「あ〜。温まる〜」 ビテンはマリン作の鍋をつつきながらほにゃっとした感想をもらした。 季節は逐一冬へと突入しかけている。 冬用学ランの上からコートを着てマリンの手料理を食べる。 こっちにとってもあっちにとっても今は状況が硬直している。 こっちはアイリツ大陸連合軍。 あっちは北西大陸武国魔女軍。 互いに牽制(と云う名の嫌がらせ)が効果の無いことを重々承知しているため、実質的な開戦はビテンの目算で明日となる。 だいたい武国の魔女軍隊(マジカルアバドン)が水平線の向こうに見えるのが明日ごろと云うことだ。 それは大本営にも伝えてある。 一応相手の射程内に入っているのだからアンチマジックの用意と警戒はされているが、それとは別の意味で兵士たちはピリピリしていた。 なにせ兵力の大多数が男の兵士たちである。 そして立ち向かう相手は音に聞こえた悪名高きマジカルアバドン。 蝗害に例えられている通り、一万を超える玉石混交の魔女による大量魔術蹂躙戦術。 マジカルアバドンの通った後はぺんぺん草も残らない。 そんな無茶苦茶な戦力に防御魔術も使えない男の兵士たちだけで闘うという本営の方針。 兵士たちにしてみれば、 「死ね」 と言われているようなものだ。 魔女と云う存在がどれだけ不条理か。 特に戦場を生き残った兵士ほどそれを知っている。 剣で切りかかる間合いより遠くから矢よりも速い魔術が襲い掛かる。 剣で一人兵士を削ぐ間に魔術は大量虐殺を起こしてのける。 場合によっては剣の通らない防御魔術の展開。 魔女と相対した兵士にとって剣とは棒切れで鎧とは紙を纏っているようなものだ。 剣の切れ味が防御魔術で封じられ、鎧の防御力は攻撃魔術の前には紙同然。 である以上、 「真っ当に戦ったらどうなるか?」 結論なぞ見え透いている。 その真っ当で戦うつもりがないのはビテンたちエル研究会と本営しか理解してはいない。 とりあえず本営は、 「心配することはない。我らは勝てる」 と自信を流布しているが不安を煽る以上の効果はない。 一応一定の理解もないではない。 そもそも兵士は魔女には勝てない。 そんなことは百も承知。 その上で男の兵士たちが招集されたのだから何がしかの作戦があろうことは兵士たちが一様に感じている通念だ。 だからといってマジカルアバドンの脅威を振り払えないのもまた事実ではあるが。 が、結局大本営は、 「心配することはない。我らは勝てる」 以上の事は言わない。 これには事情がある。 「ボイス」 と呼ばれる魔術がある。 距離を飛び越えて遠く離れた相手に声を届ける魔術だ。 主に斥候や侵入の際に使われる魔術である。 実際に北の神国に亡命してきた華国の女王は元部下が獅子身中の虫となって華国領がどうなっているかボイスの魔術で逐一報告してきている。 特に武国の海上戦力がどのタイミングで出航したかはビテンのクレアボヤンスと同義であったから密偵としての役割を十全に果たしている。 それ自体は有利なことだが逆の例がないとは言えない。 仮に作戦の全容が兵士たちにくまなく伝われば不安は取り除けるだろう。 しかしてその作戦がこちらの兵力側に伝われば、あるいはいるかもしれない密偵にまで戦術がばれる可能性がある。 一応その場合の対策もしていないではないが、味方の士気と敵の情報分析を天秤にかけて後者に傾いたため本営は兵士たちに説明しなかった。 南無。 閑話休題。 「うーん。出汁が良いな」 「あう……。ありがと」 「こういう応用力もマリンにはあるのですね」 「やはは。美味しいっす」 「うまうま」 「冬の季節に沁みますね」 エル研究会の面々も大絶賛だった。 「あう……」 とマリンは照れ照れ。 「ご褒美にキスしてあげよう」 「あう……。ダメ……」 「何ゆえ?」 「ダメだから……」 意味不明だったがダメらしいのはビテンにも汲み取れた。 「キスの相手ならわたくしが!」 「当方が!」 「僕はいいかなぁ……」 「私も希望します」 「却下」 最後の言はビテン。 とにかくえてしてはたまたちなみにマリニズム。 まぁそれくらいはビテンと仲良くしているエル研究会の面々には今更だが。 鍋を囲む六人。 それらの内五人が女性であるため魔女だということは北の神国に招集された兵士たちにも理解はされているが、それらに睦まじく接されている男一人……つまりビテンには胡乱気な視線が刺さった。 さもあらん。 特に戦士として体が練られているわけでもない。 美少年であるから美少女五人にアプローチされるのは致し方なしではあるが、 「何のためにここにいるんだ?」 という疑念は尽きなかった。 実際には男であるビテンと、それから押し出しの弱いマリンとが、此度の戦争を決することになるのだが。 かといって一々弁明する気力をビテンが持っているはずもない。 