滅私装甲メッシリンダー

滅私装甲メッシリンダー2


 翌朝。
 結論から言って昨晩の意識体験は夢ではなく、れっきとした現実だった。
 起床してから、変な夢を見たなぁ、なんて思っていると、「――夢じゃねぃぜぃ。これも現よぅ。それとおはようさん大将――」と首にかけたネックレスが当然のようにテレパシーで話しかけてきた。
 眠い目をこすりながらフラフラと登校の準備をする僕に、景気付けにとリンドがサンタルチアを歌いだしたりして。当然テレパシーによるものだからそれは僕にしか聞こえないわけで、時折リンドにつられて「SantaLucia、SantaLucia」なんて口ずさむ僕のおかしさに、吉野ちゃんが「見ていてあまり気持ちのいいものではないですよ」という旨の助言をくれた。

    *

 場所は教室の隅っこ。
 時間は昼休み。
 クラスメイトたちに袋叩きにされて、僕は地べたを舐めた。
 例によって素行不良のクラスメイト三人だ。
 彼らの「私たちは空腹ですので昼食を調達してきてくださいませんか。できうるならば支払いはあなた持ちであった方が望ましいのですけど」との頼みを、僕がかたくなに却下したせいである。
 彼らは、あなたは遂行能力が欠けていますよ、あなたは思考能力が足りませんよ、あなたは人間として格が低いですよ、などのアドバイスをしながら這いつくばる僕を蹴りつづけた。
――しかしよくもまぁ……――
 暴行を受け続ける僕の脳内で、リンドはいっそ感慨深く呟いた。テレパシーで。
――大将、前世で何かしたのかぃ?――
 かもね。
 三世因果にのっとるのなら否定はできない。
――周りのクラスメイトも吉野の譲ちゃんも白状じゃあないかぃ。ここまで露骨にイジメが起きているのに助けねぇたぁなぁ――
 浮世の渡り方を知っているだけで悪意はないよ。
――善意もねぇがなぁ――
 ケタケタとリンドの笑い声が頭の中に響く。
――おっと、不謹慎だったかぃ――
 いや、大丈夫……大丈夫……大丈夫……だよ……。
――大将は弱者だぁなぁ。ギュッと身を縮めて心を守るしかねえってなもんでぃ。憎悪が憎悪を生み復讐が復讐を生むってぇ能書きはつくづく嘘だぁねぇ。いつの世も結局誰かが誰かのせいで泣き寝入るしかねぇもんだぃ――
 だって弱者はそうするより他にないんだ。
――いやいやいやぁ、それは大将が自分自身に言い聞かせている詭弁だぁなぁ。劣等感に悩むことと誇り高く生きることとは並行できるぜぃ。そうでなけりゃシラノ=ド=ベルジュラックの立つ瀬がねぇってなもんでぃ――
 シラノ……ド……?
――さすがに知らねぇかぃ。西洋のとある戯曲だぁ。ま、背中を丸めている大将には関係ねぇ話だがなぃ。そんなことより大将、大将に耳寄りな情報があるぜぃ――
 魔法なら使わない。自分の命とイジメの報復とを天秤にかけて、いくらなんでも後者に傾きはしない。
――体験版もあるぜぃ?――
 体験版?
――ほんの少しだけ小生の魔法を体験できるってぇもんだぃ。ちらりと脅かす程度だがぁ、ちったぁ牽制になるんじゃねぇかぃ? 無論お代はいただかねぇぜぃ――
 …………。
 僕は少し悩んで、それから僕を蹴り続ける彼ら三人を頭の中で思い浮かべた。
 彼らの理不尽を堪忍しているほど僕は聖人じゃない。
 いつだって憎んでいる。
 抵抗は、無駄だからしてこなかっただけだ。
 報復の手段を提示されることで、僕の中の攻撃性が鎌首をもたげてしまうのはしょうがないことだったろう。
 だから僕はリンドにこう言った。
 それくらいなら……まぁ……。
――よっし決まりだぁ大将! 一回こっきりの体験版! 日頃の鬱憤を拳にこめて思いっきり殴れやぁなぁ!――
 ハイテンション気味にそう言ったリンドの言葉に続いて、音声案内が頭の中に流れた。
――Master’s life, unconfirmed! Assault armor, incomplete dress on!――
 僕がその音声案内の意味を理解するが早いか、装甲が僕の右手を覆った。鏡面ハイライトの顕著な白い装甲だ。僕はそれに見覚えがあった。昨晩、夢の中で対峙したリンドの、その全身を纏っていた装甲と同一のものが僕の右手を覆ったのだと理解する。
――体験版ゆえに魔法がかかるのは右手だけだぁなぁ。それで殴ってみろぃ――
 言われずともそうするつもりだった。
 僕は、僕を遠慮なく蹴り続ける六本の脚のうちの一本を選んで、右手で払いのけた。
 その払われた脚は……まるで人形から四肢がとれるようにあっけなく……足から腿までごっそりと千切れた。千切れた脚が景気よく教室の中央まで放物線を描いて飛ぶ。その脚は昼食中だったとあるクラスメイトの机でワンバウンドし、床に転がって血を撒き散らした。一瞬遅れて、脚を失ったクラスメイトがバランスを失って倒れる。沈黙がおちること数秒。教室に痛みと恐怖による絶叫が響きわたった。
 えーと……え?

