ダ・カーポ

暗雲垂れこめ


「終わりっ!」
 快活にビテンが叫んだ。
 飛天図書館でのこと。
 メギドフレイムの遡行翻訳が完了したのである。
 分厚い魔術書三冊分にも及ぶ量だ。
「しばらく魔術は見たくねぇ……」
 そう言ってビテンは机に突っ伏した。
「お疲れ様……。コーヒー……淹れようか……?」
 少しニュアンスは違うが阿る様にマリンが。
「紅茶にしてくれ」
「はいな……」
 そしてマリンが紅茶を淹れてくれる。
 それを飲みながらビテンが言う。
「後は好きにしてくれ」
 対象はシダラ。
「うっす」
 そう言ってビテンの作った魔術書の解読に精を出し始めるシダラであった。
「終わったら燃やせよ?」
「それは焚書では?」
「禁忌魔術だからなぁ。情報の拡散は防ぐ必要がある」
「了解っす」
 そして再度翻訳に戻るシダラ。
「あー……うー……」
 ビテンはダラダラしながらマリンの紅茶を飲む。
「あう……」
 とマリン。
「うーむっす」
 シダラは神語翻訳に夢中。
 一朝一夕で解けるものでもないのだから先は長いが。
「とりあえず」
 とビテンが口を開く。
「マリン」
「何かな……?」
「デートしようぜ」
「あう……」
 頬を赤らめるマリン。
 その瞳は明らかに拗ねたような色を湛えていた。
 気にするビテンでもないが。
「俺としては魔術の思考錯誤は当分遠慮したい。となれば若者がするべきなのは恋愛に他ならない!」
「そうなの……?」
 マリンはシダラに問う。
「まぁ青春っすね」
「あう……」
 ますます赤くなるマリンだった。
 萎縮しすぎて小っちゃく見える。
 元より発育の良い方でもないのだが。
「デート! デート!」
 ビテンはノリノリだ。
「あう……」
 と唸った後、
「条件付き……」
 と精一杯の抵抗。
「何だ?」
「シダラも……一緒に……」
「邪魔」
 端的だった。
「ちょ。それは酷くないっすか?」
 シダラの言葉もわからないではない。
 が、
「俺はマリンとデートしたい」
 平常運転なビテン。
「シダラを……蔑にするなら……この話は終わり……」
 頬を赤らめたままプイッとそっぽを向くマリンだった。
 こういう駆け引きにおいてビテンは常に優位に立つ自負があるが、ことマリンが相手であれば途端に事情は逆になる。
「わかったわかった」
「仕方ない」
 と顔に書いてある。
「三人で遊ぶか」
 妥協。
「いいんすか?」
「マリンが望むなら俺が言うことは無いな」
 ここまでくると清々しい。
「とりあえずアナザーワールドを解くか」
 パチンと指を鳴らすビテン。
 そして南の王国……その王都魔術図書館に座標を等しくするビテンたちであった。
 唐突に現れたビテンたちにザワリとどよめく図書館の利用者たち。
 純度百パーセントで全員女性だ。
 アナザーワールドから回帰してきたのだから当然手品の類に思えるのだろう。
 特にビテンは男であるため悪目立ちしていた。
 魔術図書館は魔女のためのもの……転じて女性の聖域。
 元よりビテンが歓迎される謂れはない。
 が、
「ビテン様ですね?」
 そんな声がかけられた。
 騎士だ。
「そうだが?」
 何故魔術図書館に騎士がいるのか……そしてビテンに話しかけてきたのか……それはわからないが、
「面倒事だ」
 という感想はあった。
「失礼。帝王陛下の命にて参上しました。ビテン様。唯一、男でありながら魔術を使う者。違いはありませんか?」
「おおむね間違っちゃいないな」
 段々テンションを下げていくビテン。
 マリンとのデートがご破算になりかけているのだから仕方ない。
「で? 何の用だ?」
「帝王陛下に謁見してください」
「断ると言ったら?」
「恐縮ですが命じられたこちらの立場を慮っていただければと」
「へぇへ」
 結局マリンとのデートはご破算だった。

