落日の魔術師

『日は昇り日は沈み』1


 世界には様々な神秘が宿っている。それは何も近代魔術に限った話でなく、ソロモン王の秘術だったりルーン魔術だったりカバラの理論だったり、あるいは各地神話の再現だったりシャーマニズム的儀式だったりするのだが……例えば日本でなら神道、仏道、陰陽道、修験道なんかが有力だ。
 ここ《陰陽寮》は京都に居をボクし、日本政府も贔屓にする世界最大の陰陽道系魔術結社。昔は国家直属の機関だったのだが紆余曲折を経て廃止。今は同名の魔術結社となり場所も江戸から京へと移ることになった。が、しかし先人の残した遺産は確かなもので、その恩恵を受けたる現在、名こそ損ねたものの実は損なっておらず、その勢力はいまだ最大。全陰陽師の半数を有するとまで言われている大派閥だ。京都の鬼門に八千坪の土地とそれに見合う屋敷を構え、日々陰陽術の研鑽を行なっている。
 私こと賀茂姫百合もまたそんな陰陽寮に属する陰陽師の一人だ。賀茂を名乗るのだから当然それは天地に名高い賀茂氏のこと。遡れば安倍晴明の師である賀茂忠行に連なる陰陽師のサラブレッドの末裔。女だてらに理法術技おしなべて覚えもよくし、その智は太極両儀三才四象五行六合七星八卦に通ずる。改めて自分の才能が恐い。後十年もすれば陰陽博士になったりなんかして……なーんちゃって、なんちゃって。まぁ年齢的性別的な貫目が足りないからありえないんだけど。年功序列に格付に血統に性差……世の中ってのは封建的に出来ている。魔術師なんてのはその典型だ。
 で、そんな実力に評価が追いつかない私がしぶしぶ漢時代の奇門遁甲の資料を蔵へと運んでいた時のこと。陰陽寮の敷地の隅っこにひっそりと建てられた離れ家の、その縁側に座っているそいつを目にした。
「…………」
 おそらく二十代前半の青年。ボサボサに乱した黒髪。生気のない細目。口に咥えたキセルはまぬけそうにプカプカと煙をはき出して。手にもった文庫本をパラリパラリと読んでいる。紅の深い曼珠沙華の模様の羽織を着崩して、世捨て人と遊び人を足して二で割ったような雰囲気の男だった。
「……誰?」
 思わず呟いてしまう。
 陰陽寮は陰陽師の巣窟。たとえ総理大臣だって一歩でも踏み込めばここでは丁稚扱いだ。それなのにその男ときたら派手な深紅の羽織を「どうだ」とばかりに着こなして、なおかつこのテリトリーでくつろいでいる。陰陽師では……おそらくない。そして私の記憶にはない顔だった。八千坪もの敷地を毎日くまなく周るわけではないので絶対とは言えないが、それでも生まれたときからここに住んでいる私が初めて見る顔というのは珍しい。客なら客間に通すはずだし、一見さんお断りのここに一週間でも住むならば面識の一つもありそうなものだが。
 が、私はその時は資料を運ぶことを優先して、その男のことは気にしなかった。
 

 
 それから一週間後。
 その男はまだ離れ家にいた。
 やっぱり髪はボサボサで、目は死んでいて、キセルから煙を浮かべて、本を読んでいた。
 曼珠沙華の模様の羽織も変わらず。
 