    *

 結果として僕の学内でのヒエラルキーはより低いものとなった。
 脚を失ったクラスメイトは何とか一命をとりとめたけど、その事件の衝撃たるや本学校史でも最大のものだったろう。
 僕は警察にあれこれと聞かれたけど、客観的に個人が人様の脚を千切るなどという離れ業を容認できようはずもなく、罪に問われることはなかった。
 しかし僕を見る周囲の目は変わらざるをえなかった。
 クラスメイト達は、怪力から呪術までありとあらゆる理由をつけて僕が犯人だと断定した。
 ほぼ事実なので僕は釈明をしなかったけど、釈明したところでどうなるものでもないことも当然わかっていた。
――ったくぁ、もっとガツンとやりゃよかったのによぃ大将――
 リンドはそんなことを言った。
 冗談じゃない。
 軽く払っただけであの有様だ。
 もし力を込めて人を殴れば……。
 想像したくもない。
 軽く脅かす程度の威力って名目はなんだったのか。
――だから一人が殴り殺されれば他の二人はおぞけふるうってなもんだろうがよぃ――
 それは「軽く脅かす」の範疇じゃない。
 けれど結果だけ見るなら事態は好転したのかもしれない。
 イジメの対象でなくなったことは確かだった。
――災い転じて福と為すってなぁもんでぃ――
 結果論だ、あくまで。

