「あの……お茶です」 「…………」 メイド服姿の――もうめんどくさいのでつっこまない――法華の淹れた紅茶のカップを無言で受け取る俺。 一口飲む。 まぁ俺が淹れるよりは美味い。 それはともかく。 「…………」 俺は自室の勉強机に座って部屋をぐるりと見渡す。 今日の昼にでも持ち込んだのだろう。俺の城には色々なものが鎮座していた。いや、征服と言った方が正しいかもしれない。俺の箪笥の隣にもう一つ箪笥――おそらく法華のものだろう――が増えていたし、ベッドもシングルからダブルへと昇格していた。これはあれか? ダブルベッドに二人で寝ろってことかいクソお父様。その他にも、姿見に歯ブラシに女性の入用などを数えればきりがない。 完全にルームシェア前提の荷物配置である。 これを今日俺が学校に行っている間になしたのだとしたらご苦労様である。 で、この1DKの手狭なアパートのどこに俺のプライベート空間が存在するんだ? まぁあの親父のことだから「人に見られたくないことをするならトイレでいいんじゃにゃ〜?」とでも言いそうだ。 「ったく、ふざけんなよなぁ……」 言って、紅茶を一口。 「あの……ご主人様……」 「そうだ……それだ……」 紅茶を一口。 「はい?」 「なんなんだ……そのご主人様というやつは」 「私が奉仕せねばならない対象のことですが」 「誰が生き字引になれといった。そうじゃなくてだな……何で俺がご主人様?」 「日日ノ様に引き取られ、その大恩を返すべくご子息であらせられる日日ノ日日日様に仕えようと決めたのです」 「勝手に決めるな」 ぴしゃりと言い放つ。 「あの……でも……私は……」 見捨てられた子犬みたいにしゅんとする法華。 「わ、私は……私は……」 終いには法華の両目から涙があふれ出す。 「ちょ! おい!? 何で泣く!?」 「すみません……すみません……泣いちゃ駄目って……わかってるのに……!」 「わかったから! ご主人様でいいから! もう泣くな!」 「はい……はい……ごめんなさい……!」 そう言って涙をぬぐう法華。 ……泣くなんて……卑怯だろ。 ガシガシと頭を掻く俺。 「あー、それで? 俺はどうすればいいの?」 「なんなりと……お申し付けください……ご主人様……」 涙声で言われても……。 「なんなりとねえ……」 こいつ、責任を持って言葉を使っているのだろうか? (自主規制)や(放禁用語)をやれと言われてもするのだろうか。 いや……まぁそんな悪趣味にはしるつもりはないが。 そうだなぁ。 「じゃあ、とりあえず夕飯作って。腹減った」 「了解……しました……ご主人様……」 だから涙声で言われても……。 * 「ご主人様、食事の用意ができました」 と言ってきた法華の声に、俺は自室からダイニングへと顔を出す。 テーブルの上にはアーリオ・オリオ・ペペロンチーノにレンズ豆のスープ。 食卓についた俺はそれらを眺めやる。 にんにくの匂いが鼻孔をくすぐる。 一目で美味い料理だと確信できる何かがあった。 これでまずかったらちゃぶ台をひっくり返すしかあるまい。ちゃぶ台じゃなくてテーブルだけど。 「それで……」 俺は俺の後方に陣取って立っている法華に聞く。 「法華は食わんのか?」 「私はご主人様の後に……」 「いや、そういうのいいから。一緒に食おう」 「しかし……」 「じゃあ命令でいいや。一緒に食え」 「は、はあ」 命令ならば、としぶしぶ自分の分であろう料理を食卓に並べ席につく法華。 「いただきます」 「い、いただきます」 俺ははっきりと、法華はおずおずと言って合掌。 ペペロンチーノを一口。 「お……うま……」 本音が漏れた。 しまった、と思ったのも束の間、 「ほ、本当ですか!?」 目をキラキラさせて聞いてくる法華。 「うん、まぁ……美味いよこれ」 「ありがとうございます!」 法華は鈴蘭のように笑った。 「ニンニクも唐辛子もくどくなくきいてて……へえ、こんな料理が作れるんだな法華は」 手放しで褒めると、法華は胸に手を当てて、 「私のことはどうかアキラとお呼びくださいまし」 そう言ってきた。 …………ふむ。 「でもなぁ。俺も日日日(あきら)だもんなぁ。