ダ・カーポ

ビテン×カイト


「…………」
 ビテンは一人、喫茶店でコーヒーを飲んでいた。
 特に何をするわけでもないが、最近はこうやって思いを馳せることが多い。
 そして少しだけ形而上的にマリンと距離が離れたようにも感じる。
 こういうことを避けるためにマリンはビテンの存在意義を隠していたのだから。
 で、白日にさらされて一人もんもんとしているというわけだ。
「なんだかなぁ」
 コーヒーを飲む。
 状況は詰んでいた。
 ややこしい。
 ほとんど意識の地獄組みだ。
 マリニズムとビテニズムの拮抗および摩擦。
「どうしたもんかね」
「何がだい?」
 独り言に返事がきた。
 チラとそっちに目をやって誰かを認識すると、
「…………」
 興味を失って視線をコーヒーに戻す。
 一口。
「もののあはれ、を感じているのかな?」
「否定はしない」
 青髪碧眼。
 美少女だ。
 名をカイト……という。
 ボーイッシュで中性的な顔立ち故に、
「可愛い」
 より、
「凛々しい」
 と表現できる美少女であるため、学院の生徒からは敬意を込めてプリンスと呼ばれる傑物だ。
 色付きであることもカイト崇拝に拍車をかける。
 水氷雪系の魔術と親和性が高く、キャパはマリンをして鬼才と言わしめる。
 もっとも今現在の情報を開示した状況においては皮肉にしかならないが。
「悩んでいるのかい?」
 カイトが問うてきた。
 サファイアの瞳は優しさをたたえている。
 エル研究会でビテンとマリンを除き唯一マリンの業に精通しているのがカイトだ。
 というかビテンがばらしたのだが。
「結論自体は出ている」
 ビテンは不機嫌を隠そうともしない。
「それでマリンが喜ぶと?」
「思ってはいないさ」
「そこまでわかってなお?」
「後は覚悟だけだ」
 コーヒーを一口。
「でも元の木阿弥に戻りそうだけど」
「まぁな」
「そうじゃない」
 ことを正確に知っているのはビテンのみだが、あえてソレを丁寧に教えてやるほどビテンに慈善事業精神はなかった。
「裁きは必要だと思うけどね」
「俺はいらんと思う」
「裁判云々じゃないよ」
「だから、だ」
「本気?」
「俺の性格は十分知ってるだろ?」
「そうだけど……」
 芝居がかった肩のすくめ方を実践するカイト。
「でも心に決着をつけなきゃ前には進めない」
「それはわからんじゃないがな」
 そのための切り札をビテンは持っている。
 言葉にはしてやらないが。
「マリンとしては一石二鳥じゃないのかい」
「都合がいいことを承知するならな」
「でもさ。実際どうするんだい?」
「さぁてねぇ」
 コーヒーを一口。
「いっそ枢機卿だから出家でもするか」
「真面目に答えてくれないかい?」
「大いに真面目だが」
 もちろん大嘘だ。
 面の皮の厚さはこういう時に活きてくる。
「ビテンは人を殺したことはないの?」
「ないな」
「マリンのゲッシュがあるから?」
「それ以外に何がある?」
「言葉を変えようか」
 カイトもウェイトレスの持ってきたコーヒーを飲んだ。
「ビテンは殺人をどう捉える?」
「自然の摂理」
 ぬけぬけとビテンは言い放つ。
「人命を尊重しないのかい?」
「しないな」
 特に何も思っていない。
 そんな意を含んだ言葉だった。
 だから、
「人を殺してだから何って感じだしな」
 そんな言葉も出てくる。
「ドライだね」
「普遍的事実だ」
「僕はエル研究会の面々が一人でも死ねば泣くよ?」
「ああ、俺もそうだろうな」
「なら命には価値があるじゃないか」
「こうやって無駄に話している間にもこの世界のどこかで人が死んでるぞ。泣かなくていいのか?」
「…………」
 反論しようもない言葉。
「エル研究会の面々が死んだら泣く人間が十把一絡げの死には頓着しない。それが答えじゃないのか?」
「つまり」
「ああ」
 コーヒーを一口。
「大切なのは人命じゃなく人名だ」
 それがビテンの結論。
「正直なところ……俺にとって有益関係のない人間はいくら死のうとも哀悼したりできないしな」