    *

 結局、僕の世界に大した変化はなかった。イジメが止んだだけで、それ以外のことは何一つ変わらなかった。学内から、吉野ちゃんから邪険にされるのは今に始まったことじゃない。兄からの暴行も変わらず受け続けた。ある日のこと僕はたまらなくなって、兄の暴行が終わるや否や家を飛びだした。こみあげる吐き気を必死におさえて夜の街をひた走った。息が切れるまで走りつづけて、近くの公園に辿りつく。意外な先客がいた。吉野ちゃんが夜の公園で、一人ベンチに座っていた。目が合う。
「九重……」
 吉野ちゃんも意外そうに僕を見た。
「何してんのよ、こんなところで……」
「…………」
 まさか「兄に暴行されて、逃げてきました」なんて言えない。だんまりを決めこむ僕をどう思ったのかわからないけれど、吉野ちゃんは自身の座っているベンチの、その隣のベンチを指差して言った。
「なんかよくわかんないけど座りなさいよ」
 僕は耳を疑った。
「……え……?」
「別に用事があるって感じでもなさそうだし、座ればって言ってんの」
 聞き間違えたわけではなかったようだ。
――さんざん邪険にしといて何のつもりだろねぃ吉野の譲ちゃんはぁ――
 僕はリンドの邪推をたしなめて、それから指定されたベンチの端っこに座った。あまり吉野ちゃんに近づきすぎるとまた嫌われるかもなんて思ってしまったからだ。
「…………」
「…………」
 しばしの沈黙の後、吉野ちゃんが口を開く。
「九重はさ……薄紅さんと二人のときに私の話とかする?」
「……え……あ……うん……どうだろうね……」
 僕はとっさに答えが思い浮かばず、お茶を濁した。
「するの? しないの?」
「……たまに……するけど……」
 結論を急ぐ吉野ちゃんに、正直に答える僕。
「薄紅さんって私のこと、いつもどういう風に言ってる?」
「……え……あ……うん……どうだろうね……」
 今度の困惑は、二重の躊躇いからだった。
「なんか大学に入ってから薄紅さん、私に構ってくれなくなって」
「…………」
 ……それはちょうど兄が僕を抱きはじめた頃と一致する。
 学校でいじめられたことを理由に兄の胸元で泣いていたら唇を奪われて押し倒されて……そんな記憶がフラッシュバックした。ガツンと殴られたような衝撃で意識がやられたけど、なんとか平静を装う。
 そんな僕の脳内事情に関知せず、吉野ちゃんは言葉を続けた。
「私ちゃんとやれてるよね? 嫌われてないよね? ちゃんと薄紅さんに好かれようって頑張ってるのに……なんか反応が薄くて……。もしかして大学で好きな相手ができたとか……。薄紅さんモテるもんね……。もしそうだったらどうしよう……私……」
「…………」
 事実を告げるつもりはさらさらないけど、気休めを言う気にもなれなくて、僕は黙った。なにより僕を歯牙にもかけていない吉野ちゃんの意識が、やっぱりどうしても辛かった。
「…………」
「…………」
 沈黙する僕と吉野ちゃんに構わず、
――ケ、ケケケ、ケタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタタッ!――
 僕の意識の中で大爆笑するリンド。
――あぁおもしれぃ。おもしれぃよぅ大将。大将も吉野の譲ちゃんも、心底おもしれぃ――
 リンドはケタケタ笑いながらそんなことを言う。
 それは見てるぶんには面白いかもね。
 リンドの意地の悪さに辟易する。
 吉野ちゃんが再度問う。
「それで、薄紅さんは私のこと何て――」
「――ギゲ……」
 言ってるのか教えて、と言うはずだったのだろう吉野ちゃんの言葉は続かなかった。言葉の途中で不審な物音がして、僕も吉野ちゃんもそちらに視線を向ける。
「グゲ……ギガガ……」
「…………」
「…………」
――ほぅ!――
 そのとき見たモノの印象を僕はなんて説明すればいいのだろう。
 結論からいって不審な物音の正体は人型だった。立派に二足歩行をしていた。
 ただ、明らかに人ではなかった。公園の照明に照らされて闇夜から浮き出たソイツは、まぎれもなく異形だった。外皮は存在せず筋肉繊維が剥きだしで全身が赤く、両手両足の爪はネコ科のように鋭利に尖っていた。髪はボサボサに伸び放題で、頭からは角が生えていた。目玉がギョロリと飛びでていて、顎は外れているのかと疑いたくなるほど大きく開き、並んだ歯は例外なく全てが牙だった。そう……例えるなら、赤鬼、という言葉がしっくりくる姿だった。飛びでた目玉がこちらを捉える。
「何……アレ……?」
 吉野ちゃんが驚愕と恐怖を織り交ぜた声で呟く。
――鬼かぃ。こりゃあ珍しぃ――
 リンドは感心したようにそう呟く。
 知ってるの?
――魔法に関わった者の成れの果ての一例だぁ。東アジアでは、特に人を襲う輩を指して鬼とか夷とか呼んでいるよなぁ――
 もしかしてリンドってそういう奴らを退治するためのものだったりするの?
――いやぁ別件だぁ。桃太郎や金太郎にみられるように日本には古くから鬼を退治する職人が存在してらぁ。西洋生まれの小生には関係ねぃ案件だぜぃ。ただぁ……――
 ただ?
――逃げないと殺されるぜぃ――
 そういうことは早く言って、と愚痴る暇もなかった。
 僕は直感に従って吉野ちゃんの手をとると無理矢理自分のほうへと引き寄せた。
 同時に、鬼の爪がさっきまで吉野ちゃんの座っていた石造りのベンチを一撃で引き裂いた。
 まずい。
 まずいまずいまずい。
 パニックを起こしかけた意識を無理矢理矯正し、僕は吉野ちゃんの手をとって逃げ出した。
 何か手はないの!
――小生に聞かれてもねぃ。戦う、逃げる、話し合う、降伏する、別の贄を用意する……後は、諦める?――
 どれも無理。
――まぁ格の高いの鬼ならいざ知らず、あの手の鬼はほとんど衝動だけで殺人や食人を行なうから災害と同じだぁなぁ。台風で人が死んだからってぇ雲を裁判にかけることはできず、地震で人が死んだからってぇ大地に殺人罪を適用することできねぃってなもんだぃ――
 最悪だ。
――小生の魔法を使うってのぁどうだぃ?――
 どっちみち死ぬの?
――躊躇っている場合かぃ大将? ほれ、後ろだぁ――
 言われて、僕が振り返ると同時に、僕に手に引かれて走っていた吉野ちゃんの首が鬼の爪によってぶっつりと千切られた。走り続ける四肢とは乖離して、吉野ちゃんの頭部だけが道端に転がったのは奇妙に愉快な映像だった。
 ちゃんちゃん。

