それぞれ抱きついている。
 アキはというと控えるように僕のすぐ後ろを歩いていた。
 アキのアルビノとしての美貌と、それから黒のロングヘアーの大和撫子的な音々のコンビは弥が上にも注目を集める。
 それも嫉妬の視線だ。
 針のむしろとはこのことだ。
 その上、美少女とまではいえないが上の下くらいには顔の整っている姫々までもが俺に好意を示しているのだ。
 これで興味を引かれない方がおかしい。
 俺はそんなこと望んではいないんだが……。
 と、
「押忍! おはようございます! 蕪木音々さん!」
 雪柳学園の制服を着たごつい男が正門をくぐった俺達を待っていた。
 胴着を着ていることから柔道部か空手部だと思われる。
 しかもそのごつい男はたからかと音々を指名してきた。
 辺りが……というか登校中の他の学生がザワリとどよめく。
「おはよう。ええと……」
 名前に心当たりがなかったのだろう。
 音々は困った顔をする。
 ごつい男は、叫んだ。
「押忍! 自分は岩男巌と申します!」
「ええと、おはよう岩男さん……」
「押忍!」
 どこまでも暑苦しい男子だった。
 二の腕は筋肉隆々。
 顔も巌のようにごつい。
 漢と書いて男だった。
 そんな岩男が俺を睨む。
 なんだ、と思う俺を無視して、
「貴様が蕪木さんに纏わりつく虫か」
 と言う。
 それから続けて言う。
「貴様が蕪木さんに与える弊害がどういうものか……考えたことはあるか?」
「……っ!」
 何かを言い返そうとする音々の抱きついている左腕を振り払って音々の口を塞ぐ。
 そして言う。
「美しい花には虫がたかるものさ」
 そんな俺の言葉に、
「ふえ……!」
 と音々が赤面して、
「くだらないことを言うのか」
 と岩男が切って捨てた。
 俺は首を振って言った。
「別にそんなつもりはないさ。ただ全ては音々が決めることだろう?」
「貴様がそれを言うのか」
「俺は音々に纏わりついてそれがお前と何の因果がある?」
「ふん。鉄面皮だな」
「そう思っておけ」
 俺はそう言って、
「で? 音々に何か用事があるんじゃないのか?」
 イベントを進める。
 俺は、
「余計なことは言わなくていいからな?」
 とだけ音々に忠告して、
「…………」
 コクコクと首肯する音々の口を解放する。
 そして音々は、おそらく営業用のスマイルで、
「それで岩男さん。何の用?」
 そう言った。
 とりあえず激情は抑えてくれたらしい。
「押忍……! その……蕪木さん……」
 胴着姿の岩男はそこで言葉を途切れさせる。
 それから、顔を赤くして、
「押忍……」
 と呟いて音々を見る。
 辺りの衆人環視が俺らに注目する。
 まぁ朝からこのイベントだ。
 注目しない方がどうかしている。
 俺だって第三者なら傍観していただろう。
 ともあれ、
「押忍!」
 と覚悟完了すると、岩男は言った。
「蕪木さん!」
「はいはい」
「自分と付き合ってください!」
「嫌」
 そしてあっさり撃沈した。
 しかし岩男は諦めなかった。
「押忍! 何故でしょうか!」
「言いたくない」
「自分に足りないところがあれば直します!」
「むさい男子は嫌い」
 一言で切って捨てる音々。
「押忍!」
 と岩男は言うと、
「では自分が空手部を止めればいいのでしょうか!」
 そんなあがきを見せた。
 音々はそんな岩男を、ゴミを見るような目つきで観察していった。
「ただでさえ好みじゃないのに、日日日のことを馬鹿にしたのが許せない。結論としてあなたなんか嫌い」
「……っ!」
 完全に、完璧に、否定されて言葉を失う岩男。
 真っ白になった岩男を無視して、
「じゃ、いこっか。日日日」
 そう言って再度俺の左腕に抱きつく音々。
「こら、馴れ馴れしくするな」
 そう言う俺に、
「貴様ぁ!」
 カッと頭を沸騰させた岩男が胸ぐらを掴んでくる。
「ご主人様!」
 後方に控えていたアキが悲鳴をあげる。
 しかしそれより早く、
「ふっ……!」
 と呼気一つ。
 中指一本拳人中撃ちを放った音々によって岩男は気絶した。
 その早業を衆人環視は見切れなかった。
 結果として、俺に胸ぐらを掴んだ岩男が勝手に気絶したという状況が起こった。
 無論、俺の目は誤魔化されなかったが。
「音々。やりすぎだ」
 そうたしなめる俺に、
「いいじゃん。男の嫉妬ほど醜いものはないよね」
 そう言って俺の二の腕に頬を擦り付ける音々。
「そうだよ。日日日ちゃんを責める人間なんかいなくなればいいんだよ」
 右腕に抱きついている姫々がそんなことを言う。
 そしてアキが心配そうに、
「ご主人様……大丈夫ですか?」
 そう聞いてきた。
「ああ、大丈夫大丈夫。俺は何もされてないから」
 俺はそう言って、気絶した岩男の顔を爪先でつついた。
「で、どうしよう……。これ?」
「ほっとけばいいよ。気にする人間でもないでしょ?」
 音々があっさりとそう言った。
 ま、そりゃそうか。

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