ダ・カーポ

乙女の信念


「マリンのコーヒーはやっぱり美味いな。世界で一番」
「あう……」
 なんていつもの会話から一日が始まった。
 巡り巡って今日はビテンハーレムとビテンファンクラブの決闘日。
「あう……」
 マリンは食事が喉を通らないようだった。
 一所懸命に塩のスープをスプーンですくって胃に押し込んでいる。
「今から緊張してどうする」
 ビテンは呆れたように言って海藻おにぎりをもっしゃもっしゃ。
 全くその通りではあれど、普段のマリンは精神的にビテンの背中に隠れているのが常だ。
 今までもそうしてきたし、これからもそうだろう。
 ビテンハーレムのカルテットとは気の置けない友人関係とはいえ、あくまでそれはビテンを仲介しての事。
 トラウマを抱えて他人恐怖症になったマリンにはビテンが必要なのだ。
 しかして今回ばかりはビテンの背中に隠れることが出来ない。
 その意図をビテンが酌めないはずもなかった。
 かといって出来ることもないのだが。
 マリンの能力に問題はない。
 いざ始まれば強大な結果を及ぼしうるだろう。
 そこについての心配はビテンもしていない。
 ただ決闘が始まるまでにマリンの精神が摩耗する方が問題だ。
 とかくマリニストとしてはマリンの哀惜や負荷は許されざるものである。
「ではどうするか?」
 と云って先述したように何ができるわけでもないのだが。
「ビテンは……すごいね……」
 マリンの言葉には要点がなかった。
「何が?」
 コーヒーを飲みながらビテン。
「一人で……あれだけの数を……相手にして……恐れ入らない……とか……」
「特別大したことはしてないがなぁ」
 事実だ。
 実力に裏打ちされた自負。
 ビテンにはその骨子がある。
 それはマリンにはない物。
 ビテンは知り得ないがマリンは魔術の行使に対して否定的だ。
 他者が使う分には問題ないが自身としては極力使いたくないというのが本音。
 ビテンに打ち明けないのはそこから逆算すると、ある事実が浮上するからに他ならない。
「あう……」
 で、結局マリンは塩のスープを淡々と飲む。
「だいたい今回はキャパ共有戦だろ?」
「うん……」
「マリンの実力は俺が誰より知ってる」
「あう……」
「緊張するなと云っても無理だろうが、もうちょっと肩の力の抜き方も覚えた方がいいんじゃないか?」
「今言われても……」
「確かにな」
 対処するに遅すぎる。
 そうでなくともマリンは業が深いのだが。
「計画通りにやれば勝てるさ」
「そっちについては……心配してないけど……」
「その前にお前がポシャリそうだな」
「あう……」
 そういうことだった。
「さてさて……」
 どうしたものかとビテン。
「ビテンは……どうやって……勇気を……?」
「前回に限って言えばお前からもらっただろ?」
 ハグ。
 抱擁。
「そうしたら……勇気出る……?」
「俺はそうだがマリンにとってはわからない」
 比較的良心的な回答をする。
 無遠慮とマリニズムの折衷の言葉だ。
 これがマリン以外だったら、
「知らん」
 の一言で切って捨てていただろう。
「じゃあ……抱いて……」
「いやん」
「あう……」
「冗談だって。ハグだろ?」
「あう……」
「はいはい。こっちにおいで」
 ビテンが手招きする。
 ダイニングテーブルの反対に座っているマリンがテーブルを半周してビテンのそばに立つ。
「あう……」
 顔が火照ってしょうがないマリンであった。
 それすらも愛らしくビテンのアドレナリン急上昇。
「じゃ」
 ビテンも立ち上がる。
 すぐそばに立っているマリンに、
「ほら」
 と両腕を広げてカムオン。
 トン、と軽っこい音とともにビテンの胸に飛び込む。
 ビテンは自身のテリトリーの入ってきたマリンを優しく抱擁した。
 ギュッと抱いて片方の腕をマリンの背中に回し、もう片方の手でマリンの頭を優しくなでる。
「大丈夫だぞ。マリンにはいつも俺がついてる。距離的に離れてたって心はいつもマリンに仮託してる」
「あう……」
 ますます茹だるマリンであった。
「不安はしょうがない。マリンの本質だ。でもお前は一人じゃない。少なくとも俺だけは何があろうと裏切らない」
「あう……」
「だいたい負けてエル研究会が解散したってだな。俺とお前が相部屋で単位不問処置で好き勝手イチャつける環境に変わりはない。気負うなとは言わんが特に損する戦いでもあるまい」
「あう……」
「愛してるぞ」
 そしてマリンはビテンに勇気をもらうのだった。