結局胡乱気な瞳で見つめられる。 こういうときものぐさは不利だ。 気にするビテンでもなかったが。 * 幾人かのゼロを使える魔女たちに夜の警戒を任せてビテンたちはぐっすり寝た。 起きたのは朝。 さすがに状況が状況なのでビテンも素早く起きた。 朝食は鯛の姿造り。 三枚におろしたのは当然マリン。 鯛は斥候の兵士たちが釣り上げてきたものを頂戴した。 それらを食べながらビテンは遠見の魔術で武国の魔女軍団との彼我の距離を把握する。 「だいたい昼頃か」 ポツリとつぶやくビテン。 マジカルアバドンが水平線に目視できる時間が、である。 「本当に作戦は成功するんですの?」 そんなクズノの憂慮に、 「知らん」 ビテンは答えを放り投げた。 鯛の刺身を食べながらあっさりと。 「まぁ十全であることは認めていいと思うっすけど」 これはシダラ。 「やはは。まぁ能力が能力だし」 カイトは特に心配している様子はなかった。 「初めての共同作業ですね」 ユリスが煽った。 デコピン。 そんなこんなで兵力としての手練れでもない学院生が最前線でイチャコラしているのは兵士たちの不快を呼んだ。 絡まれることこそなかったが。 とまれ昼まで時間があるということで、寒い盛りに、 「鍋が食いたい」 とビテンが強硬に主張し、その通りに補給物資の一部を鍋と化すマリンであった。 こういう付き合いが良いのはマリンの美点だ。 そんなわけで昼食に鍋を食べていると、 「ん。来たな」 出汁を飲みながらビテンが言う。 はるか水平線の彼方。 二百を超える軍艦軍勢が小さな点として見えた。 が、その後の反応は苛烈を極める。 ファイヤーボールからアイスランチャー、タイダルウェイブからカマイタチ、ギロチンからイナズマまで多彩な魔術が雨霰と襲い掛かった。 対するビテンの反応は冷ややかだ。 「ユリス」 「はいな」 二人は手を握る。 肉体的接触によるキャパの共有だ。 そして呪文。 「我が城の魔を無に帰せ」 ゼロフィールドの詩を読み上げる。 魔術無効化空間が広範囲にて展開される。 直方体の空間が漏らさず兵士たちを包み、魔術から庇護せしめるのだった。 襲い掛かってきた火や水や氷や風や雷の魔術はゼロフィールドの空間に侵入した瞬間に無へと戻る。 魔術の乱打によるマジカルアバドンの戦術がこの際無益であった。 どんな魔術だろうと問答無用でゼロを適応できる空間。 その空間の中では魔女はただの女性と相成り無用に過ぎるのだ。 それを理解したのだろう。 味方も敵方も。 ビテンは直方体の魔術無効空間を作ってそれまでだ。 マジカルアバドンはそれぞれにそれぞれの魔術を行使するが全くの無駄だった。 ゼロフィールドの空間に接触した瞬間無力化される。 これが北の神国の禁忌魔術……ゼロフィールドである。 魔女を単なる女性に貶める魔術。 そしてそれだけでは終わらなかった。 マリンとクズノとシダラとカイトが手を繋ぐ。 肉体的接触によるキャパ共有。 そうでもなければキャパが残念なマリンは大魔術を使えない。 マリンをして、 「ビテンには劣るものの鬼才と評していいキャパの持ち主」 と言わしめる天才がクズノとシダラとカイトである。 ユリスもそこに含まれるが現時点においてはビテンと手を繋いでキャパ共有を行いゼロフィールドの範囲を広げる手伝いをしていた。 そして海岸線に沿って張られたビテンとユリスのゼロフィールドから少しはみ出したマリンとクズノとシダラとカイトがキャパを共有したままマリンにその力を委ねる。 マリンはそんな三人に頷くと、 「時の流れを妨げよ。氷の女王の名の下に」 東の皇国の禁忌魔術……コキュートスの呪文を唱える。 それは対象魔術であるフリーズを広範囲魔術に変換した魔術。 魔法陣は海中深くに展開されていて軍艦に乗っている魔女に察知されることはなかった。 そして効果は劇的だった。 大海原が海岸線から水平線まで、あるいは水面から海底まで、カチンと凍った。 当然軍艦及び搭乗員も纏めてだ。 コキュートスの魔術は『冷やす』ことが第一義で、『凍ったこと』は二次現象だ。 である以上凍った海はゼロフィールドの適応外と云える。 地平線を遥かに超えて、カチンと凍った氷雪景色を指差して、 「ゴー」 とビテンは言った。 「ワッ!」 と兵士たちが歓喜した。 完全に凍った海面を踏みしめて遠くに見える軍艦に襲い掛かる。 後は一方的な虐殺だ。 凍った魔女や兵士たちを砕く。 「なぁ」 「何……?」 「間接的に人殺しを助長するのは良いのか?」 「ビテンが……殺さなければ……それでいい……」 「さいでっか」 「さいです……」 「何でなんだろうな?」 と思っても口にはしなかった。 要するに、 「ビテンが殺人を犯さなければそれでいい」 ということは理解できたのだ。 |