滅私装甲メッシリンダー

滅私装甲メッシリンダー1


 学校の放課後。
 三つの嘲笑が僕を取り囲む。
 校則違反気味に学校制服を着こなしている素行不良のクラスメイトたちが僕を嘲笑う。
 彼ら三人が僕を殴ることに有意義な理由はない。
 あえて言うならば「楽しいから」だろう。
 コンピュータゲームには敵を殴ったり殺したりすることを擬似体感する類のものがあるけど、彼らの暴力はその延長線上の感覚なのだろう。あるいは学内ヒエラルキーの上下を確認することに地位的優越感を満たしているのか。
 不良の一人の拳が僕の腹部に直撃する。
 その一撃で僕の胃が悲鳴を上げ、昼食の全てを吐き戻した。
 体が苦痛に耐えかねて崩れ落ちる。
 うつぶせに倒れた僕の体を鞭打つように三つの踵が何度も踏みつけにする。
 何度も。
 何度も。
 何度も。
 どうにも彼らの制服に僕の吐瀉物の飛沫がかかってしまい、それが不愉快だったらしい。もとはといえば彼らに責任があるはずなのだけど、おそらくそんなこと夢にも自覚していないのだろう。
 ただただ僕は踏みつけにされる。
 それは、そのまま僕の学内での地位と同義だった。

    *

「九重、何してるの?」
 僕が教室の床を雑巾で拭いているところに、一人の女生徒が話しかけてきた。若干パーマのかかったボブカットの、顔立ち整った花のように可愛い女の子。
 姓名は染井吉野。
 僕の幼馴染でクラスメイトだ。
 吉野ちゃんは床にぶちまけられた液体の正体を確かめて眉を歪める。
「うわ、もしかしてゲロ?」
「……うん……」
 僕は頷きながら雑巾で床を拭き続ける。
「何であんたが……って聞くまでもないわね……」
 呆れたように言う吉野ちゃん。
「いじめられるのもいい加減にしてよ。知り合いってだけでこっちの体裁まで悪くなるんだから」
「……ご、ごめんね……」
 謝る僕。吉野ちゃんは自身の机に置いている鞄を手に取ると、僕のほうを見ずに言葉を続けた。
「私、先に帰るから」
「……うん。また後でね……」
「…………」
 吉野ちゃんは僕に応じないで教室から出ていく。
 パタンと閉まったドアの音が、僕だけの教室によく響いた。

    *

 吐瀉物を拭きおえたあと、僕は帰路についた。
 億劫だった。
 学校にいるのも嫌だけど、家に帰るのも嫌だった。
 自然、足は家までの最短コースを外れる。華やかな表通りを嫌って、寂れたアーケード街を通る。八割がた閉鎖した店舗のいくつかを横切って、僕はいつもの場所に向かった。
 御展堂……がらくたを売っているしがない骨董屋。
 美術品の類は一切なく、あるのはどれも工芸品ばかり。基本的に焼物や漆器といった東洋の工芸品が多い。でも店の隅に少しだけ西洋アンティークも陳列されていたりして。
 どれも学生の僕には手が出しづらい金額だけど、こんな店だから品の真贋は怪しい。店主もそれを釈明しようという気は一切ないらしく、そんなここが僕は嫌いじゃなかった。
 光沢のある木製の振り子時計の、その振り子が左右するのを見つめることしばし。
 僕はその時計の隣に陳列してある商品に目がいった。
 水晶だろうか、さくら色の宝石をペンダントとして、おざなりにチェーンをつけているネックレスがあった。
 心の中で疑問に思う。
 御展堂の店主は道具として使えない骨董品を嫌う。必然、美術品の類はおいていない。ましてや西洋の装飾具なんて札束を積まれても店に置かないはずだ。
 値札を見ると「\0」と記されていた。つまりタダということなのだろう。店主に話を聞いてみると、どうやら間違って仕入れたものらしかった。返品するのもばつが悪く、かといって「俺も女房もネックレスなんてガラじゃない」とか。しょうがないから無料で陳列して、誰かに持っていってもらおうとの魂胆だという。「欲しけりゃ持っていけ坊主」と言われたので、僕はそれをもらった。ネックレスのあった場所に五百円玉をおいたのは僕なりの心付けだ。

