「マリン〜」 机に突っ伏してビテンはマリンを呼んだ。 マリンはビテンの隣の席に座っている。 「なに……?」 「コーヒー」 「うん……」 そんなわけでビテンライブラリに備えられている器具を使ってコーヒーを淹れる。 「はい……。ビテン……」 「ありがと」 嬉しそうにはにかんでビテンはマリンからコーヒーカップを受け取った。 そしてマリンの過去を綴った本を読みなおし始める。 「あうぅ……そんなの読まないで……」 赤裸々のマリンの過去を懐かしむビテンに、 「あう……」 としきりに困惑するマリン。 「愛い奴愛い奴。褒めて遣わすぞ」 マリンの黒髪を撫ぜるビテンだった。 やはり、 「あう……」 というしかないマリンだったが。 「というかですね」 口を挟んできたのは金髪金眼のきょぬ〜美少女にして学院の生徒会長ユリス。 「あなたの頭の中はどうなっています?」 驚愕より呆れ。 賞賛ではなく開いた口が塞がらない。 そう態度で示すユリスだった。 何のことかと云えば新規発足したエル研究会のサークル活動についてだ。 エルはエンシェントレコードの略。 正式名称をエンシェントレコード研究会と云う。 名が体を現す通りエンシェントレコードを研究するためのサークルだ。 メンバーはビテンとマリンとクズノとシダラとカイトとユリスの六人。 ビテン以外の全員は不世出と言っていい美少女たち。 特にカイトとユリスはぴか一だ。 カイトは大陸魔術学院の「プリンス」と呼ばれ、ユリスは同学院で「お姉様」と女生徒に慕われている。 だが美貌と言う点においてはビテンも負けてはいない。 ものぐさでやる気のない覇気薄い瞳ではあるが顔の造りは丁寧で整っている。 ボサボサのウニ頭はこの際トレードマーク。 何より世界でただ一人……女性でもないのに魔術を使える男である。 であるためエンシェントレコードに造詣が深いのも当然と云えば当然だが、その造詣の深度がこの際は問題だ。 エル研究会は部室を持たない。 正確には学院に依存しない。 無数にして膨大な蔵書量を誇る図書館が丸々エル研究会の部室だが多少の説明がいる。 アナザーワールドという魔術がある。 元ある世界とは別個に新たな世界を構築する魔術だ。 元の世界を基準世界と……アナザーワールドの魔術で構築された世界を準拠世界とも呼ぶことも。 その形を決めるのは術者の意思に任される。 そしてそのアナザーワールドをビテンは扱え、準拠世界を部室としているのであった。 世界の名はビテンライブラリ。 別名飛天図書館。 つまりビテンの情報を蔵書とした図書館が当人のアナザーワールドによって構築された世界である。 そこはビテンの知識の集約。 ビテンの記録を網羅した図書館。 そして何よりエンシェントレコードの記録の宝庫だった。 「あなたの頭の中はどうなっています?」 と問うたユリスを誰も責められはしなかったろう。 要するにビテンライブラリはビテンのアイデンティティとレゾンデートルそのものなのだ。 そしてエンシェントレコードの蔵書量は空恐ろしいことに大陸魔術学院の中央図書館のソレを圧倒的に上回っている。 魔女はエンシェントレコード……即ち神代の記録を神語から人語に翻訳して我が物とすることで該当する魔術を行使することが出来るようになる。 神代の創造神話を再現し、虚無から現象を創造する。 例外を除いて基本的に魔術とは現象を生み出すモノだ。 神が行なった世界創造をスケールダウンして人の技術として現象創造とするのが魔術の根幹ともいえる。 であるため魔女には高い知識能力が必須だ。 初級魔術程度であれば歌の分量程度で済むが中級や上級魔術ともなると六法全書を丸暗記するより膨大な知識量を必要とする。 まして覚えるだけでは駄目だ。 神語から人語に翻訳せねばならず、しかも魔女によって翻訳の仕方は千差万別だ。 服に例えればわかりやすいだろうか。 注文服。 仮にオートクチュールを持とうとする。 御題は黒色のカシミアのスーツだとすれば、どんな客に作ったところで黒色のカシミアのスーツに相違ない。 が、現実としてオートクチュールであるため客によって体型や身長や足の長さは変わってくるため『黒色のカシミアのスーツ』と言っても万変する。 一人一人に要求される都合が違うのだ。 同じことがエンシェントレコードにも言える。 ビテンライブラリはあくまでビテンがエンシェントレコードの神語から人語に翻訳した書物の蔵書空間なのだ。 自己満足のスラングだらけな翻訳書物の群であった。 