ダ・カーポ

ビテンの朝帰り


 ビテンが目を覚ませば、そこは高級ホテルのベッドルームだった。
 ふかふかのベッド。
 そこに横たわる自身を知覚する。
 何か面白い夢を見た気がする。
 がビテンの記憶には、
「気がする」
 だけで夢の輪郭だけがおぼろげに残光となっていた。
「おはよ。ビテン」
 ルンとした声が聞こえてきた。
 眠気と覚醒の狭間でうろうろしながらも声の主くらいは把握する。
 デミウルゴス。
 通称デミィ。
「くあ……」
 と欠伸した後、正確に状況を把握して、
「そうだったな」
 と納得する。
「何が?」
 とデミィが問う。
「お前の部屋に泊まったんだった」
「正確にはホテルのね」
 重箱の隅をつつかれた。
「時間は?」
「九時」
「コーヒーを頼む」
「あいあーい」
 頷いてデミィはベッドルームから立ち去る。
 奔放な軽やかさの残滓。
 その空気に苦笑してビテンもベッドを降りる。
 それからダイニングに出向くとコーヒーが用意されていた。
 ホテルのスタッフによるものだ。
 同じくデミィもコーヒーを飲んでいる。
「朝食はどうするの? がっつり? あっさり?」
「あっさり」
 デミィが控えている御供に、ホテルスタッフへ朝食の用意をするよう伝えろと命じた。
「了解しました猊下」
 御供の一人が頷いて室内を出ていく。
「昨夜は……ポッ……」
「何もなかったろうが」
「実はビテンが寝た後に……」
「殺るぞ」
「ビテンになら良いよ?」
「そういう意味じゃない」
「心底疲れた」
 とビテンは嘆息した。
 コーヒーを飲む。
「だいたいビテンはヘタレだよ」
「そうだな」
「据え膳食わねばって言うじゃん?」
「据え膳のつもりだったのか」
 ビテンの返しは辛味が強すぎた。
「童貞」
「うるさい処女」
「処女は価値あるもん!」
「二十年後にもう一度言ってくれ」
「そんな頃にはさすがに……」
「おめでとう」
「ビテンと!」
「ええ〜……」
「何で嫌そうなの!?」
 言わずともわかっているが言わずにはいられない。
 そんなデミィの心情だった。
「マリニストだしなぁ」
 ほけっとビテンは言う。
「マリンは可愛いけど!」
「だろう?」
「私だって可愛いよ?」
「否定はせん」
 あっさり首肯するビテンに、
「うぅ……」
 と赤面するデミィ。
 ビテンの無遠慮もこういうところでは良きに転がる。
 そして朝食が運ばれてきた。
 トースト、目玉焼き、サラダ、コーンスープ。
 簡素な食事だ。
 ビテンが望んだのだから否やは出なかったが。
「いただきます」
 と一拍。
 シャクリとトーストを噛む。
「今日帰るんだろ?」
「そのつもりですが……」
 デミィの寂しそうな顔に、くっくとビテンが笑う。
「別に今生の別れじゃないんだから気にすんなよ」
「そ〜ですけど〜」
 それでも済むなら恋心なぞに意味は無いわけで。
 ビテンを想うからこそ別れは寂しい。
 そんなデミィの髪をビテンがクシャッと撫ぜる。
「縁は異なもの味なもの……なんて云うしな」
「今後のフラグによってはビテン攻略も有り得ると?」
「さてな」
 ビテンは平然とデミィの希望を切って捨ててシャクリとトーストを噛む。
「すぐ出るのか?」
「その前に学院に顔を出さねば」
「大変だな。お前も」
「当然一緒に行ってくれるよねビテン?」
「やだ」
 にべもなかった。
「ビ〜テ〜ン〜!」
「鬱陶しいなぁ……」
 本音全開で嫌そうに目を細めるビテンだった。