    *

 そんなこんなで決闘日和。
 アリーナは観客席で溢れていた。
 ビテンもその一人だ。
 一般席の中では最も良い位置を確保してある。
 特に試合結果を憂慮しているわけではないが物理的な距離をマリンと埋めるためにほんの少しだけエル研究会よりの席に座っているという塩梅。
「何か意味があるのか?」
 と問われれば、
「あるわけないだろ」
 と返すだろうが、マリニストとしては当然の処置でもあった。
 既にアリーナの中央……決闘場には十人の魔女が並んでいる。
 五人と五人に分かれて。
 エル研究会側とビテンファンクラブ側だ。
 相も変わらずマリンはおどおどしていた。
 それでも決闘場に顔を出せただけでも特筆に値する。
 ビテンはボイスの呪文を唱えてそっとマリンに耳打ちする。
「お前なら大丈夫だ」
 それだけで、
「あう……」
 とマリンは自分を奮い立たせた。
 アリーナの席……そのエル研究会側に座っているビテンを見つけてはにかむ。
 ビテンは当人にしては珍しくニッコリと笑ってヒラヒラ手を振った。
 それだけでマリンの勇気になることは必定だろう。
 そんなわけで審判がボイスの魔術を使ってアリーナ全体を盛り上げる。
 ゴーレム防衛線の開始だ。
 まず先にゴーレムを造る。
 これはマリンの役目。
 既にラインの魔術は起動しているため、マリンがキャパ不足に悩むことはない。
 属性とりどりのゴーレムが多数造られる。
 数で言えばファンクラブ側の三倍はあった。
 さらにそこにバリアスーツの魔術を重ねて掛ける。
 透明な力場がバリアとなってゴーレムの防御力に多量付与した。
 相手側は基本的な土のゴーレムを造っただけだ。
 これだけでもう決着はついたも同然なのだが試合開始と同時にダメ押しが来る。
 シダラとカイトのダーカーの魔術だ。
 二重に重ね掛け。
 ゴーレムの軍団は暗黒の闇に包まれた。
 相手側もゼロを使える魔女がいたが、そもそもゼロは対象魔術である。
 座標認識が出来なければゼロを掛けることは出来ない。
 ダーカーの魔術で認識を阻害されては幾らゼロとて発動しないのだ。
 ので、まずはダーカーの魔術の無効化から始めるべきであり、魔女は実際そうした。
 が、ダーカーは二重に掛けられており、なおかつダーカーが無効化されても新たなダーカーが展開される。
 シダラとカイトの二人がそれぞれパイ生地の様にダーカーを重ね掛けすることで相手側のゼロの魔術を封殺している。
 この突破は容易ではない。
 少なくともゼロを使える魔女が一人いるだけでも特筆すべきだが、こと今回においては最低でも三人は揃えていなければゼロは通らない。
 二重のダーカーに加えてマリンがゴーレムに張ったバリアスーツの無効化までせねばならないのだ。
 オフェンス一人で賄える状況ではない。
 それをビテンファンクラブ側は心底思い知っているだろう。
「無に帰せ」
「無に帰せ」
「無に帰せ」
 幾度となくゼロを使い続け、かつその全てが徒労に終わった。
 決着。
 エル研究会側……ビテンハーレム側のオフェンスたるクズノがやたらあっさりとゼロを行使してゴーレムを土に返したのだから。
 ハーレム側の防御構造にばかり目が行って、オフェンスに気を回せなかったファンクラブ側の失態だ。
 そうでなくともエル研究会側の人材にケンカを売った時点で勝敗が決したも同然なのではあるが……。
 後にマリンは語った。
「クズノとシダラとカイトとユリスのマジックキャパシティは凄かった」
 と。
 ラインで一時的に共有したためだろう。
 そのキャパを察して、なお正確に理解する。
 その程度はマリンとて出来る。
「四人ともビテンほどじゃないけど規格外には相違ない」
 と。
「禁忌魔術さえ平然と使いこなせるメンツだ」
 と。
「エル研究会は少数精鋭といえど、よくぞここまで集まった」
 と。
 が、それは後の話。
 現在は、
「あう……。ビテン……?」
 もじもじするマリンにビテンは抱きついた。
「格好よかったぞ!」
 マリンを抱擁して猫可愛がり。
「マリンばっかりズルいですわ!」
「まったくっす!」
「親友の健闘を褒めてはくれないのかい?」
「ビテンらしいですね」
 乙女たちは心中さまざまであった。
「とにかくこれでエル研究会にケチはつけられませんわよね?」
「そういうことっす」
「乙女の信念、天に通ず……って奴だろう」
「私たちの居場所は守り通せたわけです」
 そんなわけで祝勝会と相成った。
 とはいえ学院街に六人で出向いただけだが。
 レストランで食事をとりながらセクステットは今後の活動に話の花を咲かせる。
 アイリツ大陸の魔術をほぼ網羅した飛天図書館は、こと凡庸と隔絶した鬼才の持ち主である魔女たちにとって有益な場所だ。
 そうであるため決闘を受けてまで守り通したのだから。
 全ては乙女の信念。
 そを賭けた戦いだった。

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