    *

 南の王国。
 その王都。
 その王城。
 その王様。
「やぁや。よくいらしてくれたビテン」
 王都魔術図書館から騎士についていって招かれたのが、王様が上座に落ち着いた謁見の間であった。
 マリンとシダラはお呼びではなかったので教会へと引き返していた。
「やれやれ」
 ビテンは事情を五割程度は把握していた。
 そもビテンをストライクで指名した辺りにチリチリとした嫌な熱気を感じるのも致し方なしと言える。
「で?」
 ビテンは不遜に言った。
「何の用だ?」
「……っ!」
 一瞬にして謁見の間に殺気が満ちる。
「よい」
 と帝王が場を治める。
「願ったのはこっちだ。合理性はビテンにこそある」
 まっこと道理で。
「……っ」
 場を支配していた殺気が萎んでいった。
 無くなったわけでもないが。
「しかしビテン。お主も怖いもの知らずだな」
「とくに引け目を感じる状況でもないしな」
 本音だ。
 たとえここ……つまり謁見の間において騎士と魔女とを相手取って殲滅かつ生還できるだけの能力をビテンは持っている。
 故に、
「臆するものなぞ何もない」
 という態度が取れるのだが。
「で? 何の用だ?」
 そして話が戻る。
「聞けばそなたはギロチンが使えるとか……」
「否定はしない」
「である以上、一対多を実現できる逸材であろう?」
「魔女なら誰だってそうだろ」
「しかして天意がある」
「天意……ね」
 その一言で片づけられるのならば苦労は無いのだが。
「そこで提案だ」
「断る」
 けんもほろろ。
 いっそ簡潔にビテンは断じた。
 憂慮の欠片も無い。
「まだ何も言っていないが?」
「言わんでもわかる」
「ほう?」
 興味深げに目を細める帝王だったがビテンには自明の理だ。
「戦力になれってことだろ」
 他に魔術師の運用方法なぞ無いのだ。
 無論、高等な魔術書の解読などで魔女が王命に従事することもあるにはあるが、そんなことでいちいち余所者のビテンに当たりをつけるはずもない。
 西の帝国と南の王国は隣国だ。
 西の帝国で滅茶苦茶やったことは王国に轟いていても不思議ではない。
 かといって利用されるほどビテンのアイデンティティは簡潔ではないが。
「義理が無いのはわかっている」
「わかってるなら結論は出てるだろ」
 いちいちビテンに容赦は無い。
 が、
「それでもビテンの力が必要なのだ」
 頭を下げる帝王ではあったが、
「上座から頭を下げられても俺はそれより低い位置にいるんだがな?」
 ビテンの不遜さを増長させる以上の意味を持たなかった。
「うむ。悪い」
 そう言ってビテンと同じ高さまで下りてくる帝王。
「陛下! それはいけません!」
 臣下たちが止めに入るが、
「余の頭一つで事態が解決するのなら是非もない」
 帝王の意思は揺らがなかった。
「別に頭下げたからって引き受けるとは言わんがな」
「貴様ぁ!」
 帝王の臣下たちがビテンに殺気を向ける。
 ビテンはこれだけのプレッシャーに晒されていながらいとも平然としていた。
「で? 俺にどうしろっての?」
 今まさに土下座しようとしていた帝王にビテンが尋ねる。
「西の帝国との国境沿いの砦が陥落したらしい」
「へぇ」
 北の神国の出身であるビテンの興味は引けない。
「明らかに国境侵略だ。ビテンにはこれを退けてもらいたい」
「そんな義理が何処にある?」
「無論十分な見返りは用意する」
「その言葉に二言は無いか?」
「如何様な願いも叶えてみせよう」
 帝王はきっぱりと断じた。
「それは悪くないな」
「では……」
「ああ。引き受けた」
 二つ返事。
 特に国境の定義に興味を持たないビテンではあったが、南の王国に借りを作るのは有益と言える。
「要するに国境を再定義すればいいんだろ?」
「そういうことだな」
「了解」
 至極あっさりとビテンは頷いた。

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