    *

 松前家の両親は仕事の関係上、家をあけることは珍しくもない。
 しかし僕も、そして兄の松前薄紅も、家事能力はけして高くはない。
 幼馴染の吉野ちゃんがお節介をやかなければきっと家は散らかり、食生活は偏るだろう。
 そんなこんなで今日も吉野ちゃんはお節介をやく。
 夕食は吉野ちゃん手づくりのクリームシチューだった。食後、皿洗いをしながら吉野ちゃんが兄に話しかけた。
「薄紅さん、今日のシチューおいしかった?」
「うーん? まぁまぁじゃね?」
 兄は、食後に吉野ちゃんの淹れた紅茶を飲みながら、そんな返答した。
「むー、なんか投げやりな反応。今度はもっと美味しいもの作ってあげるからね」
「頑張れ」
 兄の意識は他大学の論文を読むことに向いているようで、対応はおざなりだ。僕は食器の水気を拭きながら吉野ちゃんに話しかけた。
「……あ、あの……吉野ちゃん……シチュー……美味しかったよ……」
「そう」
 こちらを見ないで淡白に返す吉野ちゃん。それからまた吉野ちゃんは兄に話しかける。
「薄紅さん、明日の夕食は何が食べたい?」
「パスタの活き造りとピザの踊り食い」
 要するに「特になし」という意味だ。
「それだと困るんだけどなぁ」
「じゃあ九重に聞け」
「うん、じゃあこっちで勝手に決めるね」
 そう言って吉野ちゃんは皿洗いにもどった。結局皿洗いが終わっても吉野ちゃんが明日の夕食について僕に話をふることはなかった。
 後はいつもの流れだ。
 ソファーに座っている兄の隣に吉野ちゃんが腰をおろし、あれこれと他愛のない話を兄にふる。兄が紅茶を飲み終えることを察知するや、吉野ちゃんは二杯目を注いだり茶菓子を勧めたり。
 そんな二人から少し離れた場所で、僕は麦茶を飲みながら文庫を読んで時間をつぶした。
 そうやってある程度時間が流れた後に、
「おい染井、そろそろ帰らないとまずいんじゃねえの?」
 兄が吉野ちゃんに帰宅を促した。
「あ、もうそんな時間なんだ」
 多少芝居じみたしぐさで時間を確認する吉野ちゃん。
 恒例のやりとりだ。
 帰ろうとする吉野ちゃんを僕と兄が玄関まで見送ったところで、
「あ、そうだ」
 と、言いながら吉野ちゃんは兄を見た。
「薄紅さん、今度の日曜日は暇?」
「ん? さぁ? どうだったかな?」
「薄紅さんが好きそうな映画が今流行ってるんだけど、暇なら一緒に観にいかない?」
「九重と三人でか?」
 聞く兄に答えず、吉野ちゃんは僕の方を見た。その視線にこめられたのは、針の鋭さにも似た敵意の感情。
「……あの……日曜は僕……用事が……あるから……」
 僕の口から自然と断りの言葉が出る。
 吉野ちゃんがニッコリと笑う。
「だってさ。九重に予定があるならしょうがないね。私と薄紅さんだけで観にいこうよ」
「あー、すまん。そういや週末はゼミがあったわ」
 ぬけぬけとそんな言い訳をする兄。
「……そっか。それじゃしょうがないね。お邪魔しました」
「ああ、いい夢見ろよ」
 いい加減なことを言って兄は吉野ちゃんに軽く手を振った。吉野ちゃんは松前家の玄関を開けて外に出ようと、
「ところで薄紅さん……」
 したところで、振り返った。
「何だよ」
「その眼鏡はかけてないほうが格好いいよ」
 兄がかけている眼鏡は伊達なうえに極太フルリムの、けっして趣味がいいとは言えない代物だ。が、兄はその指摘を一笑に付した。
「いいんだよ。これは女除け用だから」
「そなんだ。初耳。じゃあ今度こそお邪魔しました。薄紅さん、また明日ね」
「ああ、じゃあな」
 愛想よく笑って手を振る兄。
 今度こそ吉野ちゃんは帰っていった。
 玄関が閉まる。
 兄は玄関の鍵をおとして、それから溜息をつき、
「ったく、毎度毎度うっざいなぁあいつ」
 その次に吉野ちゃんへの陰口をたたいた。
 兄は僕の方を見る。
「お前もよくあんな女に惚れてられるな」
「……吉野ちゃんは……可愛いし……優しいしから……」
「あんだけ嫌われてよくそんなことが言えるよ。やっぱお前は最高に可愛いな」
 そういって兄は、僕にフレンチなキスをした。それから言う。
「風呂入ったら俺の部屋で待ってろ」
「……うん……兄さん……」
 僕は全身に奔る嫌悪感を押し殺して、そう答えた。

