ご主人様と呼ばないで

ご主人様は突然に、3


 俺は読んでいたSF本をある程度のところで見切りをつけて、しおりを挟んだ。
 ほぼ同時にエプロンを脱ぐアキがダイニングに見て取れた。
 今日すべき家事を全て終わらせたらしい。
 洗濯。食器洗い。明日の朝食の仕込み。
 それらを終わらせて吐息をつく様が、自室から見て取れた。
 白く長い髪がウェーブを作って揺れている。それはさながら天女の持つ純白の羽衣のような軽さを思わせる。
 髪も目も肌も白いアキはまるで童話の世界のヒロインか天の御使いだ。
 危うげな美貌とさえ言える。
 そういやこの度は雪柳学園に転入してくるんだった。
 ファンクラブができるかもな。
 まぁどうでもいいが。
 ぼーっとアキの後姿を見ていると、振り返ったアキが俺に微笑みかけてきた。
「ご主人様。まだ起きてられますか?」
「いや、もう寝ようと思ってる。アキは?」
「私の方も仕事は終わらせたので、すべきことは特に見つからないのですが……」
「じゃあ寝るか……」
 言霊などではないだろうが、そう言った途端あくびが出る俺。
「ふわぁ〜」
 誰憚ることなく大きくあくび。
 アキはというと玄関の施錠を確認して、それから玄関、ダイニングの順に電気を消していく。それから自室……ってもう自室じゃねえな……ベッドルームの電気を常夜灯に切り替える。
 照明の中心で豆電球がオレンジ色に小さく光る。
 俺の家ではこの現象を「夕方」と呼んでいた。
 まぁそんなカルチャーショックはともかく、ベッドルームはその頼りない豆電球のオレンジ色の光だけが唯一の光源となる。
 俺は座っていた勉強机からダブルベッドへと移動する。
 途中、朝からほっぽってそのままになっていたパジャマを回収。
 部屋着を脱いでパジャマに着替える。
 アキもまたメイド服を脱ぎだした。
 ややこしい手順を踏んでメイド服を脱ぐと、アキはランジェリー姿になった。ちなみにランジェリーの色は黒。
 刺激的だ。
 豊満な胸。スリムなウェスト。アルビノの外観と相まってどこか幻想的な妖しさを醸し出していた。
 アキは俺に下着を見られてもどこ吹く風だ。
 どころか、俺に向かって正座をし、三つ指をついて、
「不束者ですが……」
 そんなことを言い出してきた。
「いや……まぁ……そんなことを言い出すんじゃないかとは思っていたけど」
 困っちゃって頭を掻く俺。
「私の体はご主人様の所有物です。どうぞ存分にお使いください」
「そういうの、やめない?」
「そういうの……とは?」
「お前も女の子だから体は大事にしないと……その……アレだろ……」
「?」
 心底意味がわからない、とでも言いたげに首を傾げられた。
「はっきり言うとだな。俺はお前を抱く気はない」
「……え」
「そういうのは相思相愛の相手とするべきだ。俺とお前はそんな関係じゃない」
 ちとプラトニックすぎるがな。
 ヘタレと言うなら言わば言え。
「……し、しかし……ふえ……」
 また泣き出すアキ。
 白い目に透き通った涙が溢れる。
 ここが正念場だ。
 泣き落としを食らうわけにはいかない。
「そもそも何でそんなに抱かれたがるんだ?」
「ふえ……だって……私の価値なんてそれだけだって……私は抱かれるために生まれてきたんだって……」
「そんなこと誰が言った?」
「前の……ご主人様が……」

 ああ、まったく……反吐が出る。

「それ嘘だから」
「う……そ……?」
「思うにな。お前は自分がどんなに魅力的な女の子なのかわかってない」
「魅……力……的……?」
「そうだ。魅力的だ」
「でも……アキラは無価値なんだよって……だからアキラは女として抱かれるくらいしか役に立たないんだよって……」
「父親がそう言ったのか?」
 コクコクと頷いて、また泣き出すアキ。
「あのなぁ……ちょ……もういい。ちょっとこっちこい!」
「……?」
 わけもわからずにおずおずと近寄ってきたアキを、俺は抱きしめた。
 アキの耳を俺の胸に当てるように頭部を抱いて、言う。
「なんだ、その……俺の心音を聞け!」
「ご主人様……心臓の鼓動が速くなってます」
「そうだよ! ドキドキしてんだよ!」
「ご主人様が……?」
「可愛いくせに、そのうえ下着姿で……あてられてもしょうがないだろ!」
「…………」
「お前は可愛いんだよ! 可愛すぎるんだ! 髪も綺麗だし、目も愛らしいし、飯はうまいし、茶もうまいし、風呂もいい湯加減だった! わかるか!? お前は滅茶苦茶魅力的な女の子なんだよ!」
「私が……?」
「お前が!」
「可愛い……?」
「可愛い!」
「本当ですか……」
「本当だよ! 言葉が信じられないなら俺の心音を聞け!」
「ふえ……うゅ……」
「だから自分を傷つけるようなマネはよせ。もっと自分を大事にしろ」
「うわあ゛あ゛あ゛あ゛……うわあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……」
 産声のように、堰が切れたように、溜まった悲しみを解き放つように、アキは泣き出した。
「うわあ゛あ゛あ゛あ゛! うわあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!」
 俺はずっとアキを抱きしめていた。
 アキが泣き疲れて眠るまで。