 
 また一週間後。
 同上。
 

 
 またまた一週間後。
 同上。
 現賀茂氏当主の父に「あれにいるは誰ぞ」と聞いてみれば「客分だ。それ以外は知らん」と教えられた。
 んなアホな。
 

 
 またまたまた一週間後。
 やはりまだ離れ家にいた。
 深紅の羽織も変わらず。
 離れ家のすぐそばにある庭の池の鯉にエサをやっていた。
 暇人のようだ。
 しばらく見ていたら、飽きたのかまた離れ家の縁側に座って煙を吸いながら本を読み始めた。
 私は今日こそ正体を確かめるべくそいつに近づいた。草履をはいて外に出て、離れ家に歩み寄る。ある程度距離が詰まったところで、向こうの方から気付いた。そいつは縁側に座ったままキセルを口元から離し、軽く会釈をしてくる。
「これはこれはお姫さん、こんな離れに何用で?」
「私を知ってるの?」
「賀茂姫百合嬢でやんしょ? 日本の誇る賀茂氏当代の娘がよく器量のいい陰陽師だともっぱらの噂でやんすなぁ」
「そ」
 事実は事実なので受け止める。
「ところであなた……」
「はいはい?」
「いったい何なの?」
 抽象的な質問をとばした。案の定首をかしげるそいつ。
「何とは?」
「こんな離れに住んでいて、いつまで経っても出ていかないなんて……もしかして新入り?」
「いえいえ、陰陽寮には属していやせん。単にうだつの上がらねえ客人でやんす」
「それにしたって何でここに住み着くの? 一時の客ならそれは例外だろうけど、属そうが属さまいが陰陽寮の敷地内で暮らすってことは陰陽道の研鑽編纂切磋琢磨に尽くすこと相違ないのよ? もしかしてそのナリで陰陽師だなんて言う気じゃないでしょうね?」
「さぁ〜それには陰陽師の定義から入る必要がありやんすなぁ」
 そう言ってキセルを咥えて、それからプカァと煙を吐き出すそいつ。
「定義?」
「陰陽術を使える者を陰陽師と呼ぶのなら、たしかに小生は陰陽師でやんすよ?」
 つまり陰陽師であり客人でもある、と……それってつまりこの男が人材の豊富な陰陽寮にあってなお勧誘し確保したいと思わせるほどの逸材だとでも? こんな世捨て遊び人(造語)が?
「その割には何にもしていなさそうだけど……」
「まぁ客人として遇されてやんすからなぁ……」
「日がな一日煙草吸って本読んでるわけ?」
「否定はできやせんなぁ」
「なにそれ。穀潰しじゃない」
「否定はできやせんなぁ」
 言ってそいつは煙を吸って吐く。
 私は腕を組む。
「だいたいあんた客分ったって何のために陰陽寮に呼ばれたの? 他と一線を画す陰陽寮をして勧誘確保したいと思わせたってことは相当の実力者よね。なにかしらすっごい術でももってるの?」
「いぃえぇ〜。そもそも人材豊富な陰陽寮様が他所に頼むものなんてのはとっさに見つからんでやんすなぁ」
 言ってそいつは煙をプカァ。
 私はますます混乱した。
 陰陽師ではあるが特に優れているわけでもない……ならば何故陰陽寮がそいつを置いておくのか?
 よくわからなくなった私に、クツクツと笑ってそいつが言った。
「そう難しく考えるこっちゃごさいやせん。小生、さるお偉方に目をかけてもらっていやしてね。そのツテでこちらに住まわせてもらっているだけでやんす。要するに銭も稼げねえ甲斐性無しでやして、特に姫さんが気にするものは持ち合わせてねえでやんすよ」
「……あんた、それでいいわけ?」
「あれ? ご存知でやせんか? 金持ちってのはたかるためにいるんでやんすよ?」
「……あぁ」
 なるほど。要するに駄目人間だ。偉い人の紹介だから陰陽寮も無下には扱えない。それで離れ家に押し込めているのか。
 得心がいった。
「でも陰陽師ではあるんでしょ? 何かやってみせてよ」
「さぁて……何ができたやら……」
 プカァと煙をはいてすっとぼけるそいつ。
「別に何でもいいけど、そうね……卜占でも」
「できやせん」
「は?」
「ですから、できやせん、と申しやした」
「陰陽師なのに?」
「でやすねぇ」
 プカァ。
「遁甲は?」
「無理」
「天文?」
「無茶」
「結界?」
「無謀」
「式神?」
「不可能」
「護法?」
「未修得」
「生剋?」
「不得手」
「退魔?」
「それくらいなら……まぁ……」
「それは生剋と退魔に特化してるってこと?」
「生剋と退魔しかできんということでやんす」
「…………」
 呆れてものも言えないとはこのことだ。
「それ……陰陽師じゃなくない?」
「ですから言ったでやんしょ。陰陽術を使える者を陰陽師と定義したらば、と」
「使えてないじゃない」
「一部は使えるでやんす」
 詐欺の理論だ。
「じゃあそれでいいからやってみせてよ」
「……はあ、姫さんのおのぞみとあらば」
 そう言って、そいつは懐から筆と短冊を取り出すと流麗に術式を書き下ろす。そうして書き終えた短冊を池に向かって投擲し、同時に、
「急々に律令の如く」
 呪文を唱える。空を切る短冊が突然発火し一つの火塊となると、その炎はそのまま池に突っ込んで鎮火した。
 それからそいつはまた煙をプカァ。
「……とまぁこんなんでどうでやしょ?」
「呪力を顕現するだけでせいぜいってことね」
「あくまで火気のみでやんすがねぇ……」
「……はい?」
「小生不器用なもので木気、土気、金気、水気は顕現できやせんゆえ」
「生剋できてないじゃない」
「それは見解の相違ということで」
 そらっとぼけたように言うそいつ。
 口だけは達者なようだ。
「あんた、名前は?」
 聞く私に、
「天常照ノと申しやす」
 そいつはプカァと煙を吐いてからそう答えた。
「変な名前」
 私は心からそう言った。
 

 
 次の日。
 照ノはやっぱりキセルを咥えて、深紅の羽織を着て、縁側で本を読んでいた。
 呆れる。
「あんた他にやることないの?」
「と言われやしてもねぇ。小生が何もせずとも先生の式神が食事に洗濯に掃除にと世話を焼いてくれやすもんで」
 ちなみに照ノの言う先生とは陰陽頭のことだ。顔見知りらしい。
「術を練るなり識を学ぶなり資料を編纂するなりなんなり陰陽師ならやることはあるでしょう」
「少年老い易く学成り難し……含蓄のある言葉でやんすが振り回されれば快くないのもまた事実。空を見やんなさい。今日も天気がいいでやんす」
「本当に駄目人間ね」
「否定はできやせんなぁ」
 言って照ノはまたプカァと煙を吐く。
 それから読んでいた本をまたパラリとめくる。
「……何読んでるの?」
 聞く私に、照ノは本を閉じて表紙を見せる。
 旧約聖書。
 私はその場でずっこけた。
「あ、あ、あんた本当に陰陽師!?」
「自称でやんすが」
「どこの世界に旧約聖書を嗜む陰陽師がいるのよ!?」
「その言は焚書坑儒でやんすなぁ」
 のんびりとそう言う照ノ。
「信じることは救われること。聖書は救済と道徳を学べる良き本でやんす」
「……使徒にでもなれば?」
「良い案ですが止めときやす。小生キリスト氏には一目置いていやすが神を信仰することはまた別の話でやんす」
「…………」
 よくわからない奴である。
「神が全知全能なら……なにゆえルシファーは謀反を起こしたんでしょうかね……」
 そう照ノがポツリと呟いた。

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