ダ・カーポ

教皇ワンコ


「ビテン……起きて……」
 軽やかな声。
 優しが滲んで呆れが含まれた声。
 それが誰の声なのかビテンは十全に知っていた。
 最愛の人。
 名をマリンと云う。
「ほら……起きる……」
 マリンは掛布団代わりのタオルケットをはがしてビテンを揺さぶる。
「あ〜……」
 呻き声。
 それから、
「おはようマリン」
「あう……。もう昼だけどね……」
「さいか」
 特に寝過ごしたことに悔みもせず。
 ビテンは意識を覚醒させて目を開いた。
 飛び込んできた視覚情報は桜色だった。
 桜色の髪。
 桜色の唇。
 そして閉じた瞼の奥に桜色の瞳があることをビテンは知っている。
 顔は良く言って人形的。
 反対に悪くは言い様が無い。
 美少女のソレではあるのだが、説明するには少し足りない。
 デミウルゴス教皇。
 ビテンとマリンは幼馴染の関係上美少女をデミィと呼んでいた。
 デミィがビテンのベッドに侵入して寝ていた。
「…………」
 沈黙。
 一秒。
 二秒。
 三秒。
「くぁwせdrftgyふじこlp!」
 意味がわからず意味不明な叫びをあげるビテン。
 その叫びに応じてデミィが重い瞼を開けた。
 桜色の瞳が開帳され、そこにビテンの姿が映る。
 黒いウニ頭に整った容姿の美少年。
「おはよ。ビテン」
 今は昼である。
「デミィも起きたね……。偉い……」
 マリンの方は特に驚いた様子もなかった。
 というのもここはビテンとマリンの学生寮。
 ビテンが寝ている以上マリンが対応するのは当然で、デミィとは知り合いであるから招き入れるのは必然だ。
 中略。
「で?」
 昼食に海藻おにぎりを食べながらビテンがジト目で問う。
「何で俺のベッドで一緒に寝てたんだ?」
「一緒に寝たかったからだよ」
 同じくマリンお手製のおにぎりを食べながらさも当然とデミィ。
「マリン?」
「ビテンを起こしてって……頼んだんだけど……一緒に寝始めちゃったから……まぁそれもいいかなって……」
「私もビテンの愛が欲しいよ」
 ビテンがマリニズムなのはデミィも良く知っている。
 であるが故に、
「ビテンの側室」
 を自称しているのだから。
「猊下?」
「ツーン……!」
「……デミィ」
「なぁにビテン?」
「そろそろ諦めろ」
「そっちこそね」
 視線でディスカッションするビテンとデミィに、
「あう……」
 とマリンはオロオロするばかりだ。
 ちまちまと木の実を齧るリスの様におにぎりを咀嚼しながら。
「だからビテンの正室はマリンで良いって言ってるじゃん。私は側室でいいの」
「俺はマリンが好きなんだよ」
「でもエル研究会でハーレム築いてるんでしょ?」
「しょうがないだろ。大陸魔術学院は女学院なんだからサークルを造るにしても入るにしても女生徒と交流する必要がある」
「……の割には美少女ばかりって聞いたけど?」
「否定はしない」
 特に後ろめたさを感じさせない面の皮の厚い返事だった。
「学年首席に色付きにプリンスにお姉様。より取り見取りだってお姉様に聞いたよ?」
「因果な渡世だな」
 どうあってもとり合う必要を感じさせないビテン。
 そもマリン以外の評価なぞ気にするだけ無駄。
 気にすれば疲弊するだけだと割り切っている節がある。
「私も入る!」
「帰って執務に従事してろ」
「もちろん仕事終わらせてから来たよ?」
「はいはい。偉い偉い」
「ハートがこもってないよぅ!」
 無論ビテンが込めるはずもない。
「学院街の高級ホテルに泊まってるんだろ? そっちに戻れよ」
「せっかく学院に来たんだからビテンの格好良い所が見たいな」
 まったく会話になっていなかった。
「マリン!」
 とこれはビテンではなくデミィ。
「今日は魔術の実践講義ある?」
「ちょうど……昼休みが終わった後に……予定されてるけど……」
「うげ」
 ビテンが鳴いた。
「じゃあそれに出よう? メギドフレイムとか使うといいよ」
「学院の講義に禁忌魔術使えってか……」
「そうすれば誰もがビテンの実力を認めて褒め称えるよ?」
「そういうのは欲しい奴らに任せとけ」
 他に言い様が無く言って海藻おにぎりをアグリとビテンは食べた。

