ご主人様と呼ばないで

ご主人様は突然に、1


 キンコンカンコーン。
 ウェストミンスターチャイムが鳴る。
「ふわ、今日の学業終了……」
 俺は自分の席である机につっぷした。
 さて帰り支度をしようと背骨を伸ばし、気だるげに学校鞄を机の上に乗せる。机から今日の課題に必要な分の教科書と資料を取り出し、鞄に入れると立ち上がる。
「さて……」
 などと呟く俺のそばにちょこちょこと近寄ってくる女子一匹。
 その女子は俺に話しかけてくる。
「ねえ日日日ちゃん。もう帰るの? 今日は一緒に帰っていい?」
「いいが……部活はいいのか?」
「今日はお休みだよ」
 そう言って女子はクスリと笑う。
 はい、こちらの女子、本妙さん家の姫々ちゃん。鳥の巣みたいなショートの天然パーマと泣きぼくろが特徴のまずまずの美人。身長が少し足りないため学校指定のブレザーが背伸びに見えるのが玉に瑕。ぶっちゃければチビだ。俺こと日日ノ日日日の幼馴染でもある。
「えへへ。今日は、今日はね、日日日ちゃんの夕飯作ったげるね」
「おう、ありがとな」
 わしゃわしゃと鳥の巣頭を撫でてやる。
 それだけ嬉しいのか「えへへぇ」とデレる姫々。
 犬か、お前は。
「日日日ちゃん。今日は何が食べたい?」
「うーん、じゃあ牛丼で」
「それじゃ牛肉買わなきゃね。帰りがてらにスーパーに寄ろ」
「そうだな」
 じゃあ帰るか、と俺が口にする前に、
「あーきらっ!」
 黒のロングヘアーが俺の視界いっぱいに広がった。
 軽い衝突。
「日日日、日日日、僕と一緒に帰ろ♪」
 凛としたソプラノの猫なで声。
 黒髪ロングの美少女が俺に抱きついてきた事実だけはわかった。
 いや、美少女というのは語弊があるな。
 はい、こちらで俺に抱きついてきているのは蕪木さん家の音々ちゃん。鴉の濡れ羽色のストレートロングヘアーが特徴の大和撫子。パッチリの御目、桜色の唇、大理石のように白い肌。スレンダーな体つきで、ブレザーの女子制服がよく似合っている。端正な日本人形のような美貌を持つ蕪木音々の唯一にして無二の欠点は実は男だということだろう。男子のくせにそこら辺の女子より可愛いのだ、男子のくせに。その美貌のせいで道を誤った男子生徒がちらほらといるくらいで。
 当の本人はというとそんな裏事情など知ったこっちゃないらしく、俺に抱きついたまま離れようとしない。
「日日日、今日もいい匂い……」
「嗅ぐな変態」
「んー、じゃあ変態ついでにチュー」
 そう言って俺の頬に軽くキスする音々。
「くぁwせdrftgyふじこlp」
 言葉にならない悲鳴をあげたのは俺ではなく姫々だった。
「音々ちゃん! 日日日ちゃんに何するの!」
「何って……キス」
「駄目だよぅそんなことしちゃ……」
「いいじゃん。これくらい。挨拶だよ挨拶」
「で、でもぅ……」
「あー、そっかそっか。姫々の身長じゃ日日日にキスできないもんね。ご愁傷様」
「ううー……」
 悔しげに呻く姫々。
 そんなところで悔しがらんでもとも思うが、まぁ放っておこう。
 俺は事なかれ主義だ。
 ただし……、
「音々。あまり気軽にキスしてくれるな。風紀委員に目をつけられる」
「えー、つまんないのー」
 俺に抱きついたままモジモジするという離れ業を見せながら音々。
 俺はそっとため息をつく。
「一緒に帰るのはいいがどうするつもりだ? 今のところ俺と姫々はスーパーに寄る以外のことは考えてないぞ」
「じゃあ本屋行こ。ORENCHI GENJIのニューシングルが出たの。買わなきゃ」
「だってよ、姫々」
「うー」
 警戒する姫々。
「ほら行こ。さあ行こ。早く行こ」
 俺の腕に抱きついて引っ張る音々。
「おい、引っ張るな」
「いいじゃん。可愛い僕をはべらせてて。やったね」
 やったね、じゃねーっつーの。
「私も! 私も!」
 とか言って姫々まで逆の腕に抱きついてくる。
 まだ帰ってないクラスメイト連中の視線が刺さる刺さる。
 はい、ちょっと優越感。
 あくまでちょっとな。