「Pppp! Pppp! Pppp!」
 目覚ましのアラームが鳴る。
「ん……」
 意識が覚醒する。
「Pppp! Pppp! Pppp!」
 うるさい。
 うるさいけど……起きないと……。
 俺は気だるげに目を開けて、
「…………」
「…………」
 アキと目があった。
 ていうか、
「何してんの、お前」
「はい、朝のご奉仕を……」
 そう言うアキは、俺のパジャマの下を無理矢理脱がせている真っ最中だった。

 …………。

「何してんのぉぉ! お前ぇ!」
 一気に目が覚めた。
 喜ぶ気はないが。
「ですからご主人様に朝のご奉仕を」
「ご奉仕ってなんだよ! 俺のズボン脱がせて何するつもりだったんだお前!」
「その……ご主人様のものが苦しそうでしたので私が鎮めようと……」
「しなくていいから! お前な! そういうことはしないって昨日言っただろうが!」
「しかしご主人様のものがとても苦しそうで……」
 俺の股間はパンツでテントを張っていた。
「これは健康快男児の朝の宿命なの! ていうか言わせるな恥ずかしい!」
「ぜひ私に鎮めさせてください」
「やーめーろー!」
 俺の股間に顔を近づけるアキと、そのアキの顔を股で挟んで進攻を食い止める俺。
「そういうの禁止! ご主人様からのお願い!」
「では卑しい奴隷である私にご褒美を……」
「お前キャラ変わってんぞ!」
 俺の股間に顔を近づけようとするアキと、それを阻止せんと股でアキの顔を挟み込む俺とで膠着状態が起きた。
「…………!」
「…………っ」
 そのまま一分ほど膠着状態が続き、
「日日日ちゃん! 朝だよ! 今日もいい天気!」
 まさに最悪と言っていいタイミングで本妙姫々がベッドルームに飛び込んできた。
 補足すると姫々は俺の部屋の合鍵を持っているのだ。
「あ」
「あ」
「あ」
 三者一様の言葉が漏れる。
 ズボン半脱ぎの俺がランジェリー姿の女子の顔を股で挟んでいる状況ってのは、どうすれば健全に説明できるだろうか?
「あ、あ、日日日ちゃんの馬鹿ーっ!!!」
 そう叫んで姫々は俺の城を飛び出した。
「姫々ーっ! ちょ、これ、違うんだって」
 という言葉も届いてないんだろうなぁ……。
 俺はアキにどなった。
「てめぇ! 何してくれてんの! これから姫々と超気まずいだろうがぁ!」
「不可抗力です、ご主人様」
 ご奉仕は諦めたのか、すっと身を引きながらアキ。
「あああ、姫々になんて言い訳しよう……」
 朝から頭を抱えた俺に、
「ご主人様、起きられたのでしたら朝食の用意ができておりますので」
 雪柳学園の女子制服に着替えながらアキは淡々とそう言った。
「ええい……なんかもう朝からなんでこんな苦労しょいこんでんの俺……」
 それは我ながら誰にも答えられない質問だった。



 朝の支度を済ませると、俺とアキは登校する。
 といっても俺やアキや姫々が住んでいるフラワーハイツは学園と目と鼻の先だ。
 二十歩も歩けば正門である。
 しかし、アキを引き連れての登校は滅茶苦茶視線を集めた。
 何せアキはアルビノだ。
 髪も目も肌も白い。
 その幻想的な美しさもさることながら物珍しさもあるだろう。
 登校初日から注目度抜群だ。
「あの、ご主人様……」
「何?」
「何やら衆目がこちらを見ているような……」
「アキが可愛いからな」
「私が可愛い……ですか……?」
「昨日の夜も言ったろ? お前は魅力的な女の子なんだって。無価値じゃないんだって」
「でも……私は……」
「お前の主観はこの際どうでもいい。現状を状況証拠として捉えろ」
「はあ……」
 納得してないような返事を返すアキ。
 まぁ今はそれでいい。
「とりあえずお前は転校生だからな。職員室に行かなきゃならんだろう。場所、わかるか?」
「いえ」
「じゃ、連れてってやるよ」
「あの……ご主人様」
「何?」
「手をお繋ぎしてもよろしいでしょうか?」
「ああ、いいよ」
 俺はアキの手をひいて職員室に向かった。