    *

 もし人生が分岐点の連続だとするなら、僕は何時その選択を間違えたのだろうか。兄に唇を奪われながら、そんなことを考える。キスが終わると、兄は僕のおとがいを持ったまま目を合わせる。今、兄は眼鏡を掛けていない。僕と二人きりの時にだけ兄は伊達眼鏡をとる。凛々しくも艶かしい顔立ちで、僕を見る。
「九重……っ!」
 僕の名前を呼んで、それからがっつくように再度キスをする。口内に兄の舌が入ってきて、僕の舌をからめとるようにまとわりつく。僕の全身を包む悪寒がさらに度合いを増す。
「っ! ……っ! …………っ!」
 されるがままに蹂躙される僕の、その意識の逃げ場所は過去にしかなかった。まだ僕も兄も吉野ちゃんも幼かった頃のこと。あの頃の二人が僕にくれた優しさに、きっと打算はなかったはずだ。ただ二人がいてくれるだけで僕は嬉しかったし、二人もそうだったと信じたい。いったい何時からだろう。兄も、吉野ちゃんも、そして僕も、他の二人との繋がりに打算を持ち込むようになったのは。それが成長だというのなら、純粋な好意というものは人生の終わりまでにいったいどれだけ残るのか。兄の舌が僕の唇から鎖骨までをなぞるように舐めた。
「……は……あぅ……!」
 思わず声が出てしまう。
 僕が吉野ちゃんを「吉野ちゃん」と、兄が僕を「九重」と、吉野ちゃんが兄を「薄紅さん」と呼ぶ関係は昔から変わらない。けれど昔と違って、僕は兄を「お兄ちゃん」から「兄」へと、兄は吉野ちゃんを「吉野」から「染井」へと、吉野ちゃんは僕を「九重くん」から「九重」へと呼び改めるようになった。幼い頃は三人ともに同じ目線で世界を見て、それはこれからも変わらないものだと思っていた。でもそんな楽観はいつまでも通じない。高校生になった僕は素行不良のクラスメイト達に目を付けられ、学内ヒエラルキーの底辺にまで落ちぶれた。兄は「近いから」という理由で難関私立大学を主席で合格し、入学からこれまで特待生でありつづけている。僕と同じ高校に入学した吉野ちゃんは化粧を覚え、上位の女子グループに違和感なく溶け込んでいる。もし人生に分岐点があるのなら、僕は何時に何処で何をすればこんな状況を回避できたのだろうか。当然知る術なんか無い。
 そんな思考とは乖離した僕の体は、日付が変わるまで兄の愛撫と暴行を受け続けた。暴行が終わって自室のベッドで眠るまでに僕は吐き気と戦わなければならなかった。実の兄の慰み者になっているという現実は、僕の弱い心が耐えられる程度の嫌悪感では当然なかった。