 他愛もない漫画の話をしたり、曲の試し聞きをしたり、ライトノベルのコーナーでパラパラ立ち読みしたりとまぁなんとも平々凡々なことをして、音々がCDを買うのを待ってから、本屋を出る。
「また一緒に帰ろうねー」
 と言った音々にてきとーに頷いて別れる。
 その後、スーパーに寄って牛肉のパックやら何やらを買って帰路につく。
 帰路と言っても俺と姫々のアパートは学校のすぐそばにあるため学校に向かって戻る形になる。
 買い物袋を率先して持っている姫々に言う。
「飯作ってもらう身だし荷物ぐらい俺が持ってもいいんだが……」
「いいよう。私が勝手にやってることだから」
「勝手に……ね」
「もしかして迷惑?」
 コツンと姫々の頭に拳を落とす。
「あた」
「余計な心配するな。むしろありがたく思ってるくらいだ」
「本当?」
「マジマジ」
「えへへぇ。だったら嬉しいな」
 単純な奴である。
 でもまぁこんなことで喜んでもらえるのは光栄ともいえる。
「牛丼にふかひれスープもつけちゃうよ」
「まぁインスタントなんだがな」
「それは言わない約束だよ」
 そうこう言っているうちに俺たちの住んでいるアパートに着く。名前はフラワーハイツ。間取りは1DK。家賃は秘密。目と鼻の先に俺たちの通っている雪柳学園が見える。
 実家から雪柳学園までは距離があるので、俺はアパートを借りて独り暮らしをしているのだ。その条件は幼馴染たる姫々も同じで、俺の部屋に当たる105号室の頭上、205号室が姫々の部屋だ。
 とりあえず俺は姫々を連れて105号室の前に立つ。
 ポケットから鍵を取り出し、差し込む。
 ガチャリ。
 俺は扉を開けようとして失敗する。
 扉の鍵は閉まっていた。
「ん?」
 何故、と思ったのも束の間、つまり元から扉が開いていて、俺はそれをわざわざ閉めた結果今に至るのだと理解する。
 ということは今日一日ずっと鍵が開きっぱだったのか?
 ……我ながら不用心な奴。
 まぁ次から気を付けることにしよう。
 ガチャリ。
 今度こそ俺は鍵を開ける。
「じゃあ日日日ちゃん、キッチン借りるね」
 さっそく料理に入るつもりか、気を急いて姫々が105号室、つまり俺の城の扉を開く。
 勝手に上がろうとする姫々に続いて俺も部屋に上がろうとしながら、
「ただ……い……あ……?」
 ただいまと言おうとして失敗した。
 ちなみに俺より先行していた姫々も動揺して固まっている。
 何故かって?
 ものすごい違和感が俺の部屋の玄関にあったからだよ。
 あった、というか、居た。
 違和感の正体は人間だった。
 俺たちと同い年くらいの女子が何故か俺の部屋の玄関フロアにいた。
 雪のように真っ白で波打っているロングヘアーが特徴の少女がいた。アルビノなのか、とにかく白かった。髪も目も肌に至るまで真っ白な、くわえて美少女と言って言い過ぎることのないくらい整った顔立ちの美少女が玄関フロアにいた。
 それだけならまだいいのだが、何をとち狂ったのかアルビノ少女は所謂『裸エプロン』というあまりにきわどすぎる格好をしていて、その上、
「お帰りなさいませご主人様」
 と言って、俺に三つ指をつくのだった。エプロンの隙間から豊満な胸の谷間が覗き見えた。
「……はい?」
 誰がご主人様……?
 ていうか何この状況。
 と、ドサリと買い物袋が姫々の手から滑り落ちた。
「おい……? 姫々……?」
「あ、あ、日日日ちゃんの馬鹿ーっ!!!」
 そう叫んで、姫々は全力疾走で夕日の向こうへ消えていった。
「姫々ーっ! ちょ! 違うんだって! 俺にも意味が……!」
 とかのたまった言葉は、多分走り去った姫々の耳には入ってないだろうなぁ。
 そりゃ部屋に裸エプロンの少女がいて俺をご主人様とか呼んだら誰だって下世話な想像をするだろうが、冤罪である。
 俺はアルビノ少女に振り返って、
「ていうか誰だお前!?」
 誰何した。
 アルビノ少女はキョトンとして、
「ご主人様の奴隷ですが……」
 何を当たり前のことを、みたいな言い方で呟く。
 いやいや。
「誰がご主人様だ!」
「もちろんご主人様のことですが……」
 答えになってねーんだよ!
