ダ・カーポ

マリンのコーヒー


「マリン〜。コ〜ヒ〜」
「はいな……」
 魔術書の複写をしていたマリンがペンを止めてコーヒーを淹れるために席を立った。
「ついでにわたくしの分もお願いしますわ」
「不躾ながら当方も」
「僕も手伝おうか?」
「よろしければ私のものも用意していただければ、と」
 クズノとシダラとカイトとユリスの望みに、
「はいな……」
 と応えるマリン。
 そしてマリンとカイトは仲良くコーヒーを淹れて皆にふるまった。
 一口飲んで、
「うむ。美味い」
 とビテンが賞賛した。
「恐縮……だよ……」
 マリンは照れ照れ。
「やっぱりマリンの愛情こもったコーヒーが一番甘いな」
 ちなみにマリンの淹れたコーヒーはブラックである。
「僕の友情パワーも入れておいたよ?」
 そんなカイトの自己主張。
「ふむ」
 とコーヒーを飲んで、
「友達って良いな」
 戯れ事。
 が、友情主義者のカイトはパァッと表情を華やかせた。
 赤面して、
「えへへ」
 とはにかむ。
 碧眼に潜む感情は明らかに友情を踏み越えていたが、当の本人に自覚は無い。
 特に指摘することもないので、
「まぁいいか」
 程度にビテンは思っていたりして。
「むぅ」
 と唸ったのはクズノとシダラ。
 恋慕の念を持っている二人にしてみればカイトの歩み寄りは(それが天然の結果だとしても)看過できないのだろう。
 ビテンの知ったことでもないのだが。
「美味しいですね。マリン。カイト」
 ユリスは一人冷静にコーヒーを評した。
 爽やかに笑う。
 まったく他意や嫌味を含まない無色透明の笑顔だ。
 こればっかりは誰にも真似できないユリスの技術。
 だてに学院で、
「お姉様」
 と慕われているわけではないという証明のようなモノだ。
 それから六人は作業に戻った。
 場所は図書館。
 作業は部活動。
 ただし西の帝国の帝都魔術図書館ではない。
 ごたごたに巻き込まれたり名が広まったりして逃げ帰る様に学院に戻ったビテンであった。
 当然マリンとクズノもくっついて。
 西の帝国の皇帝が、
「信賞必罰に則って褒美を賜わそう」
 と言ってきたので、
「では西の帝国の禁忌魔術の閲覧許可を」
 とビテンは言った。
「認可にまで時間がかかる」
「今度で構わん」
 そんなやりとりの後に学院に戻ったのだった。
 で毎度お馴染みエル研究会活動。
 場所は飛天図書館とあいなった。
 ビテンは不精癖があるものの、それはしがらみや責任感や義務感というものが嫌いなだけである。
 好きなモノ。
 得意なモノ。
 それらに対するなら幾らでも熱意が注げる。
 例えば魔術の研鑽など。
 羽ペンをカリカリ。
 西の帝国で記録した魔術の詩を複写する。
 その一点に熱意を込めてペンを握るのだった。
 もとより飛天図書館はビテンの知識の書庫。
 そして無数の魔術書が並んでいる辺りにビテンの魔術に対する造詣が見て取れる。
 その上で新たな魔術の章を複写するというのだから、その熱意はビテンらしからぬ……しかしてビテン特有の業だ。
 カリカリ。
 時折コーヒーを飲む。
 またカリカリ。
 六法全書なみに分厚い書類が出来上がりつつあるがビテンによるエンシェントレコードの複写が止まる気配はない。
「よくもまぁ」
 と呟いたのはクズノ。
 ビテンにしろマリンにしろ、
「記憶」
「把握」
「理解」
 の学識における三要素が飛び抜けているのだ。
 事実クズノの母親の持つ魔術の神語を平然と複写する辺りは背筋が凍ると言っても過言ではない。
 特に誇るビテンとマリンでもないが。
「マリン〜」
「コーヒーだね……?」
「うん」
「ちょっと待ってて……」
 阿吽の呼吸とはこういうことを指すのだろう。
 そんな二人のやりとりだった。
「正妻の貫録ですわねぇ」
 感慨深げにクズノ。
「ま、マリニズムだしな」
 ビテンは畏れ入ることなく嘯いた。

