ダ・カーポ

シダラの御家


 学院に認可を取ってビテンとマリンとシダラは南の王国の王都へと転送魔術で移動した。
 シダラにしてみれば帰省ということになる。
「あんまり恵まれた環境では無いので過剰な期待はしないでほしいっす」
 それがシダラの言葉だった。
 枢機卿の家の人間を招くに恐縮してるのだろう。
 ビテンは、
「屋根さえあれば他は構わん」
 素でこれを言うのだからなんともはや。
「あう……」
 とマリンが狼狽えたのは当然ビテンの素っ気なさだ。
 聞く人が聞けば嫌味にもとれる。
 それがシダラを不快に……と思ったのだが、
「大丈夫っすよマリン。ビテンの性格はよく存じてるっすから」
 カラカラとシダラは笑った。
 赤い髪が喜色に揺れる。
「あう……」
 萎縮。
「マリンは平常運転だな」
「ビテンが……それを言うかな……」
「然りだな」
 苦笑。
 三人が足を運んだのは王都の端っこ。
 貧民街だった。
 その一角にある教会を指して、
「あそこが出身っす」
 シダラは言う。
「教会出身……」
 納得できることは多々ある。
 が、それを口にしてもしょうがない。
「にゃはは。特に信仰心の厚いわけでもないっすけどね」
 神話を解するというだけでも信仰心のある程度の持ち合わせはあるはずなのだが、ビテンのような例外もあるため謙遜とは言えない。
「ふぅん?」
 とだけビテンは返した。
 そして教会の扉をノックして中に入る。
「マリア。今帰ったっす」
 そう言ってギィと扉を開く。
 中にはカソックを着た女性が天に祈りを捧げていた。
 どうもこちらに気づいた様子は無い。
 精神がこちらに無いのだろう。
 その程度はビテンにもわかった。
 五分後。
 礼拝を終えたシスターが顔を上げる。
「マリア?」
 とシダラが声をかける。
「ひゃうっ!」
 とシスターが驚き振り返る。
「ただいまっす」
 ヒョコリと手を上げるシダラに、
「シダラ……帰ってきたのですね……」
「学院は夏季休暇に入りましたっす」
「そちらのお二方は?」
「ああ、紹介するっすね。こっちは……」
 と平手を上向きにしてビテンとマリンをシスターに示す。
「ビテンとマリン。当方の学友っす」
「ビテンさんとマリンさんですか」
「呼び捨てで構わんぞ?」
「ではビテン……と。マリンもそれでいいですか?」
「はい……」
 コクリ。
「で、こちらが……」
 と今度はシスターを示すシダラ。
「マリア。この教会のシスターっすね。ついでに当方の親代わりっす」
「どうも。シスターマリアです。マリアと呼んでくださいな」
「ども」
「あう……。よろしく……お願いします……」
 ペコリ。
「ビテンにしろマリアにしろ好意的な人物ですね」
 ころころとマリアは笑った。
 齢五十から六十と云ったところだろう。
 マリアの顔には年齢相応のしわが刻まれていたが、それでも老衰というより貫録と呼んでいい雰囲気を持っていた。
 背筋もしっかりしているし愛嬌もあって、とても老齢のシスターとは呼びにくい何かがある。
「ところでマリア」
 とこれはシダラ。
「何でしょう?」
「ビテンとマリンの寝床って用意出来るっすか?」
「構いませんよ」
 特に抵抗なく頷く。
「ビテン。マリン」
「何だ?」
「何でしょう……?」
「ここを寝床にしてもらっていいっすか? ちょいとオンボロっすけど一応歓迎しますんで……」
 照れ笑いでそう云うシダラに、
「別に無理する必用はないぞ?」
「あう……」
 そんな二人。
「別にホテルに泊まる金も有るし、なんならアナザーワールドで過ごしても良いしな」
「マリンも?」
「あう……。本当に……無理する必要は……ないよ……?」
「いや、泊まりたくないならそれでもいいんすよ。ただ聞いてみただけで」
「邪魔じゃないか?」
「歓迎しますよ」
 これはマリア。
「じゃ、マリンと一緒にお邪魔させてもらおう。ただし」
「ただし?」
「マリンと同室にしてもらおう」
「あう……」
 マリンは赤面した。

