落日の魔術師

『日は昇り日は沈み』2


 それから一週間後。
 私は陰陽頭に命じられて東京に行くことになった。今ニュースで騒がれている猟奇連続殺人事件を解決するためだ。テレビで言うには無残な死体が転がっていたとのこと。もう少し詳しい検死資料によると獣の歯形が確認できたらしいが、四割がたは食いちぎられていて、どう考えても野犬の仕業ではありえないとのこと。無論これが野犬なら保健所の、人間なら警察の領分なのだが……まぁありえないだろう。鬼部(もののべ)の兵が二人も殺されたようで、一般人を含めれば計六人が被害にあっているらしい。おそらく妖怪や鬼……つまり天敵的幻想生物の類の仕業に相違ない。鬼部は自力で解決するつもりらしいがスポンサーの方がそれで納得せず独自に陰陽寮へ依頼、確かな実力がありながらフットワークの軽い私こと賀茂姫百合の派遣とあいなる。
 まぁそれはいいんだけど、
「……なんであんたがいるのよ」
 飛行機の中、私は隣の席に座っている天常照ノに文句をつけた。
 毎度毎度馬鹿の一つ覚えみたいに深紅の羽織を着てキセルを咥えている。無論機内は全席禁煙なのでキセルは咥えているだけだ。照ノは毎度毎度の死んだような細目でフライトアテンダントを追いかけながら口を開いた。
「ちょうど小生も江戸に用がありやんして」
「だからってなんで同じ機のしかも隣なのよ」
「しょうがありやせん。チケットをとったお使いさんが纏めてしまったそうでやんすから。しかし天下の陰陽寮がエコノミーとは世知辛い話じゃありやせんか」
 穀潰しの分際で厚顔な。
「東京に何しに行くのよ?」
「さぁて。来いと呼ばれただけの身ゆえ何用かまではとんと」
 結局東京へも客分らしい。
 しかしこんな奴を客賓扱いにするという人間もまた奇特だ。いったい誰が何のために天常照ノを必要としているのか興味は尽きなかったが、それらの質問はすげなくかわされた。
 五分も経つと照ノは懐から本を出して飽きもせずに読み始める。
 昨日は法の書。一昨日はエメラルドタブレットの考察。読んでるものにとりとめがないうえに照ノが陰陽師かも疑わしくなる本ばかりだ。今日は何かと見ていたら現代語訳された日本書紀のようだった。
「たまには日本的なものも読むのね」
「誤解があるようでやんすが特に和書を避けているわけではありやせん」
 言ってパラリとページをめくる照ノ。それから、珍しく向こうから話しかけてきた。
「……ところでお姫さん、日本神話には通じていやすか?」
「そりゃまぁ……日本の魔術師なら避けては通れない話だしね」
「なれば天津甕星(アマツミカボシ)という神をご存知で?」
「文献に書いてある程度のことならね」
「日本神話は天津神による葦原中国の統治あるいは侵略の逸話でやんす。それ即ち太陽神天照大神の末裔である皇族の政に正当性をもたせるプロパガンダ。国津神とは旧き神話の時代に群雄割拠しながらも帝の地位を得られなかった各地の豪族たちではないかと言われているでやんす」
「知ってるわよ」
「似たような話は西洋にもありやして、キリスト教の支配を受けた各地方の人々の、彼らの祭る神々が悪魔として聖典に登場するのもいい例でやんす。まこと人とは救いがたい」
「それで?」
「では……天津甕星とは何でやんしょね?」
「ん?」
「天津甕星はその名の通りの天津神でやんす。天に……高天原に住まう神々の一柱。しかして国津神のことごとくを平定した天津神に最後まで抵抗した神とも言われやんす。天津神であるはずの天津甕星が何故自らの同胞である天津神に弓を引いたんでやんしょか」
「さぁね。悪さなら素戔男尊もしてるじゃない」
「素戔男尊はトリックスター……ピカレスクでやんす。天津甕星のそれとはまた別の話」
 言って照ノは細い目をさらに細める。
「星神でありながら天に弓引いた天津甕星。日本最古のテロリスト。そを謀反にはしらせた理由は一切残っていやせん」
「…………」
「歴史とは勝者が記すものゆえそれもやむを得ないことなのやもしれやせんね……」
 どこか寂しそうにそう言うと、照ノはそれっきり喋らなくなった。
 飛行機が飛ぶ。
 それから東京に着くなり照ノは勝手にタクシーを拾ってどこかに行ってしまった。
 まぁ別にいいんだけど。
 