    *

 ざわめき。
 どよめき。
 衆人環視にソレらが一瞬にして広まった。
「猊下が……」
「……え?」
「魔術師と?」
「猊下まで?」
 何のことかと云えば教皇猊下……デミィの問題だ。
 デミィは学院を去るにあたって学院に顔を出さねばならない。
 その従者としてビテンを選んだのだった。
 ビテンは当然有名だ。
 漆黒の髪と瞳と学ラン。
 大陸魔術学院都市国家において知らぬ者の無い異端だ。
 男でありながら魔術を行使する奇跡の雫。
 対する、
「えへへぇ」
 ビテンの腕に抱き付いているデミィも有名人だ。
 北の神国の教皇。
 そんなビッグネームの二人が腕を組んでラブラブバカップル爆発しろ的な雰囲気でホテルから出てきたのだ。
 邪推しない方がどうかしている。
 ざわざわと。
 どよどよと。
「世界で唯一魔術が使える男と北の神国の教皇はどういった関係だ?」
 そんな疑問が衆人環視を支配し最終的に、
「?」
 大きなクエスチョンとなった。
 ビテンにしてみれば億劫この上ないが、今更でもあった。
 そんなわけで学院街を、デミィを引き連れて横断する。
 噂が噂を呼び尾ひれがついてビテンを貶めるが、
「ふーん」
 で済むビテンである。
 実際誤解でもないのだ。
 ビテンはマリンが好きだ。
 がデミィの慕情も十分に理解している。
 その上でけんもほろろにしているのだがデミィが懲りる様子は無い。
 そうである以上ある程度の妥協は致し方なく、
「えへへぇ」
 ビテンの腕に抱き付いて好き好きアピールするデミィに、
「やれやれ」
 嘆息するより他ないビテンだった。
 振り払わないのはしがらみによるものだ。
 一応デミィの立ち位置も配慮してのことである。
「学院の男がハーレムを作っているって本当だったのか……」
 とか、
「俺も魔術が使えれば……」
 などの抵抗感や憤激の言葉が聞こえてくる。
「いっそ殺すなぞどうだろう」
 そんな呪詛まで聞こえてくる始末。
 そんな後ろ指さされながらビテンとデミィは学院に向かった。
 ビテンの朝帰りに学院の生徒たちも動揺していたが今更だ。
 ビテンとデミィは理事長室に顔を出した。
 そこには、
「やぁビテン」
 学院の生徒会長ユリスもいた。
 理事長によって紅茶を振る舞われ、素直にそれを飲むビテンとデミィ。
「昨夜はよろしくやったのかな?」
 ユリスが挑発的に聞いてくる。
「やってねえよ」
「ビテンはヘタレですから」
 すでにデミィは猫被りモード。
「教皇猊下」
 理事長が口を開く。
「本当に護衛はいらないのですか?」
 北の神国に帰るにあたっての質疑だろう。
 杞憂だが。
「大丈夫です」
 理事長の不安を嘲弄するようにデミィは言った。
「私は一国と争って勝ちきれる存在です故」
 朗々と言葉を紡ぐ。
 決して強がりではない。
 それはビテンがよく知っている。
 世界を敵に回しても一人立っていられる存在だ。
 デミィと云う教皇猊下は。
 が、言葉ほど薄っぺらいモノもない。
 理事長は見当外れの不安を顔に張り付けていた。
「万が一があっても学院は政治的空白地帯です」
「そうですが……」
「ならば責任を感じる必要も無いでしょう?」
「そうはいきません。客分に何かあれば責任を追及されるのを防げませんから」
 ちなみにビテンは淡々と紅茶を飲んでいる。
 理事長の不安が杞憂であることは既に述べた。
 それほどの逸材なのだ。
 デミィは。
 とはいえ学院にも立場があることも理解はしている。
 で、あるため、
「デミィ」
 ビテンはデミィを呼ぶ。
「何ですの?」
「護衛を付けてくれるというのなら断る必要もないんじゃないか?」
「手間が増えるだけです」
「そらまぁそうだが……」
 デミィの無敵っぷりを知っているビテンにしてみれば納得するより他にない。
「こう考えてください。学院の体裁を守るための一時的な処置だと」
 柔軟かつ応変に言葉を紡ぐユリスに、
「まぁ面倒くさいですけど体面上は必要な処置でしょうか」
 デミィは一応のところ納得したようだった。
 ビテンと朝帰りをしたという、ビテンにとってあまりに不本意な爆弾を発破させて学院を去る。
 当然ビテンはヒロインたちに追及された。
 飄々とそれらの追及をものぐさ故に躱すビテンではあったが。

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