自分の名前で法華を呼ぶのも変な感じ」 「…………」 「じゃああだ名でアキってのはどうだ?」 「アキ……ですか……?」 「そ。それなら俺とかぶらないだろ?」 ついでにあいつともかぶらない。 「……はい、ではそのように」 そう言ってアキは頷いた。 * 「ならんで歩く君とこの道を♪ 雪に刻まれる僕たちの足跡♪ 今は交わることはないけど♪ きっと地平線の向こうで一つになれる♪」 てきとうなポップを歌いながら俺は湯船に浸かる。 ザブンと水面が跳ねる。 「しっかし……」 俺は首をコキコキと鳴らした。 「なんかどっと疲れたなぁ」 言って、背伸びする。 背骨をぎゅーっと伸ばして、それから脱力。 「いや、まぁ原因はわかってんだけど」 どう考えてもアキのことだ。本当にありがとうございました。 コンコンと風呂場のドアが叩かれる。 「あ? アキか?」 「はい」 風呂場のドアはすりガラスになっているため、アキの姿がぼやけながらだが見える。 「湯加減はいかがでしょう」 「ん、快適」 「そうですか。よかったです」 ほっとしたような声のアキ。 ザブンと水面を揺らす俺。 と、「するするパサッ」と衣擦れの音がする。 「……おい?」 どう考えても、すりガラスの向こう側ではアキが服を脱ぎ始めていた。 「おいおいおいおい! 何考えてんだ馬鹿野郎!」 俺は慌てて風呂場のドアを内側からロックした。 「何を考えてると申されましても……。ご主人様の御背中を流さなければと」 「そこまでしなくていいから……!」 「いえしかし……」 「いいから。お前いらないから。自分でできるから」 「い、いらない……ですか……私……?」 「ああ、いらない」 「私……必要じゃない……誰にも……いらないって……ふえ……」 アキの声はだんだんと涙声になっていく。 「ふええ……私……えぐ……役立たず……」 「そこまで言ってねえよ!? ていうかこれくらいで泣くな! なんだ……その……別に体くらい一人で洗えるから。別に背中流さなくてもいいから。それだけだから」 泣くのは……反則だろ……。 「でも……でも……」 「あー……もう! わかったわかった。背中流していいから泣くな!」 「はい……! ありがとう……ございます……!」 「ただし服は着ていろ。これが条件だ」 「はい……」 そう涙声で言って、すりガラスの向こうで脱いだ服を着始めるアキ。 まったく……何考えてんだこいつは。 アキはメイド服姿で風呂場に入ってきた。 俺はというと股間をタオルで隠して対処した。 「えーと、これなんて罰ゲーム?」 「はい? なんでしょうかご主人様?」 「いや、なんでもない……」 はぁ、とため息一つ。 わしゃわしゃと背中をブラシで洗われながら、俺は現状を自問自答する。なんでこんなことになっているのだろう、と。いや、まぁ……自問自答などといったところで答えなど出はしないのだが。 そうこう思っている間にも背中を洗い終わったアキが背中の泡をシャワーで流す。 アキはどこか嬉しそうだ。俺なんかに尽くせるのがそんなに嬉しいか? こいつの考えはよくわからん。 「では、ご主人様、前の方も……」 「それは勘弁してください」 いやマジで。 * 俺の体を拭くと言いだしたアキをどうにか宥めて、なんとか貞操無事に風呂をあがる。 「あー、疲れた。これから毎日こんなやりとりするのか……?」 がしがしと乱暴にタオルで髪を拭きながら、疲労の吐息をつく。 自室――もう自室でもなんでもないが――へと入って、シングルからダブルへと昇格したベッドの端に座って携帯電話をとる。 アキは今風呂だ。 アキがいないうちに確認しなければならないことがある。 俺は携帯電話の「馬鹿野郎」の項目を選択、発信する。トゥルルルルと電話が鳴って、それから父親が出た。 『はろはろ〜、日日日、元気か〜?』 「ちょっと元気はない」 『お〜悩みか〜? ダディでよければ聞いてやらんでもないぞ〜』 「アキ……法華の件だ」 『おお〜。もうあだ名で呼び合う仲か〜』 「茶化すな。それよりも教えてほしいことがある」 『なんでもござれ〜』 「なんでうちで法華を預かることになったんだ? 経緯を教えてくれ」 『……聞かない方がいい』 「ということは何かあるんだな?」 