ダ・カーポ

思春期の業


「マリン〜。コ〜ヒ〜」
「はいな……」
 もはや鉄板ともなっているやりとりだ。
 だらけるビテン。
 嬉々として尽くすマリン。
「ついでに当方のもお願いするっす」
「はい……」
 魔術書の複写を止めて原始的なコーヒーマシンで三人分のコーヒーを淹れるマリンであった。
 場所は南の王国の王都魔術図書館。
 時間はシェスタ。
 ビテンはカフェインでヒュプノスの誘いに抗じようと云う腹だ。
 眠たげな瞼は黒い瞳を狭めていた。
 が、当人の意識とは別に、まるで独立しているかのようにペンを持つ手だけがサラサラカリカリと動いている。
 一種異様な光景だが場所が場所だけに不審に思う者はいない。
「はい……ビテン……」
 コーヒーを差し出すマリン。
「あんがと。好きよ?」
「あう……。ふえ……」
 茹って真っ赤になるマリンだった。
 そんな辺りがビテンの思春心を刺激する。
「シダラも……どうぞ……」
「っす。あんがとっす」
 シダラも朗らかに感謝を伝えて受け取る。
 ビテンがコーヒーを飲んで一言。
「甘いなぁ」
「ブラック……だよ……?」
「恋の甘さだ」
「あう……」
 シダラが辟易せずに苦笑に留めたのは偏に為人によるものだ。
「うし!」
 そしてまたコーヒーを眠気覚ましに気合を入れるビテン。
 サラサラ。
 カリカリ。
 シダラに伝授するための魔術書の作成だ。
 火の章。
 メギドフレイム。
 その遡行翻訳。
 最近はそればっかりをやっている。
 南の王国の魔術書も読んではいるが目新しいモノはさほどない。
 全く無いわけではないが概ねにおいて学院と共有している魔術がほとんど。
 それは西の帝国でも同じであったし東の皇国でも同じではあろうが。
 基本的かつ普遍的な魔術は学院をパイプに大陸に広く共有されているのが常だ。
 そういう意味ではレーテの魔術は掘り出し物と言えただろう。
 魔術の分類の一つに対象魔術と範囲魔術とに二分する理解がある。
 対象魔術は目標を定めてそに干渉する魔術。
 範囲魔術は範囲空間を定めて、その範囲全てに効果を適応させる魔術。
 問題は……レーテが対象魔術ではなく範囲魔術だということだろう。
 一般的な魔女なら問題視されないが扱うのがビテンともなればそれはあまりに鋭利的な意味を持つ。
 場合によっては公開殺人を起こした後にレーテで多数の目撃者からまとめて事件を忘却させることも可能な魔術だ。
 ビテン自身はそんなことをする気はさらさらないが、
「やろうと思えば出来る」
 は一種のアドバンテージ……一種の手段だ。
 まして維持定着時間が単位時間ともなればどんなアンチマジックも意味をなさない。
 魔術が現象にとってかわるのが単位時間と云うのはそれほどに恐ろしいことなのだ。
「まぁマリン以外の女子の恋心を消し去るくらいの役には立つか」
 マリンを除く乙女心の雅に対してあまりに横暴な手段と言えた。
 今のところ特に問題は起きていないため行使の必要も認めてはいないのだが。
「炎より出でして膨れ上がれ……でいいのか?」
 サラサラ。
 カリカリ。
 ビテンが遡行翻訳をしている横でマリンとシダラもまた魔術に没頭していた。
 マリンは南の王国で記録した物珍しい魔術の複写と翻訳。
 シダラも王都魔術図書館の魔術書の解読を。
 それぞれにコーヒーを飲みながら。
 ちなみに王都魔術図書館(だけではなく概ねの図書館)は飲食禁止だ。
 が、三次元座標では間違いなく王都魔術図書館にいるビテンたちではあったが、もう一つ次元の位を上げると話は全く別になる。
 飛天図書館。
 ビテンの構築する異世界。
 上級魔術たるアナザーワールドによる自己世界の構築。
 その中でビテンたちは魔術に励んでいるのだった。
 サラサラ。
 カリカリ。
「ビテン」
「ん〜?」
「好きっすよ」
「ふ〜ん」
 どんぶらこっこ。
 シダラの一世一代の告白という名の巨大な桃は、
「で?」
 川で洗濯していた媼あらためビテンの無関心によって下流へと流されるのだった。
