決闘にも色々と準備がいる。 その間は自由行動と相成っていた。 もともと喧嘩を売ったのがクズノの母親であるライトなのだからビテンにしてみればとばっちりだ。 男でありながら魔女(魔術師)でもある。 ビテンはそんな稀有な存在だ。 ライトとの決闘の件は瞬く間に帝都に広がり、ビテンは嘆息した。 皇帝の耳にも入り一大イベントとなった。 それがまた噂に尾ひれを付けて広まる側面。 皇帝の御前試合に決まったと報告を受けるとビテンは肩を落としてクズノの家の使用人を去らせたものだ。 「大変なことに……なっちゃったね……」 マリンは長い付き合いだ。 ビテンの心象を誰より観察できる。 まして相手は学友の親。 面倒事に相違ない。 場所はビテンとマリンが豪邸で割り当てられた部屋。 夕餉を終えて日も暮れた時間帯である。 帝都魔術図書館で覚えた魔術書の内容を神語のまま紙に記していく。 記録と記憶では意味が違うので初めの内は紙に出力する必要があった。 いまだエンシェントレコードの何の章なのかがわかっていないためこういう単純作業は必須だ。 カリカリと羽ペンを動かしながらマリンが問う。 「ビテンは……クズノのお母さんを……殺すの……?」 「殺さない」 平坦に言った。 「え……?」 とマリン。 「でも……」 マリンはあうあうと狼狽えた。 「殺してもいいのか……とか……言ってなかった……?」 「脅して企画がポシャったら幸いってだけだったんだがなぁ」 カリカリ。 「ビテンらしく……ないかも……」 そんなマリンの言。 面倒くさげ。 ものぐさ。 不精。 無遠慮。 それがビテンのアイデンティティだ。 自身とマリン以外の人間の命に頓着しないという点では大量虐殺者とてビテンの意識の高さには敵わないだろう。 そのビテンがクズノの母親の命に頓着している。 それがマリンには少し意外だった。 「何で……?」 「面倒だから」 ビテンの言葉は真摯だった。 ふざけているわけではないらしい。 ますますわからなくなる。 「俺は面倒事が嫌いだ」 「だね……」 「相手が真っ赤な他人なら幾らでも殺してやるよ」 「だね……」 「でも今回はなぁ」 ギィと木製の椅子の背もたれに体重を預けて背伸びする。 それからカリカリ。 「今回は……?」 「禍根を残すだろ?」 「……?」 首を傾げるマリン。 ビテンは嘆息して言葉を続けた。 「一応俺とクズノは友達だ」 「クズノは……ビテンに……惚れてると……思うな……」 「それについての議論は後として」 「大事なこと……だよ……?」 「マリンにとってはな」 ちゃっちゃと話を進める。 「その俺に惚れてるクズノが敬愛する自身の母親を殺したとするよ。クズノは俺にどんな感情を持つ?」 「憎悪と……困惑……?」 「正解」 カリカリ。 「いちいちそんな感情に構ってられん。だから俺はライトを殺さない」 「なるほど……」 カリカリ。 「じゃあ……どうするの……?」 「どうしようかね」 ビテンの嘆息。 「サボタージュとか……」 「個人的ならそれでもいいんだが皇帝の御前試合にまでなっちまってるからな」 「決闘開始直後に降参……」 「いいアイデアだが同じ理由で却下」 「むう……」 唸るマリンであった。 「もっと簡単な方法があるだろ」 「……?」 「真正面からボコる」 それだけで、 「…………」 言葉にせねどもビテンの思惑を察するマリンだった。 「まぁ……そうだよね……」 「ちょいとクズノの家の尊厳を貶めることになるが……まぁそれについては自業自得ということで」 これを本気で言うのである。 能力に裏打ちされた自信。 自己に対する決定的骨子。 マリンもそれは良く知っていた。 であるから、 「頑張ってね……。ビテン……」 と笑うことが出来るのだった。 * アイリツ大陸はほぼ全面的に温泉が湧く。 活火山もあり自然の恩恵が受けられる。 当然貴族ともなれば浴室くらい持っていて当然で、だからクズノの家に厄介になっているビテンは一人湯船に浸かっていた。 「はふ」 と吐息。 「極楽極楽」 頭にタオルを乗せて温泉を楽しんでいた。 当然一人。 聞けばクズノの父親は城で勤務しているとのこと。 この世界は女性優位社会である。 ライトが優秀な魔女であることは推測だが間違いないだろう。 であるから貴族街に屋敷を構えて踏ん反りかえっているのだから。 夫婦は結婚したと同時に女性が優遇される。 そして女性のために男性が働くのが一般的だ。 まして貴族の血筋であり優秀な魔女でもあるライトの代理人として、クズノの父親が城で働いている……とこういうわけだ。 ライトは屋敷で贅沢をし、夫が城で身を粉にして働いているのである。 別段珍しいことでもない。 他国も似たようなものである。 戦力としての女性。 労力としての男性。 この構図が引っくり返ることはまず無い。 例外は幾つか存在する。 というより男でありながら魔術を使うビテンが例外の一種なのだが。 「ふや」 とその例外が温泉に気を取られていると、カラカラと引き戸がスライドした。 浴室の、である。 そっちを見やるビテン。 「使用人か?」 とも思ったが不正解。 クズノだった。 衣服は脱いでおりバスタオルを体に巻いていた。 胸はマリンほどではないが残念であるため特に意識することもない。 「俺……入ってんだけど?」 ビテンは特に困惑することもなく言った。 これがマリンなら話は別だ。 狼狽え、驚愕し、オロオロすることだろう。 が、クズノは少し親しいだけの学友だ。 こんなシチュエーションであろうと悩むに値しない。 「うぅ」 とクズノは顔を真っ赤にしていた。 恥ずかしいのだろう。 それくらいは察しえるが、 「なら何しに来たんだ」 という野暮なツッコミはしない。 「何か用か?」 ビテンはケロリと言う。 一切遠慮を感じさせない声音だ。 無遠慮の化身であるためしょうがなくはある。 「えと……」 クズノは言葉を選んでいるようだった。 「目を閉じて」 意味不明な要求だったが、 「へぇへ」 ビテンは素直に目を閉じる。 パシャッと水が跳ねる音が聞こえた。 湯船に浸かるにあたって体を清めているのだろうことは明白だ。 「もういいですわよ?」 言われてビテンは目を開ける。 チャプン。 水面が跳ねた。 クズノが入浴してきたのだ。 タオルをほどき、生まれたままの姿で。 そして風呂の……ビテンの隣に浸かる。 が、特にビテンは反応しなかった。 「何の用だ?」 そんな戯言まで言う始末。 「ビテンは不能ですの?」 「マリン以外にはな」 ここまでくればいっそ清々しい。 「で? 何の用?」 繰り返し聞く。 「ビテン。お母様との決闘ですけど……」 「ああ」 「穏便に済ませては貰えませんか?」 「そのつもりだが?」 「…………」 「…………」 しばし沈黙。 どれだけの時間が経ったろう。 「え?」 とクズノが呆けた。 それはそうだろう。 遠慮と云う概念を知らず何事にも面倒くさげな態度を変えないビテンの気質をクズノも多少なりとは知っている。 ライトの命に頓着しないという推測は正しい。 ただ角が立つことを何よりビテンは嫌うのだ。 クズノの心情を慮るのは必然と言えた。 それは決して優しさではないが、ニアリーイコールではある。 「特にお前の母親をどうこうしようって気は無いな」 「そうなんですの?」 「そうなんですの」 「でもわたくしはビテンにも傷ついてほしくありませんわ」 「まぁリクエストには応えてやるよ」 ビテンはくつくつと笑う。 それはクズノを安心させるに足るモノだった。 |