「暁に雪、消え果てず……か」 カイトと敵方の魔術決闘が終わった次の日。 ビテンとカナキの決闘の準備にも時間がかかるため今日は暇していた。 とはいえ大通りの壁新聞には既にカイトのソレと並行して告知されているので、当事者であるビテンは悪目立ちしている。 魔女であり女性優位主義者にとって魔術図書館は女性の聖域だが、カイトの背景に喧嘩を売る猛者は結局現れなかった。 そんなわけで堂々と横柄かつ無遠慮に皇都魔術図書館の知識を記録していく。 とりわけブリザードとウォータミラーはビテンとマリンの気を惹いた。 ブリザードは敵軍の無力化に。 ウォータミラーは身の安全の確保として。 それぞれに有益なのだ。 で、その魔術書を記録して複写している最中だった。 図書館で。 双方ともに中級魔術。 それなりの知識と記憶と翻訳とが必要になる。 もっとも時間が解決してくれる類の話ではあるのだが。 「ねえねえビテン」 「何だ」 「約束は覚えてるかい?」 「忘れた」 「むぅ」 ちょこっと不機嫌といった様子だ。 無理もないが。 「決闘に勝ったら頭撫でてくれるって約束しただろう?」 「そうだったな」 ペンを置いて傍に近寄ってきているカイトの頭を優しく撫でる。 「よしよし」 「えへへぇ」 カイトは心底嬉しそうだ。 「あう……。カイトは……ビテンが……好きだね……」 「うん。大好き」 皮肉が通じないどころか便乗されてしまった。 「友達……だよね……?」 「友達だよ?」 碧眼は質問の意図を理解していなかった。 平常運転と云えばその通りなのだが。 元から恋慕と友誼がとっちらかっているカイトである。 この程度は天然でやってくれる。 ビテンは気にしないことにして心安んじていたりする。 マリンの内面は複雑だが、ビテンには察せられた。 隣に座るマリンの髪を撫ぜて、 「可愛いなマリンは」 愛を囁く。 「あう……」 一瞬でプシューと茹ってしまうマリン。 こういう純情さがまたビテンの春心を刺激する。 しばし桃色の空気が流れた後でソレを収めるとカイトが話題を転換してきた。 「ビテンはお母様に勝てるの?」 明日の決闘でのことだ。 「知らね」 はなはだ無責任だが他に言い様も無い。 カイトの母……カナキの実力をビテンは知らないのだ。 であれば彼我の戦力差を比較できようはずもなく先の発言と相成る。 「お母様の使う魔術……教えようか?」 「別に興味ないなぁ」 「敵を知らなきゃ勝てないよ?」 「向こうさんだってこっちの能力を知らないんだ。フェアプレーで行こうぜ」 「ふぅん?」 納得したのかしてないのか。 どちらでもあっただろうし違ってもいるのだろう。 さすがに、 「殺しは無し」 だが、それについてはマリンの制約があるためビテンにとってハンデ足り得ない。 寧ろ相手が戦術級魔術を使えないということに対して優位性を持てるのだ。 だからといって軍属魔女が対人魔法を疎かにしているとまで楽観視するほどビテンは状況を軽んじてはいない。 「ただ、まぁ……」 面倒だよなぁと呟く。 「絶対勝ってね?」 「無責任な約束はあまりしたくないな」 「僕はビテンとこれからも友情を深めたい」 「お前さぁ……」 とそこまで言って、 「はぁ」 と嘆息。 「何か失礼なことを考えてはいないかい?」 「気のせいだ」 「ビテンでも……あしらいきれないんだ……」 物珍しそうにマリンが言った。 「そういやそうだな」 ビテンも思案する。 「友達友達」 カイトはひたすら嬉しそうだ。 頬を染めてはにかんでいる。 「お前にとって友達の定義とは?」 「良心の赴くまま無償に助け合い謙虚でありながらも恩に対して気後れしない仲!」 きっぱりと言い切った。 「お前が言うと説得力が無いから不思議だな」 カリカリとペンを動かしながらビテンはまた嘆息。 「照れるね」 「褒めたわけでもないんだが……」 とかく天然なカイト。 ビテンも持て余し気味だった。 「カイト……。ここの翻訳なんだけど……」 マリンがカイトにブリザードの魔術書の指南を頼む。 ビテンもそれに便乗する。 そうやって時が流れる。 明日には決闘だと云うにビテンから気後れは感じられなかった。 * で、後日。 またしてもアリーナは客で満杯だった。 先の貴族同士の決闘も注目度は高かったが、此度は此度で公で男が魔術を使うということにセンセーショナルを感じる観客たち。 いったいどれほどのモノか。 興味が尽きないことだろう。 もっとも今回については派手なマジックパフォーマンスを見せようと思うほどビテンのモチベーションは高くない。 今回については……と云うより不精のビテンにしてみれば毎度のことなのだが。 