ダ・カーポ

怠け者の肖像


「ビテン……起きて……」
 マリンがビテンを揺り起こす。
「うぅ……」
 唸るビテン。
「起きたらキスしてあげる……」
「マジで!?」
 さっきまでの怠惰はどこへやら。
 一瞬で覚醒するビテンだった。
「あう……手の甲に……」
 照れ照れ。
 羞恥ゆえにマリンは紅潮した。
「うーん」
 ビテンは考え込んだが、
「起きてくれないと……コーヒー淹れてあげないよ……?」
「じゃあ起きる」
 存外キャッシュだった。
 そして、
「ん」
 とマリンに手を差し伸べる。
「あう……」
 躊躇した後、
「おはようのチュー……」
 と呟きビテンの手の甲にキスするのだった。
「うむ」
 と仰々しく頷き、
「チュー」
 とマリンのキスした手の甲に重ねてキスするビテン。
「あう……間接キス……」
「これくらいの役得は無いとな」
 ニヤリと笑う。
「くあ」
 と欠伸して、
「マリン」
「あう……」
「コーヒー淹れて」
「うん……」
 そしてマリンはパタパタとビテンの寝室から出ていった。
「あーあ」
 コキコキと首の骨を鳴らし、
「起きるか」
 一応のところ眠気とも妥協が締結してビテンはダイニングに顔を出した。
 ダイニングの席に着いてテーブルに突っ伏していたところに、
「ビテン……コーヒー……」
 とマリンがコーヒーを差し出した。
「む〜」
 と唸りながらコーヒーを飲む。
 時間は朝。
 学院寮でのことである。
「今日の朝食は?」
「トーストとハムエッグとコンソメスープ」
「良かれ良かれ」
 頷くビテン。
 家事一切をマリンに任せて罪悪感を欠片も覚えない辺りヒモにも似ているが、マリンはマリンでビテンに奉仕することに喜びを覚える性質であるから、これはこれでウィンウィンの関係と言えないこともない。
 時折、
「友人だからな」
 と称してカイトが家事の手伝いに来るがマリンとは良い関係を築いている様子だった。
 ビテンにしてもカイトの手料理は美味しく感じられるため特に不平不満は無い。
 愛情ゲージが高まらないという以外には特に害たる要素もないのだ。
 当人が喜んでやっているのだからアレコレ口を挟みづらいという側面もある。
 カイトにしてみれば、
「自分をプリンスと崇めない平等の立場の友人」
 というビテンの立ち位置は奇跡に近かった。
 大陸魔術学院はビテンと云う例外を除いて女学院だ。
 何故女性にだけマジックキャパシティがあるのかはまだ解明されていないが、女性は男性より優れているという妄念を持つ女性も多い。
 であるため宝塚ボーイッシュなプリンス……カイトが学院で人気になるのは必然と云うか規定事項だろう。
 仲良くなった女生徒の全てがカイトに恋慕を抱く。
 であるためカイトの興味らしい興味を持たないビテンは貴重な存在だった。
 カイトにとっては。
 閑話休題。
 朝食が並べられる。
 トーストにジャムを塗ってシャクリ。
 ハムエッグをあぐり。
 そしてコンソメスープをスルスル。
「どう……かな……?」
「超美味い」
「本当……?」
「嘘なんか言うもんか」
「ならよかったよ……」
 ホッとするマリン。
「この際だから言っておくがマリン」
「なに……?」
「いちいち反応する必要は無いぞ? お前はお前らしく活動すればいい。俺の影に怯えて萎縮することに意味は無い」
「でも……ビテンの機嫌を損ねたら……」
「ありえない」
 一蹴する。
「本当に俺がマリンを嫌いになると思っているのか? それはそれで侮辱だぞ」
「あう……」
 困惑。
 後の羞恥。
「もっと伸び伸びとしてろ。別にとって食べたりはしないんだからな」
「あう……」
 そんなこんなで朝食が終わる。
 マリンが食器をカチャカチャと洗うのだった。
「さて、今日はどうしようかね」
 ビテンは暇潰しの方法を本気で悩んでいた。