 
 同日午後九時。
「この辺り……か……」
 地図を確認しながらそう呟く私。
 場所はとある東京湾沿い。
 見ている地図には六箇所のバツ印。それらは被害者の遺体の発見場所だ。ある程度の散らばりはあるけれど、どれも東京湾沿いという共通点がある。まぁ犯人が潜伏場所を変えている可能性もあるが、それは想定外ということで。
 さすがに眠らない街東京。日が沈んでもなお明るいが、けして良い風景とは言えない。コンテナと倉庫が無機質に並ぶ殺風景。情緒もくそもありはしない。
「しっかし……」
 辺りを見回して一言。
「……誰もいないわね」
「仕方ありません。近くに猟奇連続殺人犯が潜伏しているとなれば出歩く人も少なくなりますし警察も夜歩きを控えるように呼びかけていますから」
 私の疑問に答えるスーツ姿の男。典型的日本人顔で特徴がないこの男のことを私は心の中でスーツ男と呼んでいた。なんでも鬼部のスポンサーが派遣した営業マン――無論営業といっても魔術方面のだが――らしく、土地勘のない私をサポートするとのことらしい。いらないと言ったが「給料のうちですので」と押し切られた。
「別に一般人のことは言ってないわよ。さすがに相手方がこれだけ派手に動いたんだから鬼部も本気で狩り出す気なんじゃないかと思ってたんだけど……ここに来るまでに一度も気配を感じなかったから。もしかしてサボってんじゃないわよね」
「それはないと思いますが……」
 控えめに否定してくるスーツ男に、
「よね」
 同意する。
 そんなタマじゃない。鬼部は相手が強ければ強いほど血の気の増す戦闘馬鹿集団だ。とても尻込みしたとは思えないが、それにしたって気配がない。鬼部とて相手方が東京湾沿いに頻出していることなどわかっているだろうに。網も張らずに何のつもりだろう?
「まぁ私は私の職務を全うするだけなんだけど……」
 などと言ってるところで私の携帯電話が鳴った。着信番号を見る。知らない奴からだった。通話ボタンを押す。
 でたのは照ノだった。
「はーい、お姫さんお晩でやんす」
 あいもかわらず暢気な口調だ。
「……なんであんたが私の携帯番号知ってるのかを教えなさい。話はそれからよ」
「先生に聞きやした」
 個人情報保護法はどうした。
「ていうか照ノ、あんた携帯持ってたのね」
「いえいえそんな首輪同然の文明の利器なんてもっていやせんよ。今は料亭で電話を借りていやして」
 穀潰しのくせにブルジョワな。
「で、何の用? 今ちょっと気が張ってるからあんまり時間割きたくないんだけど」
「そのことについて提案がございやして、お姫さん……どうかその一件から手を引いてはもらえやせんかい?」
「寝言は寝て言いなさい」
「話は最後まで聞きやっせ。どうも今度の鬼さんは曰く付きの奴らしく……聞いたところによると鬼さんに殺された鬼部の兵の一人は、武士の血筋において右に出る者のいない坂上氏、その中でも歴代指折りの実力者坂上國守(さかのうえのくにもり)だったとか。彼が後れをとったとなれば、これはちと想定の埒外。デスクワークのお姫さんには荷が重やんしょ。荷を纏めて京へお帰んなさい。先生へは小生から話を通しておきやすんで」
「何よそれ。むしろ剣士が負けたんだから呪い師の出番でしょ。見くびらないでほしいわ」
「自負心大いに結構でやんすが命あっての物種……どうかご自愛なすってくれやんす」
「それは私が敵に後れをとると……そう言いたいわけ?」
「はぁ……まぁ歯に衣着せなければそういうことでやんすかねぇ」
 ブチンとこめかみ辺りの血管が切れた。
「ざっけんじゃないわよ!」
 どなって通話を切った。まったく不愉快な奴だ。犯人を締め上げたらまっさきに照ノのところに持っていって私の優秀さを照明してやるんだから!
 なんか微妙に目的が変わった気がしたけど、特に気にせず私は敵が出るのを待った。
 