    *

 明晰夢という夢がある。僕がその日の夜に見た意識の中の映像は、それに限りなく近いものだった。
――よぅ、面白い人生を送っているようで何よりだぁ大将――
 そう言ってソイツはケタケタと笑った。
 地平線の境界もわからないくらい八方真っ黒の暗い空間で、いつのまにか僕はソイツと対峙していた。
 僕の目の前にいるソイツは……噛み砕いた表現するならば「ヒトの骨格をテーマにプレートアーマーを造ったらこうなるであろう」という外見をしていた。艶のないのっぺりとした黒い五体を、鏡面ハイライトの顕著な白い装甲が覆っている。人骨を模したその印象は特撮番組に出てくる悪役さながらだ。
 ファッションにしては規格外すぎるし、コスプレならば元ネタがわからない。僕ながらけったいな夢を見ているな、なんて思う。
――やぁやぁやぁ待て待て待てぃ。気持ちがわかるが夢じゃあねぃ。大将が眠っているのは確かだぁ。ここがカルテジアン劇場であることにも異論はねぃ。しかしこれは夢じゃあねぃ。立派に覚醒した意識のものだぁなぁ――
 ソイツはボディランゲージを織り交ぜながら、僕の心の声に答えるようにそう言った。
――答えるように、じゃないぜぃ大将。立派に答えているんだぁなぁ――
 へ?
――お初にお目にだぁ大将。ひきとってくださり感謝千万なぁんてなぁ――
 茶化すように言うソイツ。
――すまねぇが茶化しは小生の性分だぁ。変えろと言われても変えらんねぃ――
 …………。
――違和感を覚えてくれているようで何よりだぁなぁ。そっちのほうが話が早いってなもんだぁ。お察しの通りこれは大将の夢じゃあねぃ。小生が大将の現象意識に干渉して見せている……いわばコマーシャルメッセージとしての映像だぁ――
 目の前の骨鎧はそんなことを言う。
 CM?
――お控えなすってぃ。小生は所有者に魔法を授けるマジックアイテムってなもんでぃ。此度所有者になられた大将にご挨拶をとば、こんな舞台を用意させてもらいやしたぁ――
 マジックアイテム?
――へぇ。横文字が苦手なら魔法器物とでも呼びなせぇ――
 あんまり代わり映えしないような。
――したらば神器なんてどうでぃ。本来の意味からは大きく外れるがぁ神秘的で魔法的な道具ってニュアンスが伝わるってなもんだぃ――
 神器。
 ……なるほど、何かしら神がかりなものを感じる言葉だ。
――納得いったかぃ大将?――
 その神器がどうして僕に。
――何をおっしゃるうさぎさん。昨日の時分に小生をひきとったのぁ大将じゃねぇかぃ――
 昨日?
――ヒント、骨董屋――
 あ、あの時のネックレス……。
 僕は骨董屋でもらったさくら色の水晶のネックレスを思い出す。
 そういえば今夜はあのネックレスをはずさないで寝たような。
――正確に言やぁあの装飾は後付で、本来はローズクォーツの原石だったんだがなぁ。まぁその辺はいいやなぁ。この舞台装置はCMのためにセッティングしたんだぁ。とっとと商品の売り込みにうつらせてもらうが、いいかぃ大将?――
 骸骨を模した顔で僕を睨め上げて、うかがうようにそう問う骨鎧。
――しかしさっきから小生を指して骨鎧骨鎧と、ご挨拶だねぃ大将――
 じゃあ何て呼べばいいの?
――そうだなぁ。したらば、リンド……とでも呼んでもらおうかぃ――
 リンド……Rind……外皮?
――まぁ当らずと雖も遠からずってところだぁなぁ。小生リンドは先にも言ったとおりのマジックアイテムだぁ。大将に魔法を授けるファンシーかつファンキーかつファンタジーなアンチクショウってなもんでぃ――
 …………。
 微妙についていけない僕。
 つまりそれは変身ヒーローとか魔法少女とかに出てくるタイアップ商品的なアイテムとの解釈でいいのだろうか?
――御明算! 変身ヒーローとはよくぞ言ったぃ大将。まさしく小生はソレだぁなぁ――
 リンドを使ったらヒーローに変身できるの?
――正確には所有者に「四肢に限定した強襲能力」を与えることが主目的であって、装甲を纏うのはそのための一過程にすぎねぃがぁ……まぁアクションヒーローの変身アイテムって解釈でも問題はねぃよぃ――
 すさまじく使い道がわからないアイテムだね。
――気に入らない人間を殴るもよし。殴り殺すもよし。問題を腕力で解決するもよし。無意味に大規模破壊活動を行なうもよし。文字通り困っている人を助けるヒーローになるもよし。攻撃能力が高いってだけでも個人がやれることはだいぶ広がるぜぃ大将――
 でもその度にいちいち変身するの?
――いやぁ変身できるのは一回限りだぁ。小生の魔法は使用者の死が条件だからなぃ――
 ……へ?
――小生に与えられている機能は二つだぁ。一つは、使用者の死と引き換えに「四肢に限定した強襲能力」という魔法を授けうること。一つは、その魔法を所有者に使ってもらうためのパブリックリレーションズを行なえうること。これ以外のことをできねぇように小生は創られているんだなぁ――
 リンドの魔法を使ったら死ぬって……そんなの、どんなことができても採算が合わない。
――どうだかねぃ。ドラッグしかりギャンブルしかり実利もねぇのに身を滅ぼすもんは巷にあふれかえってらぁなぁ。小生はそれを極端な形で体現しているだけでぃ。だいたい大将、大将でさえ命は惜しいのかぃ?――
 …………。
――大将が小生を手にしてからこれまでを観察させてもらったがねぃ。片思いの娘っ子は実の兄に惚れて大将を邪険にしぃ、当の兄は大将を慰み者にしているときたぁ。ペンローズも真っ青の三角関係だぁ。不幸の星ってのぁあるもんだぁねぃ――
 ……そんな理由で僕を選んだの?
――そりゃ邪推ってなもんだなぁ。小生はただ所有者に魔法を授けるだけのケチな野郎で、それ以上でもそれ以下でもありゃせんぜぃ。使わないぶんにはただのネックレスだがなぁ――
 言ってリンドはケタケタと笑った。
――これにてパブリックリレーションズは終いだぁ。いい夢をなぁ大将――
 その言葉を区切りに、僕の意識は深い眠りへ堕ちた。

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