ダ・カーポ

ユリスの場合


 サラサラ。
 カリカリ。
 ペンが奔る。
 スラスラと必要書類にサインし判を押して次の書類へ。
 生徒会長……ユリスが十人分くらい働いて、
「ふう……」
 ようやく今年の書類を全て消化したのだった。
「皆さんお疲れ様でした。来年もよろしくお願いします」
 そんなこんなで冬期休暇の帰郷時間は確保されるに至った。
 無論ユリスは帰るつもりもないが。
 その気になれば一個師団程度さくっと殲滅できるが、自分が手を汚さなくとも兵士は勝手にくたばっていく。
 ならば関わらない方が得策だ。
 政治的空白地帯である学院の特殊性と有能である自身の魔女性……加えて生徒会長と云う立場でもって徴兵制度から逃れているユリスであった。
 計五人(ビテンを含まない)の生徒会員が一人、また一人と生徒会室を抜け出ていく。
 ユリスは最後まで残った。
 自身で紅茶を淹れて飲む。
「ホウ」
 と吐息をつくと白く霜った。
 冬である。
 年越しももう近い。
 自身の席(つまり生徒会長の席だ)に座り直し、紅茶を優雅に飲みながら、もう片方の手で処理した書類をパラパラとめくっていく。
 はた目には暇つぶしをしているようにしか映らないが、これでもユリスなりに真剣に再点検をしているのだ。
 と、
「ん?」
 見慣れない書類を見つけて紙束から器用に引っこ抜く。
「エンシェントレコード研究会の会費需要について……。エンシェントレコード研究会って何でしょう?」
 不覚にも見落としていたらしい。
 初めて聞く研究会名だったが書類自体はれっきとしてある。
「ふむ」
 紅茶を飲み干すとカップを受け皿に置く。
 カチン。
 生徒会に管理されている部活一覧ファイルを棚から取り出して見る。
 末席に、
「エンシェントレコード研究会」
 という部活が確かに存在した。
「通称エル研究会……」
 活動内容はエンシェントレコードの研究。
「何ですソレ? 大陸魔術学院がそもそもエンシェントレコードの研究機関なのに部活動でもって……?」
 ごもっとも。
「部員はビテン、マリン、クズノ、シダラ、カイト………………私!?」
 自身の名前……つまりユリス、と会員の欄にしっかり載っていた。
 ユリスと云う名は学院では当人以外にいない。
「それにしてもそうそうたるメンバーですね……」
 ファイルを見ながらユリスは苦笑してしまった。
 マリンはゼロが使える故に新入生でありながら色付きとなった天才少女だ。
 キャパこそ残念(と当人以外は思っている)ではあるが、魔術への造詣は天才鬼才と言ってなお足りない虚数概念の世界だ。
 ありとあらゆる魔術に精通し、器用貧乏と言わせない万能さを主眼に置いた能力の持ち主でもある。
 キャパと云う観念を無視して魔術戦を想定すればおそらく誰も勝てないであろう。
 そう思えるほど魔術への適性が高い。
 クズノは新入生総代。
 新入生でありながら魔術を既に使えるという逸れ者。
 本来無数に存在する神語とその意味を覚えて、なお人語への翻訳能力を勉強せねばならないのが新入生の義務なのだが魔術を使える時点で堕天翻訳が使えると証言したようなものだ。
 新入生総代になるのも頷ける優秀さ。
 なお後期にはゼロの魔術を覚えたためマリンに続いて新入生でありながら色付きとなることが決まっている。
 当人がそのことについて鼻高々であった様子を思い出してユリスは苦笑した。
 シダラは上級生であり魔術を扱えるが色付きのエリート。
 フレアパールネックレスを行使するという才能もさることながら今まさにメギドフレイムを覚えようとしている。
 こと炎熱系統の魔術に親和性があるらしく、それはつまり人体を害する魔術に特化した魔女と云うことだ。
 生活面で火を使うことも出来るが、やはり火属性の魔術は対象を焼き払うという方角に向かってしまうものだ。
 ましてメギドフレイムともなれば戦術を覆す威力のソレだ。
 これだけで一砦と戦えるとさえ云える。
 もしもシダラがメギドフレイムを覚えれば研究室の提供はもう止められないだろう。
 元よりそのようにシダラは有り続けた。
 その理由をエル研究会の面々だけが知っている。
「魔術を利用するに特に珍しくもない理由」
 というのが感想。
 金銭のために魔術を習おうとする女子は多い。
 そうであるためシダラ自身はともあれ他の人間は期待していない。
「若い身空で戦略級魔女……」
 ちなみにユリスは人のことを言えない。
 カイトは若いながら上級生でこちらもシダラ同様に色付きのエリート。
 別名プリンス。
 ボーイッシュかつ奇跡によって整えられた美少女であるため、宝塚スター的扱いを受けている魔女だ。
 特異な属性は水氷雪。
 大陸間戦争においてマリンの行使した禁忌魔術……コキュートスを、
「僕も覚えたいんだが?」
 とマリンに迫った経緯がある。
 人が自身の判断で行使するには強力すぎるが故に禁忌指定された魔術であるのだが、マリンにしろカイトにしろその危険性に頓着している様子もない。
 これもまたユリスは人の事を言えない。
 穿ち、押しつぶし、凍らせる。
 そんな方向に特化した戦略級魔女だ。
 単純な才能だけなら鬼才だと、シダラと並び称される。
 三度になるがユリスは人に言えないが。
 残るは二人。
 一人がユリスで一人がビテン。
 ユリスは一人で一個師団を退かせる実績を持った兵器魔女としての側面を持つ。
 なんとか北の神国はユリスを引き抜こうと四苦八苦しているが、いまだその甲斐は実らない。
 もとより戦争に絶望と痛痒と罪過とをしか見つけられなかったためアホらしくなった次第である。
「死にたい奴だけ戦争してろ」
 そんなスタンスに則って日々暮らしている。
 研究室を持っており、そこで寝泊まりしているが指導する生徒は持っていない。
 元より持つつもりもない。
 一応のところエンシェントレコードの研究をしているため研究室としての義理こそ果たしているものの、別に熱意をもって事に当たっているわけでもない。
 日々安穏と……かつ脅威を感じないレベルで刺激的な生活が出来れば、
「それで良し」
 な人間だ。
 最近までほどよい刺激のある暮らしをしていた気もするが、思い出そうとはしなかった。
 もしかすると思い出すことが出来ないことを理解していたのかもしれない。
 そして、
「………………ビテン」
 その名をユリスはどこかで聞いたことがある。
「何処でしったけねぇ……」
 ふむ。
 と天井を見やりながら思案する。
 出てきたのは美少女と美少年の絵。
「そうそう」
 ユリスは思い出した。