『本人に聞けば……』 「それが出来ないからお父様に話を振ってんだよ」 『いや〜……ま〜……アキラちゃんの保護者がいなくなってしまってね〜……それで身寄りを探して我が家に白羽の矢が立ったってだけだよ』 「失踪か? それとも死亡か?」 『いや、少し前に警察に逮捕されたってだけなんだけど〜……』 「要領を得ん。もう少し詳しく」 『法華さんちはアキラちゃんとその父親だけの父子家庭だったんだけど〜……』 「だったんだけど?」 『この父親、虐待がひどくて警察にタイーホされちゃったの〜』 「虐待の内容ってまさかアキ……娘を奴隷として酷使してたとかそんなんか?」 『あ、やっぱりわかる?』 「なんとなく……な」 反吐が出るとはこのことだ。 「あいつの行動原理はそこからきてるんだな」 『だろうね〜。そうとうの事を父親にされたみたいだよ』 アキは“ご主人様を喜ばせようと”裸エプロンで出迎えた。 アキは“ご主人様に「いらない」と言われて”泣き出した。 つまり、そうせざるをえないだけのことを過去父親にさせられてきたのだろう……。 「それで……父親が警察に捕まったから次のご主人様として白羽の矢が立ったのが俺ってわけか」 『うん。虐待といってもそれは第三者の見解であって、アキラちゃんと父親の間には共依存の関係があったみたい。DVにもそういうケースがあるっていうしね〜』 「…………」 『だからさ〜、彼女に常識を教えてほしいんだよ。確固たるアイデンティティを持ってほしいんだ。おじさんとしては〜』 「俺に何を期待してるんだ……」 『別に日日日だけにじゃないさ〜。普通に学校に行って、普通に友達と遊んで……そういうところからリハビリを始めなきゃいけないってだけのこと』 「俺は何もしないぞ」 『今はそれでいいよ』 「それじゃ」 ブツッと電源を切る。 「ふう……」 ため息をついてベッドに寝転がる。低反発のベッドにじわーっと沈み込む俺の体。 浴室から聞こえてくるシャワーの音が青春小僧の耳には色っぽく聞こえてしまう。 「さて……どうするかなぁ」 アキの事情はわかった。 けど下手な手は打てない。 俺はアキの扱いを決めあぐねていた。 * 風呂を上がったアキはテキパキと洗濯に食器洗いに明日の朝食の仕込みにと家事を始めた。 俺はといえば家事は全部アキにおしつけて、読みかけのSF本を読破することに腐心する。 ゴーゴーと重低音を鳴らしてるのは洗濯機だろうか? カチャカチャと鳴っているのは食器が積み重なる音だろう。 よくやるもんである。 俺なんか洗濯は三日に一度。 洗い物もたまりがち。 ちょくちょく姫々が俺の部屋に来て大掃除をするまで、腐海作りに励んでいたというのに。 そういう生活ともおさらばらしい。 アキ……便利な奴である。 来ているメイド服は伊達ではないということか。 「ご主人様〜」 「はいはい。何でがしょ?」 「お茶などいかがでしょう?」 そう言ってお盆に水出し紅茶とティーカップを乗せて微笑むアキ。 自分は家事に従事しているというのに、その合間を縫って俺の茶の心配とは。 つくづくできた奴……。 「いいね。もらうよ」 「はい……!」 アキは嬉しそうに頷いて部屋に入ってくる。 白く波打つロングヘアーが揺れる。 テキパキと茶の準備をして、俺にティーカップを渡すアキ。受け取る俺。 茶を一口。 「…………」 「……あの……どうでしょう?」 「ん、うまい」 「本当ですか……!? ああ、よかった……」 そう言って白い眼を柔和に曲げるアキに「可愛い」とか思ってしまう俺は変態だろうか? 「こういうの……前もって準備してたのか?」 「はい。水出し紅茶は放っておけば出来ていますから管理が簡単なんです」 そうは言うが実際に茶の濃度をほどよく管理するためには茶葉の量や浸す時間に気を配らねばならないだろう。 能ある鷹は爪を隠す。 中々やるな、こいつ。 「あの……簡単ですが茶菓子もありますので……」 そう言ってアキは黒い……おそらくはココア味のスポンジケーキを出してきた。 「至れり尽くせりだな」 「何かご不満がありましたら忌憚なくお言いください」 「いや、ないよ」 そう言って俺はケーキにフォークを突き刺した。 |