「ふぅ。何とか間に合いましたか……」 大陸魔術学院の生徒会長にして『お姉様』……ユリスがそう呟いた。 「案外メモリ潤沢なんだな」 ビテンが微笑した。 「まぁ遡行翻訳の際におおまかな全体像は掴めていましたしね」 「なるほどな」 納得してマリン製のコーヒーを飲む。 場所は飛天図書館。 時間は午後。 生徒会長としての仕事はしばらくないらしく最近はエル研究会が頻繁に活動していた。 一番熱意を持っているのは禁忌魔術を翻訳しているビテンとマリンであるが、次点にユリスが挙げられる。 習得した魔術の名はゼロフィールド。 ある種、魔術における究極の意義矛盾を体現するアンチマジックマジック。 「何を覚えたんだい?」 これは東の皇国の禁忌魔術を翻訳しているカイトの言葉。 興味の目は後四つ。 「ゼロフィールドです」 ユリスが答えた。 「聞いたことないね」 当然だ。 北の国の禁忌魔術である。 知っている人間は限られてくる。 「ゼロって付くということは無の章かい?」 「ええ」 「効果は如何に?」 「一定効果領域内における魔術無効化」 「…………」 しばし沈黙が場を支配した。 サラサラ。 カリカリ。 ペンの走る音だけが聞こえる。 ビテンとマリンだ。 この二人は元より習得している身なので特に動揺を覚えることもなかった。 「つまりゼロを範囲魔術にしたソレですね」 飄々とユリスは言う。 残り三人はそうもいかなかったようだ。 「ゼロの範囲魔術ですの?」 「魔術無効化っすか?」 「ほほう」 三者三様に驚いている。 無理もない。 効果そのものが無茶苦茶だ。 そうであるからこそ北の神国はゼロフィールドを禁忌魔術に指定したのだから。 「どこまで無効化しますの?」 「一切合切全てですね」 「上級魔術もっすか?」 「ゼロがそうでしょう?」 「特級魔術もかい?」 「ええ」 「ふあ〜」 と感嘆したのは誰だろうか。 「ちなみにユリスの展開規模は?」 「半径三十キロ……と云ったところでしょうか」 「…………」 クズノとシダラとカイトは沈黙した。 言っている意味はわかるが認識には反射的な拒絶が混じる。 サラサラ。 カリカリ。 ビテンとマリンにとっては特に憂慮することでもない。 とはいえかしまし娘の動揺も致し方なし。 つまり、 「ゼロフィールドは魔女を無力化する」 と言ったのだから。 しかも半径三十キロともなればほとんど地平線外の魔女までもが魔術を使えなくなることと同義である。 仮にこの魔術を前提に戦略を立てれば、男の軍隊が魔女の軍団を殲滅するのもたやすいだろう。 魔術があるが故の女性優位主義。 そに一石を投じる魔術である。 「しかし間に合ったとは何事だ?」 これはビテン。 「いえ、まぁ、こっちの都合ですよ」 「そうか」 特に関心もなかったのか。 ビテンは会話を終わらせた。 サラサラ。 カリカリ。 こと魔術の造詣に傾いた精神構造。 ビテンとマリンは各国の禁忌魔術の習得に精を出していた。 「むしろビテンほどともなればゼロフィールドをもっと展開できるのではないですか?」 「半径五十キロ程度くらいは展開出来るが……あまり意味のある範囲とは言えんな」 たすきに長し。 そういうことだった。 「とりあえず一区切りですね」 ユリスが言う。 「次は何の魔術を覚えるんだ?」 「さぁてどうしましょう」 ユリスにしては珍しく悪戯っぽく笑った。 「書庫をまわってもいいですか?」 「構わんぞ」 飛天図書館はビテンの記憶図書館だ。 記憶されている魔術はアイリツ大陸のソレを網羅している。 無論エンシェントレコードはまだまだ奥が深く認識および解明されていない魔術も多々あるが、それでも人一人の記憶容量としては破格だ。 ビテンとマリンがどれだけ人外かのパラメータと云えるだろう。 その上で六法全書もかくやとばかりの白紙本がドサドサと高く積み上げられている様は壮観だ。 