    *

 その後のことはよく覚えていない。ただ吉野ちゃんの手を離して、一心不乱に逃げたことだけは確かだ。吉野ちゃんの死体は検死にまわされ、遺体のない状態で通夜がおこなわれた。クラスメイトの脚を千切った件と関連付けて僕にあらぬ疑いがかかったけど、そんなことはとりたてて重要なことじゃなかった。僕にとって最も重要だったのは染井吉野という存在が僕にとってとりたてて重要じゃなかったという事実だった。
「九重……っ!」
 兄が僕の名を呼びながら例によって唇を奪う。僕の黒いジャケットとネクタイをゆるめて喪服をはだける。通夜の最中、通夜会場の化粧室で、だ。喪に服すもへったくれもなく兄は僕を求めた。愛撫し、暴行した。重ね重ね吉野ちゃんの通夜の最中に、だ。僕が喪服を着ていることは、兄にとってはシチュエーションの一種でしかなかった。いつもより興奮している兄を客観的に認識しながら、僕は嬲られつづけた。結局、吉野ちゃんが死んでも僕の世界に大した変化はなかった。学内ヒエラルキーは底辺のまま。兄には慰み者にされて。吉野ちゃんが僕にそっけないのもそのまま。ただ生きて邪険にするか、死んで応えないか、その違いだけ。大した差はない。
――面白い人生を送っているようで何よりだぁ大将――
 リンドはそう言って僕をからかう。
 面白くないよと僕は答える。
――だったら大将にとって面白い人生ってのぁ何だぃ?――
 考えたこともない。
――クラスメイトはみんな友達で、薄紅の兄ちゃんは誠実で優しく、吉野の譲ちゃんは大将と相思相愛ってなぁどうだぃ?――
 望むべくもない可能性だ。すくなくとも僕の天命の範囲では。
――だから大将は大将の天命のままに背中を丸めて歩き続けるのかぃ?――
 それは責められるべきことなのだろうか?
――いいやぁ? 責めてなんかいないぜぃ。ただヒーローになる時の今を見逃したなぁと素朴に思っただけさぁなぁ――
 もしも時間が戻るのなら、別の選択をするかもね。
――したらば戻すかぁ――
 ごく自然に、当たり前のようにそう言ったリンドの言葉は、現実になった。