「じゃ、お勤め、頑張れよ」
「はい。あの……ご主人様は」
「普通にクラスに行くさ。じゃな」
 ひらひらと手を振って、俺はアキと職員室の扉の前で別れた。
 クラスに向かって数歩歩いたところで、
「あーきらっ!」
 黒髪ロング美少女……は、もういいな……美少女風男子の蕪木音々に捕まった。
 音々は俺に抱きついてくると俺の胸板に顔をスリスリと擦り付ける。
「日日日、日日日……! おはよ!」
「おう、おはよう音々。職員室に何か用か?」
「ううん……なんか日日日が謎の美少女を連れて登校してきたってクラスで噂になってたから尾けてたの」
 もう噂になってたのか。
 やっぱアルビノは目立つな。
「日日日、側室でも作ったの?」
「なんだそのいかがわしい疑問は」
「だって僕が正室でしょ?」
「残念、お前も側室だ」
「今後の対応で正室になれる?」
「まぁフラグを立てればなれるんじゃないか?」
「うん! だから日日日好き!」
 そう言って俺の胸板に顔を擦り付ける音々。
「ところで件の子は可愛いの?」
「抜群にな」
「僕とどっちが可愛い?」
「お前が日本人形なら、向こうはセルロイドの西洋人形だな」
「むむむ、新たなライバル出現だ」
「……さて、ライバルと呼べるかどうか……」
「ん? 日日日、何か言った?」
「いーや、なんでもね。それより教室に行こうぜ」
「教室まで腕組んでこ♪」
「はいはい」
 言って右腕を差し出す俺。
 そこに抱きついてくる音々。
 音々をはべらせながら俺は自分の教室を目指した。



 ほどなく教室につく俺と音々。
 教室には姫々が先にいて、俺に「どういうことか説明あるんだろうなオラ」的な視線を送っていた。
 俺は弁解した。
 姫々が考えているだろう状況は全て虚構であり、事実は「はとこの女子が雪柳学園に通うために俺とルームシェアすることになった」というだけのことだと。
「じゃあ昨日の裸エプロンに今朝の情事はなんだったの?」
 むう、それを言われると辛いが、けして後ろめたいものはない。
 というところを話したところで担任が入ってきた。
 ショートホームルームの時間だ。
 俺は劣勢の弁解から解放されて、安堵の気持ちで自分の席につく。
 これでゆっくり言い訳を考える時間が……、

「では、まず転校生を紹介する」

 え……?
 急な担任の言葉の意味を俺は正確に理解しかねた。
「入れ、転校生」
「……はい」
 クイクイと手のジェスチャーで入室を勧める担任に答えて入ってきたのは、白くウェーブのかかったロングヘアーに、同じく白い瞳と肌を持った美少女だった。
「「「「「おお……!」」」」」
「「「「「おおー!!」」」」」
「「「「「ブラボー!!!」」」」」
 順に経過一秒、二秒、三秒後のクラスメイト――主に男子――の反応だ。
 俺はというとがっくりと頭を抱えた。
 なんでこうなるの……。
 姫々と音々は驚いたように俺と美少女を交互に見つめていた。
 熱気あふれるクラスメイト諸君とは反対に担任教師が淡々として少女の名前を黒板に記していく。
 それは俺の見間違いでなければ「法華アキラ」と読めた。
「というわけで今日からクラスメイトになる法華アキラくんだ。皆、仲よくするように」
「「「「「喜んでーっ!!!」」」」」
 ワーキャー騒ぐ男子諸君を横目に、俺は血の気が引く思いだ。
 ふと、アキと目が合った。
「あー! ご主人様!」
 おいおいおいおい!
「「「「「ご」」」」」
「「「「「しゅ」」」」」
「「「「「じ」」」」」
「「「「「ん」」」」」
「「「「「さ」」」」」
「「「「「ま……?」」」」」
 クラス全員の視線が俺に集まる。
 オーキードーキー……君らの言いたいことはわかる。
 が、自粛してくれると助かる。
「よかったぁ……! ご主人様と同じクラスだなんて光栄です……!」
 アキはというと、クラスの空気など露ほども読まずに感動の言葉を垂れ流す。
「あのう……法華さん……」
 おずおずとクラスメイトの一人が挙手をして転校生に質問した。
「日日ノさんとどういう関係……?」
「私はご主人様の奴隷です♪」
 ピシッと空間にひびが入った。
 自分の爆弾発言に気付かないアキはニコニコしてるばかりだ。

 ねぇ神様、一つ質問していいかい?
 俺、なんか悪いことしたかね?

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