    *

 ビテンとマリンは教会の礼拝堂で食事をとっていた。
 シチューだ。
 夕餉の時間。
 教会には多くの人間が集まっていた。
 全員が貧民街の住人だ。
 教会が飢えた人に施しを与えるのは当然……とまで皆が皆割り切れるかどうかはともかくマリアの場合は割り切っていた。
 シダラも手伝っている。
 マリアの作ったシチューを皿に小分けして食事もロクにとれない貧民街の住人に配っている。
「あう……」
 と呻いたのがマリン。
 ビテンは気にしていないがマリンの気持ちはよくわかる。
 つまり、
「特に貧しい身でもない自分らが食事をとってもいいのだろうか」
 と。
 誰かが物を食べればその分誰かの腹がすく。
 これは絶対原則だ。
 が、やはりビテンにしてみれば杞憂としか言いようがない。
「美味い飯をかっくろうて遠慮する理由がどこにある?」
「あう……」
 そんな二人だった。
 ゆったりとシチューを食べながら二人は教会の施しを脇目に見て、
「立派だね……」
「偽善だな……」
 まったく正反対の答えを返した。
「むぅ……」
 とマリンの非難の眼差し。
 ビテンは飄々としていたが。
「良い事じゃ……ないの……?」
「だから善だと言ったろう」
「でも偽善って……」
「その場しのぎだからな」
 平然と。
 あるいは淡々と。
 ビテンはシチューを掬いながらあっさりと言った。
「社会構造そのものが間違ってるんだ。弱者が虐げられる環境と云うのは」
「あう……。それは……そうかもだけど……」
「まぁ社会には弱者が必要だからしょうがないっちゃないんだが」
 特に嫌味もなく言ってのける。
「弱者」
 と断じられた貧民街の住人の一部が厳しい目をやったが、それでビテンの意見が変わるわけでもない。
「貴族様を処刑台に送り込んで余った財産を平等に分配すればそれ以上は無いだろう?」
「あう……」
 マリンにも言いたいことはよくわかる。
 弱者には対抗手段がなく、それ故に弱者なのだと。
 そして飢えて死ぬ子猫に手持ちの餌をやって去るのは優しさではないと。
「厳しい意見っすね」
 いつのまにやら一仕事終えたシダラが苦笑しながらそう言ってきた。
 手には平皿のシチュー。
 そしてビテンとマリンの傍に席を取って夕餉を始める。
「ビテンは博愛主義者っすか?」
「断じて違う」
 そればっかりは否定せざるを得ない。
「でも一人一人に平等の財産をって……」
「単なる理想論だ」
「でも理想を基軸にしなければ何も起こせないっすよ?」
「別に十把一絡げに憂うほど俺の精神は寛容じゃないしな」
 ビテンはシチューを掬う。
「だいたいマリンの家系は枢機卿だぞ? 貧民街最大の敵だろ?」
「やはり大量の御布施が?」
「あう……」
 マリンが相変わらず萎縮する。
「勝ち組だ」
 ビテンは平常運転。
「ところで」
 とこれはビテン。
「三食提供してるのか?」
「まさか。夕餉だけっす」
「それでも五十人分くらいはあったよな。どっから収入が?」
「帝王陛下と教会のお偉いさんの支援っす」
「ほら、矛盾だ」
「というと?」
「本当にお偉いさんが貧民街を憂いているなら、全財産擲ってでも貧民を救おうとするだろう?」
「それは……そうっすけど……」
「貧民の夕餉に間に合わせる程度の支援しかしてないってだけで気づけ」
 ビテンの言葉には容赦がなかったが事実でもあった。
「まぁそれが悪いわけでもないんだがな」
「ここにきて手の平返しっすか?」
「結局さ。人間は自分が一番なんだ。その上で余剰の余裕があってこそ他者を助けられる。仮に国全体が貧困に陥れられたら真っ先に切り捨てられるのはお前らだぞ」
「それは……」
「であるから力の分配が必要なんだよ。できれば一極集中だな。これが一番社会を安定させられる」
「弱者は?」
「死ね」
 特に気負いもなくビテンは言う。
 一種の事実ではあるがパラドックスでもある。
 失わぬために奪う。
 生きるために殺す。
 その真理をビテンは誰よりよく知っていた。
「あう……」
 マリンも反論は無いようだった。
「厳しいっすね。ビテンは」
 シダラはそう言うとマリアのシチューを掬って口に含んだ。

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