ダ・カーポ

クズノ事情


「…………」
 ビテンは黙々とコーヒーを飲んでいた。
 無論マリンの淹れたものだ。
 愛糖。
 あるいは加愛か。
 無論実状はブラックだが。
 淡々とビテンはコーヒーを飲む。
 マリンは同じダイニングテーブルの席に座り禁忌魔術の翻訳をしていた。
 ビテンもしている。
 脳内完結だが。
 記録だけなら既にアイリツ大陸を網羅している。
 後は記憶後に翻訳するだけの作業。
 紙媒体を使った方が効率は良いのだが、
「今日は気が乗らない」
 と云ってぼんやり脳内翻訳に終始していた。
 日曜日の正午。
 いつもならマリンが昼食を作っているところだが、とある理由でそれは無し。
 白紙書にエンシェントレコードの詩とその翻訳とを照らし合わせながら解読をすすめていく。
 一種の暇つぶし。
 少なくともマリンのマジックキャパシティでは再現できない魔術ばかりだ。
 頭でっかちとも言う。
 別の魔女とキャパを共有すればその限りではないが、それについては割愛。
「…………」
「…………」
 サラサラ。
 カリカリ。
 ペンの走る音だけが寮部屋に響く。
 ビテンにしろマリンにしろこの沈黙はいささかも圧迫感を覚えない。
 二人ともに互いが何をしているのか十全に把握し、邪魔するということをしなかったためだ。
 稀に、
「マリン〜。コ〜ヒ〜」
「はいな……」
 というやり取りだけだが行われる。
 いつものことだ。
 そんなこんなでのんべんだらりと日曜の正午を過ごしているところに、カランカランと玄関ベルが鳴った。
「はいはい……」
 マリンが出迎える。
 ビテンは視線だけを玄関にやる。
 客はクズノだった。
 当たり前だが。
 白髪白眼のアルビノだが西の帝国では珍しくもない特徴だ。
 シルクのような髪と真珠のような瞳が輝かしい少女である。
 ちなみに今日の服装は制服ではなく気合が入っていた。
 ピンクのフリフリロリータファッション。
 御伽草子の姫様と云った様子だ。
 地が可愛いだけにより栄える。
 だからとてマリニズムにひびが入るということはいささかもないのであるが。
「…………」
 ビテンは脳内翻訳を止めてコーヒーを飲み干す。
 今日は日曜日。
 そんな日にクズノがビテンとマリンの寮部屋に出向く用事は一つしかない。
 デート。
 他に何があろう。
 何よりクズノは(クズノだけではないが)ビテンに好意をもっている。
 ビテンを中心にハブ型だ。
 マリン、クズノ、シダラ、カイト、ユリスのクインテットがビテンを想って牽制しあう。
 無論マリニストのビテンにはマリンしか映っておらず、当のマリンはビテンの恋慕を嬉しく思いながらもかたくなに距離を取ろうとしているのだが。
 色々と台無しな関係だが乙女心は配線工事の様に上手くいくわけではない。
 その辺がわかっているためビテンは女子にモテた。
 今でも散発的に学院生から告白を受けたりするのだ。
 何せ男でありながら魔術を使い、なお美少年とくる。
 大陸魔術学院は女学院であるから男に免疫のない女生徒も多数いるのだ。
 ので、ビテンとカイトとユリスにコロッといってしまう女子は多発するし、
「先日の一件はそれが表層化しただけ」
 というのがビテンの結論だった。
 何の得にもならない思考ではあるが。
 とまれ、
「ビテン。行きますわよ」
 催促をうける。
「へぇへ」
 ビテンは立ちあがった。
 既に外行に着替えてある。
 今日のクズノとのデートは既に予定済みの案件であるため抜かりはない。
 それはマリンもそうだった。
 マリン自身は、
「自分は出歯亀じゃなかろうか」
 との憂慮を持っているが今更である。
 なおビテンが、
「マリンがついてこないなら行かない」
 と駄々をこねるので同行しているという事実。
 それを嬉しいと感じる辺りはマリンとて乙女だが、複雑怪奇な心模様は快晴と曇天とを両立するに足るものでもあった。
 アンビバレンツはマリンの業だが、さりとて矯正するつもりもないのも業だ。
 ビテンの感想を用いれば、
「何に対して意地を張ってるのか?」
 ということになるが割愛。
「では行きますわよ」
 この場で一番モチベーションの高いクズノが先導する。
 そんなこんなで二股デートは始まった。
「腹がすいてるんだが」
「でしょうね。とりあえずレストランに入りましょう。食事をしながらこの後の予定を立てますわよ」
「あいあい」
「あう……」
 呑気と委縮。
「誰が悪いか?」
 と問われれば、
「ビテンに相違ない」
 が自明だが。