 めでたしめでたし。
「あう……」
 微妙な空気に気圧されるマリン。
「こら」
 ビテンが軽く憤慨する。
「マリンを追い詰めるな」
「側室で良いっす」
「デミィみたいな事まで言う……」
「いやぁ。だってマリンは正室の貫録持ってるっす」
「あう……」
 萎縮。
 これもまたいつものこと。
「俺の主義を教えてやろうか?」
「マリニズムっしょ?」
「うむ」
 貫録ある頷き。
 そこには誇らしげさえある。
「あう……」
 マリンの萎縮。
「あのぅ……」
 そして抵抗。
「何だ?」
「私以外にも……意識を割いて……」
「無理」
 あっけらかん。
 にっちもさっちも行かなかった。
「あう……」
 と心を痛めるマリン。
「ほら、いい子いい子」
 ビテンはマリンの頭を優しく撫ぜた。
「それで誤魔化されたり……しないもん……」
 と言いつつ赤面はしっかりしている。
「じゃあ頭撫でるの止めた方が良いかね?」
「あう……。もうちょっと……」
「よしよし」
 結局そこに終始するのだから業が深い。
「ビテン?」
 これはシダラ。
「何だ?」
 これはビテン。
「あうあうあう……」
 これはビテンに頭を撫でられているマリン。
「少しは他の女の子にも」
「断る」
 さわやかな拒絶だった。
 一点の曇りもない。
 一瞬たじろいだシダラではあったが何とか精神を構築し直す。
「でも当方もクズノもカイトもユリスもビテンのことが好きっすよ?」
「知ってる」
 アクションの重みによってリアクションの軽さが浮き彫りにされた。
 全てを承知で、
「知ってる」
 と言ったのだから、
「いったいどれほどだ」
 とシダラが思ったのも無理はない。
 当然ビテンの面の皮の厚さについてだ。
「当方の故郷にはビテンの力が必要っす」
「知ったこっちゃござんせん」
「代わりに身を差し上げますっす」
「力が無いなら滅んでしまえ」
 これを気後れなく言うのである。
 精神に縄文杉でも根を張っているのかと疑わしく思えた。
 シダラ。
 それからマリンにも。
 当の本人は飄々としていたが。
「基本的にマリンが忌避さえしなければ殺人だって手段の内だ」
 屈託と云うものを全く知らない口ぶり。
「あのぅ……」
 ジト目のシダラ。
「もうちょっと融通ききません?」
「きくなら俺とて苦労しない」
 嘆息。
「何か問題が?」
 問題だらけだがそれは置いておくとして、
「マリンが変に遠慮するからなぁ」
 値千金に至るビテンの悩みだった。
「マリンは処女っすか?」
「あう……」
 照れ照れ。
「一応……」
 つまりあれほど一緒に居ながらビテンに抱かれていないということだ。
「なして?」
 シダラの疑問も当然だろう。
 それは等しくビテンにも共有される。
「ビテンには……懐の深さを……持ってほしい……」
「ハーレムでも作れってことっすか?」
「あう……」
 萎縮。
 後の肯定。
「そうかも……」
 小さくマリンは頷いた。
「ですってビテン」
「マリンクエストを制覇した後なら考えてやる」
「じゃあマリン」
「なに……かな……?」
 エロ方面に弱いマリンはこの手の話題では可愛らしく赤面してオロオロするだけだ。
「とっととビテンに抱かれちゃってくださいっす」
「あう……無理……」
「なしてっすか?」
「婚前交渉……禁止……」
「枢機卿の出だからっすか?」
「それもあるけど……」
「あるのか」
 これはビテン。
「ビテンに抱かれたら……決定的に何かが……変わる気がして……」
「ますます俺のことが好きになるだけだぞ?」
 自信満々。
 元よりビテンにしろマリンにしろ相思相愛であることを承知してはいるのだ。
 その上でマリンが一定の拒絶をしているのである。
「シダラも……可愛いよ……?」
 褒めるマリンに、
「いやぁ」
 照れるシダラ。
「しかして振れば玉散るマリンには遠く及ばず」
「あう……」
「むぅ」
 三者三様に業の深いことだった。

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