 
 五時間後。
 翌日の現在午前二時。
 草木も眠る丑三つ刻。
 ヒュオゥと体を撫ぜる潮風が肌寒い。
 私は身を縮めながら呟いた。
「……来ない」
 来ないのである。もう夜中の二時だというのに敵が動く、あるいは動いた気配がない。
「どうなってんのよ!?」
 鬼部の兵もいっこうに網を張る様子もないし、敵もいっこうに動く気配を示さないし。
 このままうら若き乙女に徹夜しろというのか。夜更かしは肌の天敵なのに……。
「ジリ貧ですねー」
 ポツリとつぶやいたスーツ男の言葉で、何かしら私の中の忍耐が焼ききれた。私は持っていたトランクを開き、
「もう駄目。ちゃっちゃと終わらせるわ」
 そう言って中から式符をゴッソリと百枚取り出す。
 スーツ男が驚いた様子で私を見る。
「あ、あのぉ……まさか式神を百体同時に使役するおつもりで?」
 スーツ男の驚きも最もだ。いくら式神とはいえ百体並行使役は凡人にはできない。まぁこの天才陰陽師賀茂姫百合の実力があって初めて成立するスーパー陰陽術なのだから。
「ともあれ鬼部も敵方も動かないならこっちから炙り出すしかないでしょ」
 言って私は百枚の式符を百方向に投げると、
「探していらっしゃい……百鼠、急急如律令!」
 呪文を唱える。それに呼応した百枚の式符はそれぞれが百匹の鼠へと変化し、百匹の鼠は情報を集めるために離散した。チュウチュウという鳴き声が次第に小さくなって潮風に紛れた。
 スーツ男が感心したように私を見る。
「すごいですね姫百合様! さすがは賀茂氏の直系。あれだけの式神を同時に操るなんて。これならすぐにでも敵は見つ」
 黒い影が視界を横切る。
 スーツ男の頭が首から千切れた。
「かりますね!」
 首だけになって地面を転がるスーツ男の頭が残った言葉を言い切る。私の思考が一瞬停止する。スーツ男の胴体、その首元から噴水のように血が飛び出す。それから糸の切れた人形のように体が崩れ落ちた。
「……へ?」
 判断がついてこない。まるで冗談のような光景だった。一瞬にしてスーツ男の頭が千切られたのだ。
 そして、そのそばには漆黒の毛並みを血で赤く染めた大型の肉食獣が。シルエットは狼に近いが、人よりもさらに一回り大きいその獣はまるで「ライオンをイヌ科にしたらこうなるだろう」という幻想に近い姿だ。
 一目でわかる。
 今回の猟奇連続殺人の犯人だ。人じゃないけど。
 誰しも専門分野の経験を積むとその方向への勘が良くなる。細かいことはわからなくても大まかな判断なら一瞬でつくようになる。正に今がそれだった。幾多の鬼を退けてきたからこそわかる直感。
 私はここで殺される。
 逆立ちしても敵わない……圧倒的な何かがその黒い獣にはあった。
 意識だけが加速する。体は動かないのに認識だけはクリアにできた。獣は規格外の跳躍で加速するや、血に染まった大きな顎門をあけて私の頭を食いちぎろうと襲い掛かる。ああ、死んだな、と獣の牙を数えながらどこか虚ろに諦める私。
 獣の襲撃が私に接触しようとした瞬間……獣の頬に草履がめりこんだ。
 
 ……草履?

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