「一体どんな脳構造をしているのか?」 クズノとシダラとカイトとユリスでもなければツッコんでいたところだろう。 * 次の日。 ビテンとマリンは生徒会室で茶を飲んでいた。 理由は簡単で、衆人環視が鬱陶しかったからである。 「ビテンに習えば魔術を覚えられる」 そんな風潮が一時的とはいえ流布された。 当然ではある。 それだけの実績を示したのだから。 学院からは、 「研究室を持て」 と言われた。 生徒からは、 「魔術の指南をしてほしい」 と言われた。 無論ものぐさのビテンが首を縦に振るはずもないのだが。 そんなわけでビテンとマリンは生徒会室に避難したわけである。 アナザーワールドに逃げ込んだりインヴィジブルを使ってもよかったが、魔術を的確に使うという点においては無駄な労力だ。 「次に覚える魔術は決まったか?」 茶を飲みながらビテンは書類を消化しているユリスに聞く。 「次はアブソリュートゼロですね」 「また無の章か」 「どうやら相性がいいようで」 「ふぅん?」 ビテンにとってはよくわからない感覚だ。 優秀すぎるというのも時に弊害を併せ持つ。 「最終的には絶対領域か?」 「ええ、まぁ、検討の余地はあるでしょうね」 苦笑するユリス。 「あう……」 とマリンが茶を飲む。 「ユリス……」 これもマリン。 「なんでしょう?」 「なんで……ゼロフィールドを……?」 「男性の有用性のためです」 「あう……」 「まぁそりゃゼロフィールドならそうなるだろうが……」 ビテンは呆れ気味だ。 ゼロフィールドは魔術を無効化する。 であるためこの魔術を前提に戦えば肉体能力の勝る男性が魔女に対しての天敵となる。 「一発勝負ではありますが不意を突くという点においては有用かと」 書類を消化しながらユリスは言った。 ビテンは口の中だけで言葉を紡ぐ。 「何に怯えているんだ?」 と。 少なくとも魔女ともなれば自身第一位主義である。 「より強力な魔術を!」 をスローガンとする。 それによって敵を薙ぎ払い大きい顔をするのが魔女の常道だ。 であるのにユリスはゼロフィールドを覚えた。 「その意が那辺にあるのか?」 ビテンにはわからなかった。 これは後にてわかることでもあるのだが。 とりあえず、 「お茶のおかわり」 ビテンは無遠慮に要求した。 生徒会の庶務がビテンのティーカップが受け取り、 「マリンは?」 と聞いて、 「あう……。お願いします……」 と差し出されたティーカップをさらに受け取り、茶を入れる。 再度ふるまわれた茶に、 「ども」 「ありがとう……ございます……」 感謝で応える二人。 ユリスが書類を片付けながら続きを口にする。 「ゼロフィールドの利点は展開も閉鎖もこちらが主導権を握れることにあります」 「そりゃそうだな」 「であればこそ百人に勝る一人が戦局を自在に操れる」 「あう……」 「故に真っ先に覚えるべきでしょう」 サラサラ。 カリカリ。 ペンを奔らせるユリス。 それとは別にビテンとマリンの脳もフル回転していた。 記録を記憶に。 記憶を理解に。 そんな段階を踏んで翻訳。 少しずつ禁忌魔術への理解を深めていく。 「お前は戦争に反対じゃなかったか?」 ビテンが言う。 「ええ、愚かしいことだと思います」 ユリスも間を置かず答える。 「しかして相手方の事情もありますし」 茶を飲んで嘆息。 「心底あきれ果てる」 と表情が語っていた。 「それでも私の存在が北の神国の国境を決めているのも……また事実で」 「確かにな」 枢機卿の出にしてみればあまり実感の湧くことでもないが。 「であれば戦略の幅を広げる魔術は必要でしょう」 「戦争ね……」 ビテンはそう呟いて茶を飲んだ。 少なくとも本格的に参加した経験はない。 間接的になら南の王国で体験したが。 「あう……」 とマリンが気後れする。 「?」 その意味が分からないビテンであった。 さもあらん。 |