「マリンは面食いだったのですね」

 そうやってデートしていたマリンを皮肉った時の美少年だ。
 たしか彼に誰何すると、
「ビテン」
 と名乗った。
「マリンとどういう関係か?」
 と問えば、
「一応親しい関係を築かせてもらっている者ですよ」
 飄々と語った少年である。
 それについてマリンが何か言いたそうにしていたが、

「疑問に思ったことを此処では口にするな」

 と牽制もしていた。
「ふむ……」
 つまりあの場でマリンとビテンにユリスが会ったことはビテンにとっての不利益と想像できる。
 だが、
「それがいったい何か?」
 と自問して、
「…………」
 手元のファイルに目を落とす。
 エル研究会会長……ビテン。
 つまりビテンはエル研究会に所属していた?
 女学院のこの大陸魔術学院に?
 男でありながら?
 仮にそうだとして如何様な理由があって?
 一つ、男なのに魔術を使える。
 一つ、何がしかの事情で学院に所属せざるを得ないやんごとないお方。
 一つ、変態。
「最後のがしっくりきますねぇ」
 当然だった。
 しかしてこの三つの例に当てはまるのなら、
「私が忘れるはずもないのですけど」
 と思い、なお、
「というか大陸全土に噂になってもおかしくない」
 という結論に至る。
 が、ユリスを含めて学院生がビテンを噂しているところを一度も聞いたことがないというのも不気味だ。
 魔術を使えない後者二つの可能性ならば立つ鳥跡を濁さずとはいかないだろう。
 あくまであえてにかつ暫定的に、
「ビテンが魔術を使える」
 という仮想をすれば有りえない話でもない。
 つまり『ユリスとは反対の魔術を使える』と仮定すれば納得できないでもない。
 その場合は、
「どうやって男の分際でマジックキャパシティを持ち得るのか?」
 が疑問となるが、
「いえ、これは女性優位主義の弊害ですね」
 とユリスはかぶりを振った。
 そもそもにして何で女性にキャパがあるのかさえ分かっていないのだ。
 形而上的なものか形而下的なものか、臓器的なものか精神的なものか、脳が司っているのか心が司っているのか。
「女性だけがキャパを持つ」
 ということは歴史が証明しているが、
「それが何故か」
 までは判明していない。
 であるからユリスは、
「男が魔術を使える可能性」
 を完全否定したりはしない。
 そうするとストンと腑に落ちるのだ。
 魔術を使える美少年ビテンが大陸魔術学院に入学しエル研究会を興した。
 その後(何時かまでは流石にわからないが)何かしらの理由があってドロンした。
 大陸魔術学院(この場合は学院だけでなく学院街や各施設まで含めた都市国家単位での意味である)の関係者からビテン自身に関する記憶だけを抹消し。
 事務に行って生徒名簿の確認までする。
 たしかにビテンと云う生徒の存在は確認されており、ビテンが記憶を消すだけで証拠資料を片付けることまではしなかったところまでは読み取れた。
 他にも情報網はある。
 即ち他のエル研究会のメンバーだ。
 マリン、クズノ、シダラ、カイト……彼女らの中に事情を知る人間がいてもおかしくはない。
 さもなければ魔術で台無しにするだけである。
 ユリスの口の端は不気味に吊り上がっていた。

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