ダ・カーポ

お母様の憤激


「ビ〜テ〜ン〜?」
「むにゃ……」
 女子に名を呼ばれても特に意識すること無いビテンであった。
 時は朝。
 ビテンは豪奢な個室に割り振られ、天蓋付きダブルベッドを一人だけで占領して惰眠を貪る。
 例外を除いて睡眠の邪魔は親の敵と同質だ。
「ふふ……」
 女子はそんなビテンの寝顔を見て満足そうに微笑み、時に頬をツンツンとつついてまた笑う。
 可愛らしい反応だが女子は自覚しておらず他者は眠っているビテンしかいない。
 女子。
 青髪碧眼の中性的美少女。
 名をカイトと云う。
 ビテンの友人だ。
 着ている服は質素なドレス。
 動きやすさを求めて造られたのだろう。
 華やかさはあっても豪奢ではなく、どちらかといえば機能美によって纏っているカイトを飾っている印象のソレだ。
 そんなカイトは、
「ビテンの寝顔を見たい!」
 と習慣で早朝に起きたマリンに懇願した。
「はあ……」
 とポカンとするマリンだった。
「なにゆえ……?」
 と問うたのも無理はない。
「昨日は一緒にお風呂が出来なかったから今日の起床は友達の僕にやらせてもらえないだろうか?」
 答えはますます意味不明の螺旋に落ち込んでいく。
「いったいどこの……宇宙理論だろう……?」
 とマリンが訝しがるのも仕方ない。
「カイトは……ビテンが好きなの……?」
「好きだよ!」
 問答の終了はコンマだった。
「でも……友達って……」
「友達だものさ!」
「え?」
「え?」
「?」
「?」
 二人そろって首をクネリ。
 ツッコみ役ならびに調停者はその場に存在しえなかった。
「好きなのに……友達……?」
「好きじゃない人間を普通は友達とは呼ばないんじゃないかい?」
「一緒に……お風呂って……」
「友達同士で一緒にお風呂に入る体験をしたかったんだ。却下されたが」
「友達……だよね……?」
「友達だとも」
「…………」
 しばし黙考してから、
「友情と……愛情の……違いって何だろう……?」
 マリンはそんな哲学的命題に困惑した。
 カイトにおいては恋慕と友誼がとっちらかってるのは今更ではあるのだが。
 つまりそういうわけで、
「ビ〜テ〜ン〜?」
 ビテンのほっぺたをぷにぷにしてカイトは愉悦に浸っていた。
 それらの干渉行為にマリンの要素が抜けているためビテンのフィルターには引っかからなかったが。
「しょうがないね」
 と起きないビテンに嘆息するカイト。
 マリンから、
「ビテンを起こす……とっておき……」
 と教えられた知恵を披露する。
「マリン! 裸で添い寝は駄目だよ!」
「マジで!?」
 一瞬で起きるビテンであった。
 ガバリと起き上がり、キョロキョロと辺りを見回す。
 カイトと目が合って、
「…………」
「…………」
 沈思黙考。
 しばし沈黙が支配し、
「夢か……」
 と呟くとカイトを放っておいてまた寝ようと上半身を脱力させる。
「ビテン?」
「何だ?」
「起きてくれたまえ。マリンが待ってるよ? 一緒に朝食取りたいってさ」
「しょうがねえなぁ」
 こういうあたりはチョロいと言わざるをえなかった。
 カイトとしてもビテンと一緒に朝食を取りたかったが故なのだが。
 そして食堂で朝食をとり始める三人。
 貴族にしては質素なソレ。
 一人一人に対して暫定的専らの使用人が背後で控えている。
 ビテンはコーヒーを頼むため使い倒し、マリンは謙虚と云うより気後れによって使用人に一定の遠慮をし、カイトは二人の折衷的な利用をしていた。
「ていうか何でマリンじゃなくてカイトが起こしに来たんだ?」
「友達だからさ」
「マリン。翻訳よろしく」
「あう……」
 困ってしまうマリンだった。
 カイトは友情における心理と行為にズレが生じているため、それを理論的に説明するにはマリンは舌っ足らずだ。
 で、その反応を以てビテンは八割方了解する。
「そゆことね」
「うん……。そういう……こと……」
 阿吽の呼吸と云うか以心伝心というか。
 掴み所がない辺りがいかにもカイトらしい。
 その程度の把握はビテンとて出来るのだ。
 だからといって阿るほどの気遣いは持たないのだが。