    *

「やれやれ」
 結局ビテンはデミィに負けた。
 正確にはデミィに抱きこまれたマリンに……なのだが。
 デミィは想い人であるところのビテンにおいての他人の中で、マリニズムを最も理解している人物だ。
「マリンもビテンの格好良い所みたいよね?」
 とデミィに聞かれて、
「あう……うん……」
 とマリンが答え、
「でっか」
 とビテンが陥落したのだ。
 マリンがビテンの格好良い所を見たいというのなら、
「是非もない」
 のがビテンである。
 最近サボりっぱなしの講義に出てきたビテンに注目が集まる。
 ビテンの能力そのものにはケチのつけようがないが、それでも横柄な振る舞い(当人に自覚なし)を責める眼差しは消せるものではない。
 特にカイトをプリンスと慕う生徒。
 あるいはユリスをお姉様と慕う生徒。
 彼女らにとっては不倶戴天の敵であろう。
 ましてアナザーワールドを部室として美少女を囲う男でもあるのだから反感を買って当然だ。
「だからどうした」
 がビテンのスタンスだが。
 マリン以外の人間のご機嫌をうかがう必要をビテンは持ち合わせていなかった。
 それは、
「ビテーン! 頑張ってー!」
 魔術の実践講義にて使われるアリーナの客席から声援を送っているデミィにも言えることだ。
 北の神国のトップ。
 デミウルゴス教皇がビテンに声援を送っている時点でビテンは穴に入りたかったが、
「あう……。頑張ってね……ビテン……」
 というマリンの言葉で逃げ道が塞がれる。
 当然マリンの言は意図してのことだが、それを理解してなおマリンの言に縛られているビテンは業が深かった。
「生徒ビテン。講義に出るのは久しぶりですね」
 ビテンの番となると講師が皮肉を言ってきた。
「へぇへ」
 ビテンは耳を小指でほじりながら答える。
 既に暫定的色付きであることを誇る気もなかった。
 である以上、ビテンの行動は一種のサボタージュと捉えられても不思議ではない。
「では今まで溜まった分の単位を講義としましょう」
「好きにしてくれ」
「もういっそどうにでもなれ」
 とビテンは吐き捨てた。
「ではその通りに」
 コクリと頷くと講師は、
「金にて托卵せよ」
 と呪文を唱えた。
 メタルゴーレムの呪文だ。
 土の魔術であるゴーレムを金の魔術に変換して使い魔と成す魔術を指す。
 当然キャパによって結果は違ってくるが講師の具現化した此度のメタルゴーレムは全長三メートルにも達する巨大なソレだった。
「…………」
 ビテンに気負いは無い。
 眠たげな眼でメタルゴーレムを捉える。
 状況自体は把握していた。
「講義をサボって平然としている生徒」
「男のくせに女性にしか扱えない魔術を繰る者」
 そんなビテンに一泡吹かせようと。
 あるいは魔女である自分が男でありながら魔術を使う魔術師より優れていると。
 その証明のために強力な魔術を行使したのだ。
「やっちゃえビテン!」
 デミィは観客席から責任感の無い声援を送る。
「正直、気が削がれるな」
 苦笑してしまう。
 もろい土製ではなく固い金属製のゴーレム。
 熱量で溶かしても良いが、その熱量を引っ張り出すのは面倒だった。
 フレアパールネックレスは爆発による衝撃を多重に展開することで対象を散滅する魔術だ。
 土喰のゴーレムならともあれ金属のゴーレムには有用ではない。
 だからといって手の打ちようがないということはビテンにしてみれば有り得なかったが。
「生徒ビテン? 今回に限って言えば降参しても良いですよ?」
「冗談だろ」
 ビテンは、
「我が目は万里を睥睨す」
 と呪文を唱えて安全を確認すると、メタルゴーレムに向けて水平に左手および左腕を差し出した。
「風にて断罪せよ」
 それは呪文。
 ギロチンと呼ばれる上級魔術。
 細く長い面積に超常的な気圧を圧縮し放つことで風の斬撃を創りだす。
 似たような魔術にカマイタチがあるが、こちらは人に裂傷をつくる程度の斬撃に対し、ギロチンは全長三メートルの金属製ゴーレムを熱したナイフでバターを斬るかの如くあっさりと両断する威力を持つ上級魔術。
 風のギロチンは目標であったメタルゴーレムを両断したのみならずアリーナの一部を切り裂いて外までその斬撃を轟かせた。
 大地に地割れのような裂傷が刻まれる。
 あまりに圧倒的な魔術だった。
「さすがビテン! そこに痺れる憧れるぅ!」
 デミィは、
「結果がわかっていた」
 とばかりにはしゃいだ。
 アリーナでビテンと並行して実践魔術の講義に出ていた生徒や講師は開いた口が塞がらないと云った様子だ。
 それも当然。
 今回はギロチンを縦方向に展開したからメタルゴーレムを切り裂く程度で済んだのだ。
 仮にこれを水平方向に展開すれば纏まった一個大隊を根こそぎ上半身と下半身に分離させられるだろう。
 それほどの……即ち戦術級魔術なのである。
「ではこれで」
 メタルゴーレムを切り裂いたビテンは飄々と見学に回った。

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