    *

 僕が吉野ちゃんの手を引いて鬼から逃げ、リンドの助言によって後ろを振り返り、鬼の爪が今まさに吉野ちゃんの首に襲いかかろうとしたところで……動画を一時停止したように世界が止まっていた。通夜会場から此処まで時空間が飛んでは、さすがに僕の常識と認識は追いつけなかった。
 ……これはいったい?
――吉野の譲ちゃんの首が千切れとぶ一秒前のフレームだぁなぁ――
 当たり前のように言うリンド。
 まさか……時間を巻き戻したの?
――いいやぁ? ただ大将の意識を現実に戻しただけだぁ――
 ……ん?
――譲ちゃんの首が千切れとんでから通夜までは、小生がでっちあげた脳内映像だぁ。小生が大将の現象意識に干渉して映像を見せることができるのは既に知るところだろぅ?――
 じゃあさっきまでのことは……。
――全て捏造だぁなぁ――
 僕をだましたの?
――結果的には、そういうことにならぁなぁ――
 とぼけたようにそう言うリンド。
 冗談にしても悪質すぎる。
――したらば大将はこの状況からああいった未来にならないと言えるのかぃ?――
 それは……。
 恐怖と混乱に歪んだ吉野ちゃんの表情と、そのすぐそばで鈍く光っている鬼の爪を見ては、否定のできようはずもない。
――あいや、たしかにさっきまでの体験は全て小生のでっち上げだぃ。それはまったくその通りで否定の余地はござんせん。なれば大将に問うがねぃ。ここから鬼はいきなり襲うのを止めて二人は無事に生き延びて、クラスメイトは仲良くしだし、薄紅の兄ちゃんは兄として誠実になり、吉野の譲ちゃんは惚れはせねども大将に優しくしだす。そんな未来が待っているとでも言うのかぃ?――
 ありえない。
――むしろこのまま二人とも殺されて「これにて終幕にござい」ってのが九割九分だと小生はにらんでいるがねぃ――
 まったくだ。
 ははは、とおそらくは皮肉げに僕は笑った。
 なんでリンドは僕にあんな映像を見せたの?
――それは無論、小生を使ってもらうためだぁなぁ。前にも言ったがぁ小生に与えられている機能は二つだぁ。一つは、使用者の死と引き換えに「四肢に限定した強襲能力」という魔法を授けうること。一つは、その魔法を所有者に使ってもらうためのパブリックリレーションズを行なえうること。魔法の体験版も、先の脳内映像も、全てパブリックリレーションズの範囲だよぃ――
 なるほど、と僕は納得した。
 ねぇ、僕もシラノ=ド=ベルジュラックになれるかな?
――無理だぁなぁ――
 身も蓋もない答えが返ってきた。
――シラノは自らの劣等を自覚し思い悩みながらぁしかしそれでも想い人と親友の幸せを優先して我が身を尽くしたぁ。それ故に、自ら置かれた境遇でなお誇りある選択をしたが故に、シラノは今もなお語り継がれているのさなぁ。シラノ以外の誰にもシラノ=ド=ベルジュラックになれはしねぇぜぃ――
 …………。
――したらばそれはつまりシラノにさえ松前九重という人間になれはしないということでもあるんだぜぃ? 大将、大将は大将の選択をすればいいんだよぃ。卑屈に生きることも、開き直ることも、他者に責められるべきことじゃぁありゃせんぜぃ。そして大将が誇り高く生きたとしても、それは大将の選択であってシラノ=ド=ベルジュラックになれる道理じゃござんせんってなぁ。それはただ大将が大将にだけ誇るべき誇りだぁ――
 ……そうだ、ね。
――しかれども忘れなすなよぃ。死んだらば大将が映像の中で感じたあの後悔さえできなくなるんだぜぃ?――
 ここまできてそんなこと言う、普通。
――ケタタタタ。まったくだぁねぃ。では覚悟のほどはよろしゅうござんすねぃ?――
 うん。いこっか。
――Master’s life, inclusion! Assault armor, complete dress on!――
 頭の中で、そんな音声案内が流れる。
――いくぜぃ大将! その御名を叫べやぃ! ――
「滅私装甲! メッシリンダー!」