    *

「マ〜リ〜ン〜」
「お茶……? コーヒー……?」
「コーヒー」
「はいはい……」
 場所は学生寮。
 二人部屋の寮室。
 そこにビテンとマリンがいた。
 エル研究会の活動を終了したビテンたちは各々の寮室に戻ったのだった。
 ユリスは例外だ。
 当人が研究室を持っているためそちらで生活するのが基本となっている。
 生徒会長でもあり色付きでもあり研究室の主でもある。
 その底深い能力はビテンにしても未知数だ。
「だからどうだ」
 というわけでもないのだが。
「はい……コーヒー……」
 マリン手ずから淹れてくれたコーヒーをビテンは受け取る。
 カップを傾けて流飲。
「あう……。どう……かな……?」
「とても美味しい」
「本当に……?」
「まぁマリニストだし……その分の加点が無いとは言えないが」
「あう……」
「美味しいって」
「あう……」
 どちらにせよ恐縮するらしい。
 マリンらしい。
 ビテンはくっくと笑った。
「あう……。そんなに笑わなくても……」
 頬を膨らませるマリンだったが、
「マリンは可愛いな」
 そんなビテンの一言で、
「あうぇ……?」
 一頻り狼狽するマリン。
 そんな反応にまたビテンが苦笑。
 黒い髪。
 黒い瞳。
 白い肌に花弁のような唇。
 それが奇跡的配置をなして美少女を形作っている。
 マリンは紛れもなく美少女だ。
 可愛い。
 美しい。
 愛らしい。
 どれだけ言葉を重ねてもこればっかりは表現できない。
 目の見えない人間に空の青さを説明できない様に。
 だから間接的に言うしかない。
「マリンのコーヒーを美味しいぞ」
「マリンは可愛いぞ」
「マリンがいるから世界は回っているんだな」
 それがビテンに出来る精一杯だった。
 マリンはプシューと茹って、
「あう……」
 と萎縮するのだが。
「ビテンは……格好いいよ……?」
 コーヒーを飲みながらマリンが言う。
「恐縮だ」
 特に畏れ入ることもなくビテン。
 この辺は面の皮の厚いビテンらしい。
「なら格好いい俺に惚れてるか?」
 問い返すビテンに、
「あう……」
 とまたしても萎縮。
「ビテンには……他に素敵な……女の子がいるよ……?」
「いねぇよ」
「いるよ……?」
 珍しくマリンが食い下がった。
「何を根拠に?」
「クズノも……シダラも……カイトも……ユリスも……ビテンが好き……」
「ユリスもか?」
「乙女だから……わかる……」
「でも俺にはマリンがいるしなぁ」
「私に囚われちゃ……駄目……」
「ちなみにお前は俺のことをどう思ってるんだ?」
 そんなビテンの意地悪な質問に、
「あう……」
 言葉を失うマリン。
「なら問題ないじゃないか」
 それが、
「当然だ」
 とばかりに理論展開するビテンだったが、
「ビテンは……私に……囚われすぎている……」
 マリンはマリンでこの状況を憂いているらしかった。
「マリニストだしなぁ……」
 ぼんやりと。
 気負いもなく言ってみせる。
「クズノも……シダラも……カイトも……ユリスも……美少女だよ……?」
「マリンもな」
「あう……」
 堂々巡り。
「今度は……シダラの国に……行くよね……」
「行きたくないなら却下するが?」
「ううん……。これを機に……シダラに興味を……持ってくれればなぁって……」
「難しいことを言うね、お前は」
「難しい……かな……?」
「マリン至上主義者の業に真っ向から対峙してるぞ?」
「それは……ビテンの……都合でしょ……?」
「ああ。だから俺にとってはそれが全てだ」
「あう……」
 問答はビテンに優勢だった。

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