    *

「今日は何して遊ぶんだい?」
 朝食が終わると食後の茶を飲みながら、さも当然とカイトは呈した。
「遊ぶの決定かよ」
 ビテンがツッコむ。
「だって僕が決闘に勝たない限りビテンは皇都魔術図書館に入れないでしょ?」
「そういえば」
 忘れていたらしい。
 ビテンにとってはその程度の些末事と云うわけだ。
「だね……」
 マリンも首肯した。
「じゃあ遊ぼうよ」
「俺はいいがマリンは?」
「あう……。大丈夫……」
 しぶしぶと云った様子で頷く。
 先述したように元よりマリンがいればビテンが無理に入館しなくとも結果は変わらないのだが、
「先んじるのは……抜け駆けみたいで……ちょっと……」
 というマリンの気遣いと気後れを十全に汲み取って皇都を楽しむことにした。
「ちなみにマリンの魔術造詣はビテンと等しい?」
「ニアリーイコールでな」
「ならますます勝たないとね」
 カイトがニッコリほほ笑むと、
「ふえ……?」
 マリンが首を傾げた。
「何故だ?」
 話を進めるビテン。
「飛天図書館には水や氷の章が少ないと思ってさ。僕の魔術特性はそっちよりだから飛天図書館の魔術は結構キャパ食うんだよね」
「水氷雪系は確かに少ないな」
「元々派手さの無い属性だから致し方ない側面もあるけどさ」
 肩をすくめるカイトだった。
「とりあえず今日は魔術のことを忘れて遊ぼう」
 というカイトの言葉は発せられず喉を通って胃に押し込められた。
「カイト!」
 という叫びが食堂に大音量で轟いたからだ。
 ビテンは特に声の主に興味が無いのか飄々とコーヒーを飲んでいる。
 マリンは小動物のようにビクッと震えて声の主に視線をやる
 カイトは声の主を視覚的に理解し、
「や、お母様」
 と声をかけた。
 カイトが、
「お母様」
 と云った通りカイトの母である。
 一子の母にしては若々しい印象だった。
 青髪碧眼はカイトと一緒で、ここ東の皇国では特に珍しい特徴ではない。
 カイトと云う美少女を生んだことが遺伝子的証拠だと言わんばかりに綺麗な女性であった。
 衣服は質素なカイトとは反対に絢爛豪華な悪趣味さ。
「日常で着てるのか?」
 とビテンは冒涜的に思ったが、特に声には変換しなかった。
 で、カイトのお母様は、
「何故あなたが魔術決闘をすることになっているのです!」
 愛娘の暴挙に異議を唱えた。
「何故それを?」
「既に私の娘が決闘をすることは皇都中の噂です! 城内でも盛んに囁かれてますよ! なんでも皇帝陛下の御前試合だとか!」
「あー……やっぱり相手方に予定を任せたのは失敗だったかな……」
 今更である。
「状況を説明なさい!」
 要するにビテンの魔術図書館入館権利をめぐっての決闘である。
 そのあたり包み隠さず話すとカイトへの噴意は憤激と変化し、対象がビテンに挿げ替えられた。
「貴様か! 諸悪の根源は!」
「ども。ビテンだ。こっちはマリン。二人そろって屋敷に邪魔してるぞ。よろしくな」
「あう……。お邪魔してます……」
「失礼。こちらはカナキと申しますわ。ともあれ……もしカイトが傷物になったらどうします? 責任をとってくれるんでしょうね?」
「無理」
 実にビテニズム。
「どっちかってーとこっちも巻き込まれた形だが」
 まったくもって責任感を覚えさせないビテンの言だった。
「娘とはどういう関係です? 場合によっては処断しますが」
「学友です」
「同じく……」
「……学友って」
「大陸魔術学院だよ。お母様」
 カイトが補足する。
「ということはあなたが深淵のビテン!」
「その二つ名は好きじゃない」
 西の帝国と南の王国で大暴れした魔術師……ビテンの威力は風に乗って尾ひれをつけて噂と広がった。
 いくつもの二つ名が付けられて囁かれ「深淵」はその内の一つだ。
 南の王国の山脈の一つをまるごと深淵の穴へと変えたが故の二つ名だ。
 他にも「炎の申し子」だの「天罰執行者」だの「一人殲滅機関」だの言いたい放題言われている。
「愛娘を慈愛するにはあなたを排除すればいいのですね?」
 そう言って左手をビテンに差し向けるカイトの母……カナキ。
 カイトが魔女である必然親であるカナキが魔女であるのが道理だ。
 貴族かつ皇城を出入りしている時点で、その能力も地位と不可分なのだろう。
 娘想いの母としての側面も手伝って攻撃的なカナキに対してビテンは敵心を持つのが難しかった。
「構えなさいビテン!」
 カナキが叱責する。
「めんどい」
 これを真顔で言うのである。
「だいたい客分に敵意向けてくるなよ。茶が不味くならぁ」
「むぅ……」
 カナキは呻いた後、一定の道理は弁えたのか敵意を萎ませる。
「ビテンは私の娘をどう定義しています?」
「学友」
「嘘をつきなさいな」
「何を以て?」
「娘は才女です。躾よく才色兼備。魔術においては知識と実践どちらともに優秀。我が家の誉れでもあります。これで惚れない男がいるはずないでしょう?」
「胸ないけどな」
「これからあなたが娘と交流を深めようというのならソレに相応しい能力を見せなさい!」
「どうやって?」
「私と決闘なさいな!」
「ええ……」
「娘と仲睦まじくしたいのならソレに足る実力を見せてもらいますわ!」
「どうするよ此奴……?」
 カナキを指差しながらビテンはカイトに問うた。
「お母様はちょっとヒステリックなところがあるから。これも渡世の義理と思って」
「めんどい」
「あう……。ビテンの……格好良い所……見たいな……」
「任せとけ」
 手の平の返し方には一家言あるビテンだった。

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