    *

 時が流れ出す。僕は吉野ちゃんの首に食い込もうとしていた鬼の爪を間一髪で払い飛ばし、ワルツの要領で自分と吉野ちゃんとの立ち位置を交代し、そのついでに後ろ回し蹴りを鬼に見舞う。鬼は弾丸の如き速度で公園の植木につっこんだ。衝撃音が辺りに響く。
「ここの……え……?」
 吉野ちゃんの唖然とした顔が少し面白かったけど、それは言わないでおいた。きっと吉野ちゃんの目の前には「ヒトの骨格をテーマにプレートアーマーを造ったらこうなるであろう」という姿の甲冑騎士が立っているのだろう。そして前後即因果からそれが僕だと推測するのはむずかしくない。けれど、もう全ては詮無いことだ。僕は吉野ちゃんに構わず、再度襲ってきた鬼を迎え撃つ。
「ギギャアッ!」
 愚直に振り下ろされた爪を腕の装甲で受け止める。そこから頚動脈を噛み千切ろうと襲いかかる鬼の、その腹部にボールリフティングの要領で膝蹴りを当てる。衝撃でフワリと滞空する鬼にかかと落としを当てる。地面に叩きつけられた鬼にサッカーボールキックを見舞う。鬼はまた音速を超えて公園の別の植木へとつっこんだ。
 まるで重力から開放されたかのように体が軽い。今なら雲の上まで跳びあがれる自信があった。ヴィヴァルディの四季をコリエルのギターで聴くような、静寂な高揚感が僕の身を包んでいる。
 今度は自分から仕掛ける。地を蹴って間合いをつめ、鬼の足を掴むと無造作に頭上へと放り投げる。重力に引かれて落ちてきた鬼を天空高くへと蹴り上げた。同時に、
――Full voltage exceed!――
 頭の中に音声案内が聞こえて、
「リンダー……キック……ッ!」
 僕はそんなことを口走っていた。右膝から下の装甲に、さながら血管がとりまいたように赤い蔦状の模様が浮かび上がる。それが魔力の起爆剤だと僕は何故か理解した。また音声案内が聞こえる。
――Destructive maneuver!――
 僕は確信を持って空気を蹴った。空を駆け上がり、あっという間に鬼と同じ高度まで辿りつく。鬼の上方の空間に上下逆さまの体勢で陣取り、膝をたわませて限界まで力を溜める。リンドが叫んだ。
――やるぜぃ大将! 必殺!――
「ソドムエンド!」
 言うが早いか、僕は空を蹴って垂直に跳び下がり、膂力と魔力を込めた右足を鬼に突き刺してそのまま地面に激突した。激突地点で光と熱と音とが爆発的に膨れ上がり、公園にクレーターが刻まれる。当然、鬼は塵芥と砕け散り、風にまぎれてその存在を終わらせた。
 やりたいことをやり終えた後、僕はクレーターの中心で大きく背伸びをした。見上げれば、円形に切り取られた夜空。強襲装甲が、微細な結晶になりながらサラサラと上から順に崩れていく。クレーターのへりからこちらをのぞく吉野ちゃんが見えた。装甲が崩れ去りきってしまう前に僕は吉野ちゃんに微笑んでみせた。
「バイバイ」

ボタン
inserted by FC2 system