冬期休暇が終了した。 新年の挨拶の後、学院はまた通常営業。 ただし違うところが一点。 マリンの才覚である。 凄まじいエンシェントレコードの知識を持ちながら、それを扱えるキャパを持っていない。 ところどころで、 「マリンは色付きに相応しくない」 という声も一部あるが、学院側としては傾聴する価値のない抗議だった。 少なくとも大陸間戦争においてマジカルアバドンを含む武国の兵力をただ一度の魔術行使で無力化せしめた功績がある。 学院の人間は大陸間戦争の記憶の一部が空白になっていることに気づいていないが、それでもマリンのコキュートスが圧倒的だったのは事実。 で、そんなマリンであったが、 「雷の閃きにして疾駆せよ」 誰からのキャパ共有にも応じず一人で大魔術を行使していた。 ちなみに今は新年最初の魔術実践講義。 色付きのマリンに声がかけられアリーナで魔術実践に従事している様子だ。 先述の呪文はエンシェントレコード……その雷の章の大魔術でライトニングスピードと呼ばれるソレだ。 物体に干渉して加速。 結果として加速が近似光速にまで至らせる、という魔術だ。 先に魔術で剣を用意し、その剣にライトニングスピードをかけて近似光速まで加速……講師の造った巨大なメタルゴーレムをただの力押しで粉砕しせしめた。 生徒たち……どころか講師まで含めて開いた口が塞がらない。 記憶と現実の齟齬がこの際致命的だった。 マリン自身も自分のあまりに底深いキャパに戸惑っていた。 それは『何故だかわからない』が最近までキャパでは劣等生の見本だったという記憶があるからだ。 が、事実は事実としてここにある。 雷の章でも上級魔術に分類されるライトニングスピードを簡単に使える時点で、 「マリンは劣等生」 と侮る人間も口を閉ざすしかなかった。 「はて……?」 とマリンも首を傾げる。 自らを何故今まで劣等生と定義していたのか分からなかったからだ。 続く魔術の実践における見本として、マリンは次々に講師の生み出すメタルゴーレムを粉砕してのける。 アブソリュートゼロ。 インフェルノ。 コキュートス。 ビッグクランチ。 上級魔術から禁忌指定された特級魔術までもを駆使して。 ここまでくれば盲が開くのも致し方なし。 「何で……?」 一番戸惑っているのはマリンだろう。 だが、それが願いの結晶なのだ。 それを噛みしめるにはピースが足りないのだが。 そんなこんなで講義を終えて、 「偉大なる魔女」 という冠を被らされたマリンではあるが、元より人見知りで億手で遠慮がちな性格である。 評価されることに慣れていなかったため、講義は自分の出番が終わるとすごすごと逃げ去った。 何せそうでもなければ、 「すごい!」 「今まで実力隠したのね!」 「魔術教えて!」 「弟子にして!」 そんな憧憬に染められた数々の言葉がマリンの小動物的な精神にグサグサと突き刺さるからだ。 「尊敬される」 ということに対して明確に一線引いて忌避しているマリンである。 自身が自覚したキャパを自認しようと派手な魔術を撃ったが、どうやら状況的には裏目に出たらしい。 そんなことを思いつつマリンは自身の寮部屋に先述したが逃げ去った。 それでも噂は尾ひれをつけて広まるものだ。 マリンが凄まじい才能を有しているとわかれば、そに取り入ろうと画策する人間も出てくる。 まして学院側としてはあまりに貴重な財産だ。 わざわざ講師や教授がマリンの部屋を訪れて、 「研究室を開かないか」 「ぜひ私の研究室に所属してくれ」 と迫ってきたりもする。 辟易。 その一言で片づけられる状況ではあるが。 そんなわけで新年早々やらかしてしまったマリンではあるが、それとは別の悩みもあった。 自身の寮部屋についてだ。 どう考えても男が使っていたとしか思えない私室の部屋模様。 同じ寮部屋に住んでいながら(男か女かはこの際おいておき)それを記憶していないという事実。 それについて深く考える事多々だった。 オフショルダーで袖付きの黒マント(つまり魔女としてのエリートの証である色付きのマントだ)を見やりながら、 「ビテン……。あなたは……誰……?」 ぽっかりと心に開いた深淵を覗き込む。 答えは無い。 深淵を覗き込んでも見えてくるのは空白の空間。 それを致命的と思わざるを得ないのだが、何故にそこまで心囚われているのかもマリンにはわからない。 しばし考えた後、 「とりあえず……紅茶でも……」 とおずおずと問題を封印しキッチンに向かおうとして、 「マリン。クズノ。シダラ。カイト。以上の四名は生徒会室に来てください」 ボイスの魔術による呼び出しを食らった。 生徒会庶務の魔術である。 まさか四人の正確な位置座標を知っているわけでもないだろうから学院全体に声を広げたのだろうことはマリンとて把握できることだった。 * で、件の四人が生徒会室に顔を出す。 来客用のソファに四人を座らせた後、生徒会長であるユリスが庶務に命じて紅茶をふるまう。 