    *

 ビテンは色付きだ。
 マリンも色付きだ。
 だが今はまだあくまで暫定。
 大陸魔術学院は前期と後期が存在する。
 その前期と後期の終業式で優秀な魔女に学院が色付きマントを贈呈するのだ。
 ので、終業式までビテンとマリンは色付きではない。
 が、それは常識論でありビテンが気にするモノではなかった。
 ぶっちゃけた話、
「どうせ結果として単位不問なるなら今からサボっても問題無し」
 とすら思っている。
 で、ビテンが何をしているかと云えば学院の図書館でダラダラとハーレクインロマンスを読んでいるのだった。
 所謂一つのラブストーリー。
 講義をサボって図書館に入り浸るのがビテンと……それからお供としてのマリンの最近の行動だった。
 ビテンは恋愛モノの本を読み、マリンは魔術書を読む。
 要するに怠け者だ。
 実戦タイプの魔女なら攻性魔術の習得を第一とするだろう。
 研究タイプの魔女ならエンシェントレコードの新たな章の発見に尽力することだろう。
 実際にマリンは後者だ。
 既存の章を読み解き、新たなエンシェントレコードの章を発見しようとする。
 そのために魔術書を解読していた。
 当人はビテンと同様にエンシェントレコードを北の神国に伝わる限りにおいては網羅している。
 が、それでも学院の図書館の魔術書は有用だった。
 何せ大陸中のエンシェントレコードの知識が集まるのだから。
 無論、例外もある。
 北の神国。
 南の王国。
 東の皇国。
 西の帝国。
 それぞれが「ジョーカー」と成している禁忌魔術は公開されていない。
 当然と云えば当然。
 魔術は場合によっては一個師団を殲滅できるほどの威力を持つ。
 一人が持つにはあまりに強大すぎる武力。
 故に魔女は優遇され、大陸は女性優位主義が蔓延しているのだから。
 無論、上級魔術や特級魔術が一般的な人間に覚えられるかと云えば否だ。
 原因そのものはわかっていないが特に効果の強い魔術ほど、覚えるべきエンシェントレコードの章は長くなる。
 上級魔術でさえ一つ覚えるのに六法全書を覚えるよりなお多大な記憶量を必要とする。
 特級魔術ともなれば一人で行使すること叶わず複数人のキャパの共有によってはじめて起こせる奇跡だ。
 ちょうどビテンがマリンとキャパを共有して魔術を執り行ったように。
 ともあれ。
「…………」
 黙ってハーレクインロマンスを読むビテンに、魔術書を読み解くマリン。
 しばしの沈黙。
 娯楽に浸るビテンと魔術の造詣を深めるマリンに、
「やぁ」
 と声がかかった。
 ビテンがチラリと声の主に視線をやる。
 そこには蒼穹の様に青い髪にサファイアの様に青い瞳を持つ美少女がいた。
 カイト。
 学院のプリンス。
 ボーイッシュな雰囲気を纏う美少女。
 手に持っているのはバスケット。
「何の用だ?」
 ハーレクインロマンスを途中で読み止めてビテンが問う。
「そろそろ昼だろう?」
 カイトが言うと同時にビッグベンの鐘の音が鳴った。
「もう昼か」
 特に意識せずに事実確認。
「で、そのバスケットが今日の昼食か?」
「ああ。ホットサンドに挑戦してみた」
 快活にカイト。
「本来ならば朝食に出したかったのだがマリンに却下されてね」
「いい子いい子」
 ビテンはマリンの頭を撫でる。
「あう……」
 と、いつも通り狼狽えるマリン。
「とりあえず三人分用意したんだがどうだろう?」
「俺は構わんぞ」
「あう……私も……」
「ならそうしよう」
 カイトはあっさりと言った。
 そんなわけでビテンとマリンとカイトで昼食をとる事になった。
 用意されたのはカイトのホットサンド。
 ちなみに図書館は飲食禁止である。
 そのため、
「我は神の一端に触れる者。世界を調律しここに示す」
 ビテンはアナザーワールドの魔術を行使した。
 ビテンライブラリ。
 飛天図書館。
 そこにいるのはビテンとマリンとカイトだけ。
 膨大なビテンの記憶を図書とする魔術図書館。
「マリン。コーヒー」
「あいあい……」
 マリンはビテンライブラリに設置されている器具を使ってコーヒーを淹れる。
 三人分のコーヒーを作って三人に振る舞う。
「ども」
 とカイト。
 そしてカイトはバスケットをテーブルにドサッと置く。
 中に入っているのはホットサンド。
 パクつくビテンであった。
 マリンもそれに倣う。
「美味しいかい?」
「まぁな」
 カイトの問いにぶっきら棒にビテンは言う。
 マリン至上主義者とはいえ愛情のこもった弁当を否定できるほど心無い人間でもなかったのだ。

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