当然ビテン以外のメンバーはビテンライブラリを神語に翻訳し、それからそれぞれの人語に再翻訳をせねばならない。 が、それはそれとしてビテンの記憶を書物化したビテンライブラリの蔵書量は規格外の一言である。 ありとあらゆる……それこそ、 「禁戒記録」 と呼ばれる魔術まで網羅されている。 エンシェントレコードの新規章の発見は大陸魔術学院では表面上共有されているということになっているが禁忌と呼ばれ封印処置を施されている章もある。 主に上級魔術や特級魔術の一部がこれに当たる。 事情によって行使に危険が生じる場合は封印される章もあるということだ。 ビテンが祭り上げられる結果を作ったフレアパールネックレスは中級魔術。 その一事だけでも上級魔術や特級魔術がどれほどの威力を持つのか察せられると云うものである。 「…………」 ビテンは平然とマリンの淹れてくれたコーヒーを飲む。 「ビテンはこれだけの膨大なエンシェントレコードを習得していますの?」 クズノがビテンの記憶の雫である書物の一冊を翻訳しながら問うた。 「まぁな」 特に意識することもなく肯定。 「頭が痛いっす」 これはシダラ。 「水や氷の属性まで網羅されてるよ」 パラパラと書物のページをめくりながらカイト。 「メギドフレイム……禁忌魔術じゃないですか」 有り得ないモノを見る目でユリス。 「もしかしてビテンはメギドフレイムも扱えるのですか?」 「わけないね」 自慢ですらない。 ビテンにしてみれば事実の一環に過ぎない。 「というかこれほどの知識量をどうやって……」 「信じられない」 とユリスは語る。 「新入生であるならば中央図書館を網羅することも不可能でしょう。何かしらエンシェントレコードに触れる機会が?」 「まぁ色々とだな」 「それ以上聞くな」 と距離を取る。 それからマリンのコーヒーを飲むビテンだった。 「頭……痛いっす……」 シダラがこめかみを押さえる。 「ゼロの章まで……!」 これはカイト。 「スラングがあまりに多すぎですの。蔵書量は大したものですが翻訳には多大な労力を必要としますわ」 クズノがうんざりと言った。 「別に翻訳する必要も無いがな」 ビテンは平常運転。 「あう……」 マリンは申し訳なさげだ。 何せビテンの業はマリンが原因のようなものだ。 それを十分承知しているから、 「マリンは愛らしいな」 マリンの頭を撫でるビテンだった。 「あう……」 とマリンは赤面して恥ずかしがる。 「むう」 「うむ」 「うむぅ」 クズノとシダラとカイトが不満げだ。 ユリスは一人ビテンライブラリの書物の翻訳に励んでいた。 コーヒーを飲みながら。 「ちなみに」 とこれはビテン。 「知識量で言うならマリンは俺と同等だぞ?」 「え?」 「は?」 「ほ?」 「本当ですか?」 「あう……」 最後に萎縮するマリンだった。 「そうでもなけりゃゼロなんか使えないだろ」 「それは……」 「そうっすけど……」 信じがたいとクズノとシダラ。 「というか幼馴染だし」 身も蓋も無いビテンの言に、 「あう……」 とマリンが困惑する。 ビテンはコーヒーを飲み干すと、 「おかわり」 とマリンに頼んだ。 「うん……」 といそいそとコーヒーの抽出に勤しむマリン。 「ビテン。あなたはいったい何者だい?」 「別段語るほどの者でもないな」 追及をサラリと躱す。 「北の神国でも禁忌に値するエンシェントレコードの章を身につけている時点でそこはかとなく不安を覚えるのだが」 「だから別段語るモノでも無い」 「はい……ビテン……」 「ありがと」 マリンに笑顔を向けてコーヒーを受け取り飲み始める。 「ともあれエンシェントレコードを研究するにこれ以上の環境はあるまい?」 「それは事実だが……」 ユリスは納得いかないようだった。 「君はどうやってこれほどのエンシェントレコードを憶えたんだい?」 「才能」 他に言い様が無かった。 そもそも論になるがそうであるからこそ天才を超えて鬼才の域にあるビテンであるのだから。 「そしてマリンも同じ……と」 「だな」 「あう……」 マリンは気後れする。 「まぁマリンに関してはマジックキャパシティを共有しない限り無害だから特に気にすることでもないがな」 それは一つの真理だった。 「意味不明だよ……」 カイトがビテンライブラリの席に着きながら頭を抱えていた。 水や氷の属性と親和性の高いカイトでも禁忌魔術の……それもビテンの翻訳した魔術書は理解不能であるらしかった。 「頑張れ若人」 ビテンは無責任に言い放った。 他に言い様が無いのも事実ではあるのだが。 |