「よく来てくださいました」 ユリスはまず招集に対する遠慮の言葉を投げかける。 「友達だからね」 カイトがくっくと笑いながら。 が、どの時点でどうやって友達になったのかまではカイトも覚えていない。 気づけばいつの間にか、である。 しばし他愛ない話をした後、ユリスが言った。 「あなた方はエル研究会と云う部活をご存知でしょうか?」 一様に否定の言葉が返ってくる。 ユリスはエル研究会の詳細を記したファイルを一同に見せる。 「これは……」 と一様に驚く四人。 マリンとクズノシダラとカイトとユリスとビテンの名が記され、なおかつ会費の分配まで正確に書かれた問答無用の説得力を持つファイルだったのだから。 そして誰もがその記憶を持っていないというおまけ付きで。 「ねつ造したわけじゃないんだろう?」 カイトが言った。 「ええ。私もそこまで暇ではありません」 「いや、それにしてもビテンか。ここでも見れるとはね」 「ビテンを知っているのですか?」 ユリスが目を細めて問うと、一同から肯定の声が。 「わたくしはお母様から聞きましたわ。夏季休暇中に招いたのだとか何とか」 「当方もっす。夏季休暇中に顔を合わせたのだとかどうとか」 「僕もそれを周囲の人間に聞いたね。ちなみに事務に生徒名簿を確認させてもらってビテンと云う生徒が存在していることを確認した」 ユリスもそうである。 「私は……デミィに……聞きました……。私が……キャパを消費して……ビテンと云う……男の子を……具現化したって……」 「人を魔術で造った……と?」 神をも恐れぬ行為だがマリンが言うと妙に説得力がある。 「とするとビテンは実在の人物ですね。そしてそれを学院国家の誰もが覚えていない」 「ふむ」 とカイト。 「つまり学院にはビテンという男の魔女がいたと。そして理由は不明だが自身の記憶を魔術で消した上で失踪したと。そういうわけかな?」 「いや、失踪と云うより消失ですね。マリンがキャパを割いてビテンを具現化した以上、ビテンの記憶を忘れているマリンがビテンを維持できるはずもない」 「なら復元が可能じゃないっすか?」 シダラの言葉に、 「無理ですわよ。誰も覚えていないのでは」 クズノが言う。 心に定規とコンパスがないのだ。 空白の記憶を埋める術は……少なくとも定常法則には存在しない。 「じゃあ……私の寮部屋の……ルームメイトって……」 「十中八九ビテンですね」 ユリスは淡々と言った。 「でも何故ビテンはいきなり消え去ったのかな?」 「当人に聞くしかないでしょう」 「どうやって?」 「思い出せばいい話です」 それが出来れば苦労はしないのだが。 「その前に……」 とユリスはマリンに視線をやった。 「人一人を具現化維持するためにマリンは自身のキャパを大量に割いたはずです。そしてそのしがらみが無くなったおかげで元のキャパを取り戻した。そう思われます」 「なるほど。辻褄は合うね」 カイトも瞬時に理解した。 「思い出してビテンを再度呼び戻すにあたって差し障りがあると思いますが、その点は如何に?」 「構いません……。元より……この空白を……どうにかしたいと……思ってました……」 「ですか」 「でもどうやってビテンの事を思い出しますの?」 「まぁ魔術で」 ユリスの言葉は甚大だが、当人は飄々と口にした。 「思い出すことが出来るっすか?」 「忘却を取り戻す魔術を習得していますので。それについては心配いりません」 さも当然とばかりに。 一応生徒会長であるため、予定の把握に必要な魔術だったのだが、この際それが功を奏したと言えるだろう。 「もう一度聞きますがビテンの事を思い出してもいいのですね? ビテンはビテンで何かしらの理由があって自身を消滅させた都合があったはずですが?」 ユリスの辛い質問に、 「大丈夫……」 マリンはおずおずと頷いた。 「ですか」 と納得して、 「心持たざる者無きなり。心持つ者に揺らぎを」 サプリメントの魔術……その呪文を唱える。 レーテに対する対抗魔術。 それは神語で『補完』を意味する魔術であり、その名の通りにエル研究会メンバーの記憶の空白を補完した。 そしてマリンが泣き出した。 「うう……うわあ……うわあああああああああ……!」 自身がどれほど残酷なことをしたか。 それを突きつけられたのだから。 この涙は知っている。 過去、自らの過ちを否定できなかった自分自身への罰。 マリン以外はビテンを思い出して同時に慕情を取り戻したのだが、マリンだけが泣き続けた。 ビテンが消えた理由も今なら明白だ。 自分自身と云う魔術の結果によってマリンの足を引っ張っているという事実。 そしてその根幹にある自罰感情への対抗。 友達を魔術で殺したという事実の忘却。 それ故に優しい忘却。 だからこそ泣かずにはいられない。 「うええ……うええええええええ……」 マリンは泣き続けた。 ビテンの決意の辛辣さに。 |