 ぼんやりと残酷な言葉を吐くのだった。
「じゃあ人殺しは……」
「自然の摂理と云ったろう」
 特に語気が強いわけでもない。
 しかしビテンの言葉には一定の理があった。
「人は親しい人の死にしか悲しめない。つまり本質的に命に価値はない」
「…………」
「だいたい生命を殺すのが悪徳だとするなら学院街の市場に並んでいる肉は全て生命のなれの果てだぞ? それを並べて売って利益を得る。これほど残酷なショーを俺は他に知らんね」
「そういう考えもあるのか……」
 カイトにしてみればすぐに飲み込める話でもないだろう。
 だがビテンは人名はともかくとして人命が消費されることに意識をやったりはしないようだった。
「人間賛歌は欺瞞だな。国境なんて腹をくちくしてくれない要素の奪い合いに各国が兵力を投入している時点で気づけ」
「うむ。それは然りだ」
 北の神国。
 西の帝国。
 南の王国。
 東の皇国。
 それぞれが、
「大陸統一」
 を目指して争い合っている。
 ビテンやカイトは政治的空白地帯である大陸魔術学院にいるため絡まれることはないが、一歩外に出れば国境紛争と云う人命の消費が繰り返されていることはカイトとて言われずとも認識している。
 そして、
「国境紛争で多分今も一人か二人か百人かが死んでいるはずだな。もし戦線に投入された魔女が強力ならもうちょっと多い被害者が出るだろう。哀悼しなくていいのか?」
「むぅ」
 コーヒーを一口。
「話を戻すか。だからマリンには別に罪悪感を持ってもらう必要はないんだ。その辺どうしたものかとな」
「人命ではなく人名が大事ならアリスを殺したマリンにも裁きが必要じゃないか?」
「そう思って心苦しく感じていることこそ裁きだろう」
「それは……そうだが……」
「そうでなくともマリンには敵が多いんだ。キャパの返還は……どうにかして達成しないとな」
「ビテンはそれでいいのかい?」
「いいわけないから悩んでるんだよ」
「愚問だった。すまない」
 真摯に謝るカイト。
「責めてるわけじゃない。ただ……な。マリンの気持ちもわかるし罪悪感や徒労感もわかる身としちゃどれが最適解なのかちとわからんと云うだけだ」
「僕自身の意見を言ってもいいかい?」
「構わんぞ」
「ビテンには生きていてほしい」
「ありがとな」
 素直に言葉にするビテン。
 これも厚顔のなせる業だ。
「ビテンは僕の親友だ。誰しもが僕を恋愛対象としてしか見ていなかったところに君は現れた」
「…………」
「僕を特別視しない存在。故にビテンは貴重だ」
「過大評価だ」
「そんなことはないさ」
「惚れてるかもしれんぞ?」
「そうなのかい?」
「冗談だ」
 マリニズム。
 故にビテンはカイトと平然と話せるのだから。
「それはそれでなんだかな」
 カイトの方はしばし不満気だ。
 元よりビテンは美少年だ。
 マリンが、
「理想の男の子」
 という鋳型に魔術を流し込んで造った傑作。
 であれば異性として意識するのも避け得ようのない現実ではある。
 わかっていて何も言わないビテンも悪辣だが。
 とまれ、
「お前は俺にどうしてほしいんだ?」
「マリンを慰めていつも通りの日常が来てほしい」
「はあ」
 ぼんやりとビテン。
 愚にもつかない言葉だったが故に聞き流す他なかったのも事実だ。
「カイト」
「何だい?」
「キスしてくれないか」
「…………」
 沈黙。
 後の苛烈な反応。
「な、な、な、何を!?」
「いや、俺のほっぺにキスしてくれないかなって」
「何の意味があるんだい?」
「有益ではあるが秘密としておこう。別に唇じゃないから良いだろ?」
「ううむ」
 唸った後、意を決してカイトはビテンに近づく。
 チュッと一つ。
 ビテンの頬にキスをした。
「やっぱりドキドキしないな」
 それがビテンの結論だった。
 無論言葉にしたりはしないが。

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