    *

 とまれかくまれ昼食を終えて本格的にデートをすることになった。
 最初は無難に冬物の服を見繕っていたが、途中クズノが目にとめた店に三人そろって入ることになった。
 いわゆる一つのランジェリーショップ。
 下着売り場だ。
 クズノとマリンはともあれビテンまで平然と気後れも憂慮もなく店に入ると、店内がざわめいた。
 さもあらん。
 ランジェリーショップは女子の聖域だ。
 そして今日は日曜日。
 つまり女学院である大陸魔術学院の女生徒たちが多数入店しているのだから。
 ビテン派閥。
 カイト派閥。
 ユリス派閥。
 それぞれがそれぞれの感情でビテンを見やる。
 ビテンは態度で、
「気にしていない」
 などと飄々としていたが、異性の眼は恥じらう乙女には難関だろう。
 マリンなどはそれに気づき、
「あう……」
 なんて委縮しているが、
「大丈夫だ」
 ポンとビテンがマリンの頭に手を置く。
「マリンの下着以外には欲情できないから」
 割と最低なことを言いながらフォローになっていないフォローをするビテンだった。
「あう……」
 プシューと茹だるマリン。
 これもまたいつも通り。
 そんな愛らしいマリンの反応にくすぐったさを覚えながらビテンはベビードールを一つ取る。
「これなんかどうだ?」
 マリンの体に合わせながら問いかける。
「派手じゃ……ないかな……?」
「マリンはちょっと大人しいからな。たまにはチャレンジ精神を発揮するのも勉強だと思うぞ」
「うん……。わかった……。着てみる……」
 そう云って試着室に入っていった。
「ビテン!」
 クズノの声がマリンの入った試着室の隣から聞こえてくると、シャッとカーテンが鮮やかに開かれた。
「いかがかしら?」
 派手なブラジャーにフリル付きのショーツ。
 地が可愛いのはここでも聞いてくるがマリニストには些事に過ぎない。
「お前はブラジャー要らんだろ」
 辛辣な言葉を吐く。
 乙女の下着姿を目にしての第一声がソレなのだからどれほど深刻な病状なのかは一目瞭然であった。
「わたくしにだって胸はありますわ!」
「AAカップな」
 無いも同然だった。
 とはいえエル研究会の半分が貧乳ではあるのだが。
 クズノは元よりマリンとカイトもそうである。
 マリンは未成熟な色香を醸し出し、カイトは胸がないのでボーイッシュなイメージと合致しているが、クズノは貧乳をフォローできる性質を持ってはいなかった。
 残念。
 パンと一拍して合掌。
 それだけでクズノの矜持を傷つけるに十分だった。
「ではどれならいいんですの?」
「俺に聞かれてもなぁ」
 ビテンは興味の残滓すら見せなかった。
「うー!」
 クズノのプライドが崩壊する音が店内の客には聞こえていた。
 かっこビテンは除くかっことじ。
「あう……。ビテン……?」
 今度はマリンの声。
 ビテンにとっての福音だ。
「着たのか!」
 興味津々とばかりなビテン。
「わたくしとの差は何なんですの……」
 脱力するクズノ。
 マリニストに、
「マリン以外の女性に興味を持て」
 と言う問題の立て方が前提として間違っているのだが、さすがにそこまではクズノとてわかっていない。
「マリン主義め」
 と悪態をつくあたり不満自体は明確なのだが。
 ともあれマリンのベビードール姿。
 ビテンが興奮しないわけもない。
 それだけでご飯三杯平らげるだろう。
 小動物を連想させる臆病で引っ込み思案のマリンが恥じらいながら下着姿を見せる。
 ビテンにとってそれ以上の光景があろうか。
 いやない。
 そんなこんなで色々な下着姿を見せて、なおかつ一着も買わないという暴挙にいでて、三人は店を後にした。
 喫茶店に腰を落ち着けて茶を飲む。
「ビテンはマリンが好きすぎですわ」
「今更何を」
 ビテンにとっては事実確認以上のものでない。
「わたくしにも少しは気をかけてくれてもいいでしょうに」
「だからデートしてやってるだろうが」
「足りないって言っていますの!」
「そういうことを期待させたいなら別の男を見繕え」
「わたくしはビテンが好きなのですわ!」
「あ、そう」
 マリンがビテンのわき腹をつねったが、それで心を入れ替えられるなら今の状況は発生しえないわけなのだが。

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