相手がカイトの母親であるからなるたけ穏便に決着をつけたいところだった。 一応戦略は練ってきた。 人死の出る類の魔術は禁止されているため逆説的に戦い様は幾らでもある。 少なくともビテンにとっては。 足枷はむしろ職業軍人であるカナキにこそあるだろう。 無論楽観論を基軸に行動するビテンでもないが。 決闘場で互いを認識するとカナキが言った。 「逃げなかったことは褒めてあげます」 「しまった。その手があったか……」 決闘と云う案件に義務感を感じて視野狭窄に陥っていることを自覚するビテンだった。 「思いついていたら逃げるつもりでしたの?」 「そっちの方が面倒ないしな。今更だが」 「あなたが娘の婿たり得るか見極めてあげますわ」 「だからただの友達だって。あまり過保護もすぎると子どもに嫌われるぞ?」 「男と交際させて余計な傷をつけられてはたまりませんからね」 「俺はマリンがいればそれでいいんだがなぁ……」 嫌になるほどの快晴の蒼穹を見上げながらビテンはすっ呆けた。 生憎空は応えなかったが。 「では双方準備はよろしいか?」 「何時でも」 「どうぞ」 ドォンと銅鑼が鳴る。 先に魔術を行使したのはビテンだ。 「我は希薄なれば」 対象の視覚情報を誤魔化すことで姿を消すマイナー魔術……インヴィジブルである。 「なんてマニアックな魔術を……!」 そんなカナキの言葉は認めざるを得ないだろう。 かといって後れを取るかは別問題だが。 「要するに透明になっても決闘場には居るのだから範囲殲滅すればいい」 などという至極合理的かつ物騒な考えでカナキは魔術を行使した。 「火よ連なりて飛び焼かせ」 フレアパールネックレスの呪文。 熱量および炸裂衝撃が控えめの体に優しい魔術だ。 火球の数は五十をくだらない。 これならば爆発の余波も含めてアリーナの決闘場全体に炎の雨を降らせることが出来るだろう。 しかしてビテンは次なる魔術を行使した。 「現れよ密林」 呪文通り密林を生み出すフォレストの魔術だ。 決闘場全体がジャングルになる。 当然ここで森にフレアパールネックレスを放てばどうなるかくらいの頭は働く。 結果フレアパールネックレスは断念せざるをえなかった。 ビテンの攻勢はまだ続く。 「霧よ満ちよ」 濃密な霧の空間を造るミストの魔術。 ただでさえフォレストの密林で視界も足場も悪くなったというのに追い打ちをかけるが如き所業である。 一メートル先も見えない結界だ。 ビテンはクレアボヤンスで状況を把握しているが、カナキは霧と森に阻まれて何をどうするべきかも定められない。 「我は幻影なれば」 今度のビテンの魔術はダブルと呼ばれるソレだ。 自身の幻影を生み出して操る幻の章の魔術。 あくまで幻覚の投射であるから物理的に意味を持たないが視界が悪い中で人影が彷徨うという点においては一定の効果が認められる。 ちなみにダブルと命名されているこの魔術ではあるが、あくまで慣例的にこう呼ばれるだけであって、術者のキャパ次第では幾らでも分身を造れる。 ビテンはビテンの分身を二十体以上造りだしてカナキを包囲するように動かした。 前後左右から霧に人影が写っては消え映っては消え。 物理的攻撃でこそ無いものの心理的圧迫はあまりに強い。 「我が声を聞け」 さらにボイスの魔術で四方八方からカナキに声を届け、複数人がカナキを取り囲んでいると錯覚させるのだった。 此処まで来ればただのイジメだ。 カナキは霧に映ったビテンの分身の影を捉えると魔術を行使する。 「彫像と成せ!」 対象を一瞬で凍らせるフリーズの魔術。 当然幻覚映像の分身には通用しない。 また霧に影が映る。 「我が眼前の敵を氷にて穿つ!」 アイスランチャー。 以下略。 カナキの精神を摩耗させて緊張の途切れたところでインヴィジブルを維持したままのビテンが背後を取り、手刀を首筋に打ち込んで気絶させる。 そして全ての魔術をキャンセルすると、残ったのは立っているビテンと気絶したカナキだけだった。 観客の意見を総合するなら、 「え? 終わったの?」 であろう。 霧と森とで視界が悪く、時折カナキの攻性魔術の衝撃音が響いてくるくらいにしか状況察せられなかったのだ。 仕方ないと言える。 パンピーの観客は魔術決闘に派手さと華やかさを求めて来た分だけ肩を落としたが、魔術に精通する魔女は戦慄するほかなかった。 ビテンが今回決闘で使ったのは悉くがマイナー魔術だ。 そしてゲリラ戦に持ち込んで……強力な魔術を行使して敵を圧倒するはずのカナキを封殺してのけたのだ。 その有益性は良薬の如く口に苦いが認めざるをえなかった。 結局魔術も使い方と云う事だ。 全員が納得したわけでもないのだが。 |