「どっから湧いて出た!?」
「今日からこちらでご主人様にご奉仕するようにと仰せつかりましたので。もしかしてお父様から連絡をもらっていませんのでしょうか?」
「きっぱりと初耳だ」
 聞いてねーぞ、馬鹿親父!
「それで……ええと……なんで裸エプロン……?」
「ご主人様が喜ばれるかと思いまして」
「誤解だ」
「そうですか」
 簡潔にそう言うとアルビノ少女は、躊躇いなくエプロンを脱ぎだした。
「何してんだお前ー!?」
 豊富な乳房が見えかけたところで俺は全理性を総動員して、開けていた玄関扉をバタンと閉めた。当然俺は扉の外側だ。
 それから玄関扉に背中を預けてずるずると座り込む。
「なんなんだこの展開は。想定の範囲外だぞ……」
 やばい。
 はげしく混乱中。
 と、扉が内側からコンコンと叩かれた。
 扉越しに部屋内からアルビノ少女が声をかけてくる。
「もし、ご主人様」
 扉を挟んで部屋の外から俺が答える。
「ご主人様じゃねえが何だ?」
「何故扉を閉めるのですか?」
「お前がいきなり脱ぎだしたからだろうが!」
「ご主人様になら裸を見られても……その……大丈夫ですよ」
「こっちが大丈夫じゃねえんだよ! いいから何か着てくれ!」
「ご主人様がそう仰るなら……着替えてきますね」
 そう言ってパタパタと足音が遠のくのが扉越しに伝わってきた。
 どうせアルビノ少女が着替えるまで時間がある。俺は携帯電話を取り出して「馬鹿野郎」の項目を選択、発信する。トゥルルルルと電話が鳴って、それから父親が出た。
『はろはろ〜、日日日、元気か〜?』
「生憎と元気ですよクソお父様。ここまで育ててくれて感謝感激」
『それで〜、どうした〜? お前から電話なんて珍し〜』
「どうせ要件わかってるくせに何言ってやがる。うちに頭のネジが数本外れている女子が来たぞ。なんだアイツは?」
『おお〜、ちゃんと着いたか〜。感心感心』
「質問に答えやがって下さい」
『ああ、彼女、うちが預かることになってね〜。血縁的にはお前のはとこにあたる。名前は法華アキラちゃん。可愛かったろ?』
「…………」
 まぁ、たしかに可愛かったが。
 それもどっちかと言えば幻想的な可愛さだ。
 妖精のような雰囲気を持っていたのはアルビノのせいだろうか?
「それで、クソお父様が預かることになったのはいいとして、何で俺の城にいる?」
『これからアキラちゃんはお前と同じ雪柳学園に通うことになった。となれば家からはちょっと遠い。それならお前とルームシェアしてもらおうかと〜』
「聞いてねえぞ!?」
『言ってないからね〜』
 のんびりと言いやがるね。
『色々問題のある子だけど、そこはそれ、根気よく付き合ってあげて〜』
「まさか俺に押し付けただけじゃあるまいな?」
『…………』
「おい……?」
『冗談冗談。本当に交通の便の問題なだけだから。美少女とのスクールライフだと思って楽しめ〜』
「…………」
 通話を切る。
 これ以上クソお父様と話してたら暴言垂れ流しになる可能性が多分にあったからだ。
 とりあえず事情は分かった。
 法華アキラ。俺のはとこ。この度日日ノ家の家族となった少女。ついでにルームメイト。
 で、何で俺がご主人様?
 ううむ、と悩む俺に、
「ご主人様、着替えてまいりました」
 扉越しに法華から声がかかった。
 とりあえず俺は悩みを放棄して、玄関の扉を開ける。
「改めて……お帰りなさいませご主人様」
 三つ指をついた法華はランジェリー姿だった。
 いたいけわがままバディが惜しげもなく晒される。
「…………」
 俺は無言で扉を閉める。当然俺は扉の外側だ。
「あの……まだ何か不満が……?」
「普通の服を着ろ!」
 つまりそういうことだった。

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